四 思わぬ援軍

 ガシャガシャと金属の擦れ合う音。旗が翻りバサリと唸る。

「誰かそこにいるのか!」

 旗には大きく「斉」の文字がある。前方で待ち構えるのは斉王の放った先遣隊に違いない。


「徐恵、引き返そう」

「いいえ。温泉宮へ行くにはこの道を行くしかない。一気に駆け抜ける!」

 流螢の制止も聴かず徐恵は大きく手綱を打つ。流螢もこうなれば一蓮托生と馬を駆った。


 斉王の先遣隊は二頭の馬が突っ込んでくると見るや、慌ただしく槍を構える。

「ここから先には通さん。引き返せ!」

「そこを開けなさい!」

 徐恵が木剣を引き抜き、突き出された槍を払い退ける。立ちはだかろうとした兵士を突き飛ばし隊列のど真ん中へ斬り込む。まさかこのような強襲を受けるとは予想していなかった一隊は混乱のあまりに反応が間に合わない。


「このまま駆け抜ける。遅れないで!」

「あぶない!」


 後ろを振り向いた徐恵の左前方で兵士が弓を構えている。流螢は咄嗟に木剣を投擲した。木剣は弓兵の顔面を直撃し、その鼻柱をへし折る。流螢は跳ねた木剣を通り過ぎざまに受け止めた。

 が、直後に馬が大きく跳ねた。その横から槍による殴打を受けたのだ。馬体を大きく捩りながら横転する。流螢は何とか直前に鞍から飛び降りたが、馬は潰されてしまった。


「私はここで追撃を阻む。徐恵は先へ行って!」

 議論している暇はない。たちまち流螢に左右から槍が迫る。流螢はそれらを払いのけ、垂直に跳躍、槍の繰り手を蹴り飛ばす。

 徐恵は一瞬躊躇を見せたが、弓兵がまた矢を射かけるのを叩き落し、もはや悩む暇はないと判断した。

「死んではダメよ。厳しくなったら逃げて。これは命令だから!」


 手綱を打って温泉宮へ続く道へ駆け進む。追撃しようとした騎馬兵へ流螢は拾い上げた槍を投擲、二人まとめて落馬させた。


「相手は一人だ。押し包め!」

 隊長と思しき兵が号令を発するや、不意を突かれた兵士たちも統率を取り戻し始める。流螢は軽功を発揮して縦横無尽に駆け周り、十人を蹴り飛ばし五人を叩き伏せ、三人を転倒させる。


(多勢を相手に木剣一振りでは歯が立たない。何か策は?)

 直後、突き出された槍が腋をかすめる。流螢はこれを紙一重で回避し、さらに腕を絡めた。ぐいと捻って奪い取り、相手の胸を強打する。木剣を腰に挿し、奪い取った槍を構えた。そのままびゅうびゅうと大きく振り回す。兵士たちはその間合いに飛び込めず遠巻きとなり、動くに動けない。


「お見事! 貴殿は江湖に名のあるお方とお見受けした。このりょう猛虎もうこがお相手しよう!」

 隊長然とした兵が偃月刀を手に前に出る。さっと偃月刀の刃を突き込めば、ガァンと槍が震える。流螢はたまらずこれを取り落とした。内力、ではない。ただ異様に膂力りょりょくに優れている。

 武器を取り落としたと見た梁猛虎が攻め込む。流螢は取り落とした槍を足先で蹴り上げ、さっと掲げて偃月刀の一撃を受け止める。またもや強力な衝撃が骨身を軋ませる。思わず「うぐっ」と声が漏れた。


「なんだ、お前、女か! おのれ俺を騙したな!?」

 流螢は男装していたため、梁猛虎はここでようやく流螢が女性であることに気付いたようだ。強敵と思って挑んでみれば相手はひ弱な女だったと知り、武人の意気込みにケチを付けられたと勝手に思い込んだようだ。ただでさえ毛深い獣のような人相がみるみるうちに上気して赤くなる。

「女の分際で俺を愚弄して、ただで済むと思うなよ!」


 偃月刀が唸りを上げる。まともに受け止めてはこちらの身体が持たない。流螢は身を翻して後方を取り囲む兵士の足元を槍で薙ぐ。兵士たちが後退したところを突破しようと地面を蹴ったが、背後に猛烈な刀風が吹き付けた。

「逃がさんぞ!」

 梁猛虎が半身になり、片手で偃月刀を振り下ろす。最大限に間合いを伸ばしたこの斬撃は後退しようとした流螢にも十分届いた。逃げられぬ以上、流螢は槍を掲げてこれを受けるしかなかった。


 まるで千斤の鉄槌に打たれたかのような衝撃が流螢の身体を襲った。手にした槍は真っ二つに折れ、流螢の身体は後方に吹き飛びそこにいた馬に激突した。馬は背骨をボキリと折られ、泡を吹いてたちまち絶命する。流螢もまた大きく咳き込んだ。ずきりと痛んだ胸を押さえてみれば、左胸下を斬り裂かれうっすらと血が滲んでいる。

(流螢よ流螢、今のは危なかった。内力が込められていなかったから内傷を受けずに済んだけれど、あの槍がなければ浅傷どころか真二つに斬られていた。あの梁という奴、技は粗野で二流だけれど、腕力が尋常ではない)


 立ち上がろうとするが、胸が痛んですぐには身体が動かない。たちまち兵士たちが四方を取り囲んだ。

「今宵この場に現れたとなれば、どこぞで斉王さまの計画を知ったのに違いあるまい。男だろうが女だろうが、生かしてはおけぬ」

 どん、と偃月刀の石突で地面を揺らす梁猛虎。流螢は呼吸を整え内力を巡らせ、痛みを軽減させようとする。だがこの状況で冷静に呼吸を整えるというのはなかなかに難しい。痛みはそう簡単には和らいではくれなかった。


(流螢よ流螢、お前は引き際を誤った! 徐恵には厳しくなったらすぐに逃げろ、死んではダメだと命じられたのに。お前はたったそれだけの命令さえ守れないだなんて!)

