二 予備試験

 参加者の発表から数日後、流螢は出場者一覧に名を連ねた妃嬪らと共に鳳露台へと集められていた。


「これより比武召妃の予備試験を実施する」


 集まった一同に対して壇上でそう宣言したのは、後宮での比武召妃監督役を命じられた楊淑妃である。

「皇太子妃となるからには、武芸のみならず知恵も重要。ゆえにこの予備試験ではあなた方の聡明さを量ります」

 楊淑妃が話す間にも、宮女らが妃嬪のそれぞれに小さな紙包みを配っている。


「これよりあなた方には謎かけを解いてもらいます。今配ったのはその第一問。その答えが第二の問いとなり、第二の問いを解き明かせば第三の問いが見えてくる。そして第三の問いの答えとなる物を日没までにここへ持ってくることで試験突破とします。より早く謎を解き明かせば今後の選考が有利になるでしょう」

 一部の妃嬪が早速紙包みを開こうとするのを、楊淑妃は「待ちなさい」と言って制した。

「始める前にいくつか言っておくことがあります。まず、第一の問い、第二の問いは全員が異なる。しかし第三の問いは全員が同じものを手にする。これの意味するところがわかるかしら?」


「途中で謎解きに行き詰まっても、別の誰かの問いを解けば同じ答えにたどり着く、ということですね」

 答えたのは最前列にいた岳修儀だ。楊淑妃は頷いた。

「一人で取り組むも、複数人で協力することもあなた方の自由。だけれどもよくよく気をつけなさい。お互いが競争相手であることを忘れないように。それから、今日の予備試験はここに集まった者だけが知っています。他の宮女から宦官、警備の兵に至るまでが普段と変わらぬ働きをしています」

「淑妃娘娘ニャンニャン、それはつまり?」

 岳修儀の問いに楊淑妃は静かに頭を振る。自分で考えよとの意だ。


「最後に、これがあくまで比武であることを忘れないように。油断は禁物ですよ」

「――あ、あのぅ」


 おずおずと手を上げたのは妃嬪らの後ろ、さらに数歩の距離を開けて佇んでいた流螢だ。

「私はまだ第一問を受け取っていないのですが……」

 宮女たちは流螢に紙包みを渡さなかった。先日あれだけ目立ったばかりなのだから、流螢が参加者の一人であることはわかっていたはずなのに。


 楊淑妃は表情を変えずにふんと鼻だけを鳴らす。

「あなたの分は用意されていないわ、朱流螢。自力でなんとかなさい」

「え……」

 唖然とする流螢に、妃嬪らはくすくすと忍び笑いを漏らした。


「当然よ。宮女風情が調子に乗っちゃって」

「身の程をわきまえるがいいわ」

「どうせ文字も読めないのでしょう?」

 わざわざ聞こえるように囁きあう。唇を噛み締めた流螢の視界の先で、徐恵が何か言おうと口を開きかけた。だがそれより早く楊淑妃が割り込む。

「騒ぐのはおやめ。私からは以上、不明な点はない? ――よろしい。それではこれより予備試験を開始する」


 妃嬪たちは淑妃への拝礼もそこそこに鳳露台から駆け出した。流螢は困り果てた。問題文を渡されないのではどうしようもない。立ち尽くした流螢の腕を徐恵が掴んで引っ張り出す。

「立ち尽くしていても仕方がないわ。それに楊淑妃自身が協力しあっても構わないと仰った。流螢は私と一緒に謎を解けばいい。何もうろたえることはない」

「そんなことをしたら徐恵まで目を付けられるのでは?」

「あなたは清寧宮の近侍なのよ? 陰口なら出場者発表のあったあの日から言われているはず。今さら気にして何になるの? さあ、問題文とやらを見てみましょう」


 徐恵は本当に何も気にしていないようだ。流螢は深く安堵した。この比武召妃、徐恵が一緒に参加していなければ先の仕打ちでもう心は折れていた。

 徐恵は紙包みを流螢にも見えるように開いて見せた。


『精鋭を率いて敵を討ち、不遇にして鴆酒ちんしゅを賜る。麗しき姿はすでにこの世になく、残されたのは鉄の仮面』


 ――うん、なるほど。わからない。


 流螢はあっさりさじを投げた。文章そのものは理解できても、意味はさっぱりわからない。ところが徐恵は隣でうんうんとうなずき、ややあって「それでいい、これでいい」と言うなり顔を上げた。

「実に簡単ね。第一問ならこんなものかしら。行きましょう、流螢。答えはすぐ近くよ」

「もう解いてしまったの? 私には何一つわからないわ」

 迷いなく歩き出した徐恵について歩きながら、流螢は解説を求めた。答える徐恵はちょっと得意気だ。


「精鋭を率いて云々から、これが過去の名将を言っていることがわかるわ。ではそれは誰のことなのか? その手掛かりが鴆酒と麗しき姿、そして鉄の仮面なのよ。流螢は鴆酒が何だかわかる?」

