鳥よりも高く。飛行機よりも長く。そしてラウムにはさよならを
ほのかに赤く染まり始める空の中、僕たちは先導するカラスたちの後ろにくっつき夢中で飛んでいる。
「ラウム今どのあたり?」
「だいぶ南に行っているはずよ。このままいけば海が見えるはずなんだけど、高度下げた方がいいじゃない」
「けどこの高度の風じゃないとたぶん夕方過ぎちゃって何も見えなくなる」
アクフォの時間はもう夕方の五時を回っていた。秋は日が落ちるのが早い、この時間になるとあっという間に夜中になる。日が沈んだら映しても何も見えなくなる。
すると先頭を行っていたカラスが右に曲がると他のカラスたちが一斉にそっちに移動する。
「クァ」
「こっちを行くと早いって」
「こういう時ラウムがいてくれると助かるよ」
ラウムが丸刈りの声を翻訳して、指示された方向へ翼を傾ける。矢のような陣形で朱に染まっていく雲の中を突き進んで上昇していく。僕が急いでいることが伝わっているのか先頭を行くカラスたちみんな大きく翼を羽ばたかせて空を、雲をかき分けていく。
『カラスと共同戦線だ』
『早い早い!』
配信している中で視聴者たちが興奮している。けどもうコメントに気にする余裕がない。とにかくカラスたちに置いて行かれないよう、太陽が消えてしまう前に進む。
「クアア!」
「カナタ、もうすぐ雲を抜けるってさ」
最後の力をふりしぼり、翼を羽ばたく。バサッバサッ! 羽が千切れるかというほどに、根元がもげるぐほどに、羽ばたく。
そして雲の中を突っ切り、目の前に広がる海へ飛び出す――
「すごい」
その光景に息をのんだ。
オレンジに輝きながら沈んでいく太陽が海を鏡にして色を反射している。その太陽の色が絵の具のように眼下に見える小粒のいわし雲や淡い水色の海や真っ黒なカラスたちの群れに混じってきれいな世界をつくっている。小さい頃に見た空の映像と比べようにもならないほど美しい景色が広がっていた。
その色づいた世界を眺めていると空に一本の飛行機雲が流れていた。
「飛行機だ」
「うん。たぶんあれ国内線のジェット機だよ。この海を通って隣の県へ行く飛行機が渡ってくるんだ」
ジェット機は小さく、僕らがいる高度よりもはるか上空にいることをまざまざと見せつけている。きっと八千、いや一万メートル以上の上空を飛んでいるのだろう。その途方もない高さと数秒で長い飛行機雲を作る速さにジェット機と鳥との埋めようにもできない性能差を見せつけられているようだった。
「やっぱりジェット機までは難しかったね」
「カナタ、アクフォをごらんなさい」
『すごい』
『きれい』
『ここまで飛んだんだから十分だよ』
『おめでとう』
『レシプロ機と同じ高度ならいいんじゃない?』
突然の切断とかアクシデントがありながら、最後まで配信に付き合ってくれた視聴者たちの温かいコメントが画面に覆いつくしていた。
届かなかったけど、みんなにこの空の景色をわかってくれたんだ。
ぐすっと鼻をすすり、ふいて、カメラを僕の方に向ける。
「みんな。さすがにジェット機と同じ高度までとはいかなかったけど、ここが美しい空と海と空を目指した人たちが作り出した結晶が一堂に会する場所です。こんなすばらしい場所まで自分の力で飛ぶことができたんだよ。みんなのおかげだよ。ありがとう」
『こちらこそ』
『KANAよくやった』
『ありがとう!』
コメントがまたキラキラし始めた。もうこれ以上にないほど嬉しい。
そうだラウムにもお礼を言わないと振り向いた時、息が止まった。
「ラウム。体が透けているよ」
「もう終わりだよカナタ。もうカナタの願いが叶ったから」
初めてラウムがやわらかい笑顔を向けた。
そして僕は気付いた。僕の願いは『自分の翼で飛び、きれいな空をみんなに見てもらうこと』だ。ここに来たということは、ラウムとはお別れになるということを。
消えちゃやだ! って言葉は出さなかった。だってラウムにこの景色を、今の飛行機のすごさを見てもらいたいためにこの配信を提案したんだもの。そんなわがまま言ったらラウムにまた怒られる。
じょじょに色を失うラウム、けど痛そうにも苦しそうにもなくずっとほほえんでいる。
「ラウム、今痛くない? 苦しくない?」
「ぜんぜん。だって見えなくなるだけだからね」
そうか、ラウムが消えるんじゃなく、僕が見えなくなるんだ。あと何時間、何分、何秒ラウムといられるのだろうか。できたらずっとここで時間が止まってほしい。けどそんな願いは聞き入られることはなくて、ラウムはもう体の半分まで消えてしまっている。
「あ、あのさ。悪魔の世界に帰ったらイカロスやリリエンタールそれからライト兄弟に僕のこと話してくれる。みなさんに憧れて自分の翼で空を飛びたいってラウムと契約を結んだって」
「わかった。ちゃんと伝える」
「それから向こうに帰ったらグラシャに、もうラウムと契約を完了させたぞざまあみろって代わりに言ってやって。きっと悔しがるから」
「オッケーオッケー」
胸から下まで消えた。もう時間がない。
ほかに何を言い残したらいいか頭の中で必死に考える。考えれば考えるほど、いっぱいいっぱいラウムに言いたいことが増えて、時間が足りない。
悪魔だからコーラとか黒い食べ物をお供えしたら寄ってくるのかな。
年取って死んで、悪魔になったら出会った時の体に戻るのかな。
悪魔になったらツーショット写真撮れる?
お風呂の
ラウム。ラウム。
僕。ラウムのことが……
「ねえ、ラウム。僕、僕。また契約を結べるとしたらどこだったら悪魔の本が手に入るかな。ほらその、また何か願いを叶えたい時があるかもしれないしさ、もし運よくまたラウムを呼びだせたら」
「カナタ」
ちょうど首元まで消えたところでラウムがぴしゃりと僕の口を止めた。
そして。
「よくがんばったね。おめでとう」
今まで見たことのない笑顔をにこりと僕に差し出して、ほんのりと赤いくちびるが、短く切られた美しい銀の髪が、瞳が、すべて消えてしまった。
見えなくなってしまった。
ラウムが消えたと同時に手の中にアクフォの感触も消えてしまった。ぼうぜんとその場でとどまっていると丸刈りが僕の周りを飛び回って叫ぶ。
「クァ、クァ」
「丸刈り、ラウムはそこにいる? 僕はもう願いを叶えてしまったからラウムが見えないんだ。ねえ、そこにいるのかなラウム」
何度もラウムの名前を呼んだ。けど彼女は返してくれない。
ぽろりぽろり目から涙がこぼれてくる。いつもケガをしても馬鹿にされても流さなかった涙が、止まらなく流れて海に落ちていく。
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