五 馬毬試合

 こう君集くんしゅうは投獄された。⾼昌こうしょうの城を攻め落とした際、兵が略奪に走ったのを咎めなかったばかりか、自らも加担したことが明るみになったのだ。

 釈放された後、候君集は吏部りぶ尚書しょうしょへ配置換えとなった。傍目には栄転にも見えるが実のところは兵権の剥奪だ。


 それに前後して禁苑では大規模な建築工事が始まった。長さ一五〇間約250メートル、幅九〇間約150メートルの土地を二丈約6メートルの壁で囲み、その上に高低差を加えた観客席を組み立てた。馬毬ばきゅうの試合場である。

 初雪が明日にも降ろうかという寒空の中、比武召妃参加者らはわたいれに厚手の被布マントを重ねて集合した。被布は黒、青、白、赤の四色。これは前日までに楊淑妃によって各宮に届けられていた。つまりは組分けだ。

 王太監が試合内容を説明する。四組がそれぞれ他の三組と試合する。あくまでこれは馬術の腕前を競い得失点は問われない。ただし、各試合で勝利した側には褒美が出る――。


 参加者らは意気揚々と鞍に跨った。慣らしと称して試合場を縦横無尽に駆け回る。すでに観客席に入った不参加の妃嬪や大臣とその妻子、宮官たちが歓声を上げて盛り上げる。予備試験とは違い、今回は東宮の妃嬪も参加している。後宮と合わせて総勢五十六名。後宮側は皆が馬の扱いに慣れているようだったが、東宮側は何名か不慣れそうな者もいる。中には鞍に跨ることすらできずに泣きそうになっている者もいた。


「手伝いましょうか?」

 見かねて流螢はその妃嬪に声をかけた。まだあどけなさの残る幼い顔立ち。歳はまだ十四、五だろうか。配布された黒の被布は少々大きすぎるように見える。

「ありがとう! この馬はなかなか背が高くて」

「鞍を掴んで、左足をあぶみに掛けて。一気に飛び乗るつもりで。私が下から押し上げるから」

 幼い妃嬪は言われたとおりに鞍に手をかけ飛び上がる。流螢はその腰を押して彼女を馬上へ押し上げた。――が、その直後側頭部に衝撃を受けた。

 その場にどっと倒れる流螢。その目の前を馬が駆けて行く。顔を上げればあの妃嬪、実に慣れた手並みで馬を駆っているではないか。肩越しに振り向いたその口元が歪んでいる。蹴られたのだ。それも意図して。


「流螢は自分が有名人だということを自覚したほうがいいわ」

 すぐ側に馬を寄せた徐恵が馬上から手を伸べる。流螢はその手を借りて立ち上がった。観客席からゲラゲラと笑い声が聞こえる。流螢を嗤っているのだ。比武召妃に参加するただ一人の宮女、朱流螢。同じ参加者はもちろん、宮官たちさえも流螢の無様な姿を望んでいる。

「あれは東宮の妃嬪、しょう美人ね。随分と性根が卑しいわ」

「油断した私が悪いのよ」


 流螢がまた馬に跨ろうとしたとき、遠く背後から馬の嘶く声がした。ほとんど悲鳴に近い。何事かと振り返れば一頭の馬が後ろ脚立ちになり、その背に乗っていた妃嬪が後頭部から地面に落ちる瞬間だった。先ほど流螢を蹴り飛ばした蕭美人だ。横合いから飛び出した黒馬に驚き、竿立ちになったところで落馬したようだ。黒馬に乗ったその相手方はさっと馬首を切り返して何事もなかったようにしている。

 流螢はその黒馬に跨る人物を知っている。徐恵もそちらを見てぐっと眉間にしわを寄せる。


「武才人――あれは玄武げんぶ隊に振り分けられたのね」


 組み分けを示す被布の色は四方位に相当する。武才人が纏う黒色の被布は玄武隊、流螢と徐恵の纏う赤色の被布は朱雀すざく隊だ。

 漆黒の被布をばさりと翻しながら武才人は振り返り、落馬した蕭美人に何事か言葉を投げる。地面に転がったままの蕭美人はみるみるうちに頬を紅潮させた。何かしら侮辱的なことを言われたに違いない。武才人はさらに視線を上げ、ぴたりと流螢を見据える。くす、と笑いかけたように見えた。

「あの人、もしかして私に代わって仕返しを……?」

「試合で手加減してもらおうと、恩を売ったのかも。あちらも私たちを警戒しているはず。油断は禁物よ」


 流螢と徐恵は慣らすように試合場をぐるりと走った。その間にも観客席には続々と人が入ってくる。徐恵はその中の一か所、中央から全体を見渡せる位置に作られた楼閣部分を指さす。

