ラウムと契約者たちと願い

 補助翼が完成したのは夕暮れのころだった。

 お母さんに見つからないよう、こっそりと早速完成した翼を持って家を出た。場所はもちろんいつものあの学校裏の公園だ。


 日が薄っすらと暗くなりだしてぽつぽつと街灯が灯り出す。その街灯が作り出すスポットライトの下でラウムが補助翼を僕の腕に装着する。


「どう感じは?」

「発案した自分が言うのもなんだけど、なんだかはりつけにされてるみたい」

「あたりまえよ。翼が動かないように完全に固定する仕組みなんだから、飛行機じゃあるまいし」

「改めて鳥のすごさを思い知らされるよ」


 両手を広げた状態で一枚の大きな布製の翼がワイヤーで腕に固定される。体をねじることはできるけど手は完全に動かせず、グーパーするしかできなくてきゅうくつだ。でもこれさえあれば。複葉機のようにそんなにスピードが出なくても離陸もグライディングもできるはずだ。


 そして、背中からやや強い風が吹いて早く飛ぶように後押しする。追い風だ。飛ぶのにとても最高の状態がつくられていく。


「ラウム。いい風来てる。今から飛ぶね!」

「背中の翼、ちゃんとグライディングに切り替えてよ。腕のはあくまで補助なんだからそれだけでは飛べないんだから!」

「わかってる」


 背中から打ち付ける風が不思議な緊迫感きんぱくかんと共に肌にはりつく。僕はゆっくりと沈んでいくオレンジ色の太陽と同じく頭を沈め、ひざを屈める。ゆっくり、ゆっくり太陽が沈んであたりが薄い紫の夜の色に変わり始め、夕焼けが今日最後の輝きを放った。


 今だ!

 背中の翼が羽ばたく。追い風と翼から生み出す風が公園の砂を巻き上げながら飛んでいく。巻き上げられた砂が口の中に入ったり、ぴしぴしと当たったりしてとても気持ち悪い。けど僕は翼を止めずにもっと羽ばたく。じょじょに高度が上がってこの間まで飛んだ滑り台の高さを軽々と越していく。

 まだまだ。

 もっと翼を動かして公園から飛び出す。思っていたよりもぐんぐん上昇して一瞬下を見ると、公園前にあった家の屋根を飛び越えてしまっていた。

 すごいと思うひまもなく、だんだん翼の動きがにぶくなりだした。羽ばたき飛行の限界が近い、グライディングに切り替えないと。最初に成功したときのことを思い出しながら翼を水平に伸ばす。


 ぶわぁっと風がゆれる音しか聞こえなくなる。背中の翼はほぼ補助翼と並行するように水平に広げて風を受けている。両腕の補助翼は砂とか追い風とかに当たったにもかかわらず、折れたり破れたりしていない。そしてまた下を見るが、僕の体はまったく落ちる気配がない。


「飛べた。飛べた!! ラウム飛べたよ!!!!」

「浮かれてないで、まっすぐ前を見て。まだ町中なんだから電柱に当たって墜落とかもあるんだから」


 本当に呼んだわけでもないのに、ラウムの声が飛んできた。

 いったいどこから!? というかそんな墜落一番恥ずかしい!

 慌てて頭を前に向き直すと、僕の斜め上の方向にラウムが人間の姿で背中の黒いコウモリ状の翼で飛んでいた。


「その姿でも飛べるんだ」

「悪魔は基本飛べるものなの。カラスの形態は人間と接触しやすいようにする仮の姿だから。じゃあ飛びながら聞きなさい、カナタぐらいの大きさの翼で一番大事なのはグライディングなの。鷹とか大きい鳥は羽ばたくと体力を多く消耗しょうもうするから、翼を広げたままグライディングと上昇気流を利用して高いところへ飛ぶソアリングの二つを使い分けるのが基本」

「上昇気流ってどこにあるの」

「目印は積雲とかの雲だけど、基本は羽と肌で感じて」

「感じるってどうやって」

「なんかこう。押し付けられる感じがしたらそっちに行く感じ」

「あやふや過ぎない!?」

「しょうがないでしょ。アクフォでも上昇気流なんて見えないんだから!」


 急にアバウトすぎる説明にとまどっているとぐわんと体の下から押し付けられる感覚が起きた。さっきよりも高度が上がっている。これが上昇気流だと理解した。でもどうやって降りるの!? ソアリング難しいよ~。


 ソアリングの加減がわからないままうろたえていると、ラウムが僕がいる高度まで上昇して「頭を下に向けて降下するの」と指導してくれたことでようやく高度を下げることができた。

 そしててじかな所にある家の屋根に降り立って休憩を挟んだ。

 補助翼を外すとまだ飛んで数分としか経っていないのに、腕がパンパンにはれてて痛い。補助翼は大成功だけど、引き換えに腕が痛いのは辛いな。


「グライディングは最初にしてはよくできているわ。でもソアリングがまだまだね。ソアリングとグライディングを使い分けてこそが鳥と同じように飛べる第一歩だから」

「それができたら本当に飛べる?」

「もっちろん。ライト兄弟とかを空に飛ばした私を信じなさい」


 ポンと胸を叩いて自信満々に豪語するラウム。だけどあのグラシャのことが頭をよぎる。そして僕は意を決して質問した。


「ラウム聞きたいことがあるんだ」

「何?」

「昔、僕と同じ空を飛びたい契約をした人を失敗させてしまったことってある?」


 ついにその話を持ち出すと、ラウムは険しくもさみしい表情をする。


「グラシャから聞いたの?」

「……ごめん。でもあいつの言葉が本当か嘘かわからなくてずっともやもやしていたんだ」


 だけどラウムは怒らず、きれいな銀色の髪をかきあげる。


「そうね、話しておくわ。私は悪魔の中で営業成績万年四十番のポンコツ悪魔。周りからもポンコツとか空を飛ぶ専門の悪魔とか言われている」

「じゃあ、僕が最初から空を飛ぶことができないのは。ポンコツだから?」


 一瞬ためらったがそれを言うと、ぎゅうっとまだはれている腕のあたりを指圧で押さえつけられた。疲労でパンパンになっているところを押されたためか思いっきり飛び上がってしまった。


