女王様は噛ませたい

ころもちゃん

第一話


平穏な日々が今崩れようとしている。

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僕は吸血鬼だ。


吸血鬼になってからまだ日が浅く、半年ってところだけれど。僕が一体全体どうして吸血鬼になってしまったのか、それについての記憶が一切ない。ただ、ある日気がついたら、突然吸血鬼になっていた。

何かきっかけがあるのは間違いないのだろうが、それについては考えても全く分からないからこの頃はもう考えないようにしている。


突然人ならざる者となって、その中で日常生活を営んでいくのは至難の業だ。だが、そんな中でも、僕は何とか、裏ルートに強い人間を通じて支援を受け、あたかも人間のように、人間に混じって、当たり前のように生活できている。

「支援」というのは、主に食事に関してだ。

吸血鬼といえば、その名の通り人間の血を吸ってそれを糧としている。僕も吸血鬼になったら、人間の食事が口に合わなくなり、うっかりそれ食べてしまった際には嘔気をもよおす。だから吸血鬼になってしまったからには、後生人血を啜って生きていかなければならないわけだが、僕は人間としての気持ちを捨てたくはない。人間の血を吸うということは、誰かしらに噛み付いて血を吸わなければいけない。多分大概の人は知っているだろうが、吸血鬼に血を吸われた人間は自身も吸血鬼になると言われている。僕は僕のような人間、いや、人間じゃないか。僕のような「元人間」を増やしたくない。同じ苦しみを味わって欲しくない。だから人に噛みつかないで間接的に人血を摂取している。それが裏ルートから手に入れた輸血パックだ。裏ルートなのだから入手源は言えないが、この代物のおかげでなんとか人間としての心を保ちつつも吸血鬼として生活できている。

僕は人間としての年齢だと、17歳。現役の高校生なのだが、特性として日光が苦手な吸血鬼は日中の活動が出来ないに等しい。僕が知っていた吸血鬼の予備知識では、日の光を浴びただけで灰となって消滅してしまう個体もあるとか。だが実際僕の場合、日光を浴びても、活動能力が著しく落ちるだけで、突然灰となって消えることはなかった。だが日中太陽の下で満足に活動するのは到底無理なので、僕は活動時間を夜と定め、夜間学校へ通う事にした。幸いな事に僕がそもそも通っていた高校は定時制があったので、その辺は苦労せずに済んだ。

吸血鬼の特性には、他にも、コウモリに変身できるとか自分の血液を操って血の糸をつくるといったことができると聞いた事があるが、これにおいては自分にその能力はない。

まあ、まだ吸血鬼になって日も浅く人間の血も然程飲んでいないので、今はまだできないだけで、いづれはできるようになるかもしれないが。

僕が今の所出来るスキルは、短距離間での瞬間移動と、吸血鬼のトレードマークと言っていい、牙と長い爪。これを必要な時だけ伸ばすことができる。これは人間社会で生きるに当たって多いに役立っている。最初は牙も爪も伸びたい放題だったが苦労の甲斐あってなんとかこの技術をものにすることができた。

そんなこんなもあって僕は、吸血鬼として、人間社会で表向き、は平穏な生活を送っていた。




送っていたのだが…





ピンポーン-


「・ ・・」


ピンポーン-


「・ ・・」


ピンポーン-


「・ ・・」


「・ ・・」


「・ ・・」


ピンピンピンピンピンピンポーン!!!



「うっ…」





✳︎ ✳︎ ✳︎





激しくインターホンが連打された。

「ああ、また彼女が来たのだ」と。若き吸血鬼の男は頭を抱える。ここ最近の悩みの種である。居留守を使えばいいだろうと簡単に思ってはいけない。ひとしきりインターホンの連打攻撃が終わると、、、


ドンドンドンッ


今度は激しくドアを叩かれる。因みにここは閑静な住宅街にあるマンションの3階だ。


ドンドンドンッ


「こんばんはー」


声のトーンは高いが、澄んだ、意志のあるキリッとした美しい声が室内まで響く。男にとっては恐怖の声でしかないのだが。


そして-


「こんばんはー。吉良と申します〜。立花君はご在宅ですかー」


と、さらにドアを叩きながら大声で呼びかける。


(ま、マズいっ)


こうなると、もう手遅れだ。大音量でお決まりの二の次が来る。立花と呼ばれた男はカーテンを締め切っていて真っ暗な自室から飛び出し玄関へ瞬時に向かう。


「いないんですかー?おかしいなぁ。しょうがないなぁ。フフっ。」


吉良と言った少女は不敵に笑うと、大きく息を吸い込み、絶対に言ってはいけない言葉を放った。


「立花くーん。立花秋(しゅう)くーん自称きゅうけつきのたち…」


「うわあああああああ、います。います。いるから、今出るからちょっと待ってえええ」


立花と呼ばれた男は吉良と言った女の発言を最後まで言わせまいと、被せて叫んだ。


バンッ!!


