人件費という重荷とルーティンの消失 ③

〈翌早10月27日 AM7:25 食堂〉



「⋯⋯朝ごはん、なんか打ち切りにされてしまいました」



 あたしは、食堂に入ると開口一番そう切り出した。


「そうみたいだね」


 おっちゃんは、静かにそう呟く。


(すでに、耳に入ってるんだ⋯⋯そりゃ、そうか)



「わが社は、健康を売る会社だ!とか言っておきながら、社員の健康は奪ってくんだから。ホント意味わかんない。なんか、腹立つ」


 あたしは、ぶつくさ言いながら席に座る。


「まぁ、決まったもんはしょうがねぇだろ」


 そう言いながら、ご飯と味噌汁を持ってきてくれるおっちゃん。


「今日はどっちにする?卵焼き?目玉焼きか?」


「え~っと⋯⋯」


 と、言うのも毎朝食べたいものを作ってあげると言われたものの、あたしはあたしで毎日メニューを考えるのはめんどくさい。


 結果、ご飯と味噌汁は固定で、目玉焼きか卵焼きかはその日の朝に決めると言うことで、と言う話になっていた。


「あっ!今日は卵焼きでお願いします。なんか、急にあと4日間だけになってしまいましたけど、よろしくお願いします」


「あいよ。なんか、寂しくなるなぁ」


 と、静かに言い残すと厨房へと戻っていく。


「えっ?そんなこと言ってくれるんですか?」


 あたしは思わず振り返る。


 視界に入るのはいつもと変わらないおっちゃんの背中。


⋯⋯のはずなのだが。


「⋯⋯⋯⋯」




 数メートル程離れた厨房からは、卵の焼けたおいしそうな匂いが漂い始める。


 あたしは、それを待ちながら味噌汁をゆっくりと啜った。


 先ほどから鼻をくすぐる赤味噌の香りは、卵の焼け始めた匂いと交じりあい、より一層食欲を掻き立てる。


 眠気は?って?


 そんなもの、とっくに吹き飛んでいた。


 楽しい会話をして

 おいしそうな朝食を眺め

 出来立ての匂いを嗅ぎ

 口いっぱいに広がる和食の幸せな味を感じ

 暖かい温度に触れて

 朝から気分がホッとして⋯⋯


 心地よく六感すべてに刺激を受けているのだから。


 それが、来週からは自販機でパンを買い、ただ空腹を紛らわすためだけに胃に放り込む作業に変わってしまう。


 袋詰めのパンを眺めたところで、何の感情も湧きやしない。


 どうしてこの時間を奪われなければならないのか。


 思い出すと、せっかくの良い気分が台無しになりそうだった。


「あいよ!お待ち!」


 近づいてくるにつれ、卵の香ばしい匂いがより一層はっきりとしてくる。


「改めて、いただきます」


 あたしは、箸を両指に挟むと手を合わせる。


(今はくだらないことを考えるのはやめよう)


 そう自分に言い聞かせると、目の前に広がる朝食幸せに集中することにした。





〈10月31日最終日 AM7:15 食堂〉


「おはようございます!」


「おっ?早いなぁ!どした?」


 厨房からいつもの元気で大きな声が返ってくる。


「最終日ぐらいは、余裕を持ってと思いまして」


 そう言うと、静かにドアを閉める。

 実際のところ、あたし自身よく起きれたな、よく動けたなとは思う。


 偶然か?はたまた何かしらの必然か?