 包囲する兵士らの背後で、落馬した騎馬兵が再び騎乗するのが見える。徐恵を追跡するつもりだ。徐恵の馬は駿馬と言えど皇城からここまで駆けてきただけ疲弊している。十分に休息していた軍馬はすぐに追い付くだろう。

(ああ、馬を先に潰してしまえば良かった! なんとかあいつらだけでも止めなければ、徐恵が危ない)

 つくづくこの頭の悪さが嫌になる。これが徐恵ならただ闇雲に暴れまわったりはせず、より効果的に立ち回っただろうに。


(できなかったことを今さら後悔しても遅い。今はこの窮地をどう脱するかを考えなければ。よしんば逃げられずとも、あの騎馬は止めなければ)

 皇帝暗殺を成就させるわけには行かない。流螢は折れた槍の柄を支えに身体を起こす。取り囲む兵士らがさっと身構えた。騎馬兵が手綱を打って走り出そうとする。もう間に合わない!


 瞬間、馬が激しくいなないて騎兵を振り落とした。隣の騎兵もあっと声を上げるなり、こちらもまた同様に馬に振り落とされる。

「何事だ!」

 誰かが叫ぶ。直後、乗り手を失った馬がぎょろりと目を剥いて暴れ始めた。止めようとした兵士らを片っ端から蹴り上げる。合計三頭の馬が兵士らを踏みつけにする。

「どうしたことだ。早く押さえろ!」

 梁猛虎が怒号を発するが、馬は制止を聞かずに飛び跳ね、駆けまわる。軍馬は不測の状況でも操り手の指示に従うよう調教されているものだが、これではまるで野生馬のようだ。口から泡まで吹いて完全に発狂している。


(あれは……)


 流螢が訝しんだのと同時、さっと眼前に人影が舞い降りた。一切物音を立てぬ見事な軽功だ。背を向けていた梁猛虎も気付くまで数秒を要した。いつの間にやら現れたその人物にぎょっと身を強張らせながら誰何すいかする。

「貴様、何者だ。こいつの仲間か!」

「少なくとも、お前たちの味方ではない」


 答える美声はこの狂乱の中にあってなお凛として通る。流螢には後姿しか見えずとも、この声を聴けばその主は明らかだった。

「房さま!」

「朱流螢、ご無事か」

 美声の持ち主はいつか後宮の庭で会った、房遺愛だ。チラリと肩越しに視線をくれたその横顔はわずかな松明の光を受けて淡く輝くようだ。


「房だと? ではお前が美剣びけん君子くんし房遺愛か!」

「この私を君子などと呼ぶなッ!」

 いうなり房遺愛は剣を引き抜き、梁猛虎へ突きかかる。梁猛虎は足で偃月刀を蹴り上げ、房遺愛の突きを受けた。房遺愛は初撃を受けられたものの即座に追撃を仕掛け、瞬く間に五回の斬撃を浴びせかけた。梁猛虎はこれらを偃月刀で弾き返すが、房遺愛は流れる水のように剣の動きを止めない。


 流螢は舌を巻いた。以前の手合わせで房遺愛は流螢相手に本気を見せなかった。それがどうだ、本領を発揮した房遺愛の剣は一切ムダがなく、的確で、そして美しい。

(なるほど、これが一流の剣!)

 流螢の中で何かが開眼する。呼吸は十分に落ち着いた。腰の木剣を引き抜き、梁猛虎へ打ちかかる!


「貴様ら、いったい……!」

 梁猛虎が焦りの声を上げる。流螢の剣は先ほどと同じ型を扱いながら、その連携は目覚ましい変化を遂げている。さらには房遺愛の猛攻を受け、梁猛虎はもはや劣勢に追いやられていた。うぉうと吼えて偃月刀を振り下ろせば、房遺愛はこれをするりと受け流しつつ肩へ突きを入れる。ぶすりと剣先が突き刺さった。そこへ流螢が膝に一撃を入れて跪かせる。房遺愛は引き戻した剣とともに身体を一回転、その勢いを借りてさっと斬撃を放つ。


 鮮血が噴き上げ、梁猛虎は喉を裂かれて斃れた。


「隊長がやられた!」

 暴れ馬に負い回されていた兵士たちは梁猛虎が敗北したと知るや、うのていで逃げ出した。暴れ馬はやがて精力尽き果てたようにばたりと倒れ、そのままピクリとも動かなくなった。


 血糊を払い、房遺愛が剣を収める。流螢はその前に進み出て膝を折った。

「房さまの助力に感謝いたします。危ないところを助けていただきました」

「礼には及ばない。それにこやつらはただの見張り、斉王の刺客はすでに温泉宮へ向かっている。安心するにはまだ早い」

「房さまも斉王の反乱をご存じで?」

 房遺愛は答えないが、それ以外にこの場にいる理由があろうはずがない。

「急ぎましょう。皇帝をお守りしなければ」


 房遺愛の言葉に頷き、流螢は使える馬を探してそれぞれ騎乗した。房遺愛に続いて手綱を打つ。走り出す直前、流螢は地面に倒れた馬体に視線を向けた。


(房さまはあの馬たちに、いったい何をしたのだろう?)

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