そして勢いよくドアが開けられた。


「なんだ!いるじゃん」


立花秋の目の前には金髪ロングで、姿勢のいい美しい少女が仁王立ちしていた。


「ひ、酷いよ。吉良さん。マンションでこんな大声で叫ぶなんて」


そう言いつつ、先程自分が勢いよく開けたドアを閉めようと静かにドアノブを手前に引く。

が、それを見咎められ、ドアを片手で押さえられる。


「最初から出てこないのが悪いのよ。」


「うっ」


「それに、今更ドアを閉めようとするなんて、往生際が悪い!ちゃんと家に入れてもらいますからね。」


「い、いや違うんだ。誤解だよ」


立花秋の言っていることは本当だった。今更彼女を追い返すのは無理に等しいからそれについては諦めていた。ただ、先程勢いよくドアを開けた事で、外から西陽が差し込んできて耐えがたかったのだ。吸血鬼は陽の光に弱い。これである。秋が眩しさに顔をしかめると、吉良は何かに気づいたように意地の悪い笑みを浮かべた。


「そっかぁ。吸血鬼は日光に弱いんだったもんねぇ。でもさぁ、わざわざそんな演技しなくてもいいのにぃ」


「え、演技とかじゃないんだけどね。と、とにかく玄関先でいつまでも話してるのもなんだし、な、中に入ろっか?」


「そうこなくちゃ!じゃ、お言葉に甘えて、お邪魔しまーす♪」


そういうと、待ってましたと言わんばかりに我先にと意気揚々に中へと入っていった。


(ハアアアアアア〜)


秋は深い溜息をついた。



吉良叶(きらかなえ)。彼女は秋の高校の同級生でクラスメイトである。厳密には秋が夜間クラスに移動した為今や同じクラスではないのだが。

金髪ロングの巻き髪、色白で鼻が高く切れ長な目が美しい。背も高く出るとこは出ているというスタイルも抜群。性格はとにかく、気が強い。社長令嬢という噂がある。クラス、いや校内のマドンナ的存在で、彼女の高飛車的な態度も、彼女のような美貌の持ち主にされるなら本望!という男どもも多いようだ。

こと、秋もどちらかというとその多数の男どもと同じ考えのグループではあったのだが、今となっては大問題である。

秋が人間だった頃は別段関わりもなかった。

ただ何故か、事あるごとに、無言で睨み付けられ、それにこちらが気づくと、フイッとそっぽを向いて立ち去っていってしまう。という具合だったが。

そして、秋が吸血鬼になってから、しばらくし、夜間学校に通い始めて数週間経った頃だった。突然彼女が家に尋ねてきたのだ。


.

.

.


「吉良さん?!一体どうしたの?」


秋は思いもよらない来客に驚きを露わにした。

自宅であるマンションの1室の前に、同級生の吉良叶がいるからだ。


「クラスメイトがいきなり学校に来なくなったと思ったら、夜間クラスに異動になってたから。どうしたのかと思って」


叶は秋の高校の制服姿で、片手には大きめの手提げ鞄を持っていた。校内のマドンナ的な存在の少女が今目の前いる。

秋は遠慮がちに、


「いや、だからといってわざわざこんな…」


「何?迷惑だっていいたいの?」


「いや、そんなんじゃないんだけど…」


「けど、何?」


流石の強気だ。仕方なく秋は遠回しに帰って欲しい事を伝えることにした。


「あ、嫌、その。あー来てくれてありがとう。吉良さんのような人が来てくれて嬉しいよ。けど、その、今日はすごい具合が悪いんだ。それでずっと寝込んでてね。吉良さんにもうつすと悪いから悪いけど今日の所は、その、、、ごめん。」


秋はズサッと頭を下げた。が、しかし、


「あら、それは大変だわ!!こんな天気のいい気持ちの良い昼下がりなのに!!」


(いや、気持ちのいい昼下がりだから具合悪いんだよ!!)