 あたしにはわからないが、この際どうだっていい。


「ほほぉ。いい心がけだね!で、今日はどうする?」


「えっと、今日は調子に乗って、卵焼きと目玉焼き両方もらっていいですか?」


「いいよ!ちょっと待ってな!」



 ただテーブルで待っているのも暇なので、今日はひょっこりと厨房を覗いてみることにする。


 よくよく思い返してみると、おっちゃんが作ってくれているところを見るのは初めてだったりした。


「なんか、改めてですけど毎日朝早くからありがとうございました。それに⋯⋯」


 染み染みと語り始めるあたし。


「朝っぱらからそんなしみったれた話してもしょうがねぇだろ。ワシはワシでそれで金貰ってんだから、気にすんな!気にすんな!」


 そう言いながら、満面の笑みを返してくれる。


「あのー。よかったら、一緒に食べませんか?あたしが言うのもなんですけど、一人分作るのも二人分作るのもそんな変わりませんよね?」


「んん?まぁ⋯⋯そうだな。食材勝手に使っちゃいけねぇんだけど、これでだし知ったこっちゃねぇか!」



 僅か10分足らずだが、親ほど離れた男女による最初で最後の静かな食事会が始まる。


 これと言って会話があるわけではない。

 あたしは、最後の食事を出来るだけゆっくり味わって食した。


「ごちそうさまでした。今まで7ヶ月間ありがとうございました。毎日、おいしかったです」


「こちらこそ、毎日完食してくれてありがとう」


「いえ。それは、少ない時間でも食べ切れる量を毎日調整してくれてるからですよ!あたし、知ってますよ」


 ニヤッと笑みを作る、あたし。


「そっか。まぁ、一応、これでもプロだからね」


 おっちゃんは、はにかんだ笑顔で答えた。



 ふっと、壁にかけられた時計を見る。


AM7:40



「まだ時間ありそうなんで、1本だけタバコ吸ってきます」


「おっ!ワシもご一緒していいかい?ってか、サキちゃん19歳じゃなかったか?」


「それは、言いっこなしです!」


 あたしは、「シーっ」と口元に人差し指を立てた。




「おっ!気がきくね!ありがとう」


 あたしは、スッとライターを取り出すと火を付けてあげた。


 入口の段差に静かに腰掛けるあたし達。


 何気なく空を見上げると、そこには雲一つない秋晴れが広がっていた。


 ゆらゆらと昇る二本の煙。


 それらは、朝陽に照らされるとキラキラと眩いばかりに輝きはじめる。



 おっちゃんが静かに口を開く。


「ワシにも娘がいてな。サキちゃんよりちょっと年下かな。今、高校生でね。思春期ってのはどうもいけねぇ。何をしたってわけでもねえんだが、今じゃロクにお互い話もしない。本当は、こうして娘とも話がしたいんだがねぇ」


 そう溢すと、降り注ぐ光にフーっと煙を吹きかける。


 おっちゃんの、身の上話を聞くのは初めてだった。

 まぁ、そもそもそんな時間が毎日なかったのだが⋯⋯。



「深く干渉はしない。けど、きちんと見てはいる。今は、そのくらいの距離感でいいんじゃないかな。あたしの父はそうでした。いつも、「ふ~ん」とか、「そうか」ぐらいしか言わないんですけど、あたしが何かやらかしそうになった時、気づくと大体近くにいてくれてるんです。それに、大体見抜かれてる。けど、決して詮索はしてこない」


 あたしは、目を合わすことなく、そう呟く。


 脳裏には、ある日の夜中の滑り台での出来事、仁王立ちで立つ父が浮かんでいた。


「⋯⋯見守りか」


「もう暫くすれば、また話してくれる様になりますよ!だいたいみんな、社会人になると途端に距離縮めてきますからっ!」


「もし、何か繋がりが欲しいなら、明日から娘さんにお弁当を作ってあげたらどうですか?今までは、あたしがその時間を邪魔してしまっていたので」


 ふっと、おっちゃんの顔を見る。


「邪魔なんて言わなくていいんだよ!これも、仕事なんだから。しっかし、そうだなぁ。まぁ、食べてくれるかはわかんねぇけど、提案はしてみるよ!」


 そう言うと、決心⋯⋯いや何か覚悟を決めたかのようにタバコをグシャっともみ消した。


「じゃ~、そろそろ行きますね」


 あたしは、そう言うとすっくと立ち上がる。


「あぁ、時間か。ごめん!ごめん!これからも、いろいろあると思うけど、頑張ってな!」


「はい。今まで毎日、ありがとうございました。ごちそうさまでした!」


「こちらこそ、毎日楽しい朝をありがとう!」


 私は全力の笑顔で返すと、会社へと歩みを進める。


 ふっと振り返ると


「いってらっしゃい!頑張ってなぁーー!」


 おっちゃんは、スッと立ち上がるといつものような大きな声と共に手を振ってくれた。


「はいっ!いってきま~すっ!!」


 あたしはそれに応えるように大きく手を振って答えた。




〈10月31日同日 PM12:07 食堂にて〉


「あれ?いつもの声のデカいおじさんは?」


 あたしの並ぶ列の少し前でその様な声が聞こえてくる。

 その先でランチの受け渡しをしている食堂のおばちゃんがそれに答える形で反応した。


「えっ?あ~、あの人は昨日で退職したけど。まぁ、正確に言うと退職日は月末の今日までなんだけどねぇ。ただ、なんか元々、今日は希望休だったみたいでねぇ。だから実質昨日が最終日だったのよ。全く、急な話さ」



(⋯⋯えっ?退職?どういう⋯⋯こと?)