「あそこにいる方々が見える? 真ん中が陛下の席、でもまだご降臨ではないみたい。その隣は貴妃きひよう淑妃しゅくひね。そういえば近ごろいん徳妃とくひをお見掛けしないけれど、どうされたのかしら?」

「その下の段にいる、お若い方は?」

「あれがしん王よ」

 流螢は驚いた。皇族とは誰もが地位と名声に欲深く、大なり小なり威厳や野心のようなものがにじみ出た風貌をしているのだと思っていた。それがどうだ、あれが晋王と示された人物はまだあどけなささえ感じる十代の若者で、とても温和な顔つきをしていた。試合場を走り回る群馬にきらきらと目を輝かせ、斜め後ろに座っている少女が不機嫌な顔を浮かべているのにも気づかない。あれは許嫁いいなずけだろうか。


「その右隣が王。三つ離れてけい王、そしてかん王よ」

 魏王と言われたその人物は、にわかには皇太子の弟とは思えなかった。晋王とは別の意味で、本当にあれが皇族に名を連ねるのかと疑ってしまった。魏王は人一倍恰幅が良く――簡単に言えば肥満体だったのである。ぷくぷくとした顔で晋王に話しかけながら、その右手は何やら菓子を摘まんでいた。数々の武功で知られる現皇帝の子とは思えない。

 荊王と漢王は二人でなにやら話している。雰囲気は似ているが漢王が見るからに筋肉質で肩幅が大きい。


「候将軍が宮中の使い手に漢王の名を挙げたけれど、武芸の型を見てみないと何も調べようがないわね」

「房さまと杜楚客は?」

「この場には来ていないみたい。政務があるのかも」


 間もなく太鼓の音が響き渡り、第一回戦が始まった。玄武隊と白虎隊の試合だ。

 一つの試合は時間を区切った合計六小節からなる。一回戦第一節は開始早々に荒れた。二隊に分かれているとはいっても全員が比武召妃の競争相手、誰もが我先にたまを奪おうと毬杖きゅうじょうを振り回してもみくちゃになった。そうこうしているうちに何頭かがぶつかり合って転倒し、その間に毬を奪った一頭が試合場を横断し、瞬く間に一点を入れた。得点したのは白虎隊の岳修儀だ。初得点に観客席は大いに沸いた。


 続いての第二、第三節は馬同士の接触を恐れて皆が距離を取り、なかなか毬を奪うに至らない。そのまま誰も得点することなく終了した。

 第四節、ここで局面が大きく動いた。それまでまったく目立った動きを見せなかった玄武隊の一人が、突如目を見張るような馬術で毬を奪い、瞬く間に三得点したのだ。得点したのは武才人だ。これには会場をどよめきが覆う。


「能ある鷹は爪を隠す、ね」

 徐恵は武才人を評してそう呟いた。


 第五節、試合は武才人の独壇場と化した。またも連続して二得点。岳修儀がいくら追い縋ろうとしても武才人は止められない。

 迎えた最終節。全員が武才人を強敵と認識したらしく、毬を取り合うところへ武才人が近寄れば奪われまいと遠くへ打ち飛ばす。毬は試合場を右へ左へと飛び回り、大いに観客席を盛り上げた。幾人かの妃嬪が得点を上げ、武才人はとうとう最終節では一度も毬に触れることはなかった。


「見事ね。自身がどれだけ馬術に優れるか、強く印象付けたわ」

 控え席で徐恵はうんうんと感心したように頷く。流螢にはよくわからない。武才人は確かに三得点したが、最後は試合に参加すらさせてもらえなかったどころか傍観しているようだった。

 徐恵はちらりと左右の妃嬪たちを見て、それから声を潜めた。


「王太監が言ったでしょう? これはあくまで馬術を見るのであって、試合結果は考慮しないと。武才人は皆が攻めあぐねているところへ切り込んで、全速力で駆けた。それで試合場の妃嬪はもちろん観客たちにも強く印象付けたわ。武才人こそがあの試合場でもっとも馬術に優れるのだと思い込まされた。最終節で武才人が毬に触れなかったのも意図してのこと。ときどき速度を上げたり馬首を切り返したり、それに応じて妃嬪たちを警戒させた。それこそが武才人の腕前を試合場の全員が認めたという証拠になる。馬術がわからない人間にもそうと思わせるほどに」

「では、この馬術勝負はもう武才人の勝ちということ?」

 流螢が問うと、徐恵は少し考え込んだ。が、すぐに「それがいい、これがいい」と顔を上げた。


「大丈夫よ。策はある」

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