第5話

 僕が悪魔になってから大分時が経ったようだ。「なんだか悪魔のイメージが変わったよ」僕は彼女にそう話しかけた。


「悪魔ってもっと悪いものだと思ってた。一言聞けば『ああ、悪だな』って分かるような明らかに悪いことしか言わないと思っていたんだ。そりゃどんな事も悪だと言えると思うけど、思ってたより優しいものみたいだね」


 彼女はニッコリ笑って言った。


「悪は優しいものなのよ。心地のいい言葉ばかり言って、人の成長を止めてしまうの。悪いように聞こえる言葉の方が、かえって善の性質を持っていたりするものよ。物語の悪役が、主人公の善の心をより引き出してしまうようにね」


「そうか。悪だと思う事を言っても悪が広まるとは限らないんだね」

 僕は納得した。



 悪魔になってから随分ヒマになり、今までよりじっくりと景色を見るようになった。早く家に帰らなきゃとか、時間の無駄だとか考えなくて済むようになった。


 カラスウリの花や実の美しさに見とれたり、ヤモリの目が暗い所と明るい所とで変化する事を知ったり、イタチの気の強さに感心したりと、まるで子供のように時を過ごした。


 大人になると休日であっても明日は仕事だからとか雑念が取れる間がなく何も楽しめなかったが、今は違う。


 今日も僕は、オオマツヨイグサの花が開く瞬間を眺めたりして遊んでいた。ヒマなのが嫌いな人もいるだろうが、僕はヒマが大好きだ。花は微かな音を立てて開き、香りが辺りに広がった。


 僕は悪魔になってみて、絶対的な悪など存在しないと分かった。自然がバランスを保とうとする行為は災害と呼ばれ人の命を脅かし、人の幸せのための発展は自然破壊を伴った。


 植物を育てる人にとってはアブラムシが悪で、アブラムシにとってはテントウムシが悪と言えるだろうが、そうではないとも言える。


 悪に見えるものが一つあってそれが無くなればいいと思ったとしても、それは他の存在と密接に関わっていて無くしてはならないものかもしれないのだ。


 全てのものが存在することで絶妙なバランスを保っているのであり、迂闊に無くしてはならないのだ。とはいえやってみなければ分からない事も多々ある。


 人間が安易な考えで右から左へ移した生物たちが人間の思惑とは違う方向へ働き、外来種と呼ばれ処分の対象となった事もあるらしいが、おかげで人は考えることになった。


 知らず関わらず一切手を出さない事が正しいとも限らない。時には傷つけつつも、なんとか関わってみようとしたからこそ築けた関係もあるのだ。


 今、UMAを追っている人々がいるがこれだって善とも悪とも言える。静かに暮らしている彼らを、捕らえ檻に入れ人前に引きずり出す事が善とは到底言えない気がするが、新しい関係の始まりでもあるのだ。


 犬や猫だってひどい扱いをされもしたが、着実に人の仲間となりつつある。人が動物の命について考える重要なきっかけの一つである事は間違いない。


 ここまで考えて、僕はくすりと笑った。人間だった時間は短かったしそんなに人間らしくもないつもりだったけど、やはり僕の心は人間であり、人間に偏った考えしかできないのだ。


 もっともっと広い視点で見ることもできるはずだが、人間以外の見方になかなか気付けないでいる。悪は奥が深いと思った。



 今日も車道で狸がひかれ死んでいる。町中ではネコの死骸の方がよく見かけるが、交通事故死する動物は狸が一番多いとどこかで聞いた。どこからどこまでを動物と捉えたデータなのか分からないが、狸は車のライトを見て驚いて立ちすくんでしまったりするそうなので、確かに死亡率は高そうだ。人間が目にする動物の死といえばこうした野生動物やペットのものが多いだろうが、今も肉にされる動物たちはひっそりと命を落としている。


 動物たちは生きたまま解体されることも多いらしく、その苦しみは想像を絶し、見る者の善悪感を狂わせる。牛は死の直前に涙を流すこともあるらしい。


 毛皮にされる動物たちは劣悪な環境の中で育ち生きたまま皮を剥がされることもあるそうだ。


 殺処分される野良犬などは毒ガスによる窒息死で、決して安らかな死ではないという。中には毒ガスでは死ねなかった者もいて、生きたまま焼かれるそうだ。


 これらの死を深く知る者は少なく、僕もあまり知らない事である。誰もが関わる食に関する死でも、あまり深く普段から考えたりはしなかった。けれど最近は話題に上ることが多く、人類の視点が広がったことを示している。



 植物の命はどうなっているのだろう。我々と同じく生きている存在なはずだが不思議な生命力を持っている。いや、僕もなんだか妙な事になっていて、生きているか死んでいるか分からないのだが。


 ウキクサは一枚の葉のようなものからどんどん増えバラバラにしてもまた増え出すし、木の枝は地面に挿せば根が生える。


 葉から子株を出したり接ぎ木ができたりとそれぞれに特徴があり、一本の草の命が一人の人間の命と同じなのかどうか分からない。


 基本的に食べられてくれる存在でありつつある者にとっては毒となったり、また栄養を補うために食虫能力を身に付けていたりと実にバリエーション豊かだ。薬になったりもする。


 植物が一本枯れてもそれは死ではなく、一つの種に一つの意思があるのかもしれない。我々とは全く違う世界観を持っているかもしれないし、案外分かり合える部分があったりするのかもしれない。


 もし植物とコミュニケーションが取れるようになったら色々と聞いてみたいものだ。

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