秋は内心悪態ついた。秋の先程の発言は叶に帰ってもらう為の方便で具合が悪いと言ったのだがそれはあながち嘘ではない。こんなに天気がいい真っ昼間だと日差しがキツいからだ。


「言われてみれば、確かになんだか顔色悪いわね。目も充血してるし。よし!決めた!私立花君の看病するわね!心配しないで!健康には自信あるから!」


(は…?)


彼女は一体何を言っているんだ。と、秋は一瞬思考が停止する。秋は確かにうつすとよくないからと帰ってくれるように言ったはずなのだが。

そうこうしているうちに叶は靴を脱ぎ今にも中に入ろうとしている。


「ちょ、ちょちょ、ちょちょ、困るよ。勝手に中に入られちゃ」


「あら、私は何も困ることはないわ」


「僕が困るんだよ」


そう言っても聞く耳を持たず、玄関から上がり、ズカズカと廊下を進んで行く。そして叶は突き当たりのドアのドアノブに手を掛けた。


「ほんとに、待って」


「あら、見られて困るものでもあるのかしら?」


「いや、、、それは、、、」


秋は一瞬思考して


「ない、です」


と答えた。

実際は困るものだらけだが、ここで断るとさらに怪しまれるだろう。ここは成り行きに任せるしかない。という思いで、叶の横行を黙認した。



秋の自室に入るなり叶は、

「暗っ」

と甲高い声を上げた。言うと思った。と後ろからついて入った秋は、片手を額に当てて俯き、憂鬱そうに溜息をついた。

叶が暗いというのは無理もない。実際室内は電気は付いておらず、カーテンも日中だというのにピッチリと締め切っているからだ。しかもダークグレー色の遮光・断熱カーテンだ。まあ、吸血鬼とあらば当然だろう。


「立花君。」


叶は自室の入り口前で突っ立っている秋の方に向き直って言った。


「立花君が具合悪い理由分かったわ。こんな暗くて、ジメジメして空気のわっるーい所で暮らしてるからだわ。そりゃあ気も滅入るよ。」


「いやぁ〜そんなこともないんだけどなぁ〜」


と秋は頭をポリポリと搔いた。


「だから、とりあえず、カーテン開けて窓開けて空気の入れ替えしよう!」


(いや、ちょっと待て。それは多いに困る)


叶はさっそく行動に移ろうとしている。


「吉良さん。ちょっと待って。それだけはやめよう」


「え?なんでよ」


叶は信じられない。というような表情で秋の顔を真っ直ぐ見つめてくる。その眼差しは鋭く、見つめられたものを虜にするような美しさがある。


(美しい……。いや、今はそれどころじゃ)



「吉良さん、それはー、その、ほら、僕極度の日光アレルギーなんだ。だからさ、日光を浴びると身体に湿疹とかができちゃうんだ。だからなるべく陽の光を浴びないようにカーテンをしてるんだ。だから絶対開けちゃだめなんだ」


「・・・・」



(どうだ?!乗り切ったか?なんとか分かってくれたか?)


秋は苦し紛れにしては、我ながらうまい言い訳だと少ししたり顔をした。



「………そっか、だから日中帯は外に出れなくて夜間クラスなんだね」


叶はそういうと深い同情の顔で秋を見ていた。


「そ、そ、そ、そそうなんだ。」


(助かった)


が、しかし-


「じゃ、じゃあカーテンはいいとして、何か栄養がつくようなご飯作ってあげるね!」


(え?!!!いや、それは違うだろ。マズイことになったぞ。人間の食事をするなんて拷問と変わらないじゃないか。ぼくが人間だったら、吉良さんの手料理が食べられるなんて幸せこの上ないけれど、吸血鬼の今となっては、苦行でしかない。もはや食べ物が喉を通るか分からないし。いやまあ、でも落ち着こう。この家には食べ物らしい食べ物もない。吉良さんが料理するものもないし、大丈夫、大丈夫だ。)


「吉良さん。気持ちは嬉しいんだけど、僕んち今食材何もなくって。吉良さんに作ってもらえるようなものがないんだ」


秋はありったけの申し訳ないという気持ちを込めて神妙な顔付きで言った。


「あら、それなら大丈夫よ!そんなこともあろうかと食材買ってきてたの!立花君のお家に行ったからには、私の手料理、立花君に食べてもらいたいなーって思ってたの」


(なぬー?!)


