紅葉

 水色は、人の本能や魂に刻まれた色だと語る男。

 その水色を愛してやまないのだと語る男。


烏丸からすま


 自らを詐欺師だと名乗る飄々とした男は、『君の世界には水色しかないはずだ』と私に語った。世界に光がないからこそ、魂に刻まれた水色はよく映えるのだと。


 突拍子もない理論にもどこか腑に落ちているのは、私の魂にも水色が刻まれているからなのだろうか。


「水島ちゃん。奇遇だね」


 彼と出会い、海を感じ、水色を知ったのはつい先日のことだ。

 盲目の女と詐欺師の男、私たちは二度と交わることはないであろうと思っていた。家の玄関を開け、丁字路を曲がった折、私の白杖はまたしても革靴の感触を捕らえた。


「海行くんでしょ。俺も付き合うよ」


 驚きに言葉を詰まらせているのを肯定と受け取ったのか、先日の別れ際に『烏丸』と名乗ったその男は、私の腕を取る。目の見えない私にとっては何てことのないことのはずが、ぴくりと心臓が動く音が聞こえた。


「すっかり秋だ。紅葉もみじがすっかり赤く染まってるよ」


 休日の昼下がりだというのに、街はひどく閑静だ。白杖が地面を叩く音と彼の声しかない。

 四季には匂いがあると私は思っている。特に最近は秋の匂いが深まってきている。深緑とは違う、どこかくたびれた枯れ木や葉の匂い。夏よりも遠くに感じる空から降りる、陽や空気の匂い。ああ秋がきたなと、烏丸の話を聞きながら考えていた。


「すごく新鮮な野菜とか、若い人のことを、『瑞々みずみずしい』って言うだろ」


 みず。彼から発された言葉を聞いて、体がびくつく。

 この語り口調は間違いない。水色の話をするのだ。そして私を連れていく、水色の、彼の世界へ。


「漢字は違うけどさ。きっとこの言葉も『水』からきてるんじゃないかと思う」


 透き通った水色をした彼の言葉を聞いていると、世界と私との境目が失われていくような感覚に陥る。辺りに満ちる水色に、私がじわりと滲んでいく。


「若さの、命の、象徴。それが水。それが失われていって、紅葉もみじは赤に、水色とは程遠い色になって、最後は朽ちるんだと思う」


 彼が水色を語る時、その口調は情熱的かつ清らかなものとなる。私にはそれが、たまらなく心地よい。言葉一つ一つが胸を打ち、私を水色に染めていく。


「緑が深い若々しい草木のことを、『青々しい』だなんて言うだろ。面白いと思わないか。だって緑なのに青なんだぜ。命に色をつけるとしたら、青かそれに近い何かだと、やっぱり人は本能的に知っているんだよ」


 人の母は水色だと、先日烏丸は語った。

 そして今日は、命の象徴や命の色、それが水色だと言う。命、それはしく、しい。やはり人は、青ないし水色にどこか生命の息吹を感じているのだろう。


「さて、着いたよ。目の前は命の色でいっぱいだ」


 烏丸の語る水色哲学に傾倒していると、いつの間にか潮の匂いが強くなっていた。白杖から伝わる地面の感触も、どこか武骨なものに変わっている。


「水色は命の色だ。反対に、水色とは程遠い赤とか黄色は、命の終わる色だ」


 そう語りながら、烏丸は優しく腕を引く。腰かけろ、という合図らしい。私がおもむろに腰を下ろす動作に合わせて、左手に繋がれた彼の体も連動する。少し汗ばんでいる彼と私の手は、体液という水色を通じて繋がっていた。


 私たちが砂浜に腰を下ろしたと同時、烏丸は私の左頬に触れる。細く硬い、男の指。それが、頬をつうと撫でる。



「だから、君の頬が赤く腫れているのは、俺あ気に食わないね。君の綺麗な肌は、それこそしくあるべきだ」



 決して壊すまいとするかのような、優しさと畏怖の入り混じった手つきだった。


「家族か」

「母。血は繋がっていないけれど」


 話さなくてもよいことなのだが、これまでになく低い烏丸の声に、思わず答えてしまう。

 それから、ぽつりぽつりと、私は身の上の話をし出した。血の繋がった母と父のこと、繋がっていない母ともその再婚相手とも上手くいっていないこと。家は裕福なのだが、私の治療費や諸々で思ったように貯金ができず、義理の母が私に手をあげること。


 同情されるのは好きではない。だが、烏丸は同情なんてしない。彼はただ、私の肌に赤色があるのが気に食わないだけなのだ。


「俺はね、今ほど自分が詐欺師であることを呪ったことはないよ」


 最後の方はただの愚痴となっていた私の話を聞き終えて、烏丸はぽつりと呟いた。声が波の中へ消えていくと同時、彼は再度私の頬を撫でる。昨日と同じ、ミントの香りが、つんと鼻を叩く。烏丸の顔は今、文字通り目と鼻の先にあるようだった。



「俺が泥棒だったら、今すぐにでも君を盗むのに」



 赤色は命が終わる色。

 なるほど、顔が深紅に染まっているであろう私は今まさに、息絶えそうなほどの苦しみを味わっている。

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