「いっったい!!」

「そんなわけないじゃない。最初に話したでしょ、若い魂はすごい契約を結べるのになんで空を飛ぶことにするんだって。いくらポンコツでも世界を変えれる魂とならすぐに飛べることぐらいできるわよ。というか誰がポンコツよ」


 自分で言ったじゃないか。少し涙目になりながらも僕は質問を続けた。


「じゃあどうしてすぐに空を飛べるようにしなかったの」

「すぐに空に飛ぶと空のことを何もわからないまま浮かれて墜落するのを防ぐため。私と契約する人間ってなんでかみんな空に憧れる人ばっかりでね。おまけにみんなカナタと同じく空を飛ぶことにばっかりしか頭にない空を飛びたい馬鹿ばっかり。いつの間にか空を飛ぶ希望の専門悪魔になっちゃたの」

「僕も空を飛びたい馬鹿っていうの」

「じゃあ自分の翼で空を飛びたいって言ったのは? 揚力が足りないのを複葉機に見立ててイキイキと補助翼を作ろうとしたのは? 違うの」


 言われてみると当たっていた。そういえば最初に契約をするときも僕それ一辺倒だったし、補助翼を思いついた時もそれしか頭になかった。

 ラウムに指摘されてみると僕って本当に飛ぶことばっかりしか考えてないや。


「じゃあ。すぐに空を飛んで途中で死んじゃった人も」

「いたよ。召使いに落としてしまった人、私が最初に契約を結んだイカロスって人が。鳥と同じようにすぐに飛べるようにしてって希望を叶えたんだけど、イカロスは私の忠告を無視して一番高いところまで飛んでいったの。そしたら途中で強風に飛ばされて、そして空で死んでしまった。イカロスが飛んでいるのを見た人たちは太陽に近づきすぎた罰で焼け落ちたみたいに言われてね。それからリリエンタールの話をしたでしょ。その人も契約中に空から落ちてしまったの。イカロスと同じ空を飛んでいる途中で風にあおられてね」

「…………」

「みんな早く空を飛びたかったの。私が何度も危ない危ないって言っても聞かずに、空に飛んで落ちて」


 最後の方になると、ラウムの声がどんどん沈んでいった。

 ラウムの過去を知って僕は口を閉ざした。失望とかじゃなくなんて声をかければいいかわからなかった。たしかにラウムは過去に失敗をした。この事実は変わらない。


 リリエンタールもイカロスもどっちも悪魔の召使いになってしまった。ラウムが望まない結果で。


 だけど失敗したことをそのままにせず、ちゃんと立ち向かって僕と同じ空を飛びたい人たちの希望を、空を飛ぶということをきちんと教えているんだ。


「ラウムって良い悪魔だよね」


 やっと出せた言葉にラウムはぷふっと噴き出した。


「悪魔が良い者だなんて言われたらお終いだよ」

「い、いいじゃない。ラウムは僕にとっては良い悪魔だもの」


 落ち込んでいると思って僕なりにフォローしたのに。やっぱりラウムはいじわるだ。ようやく笑いが収まったラウムは笑った時に出た涙をふく。


「じゃあいい悪魔からのアドバイス。空は自由だなんて人間は言うけど、残酷だよ。鳥たちは決して自由じゃない空の中で必死に生きて飛んでいる。だから空を飛ぶものたちに恥じない飛び方をして。そのやり方を私はちゃんと教えるから」

「うん」


 やっと話が終わったときには太陽はすっかり地球の向こう側に去ってしまい、人工的な白い灯りと真っ黒な夜が広がっていた。その中でカラスたちが夜の空を飛び立っていくのが見えた。いつも嫌な鳥だと思っていたカラスたちがこんな暗い中でも一生懸命いっしょうけんめい飛んでいる。上空では街灯なんてないのに、ちゃんと目標に向かって飛んでいるカラスたち。あれが不自由な中でも懸命に飛んでいる飛び方だと思った。


 僕もあのカラスたちのように、飛びたい。


「そうだカナタこれ見て。さっきカナタが飛んでいる姿YouTubeにアップしたんだ」

「いつの間に、というかこれ僕のチャンネルで上げているじゃないか。どうやったの」

「アクフォなら他人のチャンネルだって簡単に入れるものね」


 無断で動画を上げたことに悪びれもせずにししといたずらっ気に笑うのを横目に、ラウムが上げた動画を見る。

 薄暗くなる夜空の中を飛翔する僕。だけどそこに映っていた映像には一つ、それも非常に大きく違っていた。


「ねえこれ。背中の翼が消えているんだけど。」

「アクフォの機能で翼だけ消したの」

「どうして? これじゃあ補助翼だけで飛んでいるみたいじゃないか」

「せっかく自分でつくった翼で飛べたのだから、それをアピールしないと、鴨地たちに見返せないじゃない」


 なるほど。明日の学校の様子を楽しみにしつつ動画とその再生数とコメントをじっと見守った。

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