三 一騎討ち

 候君集の率いる軍勢は玄武門へ押し寄せ、そこで思わぬものを見た。灯りが煌々と焚かれ、城門の上には幾人もの人影が見える。北衙ほくが禁軍きんぐん……ではない。あれが本格的に動くにはまだ早すぎる。宮内に残された兵力は微々たるものであるはず。それがどうだ? あの人数はどこから現れたのか。


「候将軍! 凌煙りょうえん二十四にじゅうよん功臣こうしんにも名を連ねる貴殿が陛下の恩徳を忘れ謀反に走るとは、恥を知れ!」

 楼閣から浴びせられた声は女のもの。候君集が見上げれば、松明に照らされたその姿には見覚えがある。

貴妃きひか。それによう淑妃しゅくひまで。我々がここへ来た理由を知りながら、なぜこのような場所におられるか」

 候君集は隣で弓を引く兵を押し留めて問いかける。楼閣にあるその姿はまさしく韋貴妃と楊淑妃である。二人とも軽装だが軍人の装いだ。韋貴妃はふふんと鼻を鳴らす。


「内宮は我ら妃嬪の領域。そこへ押し入ろうとする不届き者を迎え撃つことに何か妙なことでもありますか」

 その言葉に併せて楊淑妃が手を挙げる。すると城壁に沿ってずらりと弓を構えた人影が立ち上がり、玄武門前に集結した兵団に向かってその矢先を向ける。松明に照らされたその姿は兵士のものではない。あるいは妃嬪、あるいは宮女、後宮に住む女性たちである。

「あなた方をこれより先に入れることはできません。無理にでも押し通るというならば、我々も全力で抗うまで」


「たわけが!」

 候君集は吐き捨てた。

「これは国の大事、この国の未来を左右する一大事なのだ。妃嬪は政治に介入してはならぬと定められているだろう。貴妃の行いはこれに真っ向から背く行いですぞ」

 その言葉を韋貴妃は高らかに笑い飛ばした。

「国の大事? そんなもの、我らが気に掛けるものですか。我らが案ずるはただ御一人――陛下のみ。悪しき者から陛下をお守りする、そこに軍兵と妃嬪の違いがあるものですか。今すぐ兵を退かせなさい、候将軍。さもなくば我ら娘子軍、総力を以てお相手しましょう」

「娘子軍だと? 剣の扱いを知らぬ女が、我が精兵に勝てるとでも?」


「――誰が、剣の扱いを知らぬのです?」


 韋貴妃の隣から飛び出した一人が、ひらりと宙を舞って候君集の目の前に降り立った。軽功の技、かなりの手練れだ。兵卒が灯りを向けてその姿を映す。

「お前は……武才人」

「いかにも。候将軍、重ねて問います。誰が剣の扱いを知らぬのです?」

 武才人の手には一振りの剣。それをすらりと引き抜き剣先を馬上の候君集へ。候君集の表情が引き攣る。これまで幾多の死線を乗り越え敵を打ち破ってきた候君集でも、これまで女人に剣を向けられたことなどなかったのだ。

「比武召妃で少し名を売ったからとて、調子に乗るなよ臭丫頭こむすめが!」

「では候将軍、私と一つ賭けをしましょう。私たち二人で剣を競い、私が勝てば将軍は兵を退かせ、将軍が勝てば玄武門を開きましょう」

「武才人、勝手なことをするでない!」

 韋貴妃が楼上から叱りつけるが、武才人は耳も貸さない。


 候君集は妃嬪に武芸勝負を挑まれたことで怒り心頭に発しかけていたが、ふと軍人としての冷静さを取り戻す。

(韋貴妃もバカではない。我ら軍人が本気で攻めれば、女だけでこの玄武門を守り通せはしないと理解しているはず。あの弓を構えた女たちとて本気で弓術に優れるわけでもあるまいに。となれば、武才人の挑発は正面衝突を避けるための苦肉の策か。ふん、こちらとていたずらに陛下の財を損なうつもりはない。癪にさわるが、その誘いに乗ってやろうではないか)


 馬を降りる候君集。門前にて武才人と向かい合う。

「その話、乗った! だが武才人よ、これは比武召妃とは違う。真剣を以て相手する以上は怪我を負っても恨まぬことだ」

「候将軍は戦場でも敵に情けをかける方なのですか? 他国の者には容赦せずとも、自国の女には随分とお優しいこと」

 武才人の冷笑。これには候君集、とうとう沸点に達した。今のは高昌国を攻め落とした際に容赦なく略奪を行った罪に当てこすった発言だ。

「よかろう! そんなにも死にたければ、存分に死ね!」

 剣を抜く。突きかかる。武才人は剣を立てて捌く。


ころせ! 殺! 殺! 殺!」

 候君集配下の兵が干戈かんかを地に突き連呼する。負けじと城壁の女たちも声を張り上げた。

やれ! 打! 打! 打!」


 激しく武才人を攻め立てる候君集。武才人はそれらの攻撃をいなしながら後退を続ける。反撃の隙を伺っているのか、あるいは反撃する間もないほどに候君集の剣撃に切れ目がないのか、あるいはその両方か。

