第6話
最近は時が進んでいるのか止まっているのか分からない。相変わらず人間界では動物実験が盛んなようで、人体に影響が出ないかどうか、さまざまな薬物を動物たちに投与して確かめている。
寄ってたかって小さな体の動物たちに負担をかけっぱなしだ。一方では弱い者いじめはいけないという認識が広まっているが、動物実験をやめるという発想にはたどり着きそうにない。せっかく進歩した技術なのに今更手放し後戻りする事はできないのだ。
しかし一方で全く違う景色がふっと見える事が増えた。以前からこちらの世界は不安定な見え方だがより時空が歪んだようになり、見渡す限りの大自然が目前に広がったり、爆弾を落とす飛行機や燃える家々が見えたり、目の前が真っ暗になったりした。
ある時映画館に入ってみると、それは見たことのある映画だった。しかし所々ストーリーの進み方が違い、見たことのないシーンが出てきた。そして最後には全く違う展開になった。
町で見かけたテレビでは若くして亡くなったはずの歌手がまだ出ていて、亡くなった年齢を越えていた。
他にも、全く見たことのない番組が多く流れ、よく知っている歌の歌詞が変わり、国民的アニメのキャラクターデザインが変化していた。
「ひょっとしたら、僕はまだ死んでいないのかもしれないな」
なんとなくそう思った。
僕はあの日、死のうとした夢を見ていたのかもしれない。目を覚ませばあの時の事は全部夢だと分かり、長い夢だったなと思いつつやがて全てを忘れるのかもしれない。
いや、建物から飛び下りたところまでは本当だけど実は死なずに生きていて、病院のベッドの上で眠ったようになっているのかもしれない。
あの時は自分の死を確かめようという発想はなく、自分の死体も葬式も見ていない。だからもう確かめる術は無さそうだ。
恐竜たちの住む森が見えたり未来の町が見えたりする事もあったが自分の軸は自分が生きていた時代らしく、やがては見覚えのあるあの時代へ戻った。
どうやら時間は基本的に止まっているようだが世界は動き季節が変わり、壊れたCDのように同じ映像を何度も映し出しているようだった。
あるいは主人公が年をとらないアニメやマンガのようだ。しかし時は止まったまま何かがずれていく。店の看板には見たことの無い言語が表記され、馴染みのある道具が全く違う形に変わり、構築された歴史が歪み始めたようだった。
「人が違う進化の方法を選んだら、世界はどうなっていたか。そんな別の世界が見えているのよ」
彼女はそう説明してくれた。
「今は流れに身を任せるしかないだろうけど、いずれ感覚がつかめてきてどんな世界にでも行けるようになるわ」
「どんな世界にでも?」
僕は聞き返した。
「そうよ。死んだはずの人が死んでいなくて起こったはずの事が起こっていない。作家は売れなかったはずの本を全く違う展開にしてベストセラーにしているし、画家は有名な作品を全く違うものとして描きあげている。男として生まれるはずだった人は女を選び、ある夫婦の元に生まれるはずだった子が違う親を選ぶ。どんなパターンも存在するのよ」
「まだ僕が生きている世界もある?」
「ええ、あるわ。外見も人生も全く違う自分もいるの」
「そうなんだ」
僕は驚いた。
「人殺しは一つの悪だよね。けれど、殺されたはずの人が生きていて、人殺しになったはずの人が殺すのを思い留まっている世界もあるんだね」
「そうね。全部実在するわ」
彼女は面白そうに言った。
「一つは本物の世界で、他の全部は偽物の世界なの?」
僕が聞くと、彼女は
「全部本物よ」と言った。
つまり善悪とは何だろう。やってしまった事が悪でやらずに済めば善だとしても、やってしまった自分もやらなかった自分も存在するのだ。どちらかが本当でも嘘でもない。いや、両方真実なのだという。
「私たちは悪へ導くのが仕事。だけど全ての世界を悪の方へ振り向かせることはできないわ。また、何もしなくても半分は自動的に悪の道を選んだことになるわね」
「なら僕らはいてもいなくても変わらないんじゃないの」
「いることに意味があるんじゃないかしら。何をしても全ての道を選ぶことになるけれど、存在しなければ何も始まらないわ」
彼女はよく分からないことを教えてくれた。なので僕はしばらく悪魔の存在意義について悩むこととなった。
だが悩みというのは長く続かないもので、流れ星を数えているうちにどうでも良くなった。人間が存在しない世界とか天国とかファンタジーの世界とか、行き先を決めればどんな世界でも見られるらしく、面白いので練習してあれこれ覗いてみた。
まるで映画の中に入るみたいだ。ドラゴンが出てくる映画でもドラゴンの設定がそれぞれ全く違うように、慣れれば違う設定の世界へ行けた。しかも自分で設定ができる。
僕は思い付く限りのさまざまな世界を楽しんだ。不思議な家を出したり違う進化をした動植物を眺めたり、幽霊たちのパーティーやマンガの世界に飛び込んだりもした。
元の世界に戻って、想像を膨らませたりもした。生き物が食い合って栄養を取る必要が無くて、国境が無くて、死の恐怖や暑さ寒さのない世界が目の前に広がった。
動物たちは宙を駆け他種の動物たちとじゃれ合い、人々はゆったりと散歩をして笑い合っていた。生存競争は地上に存在せずお金もなく、全てが自由で温かい光に包まれていた。僕はその光景を、いつまでも見ていた。
争いをやめた人々の楽しみは何なのか。まずしっかり思い描かないとその世界を見ることができない。僕ははっきりと天国のような世界を思い浮かべた。
スポーツは無くなるだろう。バトルのゲームや勝負事も無いだろう。あれこれ取り除いては付け足し、見たかった世界を実現させた。
そして僕は悪の素晴らしさを再認識した。悪は全ての命を認め許すことなのだ。食い合うことや差別や偏見があってもそれを否定し倒すようなことはない。それが究極の悪であり善の極みでもあるのではないだろうか。
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