第7話
フワフワとした温かい世界を飛び回っていると、目の前に翼を広げた生物が現れた。頭の上には金の輪があり背中の翼は白く鳥のようだった。そして全体的にそれは人間の形をしていた。
「天国へようこそ。悪魔さんたち」
舞い降りた天使が微笑んだ。
「こんにちは」と彼女が挨拶し、僕も
「やあ、天使さん」と笑顔を返した。
「素敵な世界だね。君はいつもここにいるの?」
僕は天使に尋ねた。
「そうです。貴方はここを素敵な世界だと言ってくれましたが、どこを気に入ったのでしょうか?」
天使も質問をしてきた。
「支配や争いが無いみたいで、良いと思ったんだ」
しばらく考えた後僕が答えると、
「ここは悪いものが消えた世界ではなくて、悪いものが進化した世界なんですよ」と天使が教えてくれた。
「最初は悪だと思われたことも、後になれば善の効果が現れたりしますよね。その逆にもできるのですが、ここは悪のものが善に到達した世界なのです」
天使はそう言って笑った。
「水は空に昇れば雲と呼ばれ、降り注ぐ時は雨と呼ばれ、冷えれば氷となる。善悪だって一時その役割をしているものであって、永遠のものではないんです。誰かにとって悪となっても他の視点から見れば善であり、完璧の悪にも完璧の善にもならないんですよね、きっと」
「つまり、善も悪も無いってことかな」
「悪と言えば悪、そうじゃないと思えばそうじゃない。信じれば存在するけれど本当は無いのかもしれないわね」
善も悪もペガサスやグリフィンのような架空の生物と同じなのだ。ペガサスは僕がいた世界には存在しなかったけれど、たくさんの人がその名を知っていた。存在を信じているのとは違うだろうけど、芸術作品の中などで確かな概念を持ち姿を現していた。
本当は無いのにあると信じている事はたくさんあるだろう。習っている歴史は全部間違いかもしれないし、国境だって動物にとっては無いかもしれない。
生きている、自分がここにいると感じることすら思い込みかもしれない。自分が赤だと思って見ている色が、実は赤ではないかもしれない。
人が二人だけで話している時でさえ、上手く通じ合わない事があるのだ。それが何十億人にもなれば誤差や価値観の違いがたくさんあることくらい当たり前である。
我々にできる事は、無限に視野を広げあらゆる可能性を信じることくらいだ。
「じゃあ、自分さえ良ければいいなんて考え方も、間違っているわけではないのかな」
「人の為に犠牲になったり何かしたりしても、それが人の為になるとは限らないからね。結局人は、自分の思い込みでしか動けないのだから。なら自分の為に生きるのもアリなんじゃないの。自分が喜んでくれることを確実に知っている人は自分しかいないしね」
彼女はそう言った。
「おや、悪魔くん。どうやらもう少し、続きが残っているようですよ」
天使は何かを見つけ、僕に言った。何のことだか、僕はすぐに分かった。
「また、戻っておいで」
彼女が言う。
「姿は見えなくなるけど、私は貴方の側にいるわよ」
「今度は天国でももっとゆっくり過ごしていってくださいね。ではまた会いましょう」
二人は僕に手を振った。僕も手を振り返し、ゆっくりと目を閉じた。
随分と長い休息だった。僕が目覚めた場所は高い建物のてっぺんで、壁にもたれかかっていた。空では星が瞬き、あれからちっとも時間は過ぎていないのだと知った。
きっとあと数十年生きるだろうが、長いとは感じなかった。僕は息を吸い込み、生きている感覚を久々に味わいつつ階段を降りた。
それから僕は、バイトをしながら文章などを書くようになった。文法も段落も全く分からないがまぁそれでもいいんじゃないかと思ってインターネットで公開した。
そして、世の中には実に様々な考え方をする人がいるのだと分かった。皆哲学をしているのだなぁと思うと、なんだか楽しくなった。反応を返してくれる人もいる。
頑張って生きることもできるけど、生きるのはそんなに大変なことじゃないと思えるようになった。自分にとっては大変じゃない方が楽しいからそれで良いと思う。
人の文章を見たり自分の作品を出したりしてささやかな交流を楽しみつつ、四季の変化を感じゆったりと時を過ごした。朝はキジバトの声に耳を傾け、夕方はコウモリを眺めた。
