第22話 誘われた香り

路地裏の奥の奥に、半ば埋まりかけた雑貨屋がある。比喩ではなく、建物の老朽化といつぞやの地震で地盤が沈下し、少し埋まったのだそうだ。

使い出の分からない民族チックな工芸品が山となって並ぶ中、その山の谷のような空間に店の主は座っている。


僕は近所の大学生だ。

暇にあかせてぶらぶらしていたらここを見つけ、それから店の主と親しくなるくらいには、ある理由があって通っている。

「あれ? なんか今日、いい香りしますね」

「セクハラか? 褒めてるのかな?」

いや、店主は美人だがタイプではない。少しこう……なんというか鋭すぎる印象が強い。

それに、店主の香りじゃなくて店に入った時から香っていた。

「これは媚薬だよ。嗅げばたちまち惚れやすくなる」

「は?」

また妙なことを言い出した。そんなことあるわけーーそう言おうとして腕をグイッと引っ張られる。

「本物だよ」

店主の目の光は嘘を言っていなかった。それに息遣いが荒い。顔に吐息がかかる。なに食べたんだこの人、やたら甘い匂い。

「ちょ、ちょっと待って下さい! なにやってーー」

顔が近付いてきて寸でのところで手を差し込んだ。あやうくキスされるところだ。

「おい、ちょっとマジで何やってんすか。なんで1人で媚薬使って盛ってんですか」

店主は一瞬だけ眉根を寄せた後すぐに合点が言ったらしく返答を寄越した。

「誤解だね。この香りの効果は私にじゃない。君にかかっているんだよ」

んな馬鹿な……。

「現にこの通り、思わずチューされそうになったのに距離は近いままだ。もっと離れるなり、振りほどくなりすればいいのに抵抗が弱いよ。効き目がある証拠だ」

いや、だからそんな馬鹿な…。

振りほどかないんじゃなくて振りほどこうとしないだけだ。絶対そうだ。

「だったら今から、ぶん殴りますよ。それが出来たら証明出来るでしょ?」

「無理無理、君はもう媚薬にやられてそんなこと絶対出来ないよ。私のこと好きになってるからね」

本気でいってんのかこの人、それとも僕なら殴らないとでも思っているのか? そりゃこの歳にもなれば女に限らず誰も殴ったりなんてしないだろうが、時と場合に寄るし、そして今はその時と場合に当てはまる。


「じゃあ」

と言葉を切って拳を固めたら、店の奥から見知った顔が出てきた。僕がこの店に通う理由だ。

「私を殴ることで媚薬の効果が嘘だと証明するなら、それよりもっといい方法がある」

奥から出てきた彼女を指さし、

「この子に告白してみせろ」

僕の意中の人だ。

同じ大学に通っていて、たまたまこの店に初めて来た時、彼女はすでにこの店でアルバイトをしていた。

……なんて手間なお膳立て。

頼んでもいないだろう。


「ほらほら、やっぱり私が好きなんだろ? 違うっていうなら告白してみろよ」

そんなに奥手に見えただろうか。まあ手が早いとは言えないだろうが、ここまで世話焼きとは思わなかった。


覚悟を、決める。

遅かれ早かれだ。

僕の中では、成功率はまだ半々のといった手応えだったが、ここまで焚き付けられてアクションしないわけにはいかない。


願わくば、この甘ったるい香りの媚薬とやらが彼女に作用することを祈るばかりだ。


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