「えぇ??あの人辞めちゃったの?」


「⋯⋯辞めたというか、辞めさせられたというか⋯⋯。事故の影響はしっかりこっちにもきてるって事さ、まったく」



 あたしは、半ば混乱しながらも列を無視して突っかかった。


「辞めさせられたって、どういう事ですか?」


 食堂のおばちゃんは、少々驚いた様子を見せるものの事情を少しばかり説明してくれた。


「まぁ、私も詳しい事は知らないんだけどね。

なんか、朝食作業も無くなったって事で、これからは私達みたいな時給で雇われてるパートだけで回す事になったみたいよ。

あの人は、パートじゃなかったからねぇ。

要は人件費削減ってことなんじゃないかい?」



(はっ?いや⋯⋯、だ⋯⋯だって、今日も朝⋯⋯いたよ。あたし、話したもん。えっ?ちょっと⋯⋯なに?⋯⋯から?⋯⋯はぁ?)


 一つの答えが脳裏に浮かぶ。

 だが、認めるのが恐くて怖くて必死にそれを消し去ろうとする自分がそこにいた。


 おばちゃんが言っている事が正しいなら、おっちゃんは休日なのにも関わらず、最終日の今日まであたしの為に出てきてくれていた事になる。

 しかも、それは恐らく無給だろう。



『これでだし知ったこっちゃねぇか!』



(そう言う⋯⋯意味だったんだ)



 あたしは、昼はこれからも今まで通り会えるって、ただ単に朝の負担が無くなるだけだって、勝手に思い込んでいた。


 しかし、現実は違っていた。


 辞めさせる為に、会社はあたしが邪魔だった。

 そう言うことだった。


「ところで、お姉ちゃんは今日なんにする?」


 気づくとあたしの順番になっていた。

 後ろを振り返ると、続々と順番待ちが増えている。


「えっ?あ⋯⋯、ごめんなさい。やっぱり、今日はいいです」


 あたしは、列から離れると無意識の内に寮の自室に戻っていた。


 ここ数日の事を思い返してみる。


『会社としては、少しでも経費を抑えていきたい。言っている意味わかりますか?』


『「⋯⋯朝ごはん、なんか打ち切りにされてしまいました」

「そうみたいだね」

おっちゃんは、静かにそう呟く。


「あいよ。なんか、寂しくなるなぁ」』





(あたしの選択次第で、おっちゃんの進退が決まっていたってこと?)


 あたしが、負けなければ⋯⋯必要性を押し通せていれば、おっちゃんは職を失わずに済んでいたのかもしれない。


 打ち切りになったのは朝食だけではなかったのだった。


 どう表現していいかわからない感情を抱えつつ、一先ずあたしは会社に戻る事にした。





〈帰宅後、寮内自室にて〉



「⋯⋯あたしのせいだ。


ごめんなさい⋯⋯」



 部屋に戻ると、全身の力が抜け落ち膝から崩れ落ちた。

 押さえつけていた感情が涙と共に一気に溢れ出す。



(けど、そんなことって⋯⋯そんなやり方、ひど過ぎる⋯⋯)


 怒りなのか⋯⋯

 悔しさなのか⋯⋯

 情けなさなのか⋯⋯

 はたまた、悲しいのか⋯⋯。


 もう、どの感情が正しいのかわからない。


 気づくと、あたしは両腕をダラリと垂らしフラフラと廊下を徘徊していた。

 何故かはあたしにもわからない。

 焦点の合わない瞳が更に気持ち悪さを掻き立てる。

 側から見たら、きっとゾンビの様だっただろう。


 そして、しばらくすると自室とは違う部屋のドアの前に立っていた。


ガン!

⋯⋯ガン!


