五 玄武門の攻防

 候君集は飛来した三矢を掴み取るや、一息の間にそれらを射返した。城壁の陰から姿を覗かせた女たちに一矢過たず命中させる。幼少より弓を玩具として育ってきた候君集にとって、ろくな訓練も受けていない相手など標的でしかない。さらにもう一矢を射かけようとしたとき、城壁の上に武才人の姿を見た。候君集をしっかと見据えている。


「俺を見下ろすな!」

 狙いを武才人に変え、放つ。武才人は矢が到達する直前に剣を振るい、これを叩き落した。さらに別の弓兵が放った矢も難なく落とす。そのうち武才人は城壁の上を右へ左へと駆け周り、一歩踏むたびに飛来する矢を斬り落とした。

 候君集はすぐにその意図を悟った。武才人はわざと姿をさらして自身を狙うように仕向け、他の女たちに矢が向かわないようにしているのだ。

「妖女に構うな! 城門を突き崩せ!」


 台車に丸太を横たえた破城槌はじょうついがドォンドォンと城門を叩く。すると楼閣の女たちは次々と熱湯を浴びせた。あの煌々としたかがり火は明かりを確保するためだけでなく、煮え湯を準備していたためか。兵士たちは顔面を真っ赤に腫れさせのたうち回る。が、それもつかの間のこと。本来の戦場ならば油を使うところ、ただの熱湯ではその温度も高が知れており、追い打ちの火攻めも使えない。十回も浴びせかけてからはぴたりと湯の雨はやんだ。もう準備していた湯を使い切ったらしい。

 兵士たちはむしろ怒り心頭。おまけに女弓兵たちはすでに歩哨から撤退を始めたらしく、妨害の矢は振ってこない。そうなると破城槌はものの数回も打ち付けられたところで閂を破壊し門扉を吹き飛ばした。


 どっと兵士が玄武門からなだれ込む。候君集も続いて城門をくぐってみれば、そこには思わぬ光景が広がっていた。思わず口元に失笑が浮かぶ。

 後宮の女たち――妃嬪のみならず、青衣を着た宮女たちまでもが、その手に弓や木剣、果ては箒や鍋を構えて立っているではないか。うち数名は馬に騎乗している。その中には韋貴妃の姿もあった。


「逆賊を討て! 陛下の城をお守りせよ!」

 おう、と韋貴妃の言葉に女たちが唱和するのと同時、城内に侵入した候君集らの背後で耳を聾する爆音が生じた。びくりと身を縮めてから振り向けば、なんということか、城門がガラガラと崩れ落ち、後に続こうとしていた兵士たちが下敷きになっているではないか。その瓦礫の中からはいまだにヒューヒューと火花が飛んでいる。あれは花火か?

「おのれ、祝砲を爆薬代わりに使ったな……!」

 あれは本来、明日の上巳節で比武召妃の優勝者が決することを祝って打ち上げられるはずだった花火だ。韋貴妃はそれを玄武門の城門に吊るし、候君集らが城内へ攻め入った直後にこれを爆破した。城門は破壊されて落ち、その不足は楼の瓦礫が埋めた。玄武門はただの岩山と化し、内外はほぼ分断された。候君集の引き連れた兵士は千人近くいたが、城中に孤立したのは百にも満たない。

「そうか、先の勝負はこの仕掛けを整えるための時間稼ぎだったか……!」


「かかれ!」

 韋貴妃が発するや、騎乗した女たちが一斉に動き出す。ひゅんひゅんと弓やつぶてを飛ばす。城門爆破によって肝を冷やした兵士らはそれらを避ける暇もなく喰らってゆく。反撃しようにも彼女らは決して必要以上に近寄ろうとせず、反撃の隙を与えない。しかも飛ばしてくる中には花壇を掘り返して集めたと思われる土塊も多分に含まれており、中っても痛みはないが土煙が眼球を刺す。とても目を開けていられない。


「小癪な真似を!」

 候君集が奥歯を噛みしめた瞬間、その後頭部をバシンと叩かれた。兜が奪われる。何者かがすぐ後ろを颯爽と駆けて行った。

「ははぁ! あの名将候将軍が、たかが弼馬温うまばんに兜を落とされたぞ! これは滑稽滑稽!」

 女たちに交じって、猿顔の男がゲラゲラ笑いながら奪い取った兜を被る。そのまま巧みな馬捌きで軌道を変えるや、パシンパシンと馬鞭で兵士らを打ち据えてゆく。よろけたところを馬の突進力ではね飛ばす。よくよく見れば女たちが乗る馬はあの猿顔の馬を先頭に機動しているようだ。馬は先行する者があれば自然とそれに追従する。なるほど、だからあれほど機敏に女たちは駆け回っているのか。


 ――と、いうことは。


 候君集が振り返った瞬間、まず鞭で打たれた。目の前にパチパチと光が散った直後、今度はガツンと膝を打たれた。視界の端に一瞬、打毬杖が見えた。片膝を突いたところ、その背中をドガッと蹄にやられた。

(この候が女どもの策略にしてやられるだと? そんなバカな! 城外の兵は何をしているのだ? まさか崩れた城壁を登れぬわけではあるまいに)

 城門を爆破されたとはいえ、瓦礫の山は多少時間をかければ乗り越えられる。いまに城外の兵も駆けつけるだろうと思ったのに、いつまで経っても援軍に現れない。これはいったいどうしたことか?


 騎馬隊はすでに退き、代わりに武器を持った女たちが一斉に弱った兵士らを三人一組でぼこぼこに殴りつけている。

 壊滅だ――候君集は血を吐きながらその言葉を頭から追い出した。ここにいる兵たちは馬にかき乱され女たちに殴られ、もう戦意喪失してしまった。だがまだ全軍を失ったわけではない。あの崩れた城門を乗り越えればまだ腹心たちが大勢いる。あちらと合流し、指揮を立て直さなければ。あの崩れた玄武門の瓦礫を押し退け、この憎たらしい女どもを蹂躙しなくては気が済まない。


 振り下ろされた棒きれの一撃を転がって逃れ、候君集は走った。敵に――それも女に背を向けて走ることの屈辱たるや。候君集は今この時だけとそれを呑み込み、瓦礫の山をよじ登った。女たちはそれ以上追ってこない。逃げ切れる。候君集は這いつくばるようにして崩れた玄武門を登り切った。


 その先に広がっていた光景を候君集はもはや理解できなかった。幾百幾千のかがり火に照らされ、候君集の兵は武器を棄て投降していた。彼らを取り囲んでいるのは北衙ほくが禁軍きんぐんではないか。


せきか……!」

 禁軍の中に一頭、将とわかる軍馬がいる。その背に跨っているのは先の斉王の乱を平定した李勣に違いない。そのすぐそばにはまた一頭、坊主頭の尼僧らしき女を乗せた馬がいる。その女は候君集の視線に気づくと、その手に高々と銀牌を掲げた。あれは皇帝の令牌ではないか。


「――投降するか、候よ」

 その声を彼は知っている。振り返らずともわかる。高昌を攻め落としたことを労い、そして彼から兵権を奪った者の声だ。

「陛下、候某それがしは」

「案ずるな。お前には安らかな死を与えよう」

 候君集はついに敗北を認め、その場に剣を投げ捨てた。

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