叶はにこやかに、持ってきていた手提げカバンから野菜やらお肉やら何やらと食材を取り出し秋に一つずつ見せてきた。秋にはその食材一つ一つが禍をもたらす粗悪な物にしか見えなかった。


(そのカバンはエコバッグかなんかだったのか。何にしてもまずい。なんとしてでも阻止しないと)


「吉良さん。申し訳ないんだけどね、さっきから食欲がないんだ。食べ物の匂いを嗅いだだけで吐きそうな感じで…気持ちは嬉しいんだけどね…」


(頼む…なんとか)


「あらぁ。それは困ったわ。じゃあ仕方ないわね。とりあえずご飯は作っておくから気分が良くなったら食べて。」


「あ、いや、だから、、、」


「食べなきゃ治らないわよ!!」


「は、はい」


秋は反射的に返事をしてしまい、結局叶の勢いに飲まれる形で手料理を作ってもらうことになった。まあ、叶のやりたいことをさせ料理でも作り終われば気が済んで大人しくなるだろうという計算も少なからずあったのだが。叶には悪いけど、手料理は気分が良くなったら食べるっていうことにして、誰かにあげることにしよう。

そう思うことにすると、次第に秋の心は落ち着きを取り戻してきた。

叶は意気揚々と調理をし始めた。この高飛車でお金持ちのお嬢様に料理なんかできるのかと疑わしかったが、意外にも叶は手際よかった。

ご飯を作り始めると機嫌も良くなったのか、フンフン♪と鼻歌を歌いながら調理をしている。叶にキッチンを預けている秋だが、そんな叶の姿に安心し、うたた寝をする余裕さえも生まれてきた。


それからしばらく経った時、ピンチは突然訪れた。


「ね、ねぇ立花君。ごめん、みりん忘れちゃったんだけど、冷蔵庫の中とかに入ってないかなぁ?」


「え?みりん?」


「そう、みりん。冷蔵庫開けるよ?」



(いや、待て冷蔵庫はまずい。冷蔵庫は。)


なぜなら-


大量の輸血パックが入ってるからだ。


「ちょっと待って」


自室からキッチンを覗くと、叶が今にも冷蔵庫を開けようと冷蔵庫のドアに手を掛けていた所だった。


(マズい。輸血パックだけは…)


その刹那、秋の姿が消えた。

吸血鬼のスキルを使ったのだ。秋は暗闇の自室から、キッチンまで瞬間的に移動し、今まさに冷蔵庫のドアに手を掛け開けようとしている叶の右腕を横から割り込んで掴んだ。


「痛ッ」


叶は小さく声を上げた。輸血パックを見られまいと必死になっていた秋は加減ができずに、叶が普通の人間の少女だということも忘れ力強く腕を掴んでいた。秋は叶が漏らした声に気づいて慌てて手を離す。

叶は右腕に、秋に力強く掴まれた痛みをじんわりと感じながら、文句の一つでも言ってやろうと秋の方へ向き直った。


「ッ!!」


すると叶は小さく息を飲み込んだ。叶は何か異な物を見るように目を丸くさせマジマジと秋を見つめてきた。


(しまった。)


秋は気づいた。自分の姿が吸血鬼化していることに。秋の手からは長く鋭く伸びた爪が光っており、眼球は赤く妖しい光を灯しており、何と言っても口元からは、鋭く伸びた犬歯がギラついていた。秋は愚かにも、輸血パックの存在を悟られまいと必死になるあまり、咄嗟に吸血鬼のスキルを使い瞬時に叶の横行を止めるも、今までひた隠しにしてきた真の吸血鬼である姿を叶の前に晒してしまったのだ。本末転倒である。


(終わりだ、もう終わりだ…)


「あなた…どうしたのその格好?ふざけているの?まるで吸血鬼じゃない」


叶は先程秋に掴まれてしわになった、ジャケットの右腕部に目を落とした。


(いや、まるでじゃなくて、吸血鬼なんですけど。もう、ここまできたらどうしようもない。正直な事言って早く引き取ってもらおう。)