 ドアへ倒れる様に何度も頭を打ち付けるあたし。


「は~い」


 ドアが開くと、打ち付ける勢いそのままに倒れ込んだ。


「ちょっちょっちょっ、なに?なに?」


 抱えてくれたのは純奈さんだった。


「あたし⋯⋯食堂のおっちゃんクビにしちゃった」


「はぁ?何言ってんの?あんた」


 口ではそう言うものの、散々に泣き腫らしたあたしの顔を見て、さぞかし驚いたようだ。


「なになになに?まぁ、いいからちょっと入んなよ」




 あたしは、事のいきさつをゆっくりと説明する。

 混乱している頭でどこまで伝わったかはわからないが⋯⋯。


「ねぇ。あんたの話聞く限りそれ、あんたのせいじゃないと思うよ」


(⋯⋯えっ?)


「なんで?だって、あたし⋯⋯」


「ちょっと、落ち着きなって。つまりさぁ⋯⋯」


 純奈さんの見立てはこうだった。


・おっちゃんの朝食のメニュー自由化は、サキが事務課長に会う前から始まった。


・パンの自販機設置が異様に早すぎる点


・課長自らが出てきて、強権を振るってきたのが何よりの証拠


これらを繋ぎ合わせると⋯⋯


「いい?聞いて。

恐らく、食堂のおじさんは、10日程前には会社側から通達されていたんだと思う。

だから、この少ない期間にあんたに何かしてあげれないか考えたんじゃないかなぁ?

そして、自販機の件。

あんたの話聞く限り、いくら何でも設置までが早すぎる。自販機の設置は、あんたのYES NO関係なしに随分前からの決定事項だったんだと思うよ。

そして、設置の日にちまでに、あんたと話をつける。

朝食をやめさせるための口実に使えるように。

「貴方のために設置します」ってね。

もしくは、設置日までにあんたから朝食廃止の確約を貰わないと都合が悪い何かがあったか?

裏では、寮生の朝食廃止が設置の条件だったとか?

その証拠に事務課長自ら出てきて、1対1で強権を振るった。

業務に支障をきたすと変に噂が広まると恐れてか、わざわざ寮まで来てあんたの休憩時間を奪ってまで!

こんな話、本来事務課のリーダーか主任が出てくればいい話なんだよ。

こんなのある意味パワハラだよ。

最初から、出来レースだったんだよ。

だから、あんたのせいじゃない!

あんたには、どうする事もできなかった。

むしろ、あんたのおかげで笑顔で最終日今日を終えれたんじゃないの?

あんたに、そんな顔してほしくなかったから最後まで言わなかったんじゃないの?

違う?」


 負の十字架を下ろせた安堵感か。

 はたまた、もっと何か出来たんじゃないかという悔しさか。

 それとも⋯⋯。

 グチャグチャの感情の中、あたしは再び全身の力が抜けていった。


「ぅうああああぁあああぁぁあ」


 泣き崩れる中、脳裏に一つの言葉が思い出される。



『頑張ってなっ』



 いつもは、「いってらっしゃい」だけなのに、今日は⋯⋯最後に、「頑張ってなっ」 と、言ってくれた。



 そう。

 何であれ、あたしはこれからもこの会社ここでやっていかなければいけない。



 済んだ事。

 終わったこと。

 切り替えていかなければいけない。

 わかってはいるが⋯⋯。


(ごめん。おっちゃん、もう少しだけ時間頂戴。絶対、立ち直るから⋯⋯)




 社会人になって7ヶ月。

 19歳の女子にこの仕打ちはなかなかに応えるものだった。


 おっちゃんを失った。

 その事実は変わらない。


 しかし、あたしにとって失ったものは実はそれだけには留まらない。


 体を目覚めさせる為の有効な手段。


・陽の光を浴びる時間

・朝食を食べる

・人と話す


 そのすべてのルーティンを失ったことになる。


 そして何より大きいのは、迷惑をかけられる対象を失ったこと。


 つまり、今までは仕事に遅刻していなかった分、朝食に遅刻をしおっちゃんに少なからず迷惑をかけていた。


 実家暮らしの時は、その対象が親へと変わる。


 その分、学校への遅刻は最低限に済んでいた。


 他人は、これを "甘え" と言うのかもしれない。



 しかし、これを機に、あたしの社会人生活は日に日に地に落ち、抜け出せないドロ沼へと落ちていくことになる。

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「眠らない世界、なくした夢:特発性過眠症のちいさな冒険」 巴崎サキ(ハザキサキ) @saki_hazaki

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