最近は音楽でも本でも、身近な人との会話でも深いテーマになったりして面白い。物やシステムだけでなく人の本質に迫る時代が来たようだ。
僕はあれこれ考えるのは好きだけど人間との会話になるとどうも上手くいかなくて、相手を怒らせてばかりだ。身の回りの人は皆大人で、しっかり自分の意見を言えてすごいと思う。
今まで自分は傲慢な態度ばかり取ってきたと反省した。これからは無闇に自分の考え方を押し付けないようにしようと思いつつ、あまり上手くできないでいる。
けれど別に上手くいかなくても良いと思う。と、言うと僕に迷惑をかけられている人に失礼だけど、焦ればできるというものでもない。
僕はじっくり考えて書ける文章が好きになり始めた。直接人と話すと失言をしてしまったりするけど、文章なら自分のペースで言葉を出せる。
また、色々な人の考え方を知りたくて本などで少し調べた。アスペルガー症候群について調べた時は、詩的な独特の感性を持つ人たちの話を見て感動した。違う世界が見えているのではないかと思った。
半陰陽の人がいると知った時は、男らしさや女らしさについて考えた。男と女は別のものではなく、皆男らしさも女らしさも持てればいいなと考えた。
虫の生態について調べた時は、本当に色んな虫がいると思った。擬態をする虫は鳥のフンや木の葉に姿を似せているけど、虫は鳥や木の事を見ていて知っているんだろうかと不思議だった。
全ての生き物は進化をしてきたらしいけど進化は誰が考えてどうやってしているんだろう。自然の綺麗な形はどうしてそうなったんだろう。綺麗だと感じる事に理由や意味はあるんだろうか。
興味は尽きず、僕なりに色々な事を考えるようになった。科学とか専門的な事は分からないけど、こうしてぼんやり考えるだけなのも良いと思う。
近頃周りの人に
「少し丸くなったね」と言われる。攻撃的なつもりは無かったけど、穏やかに過ごせているのなら嬉しいことだ。
最近は死後の世界について考えている。僕が見ていたあの世界は死後に行ける所だと思うけど、もっとたくさんの行き先があって皆違う所に行くのだと思う。
そして皆、生まれ変わったり、新しい場所で新しいものになったりすると思う。僕はもう、死んだ人が消えて無くなるとは思わない。
人は回遊魚のようにあちらへ行ってはこちらへ戻ると思う。その考え方の方が面白いから信じている。
もし人生が一度きりなら、生まれてすぐに死んでしまった子や、殺されるために生まれてくる動物たちの命は悲しすぎると思う。努力して報われることも無く、夢が叶う事も多分無い。それで終わりだとしたら理不尽すぎる。そんなんじゃないはずだ。
死んでしまっても、皆必ずどこかにいると思う。大好きな人にまた会うこともできるし、殺した命とはきっと向き合う時が来る。殺したり殺されたりしたまま終わることは無いと思う。
以前に考えた植物の命のことを、僕はまた思い出していた。プラナリアとかプランクトンたちもそうだけど、切られても二つに分かれて両方生きているものがある。彼らの命はどうなっているんだろう。
僕は一つの種に一つの命があると思ったけど、実は動物も植物も地球も宇宙も、全部で一つの命なのかもしれない。ある種は滅びある種は進化して二つに分かれ、そんな事を繰り返しながら皆で生きてきたのだろう。滅びた種にも役割や意味があったはずで、おかげで僕らが生きている。
だから僕たちが生きる理由は種の保存ではないと思う。いつか自分の命を保つために他の命を奪う事をしなくなって、本当に皆で一つの命になると思う。
まだ分からない事も多いけど、ちゃんと最後まで生きて楽しむつもりだ。途中で嫌だからと投げ出しても、続きはまたやってくる。
ちゃんと納得してどんな人とも向き合えるようになりたいから、今日も僕は文章を書いて皆と話をした。そして、隣で見守ってくれているであろう悪魔さんに
「ありがとう」と感謝の言葉を伝えた。
悪魔 月澄狸 @mamimujina
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