「吉良さん。そうなんだ。実は吸血鬼なんだ。見ての通り吸血鬼。」


秋は見せつけるようにその長く尖った爪を携えた手を前に突き出した。そして半開きの冷蔵庫のドアを掴み開けた。


「見て。この中に入っているものはね、全部輸血パックなんだ。人間の血。吸血鬼だからね。これを飲んで生活してるのさ。」


「・・・」


秋はあえて仰々しく大袈裟に、芝居じみたかんじで話した。相手が恐れをなして逃げ出してくれるように。


「だから、早く立ち去った方がいい。僕に血を全部吸われる前に。そしてもう、2度と僕の前に現れないでくれ」


(フッ、決まった…これでもう彼女は…)



すると今まで黙っていた叶がゆっくり口を開いた。


「立花君…。頭大丈夫…?」


「え……?」


「こうまでして吸血鬼のフリするなんて頭がおかしくなってしまったとしか思えないよ。」


「は…?」


(いやいやいやいや、おかしいのはお前だろ。この状況でまだフリだと思ってるなんて)


「そのつけ爪すごいねーいつの間にネイルなんてできるようになったのー?それにそのマウスピースも本物の牙みたいでとても精巧に作られてるね〜」


(おいぃ〜これを造りものだと思っているのか??)


「いや、これは造りものなんかじゃないんだ。実際君の右腕の服にもこの手で掴んだシワと爪の跡が残っているじゃないか」


続けて秋は畳み掛けた。


「それにさっきも見せた、冷蔵庫の中。

これは…」


すると叶は秋より先に


「ああ、これ。トマトジュースでしょ?こんなパックに入れてるなんて。どうやったのー?」


(嘘だろ。全く信じようとしない。この人って天然の類だったのか?)


ここまできたらなんとしてでも認めさせたい秋だ。秋は意地になって、


「ほら、吸血鬼は光に弱いっていうだろ。だからカーテン。部屋も締め切りにしてたんだ。」


しかし、叶は、


「ああ、あれ?日光アレルギーでしょ?」


「いや、それはあくまでも、君に吸血鬼と悟られないようについた嘘で、実際はアレルギーではないんだよ」


「ん?」


(だめだ。何言ってもこの人信じてくれない。もう他にどうすればいいか分からない。どうしたらこの人帰ってくれるんだろう)


秋が困り果てて頭を抱えた所でだった。

叶が口を開いた。それは、予想だにしない、秋にとっては最悪で災厄でしかない、今までの生活を脅かすような一言だった。



「じゃあさ、私の血を吸ってみてよ」


一瞬秋の思考が止った。もう今日だけで何度となく止められている思考だが、この時ばかりは秋の狼狽はとてつもないものだった。


やっとのことで、


「な、何言ってるんだ君は!!」


と震えるか細い声を絞り出す。一方叶は、


「だから、私の血を吸ってみて!って言ってるの。そうしたら、吸血鬼って信じてあげる」


「馬鹿な!吸血鬼に血を吸われたら、君も吸血鬼になってしまうんだぞ!!」


「だからじゃない。立花君がそこまでいうのなら、私の血を吸って私を吸血鬼にしてみなさいよ!!まあ人間の君にはできないでしょうけど」


この子は…と思わず秋は歯噛みをした。この少女の大胆な発言は、秋が絶対に吸血鬼ではない確信をしているが為に放たれているものだ。吸血鬼である事を信じてもらうには、彼女を吸血するしかないのだ。


「出来ない。そんな事をしたら君は本当に吸血鬼になってしまう。僕は君を吸血鬼にしたくないし、僕も人間らしく生きることで人間としての自我を保っていたいんだ」


「何よそれ!全然意味わかんない!」


「君は吸血鬼になってもいいのか?」


「その時はその時よ!」


ほぼ売り言葉に買い言葉状態だ。

こうまでくるとお互い意地の張り合いである。

叶も引くところを知らない。なんとかして、この男が嘘をついていると認めさせたい。それは強情な女故に、自分の考えが全て正しいと思い込んでいるからだ。吸血鬼なんて人知を超えた存在が、この世に存在するわけがない。と思い込んでしまっている。又、それと同時に秋が人間じゃないという現実を認めたくないという感情もあった。そういったこの少女の思いが、ついに、叶にこの発言をさせた。


