グラシャの誘い
複葉機ならぬ
そして最後の足りない部品が入った袋を提げてホームセンターから出ると、入る前にはいなかった一匹の犬が僕をじっと見ていた。
真っ黒な犬だけどクロシバのような可愛いさはどこかなく、目がギラギラと不気味に赤く輝いていて気持ち悪さを感じていた。そのままそっと退散しようとした時、黒い犬が口を開く。
「苦労しているな人間」
気味の悪い声に聞き覚えがあった。グラシャだ。
「グラシャ、なの? この前見た時と違う犬みたいだけど」
「同じ犬の姿では怪しまれるからな。人間というのは鳥の区別もつかないが犬や猫に関してはやけに鋭いから時々変えているだよ人間」
「僕は伊香カナタ」
「ああすまないなカナタ。だがそんな地道なことをして苦労しているだろう」
優しそうな声色で話すグラシャだけど、何か僕たちがしていることを小馬鹿にしているようでむかむかする。
キッとグラシャに向き直って言い返した。
「大変だけど、どうやって空を飛べるか考えるのは楽しいし、なにより自分の力で飛ぶのは本物の鳥と同じことを味わえているから苦労とかないよ」
「だがその必要がなかったら?」
「必要がない?」
「カナタのように若い魂ならどんな願いだって叶えられる。今その場で空を飛べることぐらいも容易にできる。最初からそうであればそんな工作などしなくてもよかったのでは」
それは僕だって、最初は翼が生えたらすぐに飛べると思っていた。でもラウムはいじわるで、すぐに飛べるようにするかどうかをたずねなかったんだ。
「でも、ラウムが僕にそのことを聞かずに契約したから」
「クックック。聞かれなかった? 違うな。それはだな、あいつが成績四十番のポンコツだから話さなかったんだ」
「成績?」
「そうだ。悪魔は人間と契約成立をすることで悪魔としての成績が上がるんだ。ちなみにオレは上から数えた方が早い上位層だ。でだ、ラウムは四十番目、高くもなければ低くもない。あのポンコツ悪魔は自分の力ではできないとだまっていたんだ」
クックックと薄気味悪い声が一瞬聞こえなくなった。
ラウムが本当はすぐに飛べることができることを隠していた? 自分の力ではできないと考えて?
違う、きっと違う理由がある。だってあのライト兄弟やリリエンタールと共に考えて人間を空へ飛ばせた悪魔だ。きっと僕にも簡単に空を飛ばすことをしなかった別の理由があるはず。
手に持っていた袋をぎゅっと固く握りしめながら、グラシャの言葉を聞かずに去ろうとした。だけどグラシャの足はまるでホバークラフトがついているかのように速く、ぴったりと僕と横並びについてくる。
「どうだ。優秀なオレと契約してみないか」
「で、でも。僕はもうラウムと契約しているから」
「前に言っただろう、乗り換えると。悪魔の契約は一つの願いに一人の悪魔とのみ。だがその悪魔との契約が不十分であると思ったら乗り換えることができるんだ」
「そんな簡単に」
「できるさ。その悪魔がポンコツで果たせそうにないとわかったらな。例えば本当ならすぐ空を飛べようとすれば飛べるものをしないとか、大した契約も結べずカナタと同じ空を飛びたいという契約者と契約完了する前に死なせたこともあった過去があったりとか」
え。
体が頭からつま先まで急速に冷える感覚が起きた。
嘘だ。ラウムはそんなことをするはずがない。だってあんな丁寧に教えてくれているラウムが契約者を死なせただなんて。
信じたくない!
「そんなはずはない! ラウムはいじわるだけど、細かい所まで教えてくれるし。飛ぶことに関する知識だって十分あるんだ。ラウムがそんな失敗をするなんて」
「知識があっても成功するとは限らないだろう。それは空を飛ぶという願いを願ったカナタが一番よくわかっているのでは」
まるですべてお見通しとでも言わんばかりにグラシャは的確に弱いところを突きまくる。いっぱい知識を詰め込んでも、何度も
「でも、でもラウムは」
「では聞くが。目の前に性能が良くて事故を起こしたことがない商品と事故を起こしたことがある商品があったらどっちを選ぶ? 性能がいいものを選ぶよな。オレがカナタと契約するなら真っ先に空をすぐに飛べる契約をするぞ」
すぐに耳をふさいだ。もう聞きたくない。僕がラウムとしてきた今までのことを否定することなんて聞きたくない。
けどグラシャの声は耳をふさいでもなぜかするりと入ってくる。
怖い。
「さあカナタ。今すぐにでも乗り換えたほうがいい。そんな苦労をして、体がボロボロになってまで空を飛びたいか。みんなに見てほしいだろ、自分が空を飛ぶ姿を」
みんなに見てほしい。僕を馬鹿にしてきた視聴者たちを、鴨地たちを見返せれる? 空に興味ない視聴者を、僕が今すぐに空を飛べば。みんな見てくれる?
ゆらりと手が耳から離れた時、バサバサと何かが大きく羽ばたく音が横で聞こえた。
「グァグァ!!」
「な。なんだ。またこのちびガラス! どっかいけ!」
「グァグァ!!」
音の正体は丸刈りだった。いつの間にか僕の耳元に飛んでいたグラシャの頭をまるでもちつきのように突いて突いて突くとしつこく攻撃していた。
「痛てて、何度も突きやがって。オレは自分で戦うのは苦手なんだ。ここは一旦帰るからカナタ、オレのこと考えてくれたまえ」
頭の毛がハゲるぐらいボロボロになったグラシャに丸刈りが「ギャア!」と二度と来るなと言うように止めにわき腹を蹴る。その次の時にはグラシャはポンっと黒い煙を残して消えてしまった。
追い払った丸刈りがそばにあった自転車のサドルの上に降りると僕にくちばしを向けた。
「なんだよ丸刈り。僕を突くのか」
後ろに下がって身構えるが丸刈りはじっと僕を見つめるだけで何もしてこない。けど丸刈りの青い目は何か悲しそうなものだった。もしかしてラウムのことを心配しているのかな。こいつもラウムと一緒に飛ぶ練習をしていたから気になっているのかも。
じりじりと警戒しながら丸刈りに近づく。油断したところを襲うかもと頭が一瞬よぎったけど、手が届く距離まで近づいても丸刈りは大人しくその場にたたずんでいた。
そして一呼吸おいて話しかけた。
「どうせ僕の言葉なんてわからないだろうけど。僕だって正直迷っている。ラウムがそんなことないって信じたい。きっと何か事情があったはずだって。僕のことをバカだとかもっとしっかりしなさいとかいじわるなことは言うし、小さい所までおせっかい焼いてくるところもあるけど、ラウムはちゃんと教えてくれるもの。お前だってラウムのことそう思うだろ」
すると丸刈りがうなずいたように見えた。ううん、きっとそうだ。
ふと、上空を見て丸刈りの親がいるか確認する。
「触っても大丈夫だよね」
恐る恐る丸刈りの頭を指でなぞる。見た目の毒々しい黒さからは想像もできないふわっと柔らかい羽毛と小さな頭の骨の形が
丸刈りは僕が触っても嫌でないようで、まるでマッサージを受けているように気持ちよさそうに目を閉じながら小さくくちばしを開いている。
なんだこいつ、意外とかわいいところあるじゃないか。
丸刈りのおかげでいやされたところで、材料の入った袋を持ち上げた。
「けど話を聞くのは、この翼を完成させてからにする」
それに応じるように丸刈りが「クァ」と鳴いた。
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