 はた目からは候君集が優勢に見えた。だが、実際のところ焦っていたのは候君集の側だ。

(なんだこの女は。この俺の攻めをこれほどまでに着実に回避し、守りに一切の破綻を見せないとは)

 一度退くべきかと思案する。このまま攻め続ければ攻め手を繰り出しているこちらが先に疲弊するし、候君集は自身が老兵であることを知っている。体力的にも無理はできない。


 だが同時に、退くことに不安もあった。武才人はもしや、攻撃の手を止めるその一瞬を狙っているのではなかろうか。そんな疑問が頭をよぎる。

 低く足を狙っての横薙ぎ。武才人は片足を上げてやり過ごし、次いで斜め下からの斬り上げを剣で受ける。ここではじめて、武才人から動いた。上げた足を伸ばして候君集の腋を蹴る。ほんの軽い蹴りに見せかけて、実際のところは的確に経絡の要所を突いている。候君集はたちまち腕が痺れて剣を取り落としそうになった。慌てて剣の柄を両手で保持して持ち堪える。


 武才人はさらに二歩下がって構えを解いた。剣を逆手に持ち直し抱拳の礼を取る。

「さすがは候将軍。噂に違わぬ腕前に感服しました」

 候君集は突然のことに言葉を失う。武才人が何を言っているのか理解するのに数秒を要した。

「……臭丫頭め、それで俺の体面を保ったつもりか。俺に勝ったつもりか!」

 候君集は武才人に一手たりとて届かせることもできなかった。負けてはいないが、勝ってもいない。その事実を突きつけ、武才人は候君集に退くよう求めたのだ。ここで終わらせれば無様に負ける必要はないぞ、と。


「俺は蛮族さえも退ける大将軍だぞ! それがこんなところで、貴様ごときに、負けるはずがあるか!」

「そう、それなら――」

 下段に構えて地を蹴る候君集。武才人が再び剣を構える。まっすぐに剣先を候君集の鼻先へ据える。

「あなたは自身が敗北したことさえ知らぬ、とんだ大バカ者というわけね」


 候君集の突き! 武才人も同じく突きを放つ。剣身が互いに擦れ合う。候君集の腕が伸びる。剣の先端は武才人の白い胸元へ。あと数寸――そこで武才人の腕が捻じれた。剣が半回転、候君集の剣を水面の波紋が木の葉を押しのけるように弾く。狙いが逸れる。その剣尖はまっすぐに候君集の喉に据えられたままで。

 武才人の体がさらに半歩前進。右手の剣を引き、代わりに左の掌打が候君集の胸を打つ。ドスン、と重い衝撃音。候君集の体は自身の突進の威力をそのまま返され、宙を飛ぶ。


「やった!」

 城壁の上で女たちが歓声を上げる。誰が見ても武才人が一手お見舞いしたのは間違いない。一方の兵士たちは口をあんぐりと開けて言葉を失っている。

 しかしさすがは自ら言う大将軍、打ち飛ばされてもそのままくずおれたりはしない。両足で地面を踏みしめ、剣を地に突き立て支えにしながらもまだ立っている。胸を押さえて咳き込めば口の端から一筋の血が流れ出た。

「おのれ……妖婦め! 妖術を使って俺を罠に嵌めたな!」

 これには武才人もピクリと眉を動かして表情を変える。候君集は何を言っているのだ? 今の場面は誰もが見た。勝負がついたのは明白であるはずなのに、これは何の言いがかりか。


「者ども、騙されるな。陰険悪辣な女め、奴ははじめからまともな勝負をするつもりなどなかったのだ! 殺せ! 城門を打ち破れ! 一人残らず捕らえるのだ!」

 つまり、候君集は敗北を認めなかったのだ。

 武才人は驚くやら呆れ果てるやら。候君集ともあろう人間が、敗北を認められるほどに軟弱であったとは思いもしない。あるいは武才人の考えが甘かったのか。謀反を起こしたからにはもはや後退の道などはじめからありはしないのだ。


「ならば、その高慢な鼻っ柱をへし折るまで」

 包囲しようとした兵の頭上を飛び越え、武才人は軽功で城壁を駆け上る。直後、女弓兵による一斉射撃が開始された。

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