「あなたは大嘘つきね。あなたは吸血鬼なんかじゃない。吸血鬼じゃない証明に、さあ、早く私の血を吸ってみなさい。私に噛みつきなさい。私はきっと吸血鬼にならない。」


そういうと、勢い付いた叶はジリジリと秋に近づいてくる。呆気にとられた秋は一歩一歩後退りするがどんどん追い詰められていく。


「噛みつきなさいよ」


秋はとうとう壁際まで追い詰められてしまった。叶は「さぁ」と顔に笑みを称えている。人ならざる秋が、思わず「悪魔!」と心の中で叫んでしまうような迫力が叶にはある。何も知らない癖に!と心中秋はなじる。

秋は今この瞬間、吸血鬼になってからこれまでにない程の苦痛を味わっている。人間を噛みたくないのに、人間側から噛むことを望まれている。秋が一番拒絶している事をこの美少女に求められている。

叶との距離が目と鼻の先まで迫った。

叶は逃げ場のない秋に迫り、秋の耳元まで顔を近づけ、「早く噛みなさい」と囁いた。それはまるで、悪魔の囁きそのもののようだ。そして同時に秋の目は己の首元に伸びた露わになった叶の首筋を捉える。

綺麗な金髪の下から見え隠れする、真白い首筋は、なるべく人間として生きたいと願う心優しき吸血鬼さえをも刺激する。今まで理性が勝って抑制していた吸血鬼の本能がここに来て溢れ出した。秋は勢い、叶を押し倒した。叶の方は予想外だったのか、声も出ずさっきとは打って変わって顔を紅潮させ、秋の顔を凝視し、固まっている。

秋は叶の上に四つん這いになる形でまたがり上から見下ろしている。その表情はもはや人間のものではない。赤眼の吸血鬼はゆっくりと己の顔を叶の首下に近づけていく。心の中ではダメだ。吸ってはいけない、この人は人間でクラスメイトで、この人を吸血鬼にしてはいけないという思いがある。けれどもそれ以上に吸ってしまえ。お前は吸血鬼だ。いくら人間のフリをしたところで、所詮は紛れもない化け物なんだとどこからか別の声が聞こえてくる気がする。秋の口元からはダラしなくも涎が垂れている。秋には分かる。吸血鬼の本能で、この叶なる少女の血液は一級品だと。血の匂いがそう教える。そもそも採血された血液よりも、生身の人間の血を直接吸う方が鮮度も良く美味なのは言うまでもない。さらに一級品ときた。我慢の限界も時間の問題だ。

秋は徐々に上体を倒し、肉食動物が獲物に狙いを定めるように、その美しい首筋を見据えた。叶の雪のように白い首筋からは健康的な太い血管が浮き出ていた。


(美しい…)


もう秋は迷うことなく、その鋭く伸びた犬歯を携えた口をニイッと開き、叶の首筋めがけさらに上体を倒し、今にもその歯が首筋にとどこうか…という時だった。

秋の胸のあたりに、何か硬いものが当たった。



と、その刹那それまでの秋の勢いがピタリ、と止まった。それどころか秋は思いっきり退けぞった。


「グッ」


秋は退けぞる直前にそれまで気にも留まらなかった、叶の首にかかるシルバーのチェーンを認めた。


「き…らさん。そ…の首にかけてるや…つはな…に?」


秋は苦しげに、やっとの事で言葉を発した。


解放された叶は、ゆっくりと起き上がり、衣類の下に隠されていた物を取り出した。


「これ?これ…はただのネックレスだよ」


そう言って秋の目の前に出されたのは…



ロザリオだった。吸血鬼にとっては恐怖の対象であるそのものをこの少女は突き付けてきた。


「ぅわぁあ。やめてくれ!それをこっちに近づけないで」


「え?なんでこれ、ただのネックレスだから」


叶は聞く耳を持たない。叶は秋の先程とは打って変わっての過剰な反応、いや吸血鬼にとっては当たり前の反応なのだが、それを不思議に思い、ロザリオを首から取り、秋の眼前に突き出してきた。


「ヒィッ」


秋は恐れ慄き、そのまま白目を剥いてその場に倒れてしまった。



「あり?」



事情が飲み込めない叶は秋の突然の失神にただただ慌てるばかりだった。





それから再び秋が意識を取り戻すまでには、もうしばらく時間がかかる。


そしてこの日を境に吸血鬼の少年は、平穏な日々を追われていくのであった。








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