第26話 泡風呂に見る理

奢ってやるから、一緒に来いよ。

兄貴が気軽な口調でそう言ったので俺はついて行った。まさか風俗とは思わなかった。それもソープ。店の看板には3万5000円と書かれている。馬鹿みたいに高い。相場は知らないが、俺にとっては高かった。

「ちょっと待った。奢るって風俗かよ。俺、そんな気分じゃないんだけど」

「お前、童貞だったろ? ちょうどいいじゃん」

「なにがちょうどいいんだよ。初めてだったら尚更だろ。普通に彼女作って、普通にしたいよ」

「普通に彼女がいた時になんでしとかなかったんだよ」

「そんなの俺の勝手だろ。てか、なんで急に? そんなに飢えて見えたわけ?」

「逆だよ。飢えてないから心配した。別に男が好きってわけでもないよな? 顔だって悪くないし、根暗でもない。友達も居る。それでなんで彼女出来ないんだよ。男子校現役生かお前」

「そんな簡単に彼女出来たら苦労ないよ。とにかく、俺はソープには行かない。童貞はまあ卒業したいけど、プロの世話になるのも寂しいじゃん。普通にちゃんと好きな人が出来たら、そうなればいいって思うだけだよ」

兄弟は繁華街の裏道で睨み合うように話していた。2人とも長身、目力があって、鼻筋がよく通った顔立ちをしていた。良く似た顔だが、髪型と服装だけは正反対だった。兄は少し長めの髪にパーマをかけクシャクシャの無造作風セット。弟は短髪、ワックスで前髪を上げておりスポーツマンのようなやんちゃな感じがあった。


お前さ……と、兄は長い指で眉間をかきながら言う。

「女を特別に見すぎだよ」

弟は取り合わないような仕草で、手の爪を見ながら返事をした。

「仮に特別に見ていたとして、何か不味いの?」

「別に大したもんじゃないぜ? SEXってのはごく普通の、人間生きてりゃそのうち経験する出来事だ。飯食うのと寝るのと違って1人で出来ないから凄い出来事みたいに感じるだけだ。たぶん初めての時は皆こう思う。あー、こんなもんか。ってな」

「そんな大したことじゃないなら大金払って奢ってくれなくていいよ。ラーメン奢ってよ」

「阿呆が。その大したことが出来てないから舐められるんだろうが。大したことない物を奢ってやるんだから、へぇ〜ラッキー!って思ってりゃいいんだよ」


通りすがりの通行人が兄弟の会話を聞いて小さく笑った。「あの髪短いやつ童貞らしいわ」「へー、なんかウケる」

見るからに苛ついた様子で兄が声をかけた。

「こんちは、何か言いました?」

絡まれた2人の通りすがりはぎょっとした顔で兄を見上げた。背の低い2人組だ。180半ばの兄はさぞ威圧的に感じるだろう。事実、目を鋭くして睨む兄は敵意満々なわけだが……。

「おい、兄貴、絡むなよ。もういいんで、行ってください」

2人組は顔を少し強ばらせたまま無言で去っていった。

「雑魚助が調子のりやがって、ほら見ろ。ご覧の通りだ。舐められる」

いったい我が兄はどこで生きてそんな価値観を身につけたのか。基本的な思考回路が不良のそれで出来ている。


そもそもだ、こんないかがわしい店の前で立ち話なんてしているから茶化されるのだ。あまり人通りのある場所ではないがチラホラと通行人はいる。そして店の前でやいのやいの言い合っていれば自然と目をひく。あること無いこと思われるのだろう。それを思うと恥ずかしくなってきた。

「……なあ、兄貴。ちょっと場所を移そう。店の真ん前は人目が気になる」

「店ん中入ればもう見られないで済むぜ」

「いや、だからそれは」


もう何度目か分からないこのやり取り、結局、兄貴に根負けして店に入った。店内は……、いかにもって感じだ。シャンデリア、全体的に薄暗く、古ぼけたホテルのような感じだ。革張り風に見えるソファに何人かが座ってその時を待っている。俺もその中の1人に加わるということだ。あぁ、嫌だ。この輪に加わってまで女を抱くのが嫌だ。この安っぽく整えられた内装が気に食わない。少し削ればメッキがはげそうで、この薄っぺらな空間に自分が居るのはおかしいことに思えた。ここで働く人間も嫌いだ。一身上の都合は一切合切、聞く耳を持たず断定する。どうせろくでもない奴が働いているのに違いない。安っぽい店でろくでなしに接客されて、奥の部屋に通される。


……出てきた女は綺麗だった。

まあ、その、端的に言って、悪くなかった。

皮1枚の上に人の性格と顔の造形が乗っている。皮1枚の下は皆同じだ。食って、寝て、交わる。なにか1つ真理を得たような気がしていたら、「ようやく素人童貞のくせに悟りを開くな」 と、兄貴にそう言われた。







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