 正直に知らないと答えた。

「鴆酒とは毒のことよ。主君が家臣に死を命じる際に下賜される毒。その将は戦場において有能だったけれど、主君の機嫌を損ねたか重罪を犯したか、死を賜る結果になってしまったのね」

「でも将軍のことを言っているのなら、麗しき姿というのは変じゃない? 戦に関わるのは男性、麗しい姿とは程遠いと思うけれど」


 流螢が指摘すると、徐恵はふふと微笑を漏らす。

「従軍する男性が揃いもそろって不細工だと、流螢はそう言いたいの? それをしょうしんさまやぼう遺愛いあいさまの前でも言えるかしら。お二人とも宮中の女性の間で大人気の美貌の持ち主と知られている」

 東宮で会った皇太子の側近、称心は確かに美貌の持ち主だった。楊怡が一目惚れするほどだ。確かにあのような人物であれば、麗しい姿と形容することもできるだろう。


「歴史に名のある将で美貌の持ち主となると、何人か思いつくわ。そこで最後の手掛かり、鉄の仮面よ。あまりにも美しい容貌ゆえに兵の士気を挫かぬようにと、その顔を鉄の仮面で隠した――そんな伝説が歌舞にもなっている方が一人いる」

 徐恵はすぐには答えを言わない。流螢はしばし考え、そして思い出した。承慶宮で武芸鍛錬に励む流螢を見て、人はそれをなんと噂したか。

「あれは、そう――蘭陵王らんりょうおう!」


 北斉の蘭陵王、こう長恭ちょうきょう。美貌を仮面で隠し北周の大軍と戦った名将だ。その晩年は主君に疎まれ、死を命じられたと伝わっている。


「つまりこの謎かけは蘭陵王を示している……それで、徐恵はどこへ?」

「仮面といえば蘭陵王、蘭陵王といえば仮面。この謎の答えは蘭陵王の仮面を探せと言っているのよ。実際の仮面は今に残っていないけれど、宮中で蘭陵王の仮面といえば一つしかない」


 徐恵について進むうち、流螢は見覚えのある光景が増えてきたことに気づいた。ここは承慶宮だ。ただし今回は裏庭ではなく正面から向かっている。

「承慶宮は亡き文徳皇后が住んでいた宮殿で、中には皇后の遺品がそのまま残されているの」

「勝手に入って良いの?」

「もちろんダメよ」


 徐恵は周囲に人影がないのを確認してから、さっと流螢を引き連れて中に入った。

 宮女らが定期的に清掃しているのだろう。床は塵一つなく、空気は澄んでいる。壁にはいかにも高価そうな絵画や工芸品が飾られ、今でも誰か住んでいるのではと思うほどだ。

「文徳皇后は舞踊の名手だったと聞くわ。とくに蘭陵王の舞は誰も及ばない神仙の境地にあったとか。それで陛下はこの世に唯一無二の蘭陵王の仮面を作らせ、皇后へ下賜された」


 それが第一の謎の答えというわけだ。


「――あった、あれよ」

 徐恵が指した先、壁にきらびやかな仮面がある。骨組みは金、目元は銀によって縁取られ、頬には螺鈿の細工が施されている。名工の一品に間違いない。ただ、それはどうにも手の届かない高所にあった。

「梯子を使いましょう」

 すぐ側に掛けてあった梯子へ徐恵が手を伸ばす。その瞬間、疑問が首もたげた。流螢は慌てて徐恵を引き止める。


「待って! これだけ手入れが行き届いているのに、梯子だけがこんな目立つ場所に置きっぱなしなのは変よ」

 徐恵が慌てて手を引っ込める。よくよく見てみれば、梯子には細糸が結び付けられていた。辿っていくと窓の外に続いているようだ。隙間をそっと開いて、流螢はすぐに身を伏せた。


 外には見張りの兵士たちが数名たむろしている。細糸の先は彼らの頭上に吊るされた鈴の束に繋がっていた。不用意に梯子を動かせば鈴が鳴り、たちどころに兵士が駆けつける鳴子の罠だ。

 ふう、と安堵の息を吐く徐恵。

「楊淑妃が油断しないようにと仰っていたのはこのことだったのね。ただ謎を解くだけでなく、罠も避けなければいけない」

「梯子は使えない。どうしよう?」

 すると徐恵、ふふと笑って、

「もう忘れたの? これは元より比武召妃、武芸を競う催しなのよ。今こそその武芸を使わずにどうするの? ――さあ師姐シジェ、軽功の腕前を見せてくださいな」


 流螢は心得たとばかり、さっと床を蹴り壁を踏み、天井の梁に逆さにぶら下がった。仮面にも罠が仕掛けられていないか調べ、それから仮面を手に取る。


「あった。これが第二の問いね」

 仮面を元に戻し、ひらりと飛び降りる。徐恵の前で仮面の裏に貼り付けられていた紙包みを開いた。中にはたった八文字だけが書かれていた。


『永和九年在歳癸丑(永和九年、歳は癸丑きちゅうに在り)』

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