第5話 尾行
表向きは野茨の意思を尊重することで落着と思われたが、岬、柏原の二人は野茨の不倫をぶっ壊すことを諦めたわけではなかった。
これが高校生活最後のムチャと言わんばかりに野茨を尾行して相手の男の顔を見てやろうと計画をした。
丹羽所も誘ったが、
「私はパス。葉月を尾行して相手の男の顔を確かめるなんて悪趣味すぎる」
「じゃあケーサツや探偵も悪趣味になるよ?」
柏原が子供みたいなヘ理屈を口にした。
「あれは仕事だから」
そう言うだろうという当然の答えを返した。
「山萌頼むよ〜」
「ていうか葉月のことはもう済んだんじゃないの?」
「ここからはただの好奇心」
「私はパス」
「そのパスは受け取れない」柏原はかわすフリをした。
「スルーパスだからフーちゃん受け取れ」
「え? わたしに来ると思わなかった。取れない! ピッ、ラインアウト!」
「スローイン、フーちゃん受け取れ」
「イヤちょっと待って。山萌のスルーパスがラインアウトしたってことはスローインは相手側のほうじゃん。ハッハッ山萌ちゃんの負け〜」
柏原のツッコミを受け、丹羽所は、
「ワケわからん」
とため息を吐き、諦めて二人に付き合うことにした。
当然のことながら制服では目立つので山萌が葉月の監視役として学校に残り、岬と柏原が私服に着替えるため一度帰宅した。
岬は私服に着替え、柏原は山萌のために自前の私服を持ってきた。山萌がトイレの個室で着替えると準備万端整った。真冬下での監視になるため、ぶくぶく着ぶくれするほどのダウンコート、その下にマフラー二重巻き、厚いモコモコの手袋等、カイロも用意しての防寒最強装備だった。
三人は窓から校門の見えるポイントで葉月が出てくるのをじっと待った。その時間に飽き飽きしてきたのか、むらさきがスマホを取り出したのを見て岬がひょいと取り上げた。
「今はダメ」
「えーひどーい。監視していることをバレないようにスマホをいじるフリしてただけなのにー」
山萌が笑った。
「アンタよくそんな減らず口叩けるねー」
ブラスバンドの演奏する音楽がきこえてくる。うまいね〜うちのブラバン有名らしいから〜青春ってカンジだね〜今こうして退屈そうに校門見てるわたしたちも青春っぽく見えるのかな〜明るい青春暗い青春どっちだろ〜。
そろそろ日の入りという頃、葉月の姿が見えた。
「よし行こう!」
三人は廊下を猛ダッシュして玄関口に行った。すぐにブーツに履き替える。葉月は繁華街の方へ向かった。歩行者のほとんどが同じ方向へ流れているので尾行はそれほど難しくなかった。
普通の女子高生が後ろを振り返って尾行を確かめる理由もない。葉月の歩くスピードに合わせて歩いた。やるときは徹底的に掘り下げる完璧主義の山萌の助言で、念のためバラバラに散って後を尾けることにした。
山萌はビル群の照明とは違う厚化粧のように飾りすぎたネオンの輝く界隈に入っていった。
「ここって…」岬がきょろきょろした。
「ラブホじゃん」
「やっぱりそうなんだ」
山萌は微妙なニュアンスの含む言い方をした。ここがラブホ街ということと、やっぱり葉月はここで不倫の男性と…。
「なんかコーフンしてきちゃった」
柏原がわざとらしく両手にほおに添えてぶりっ子ポーズみたいなものをした。
「その言い方アイドルになりたい女子としてはまずいと思う」岬がツッコンだ。
「だね」と山萌。
「わたしぶりっ子キャラになりたいから裏の顔は内緒ね」
「わかったわかった」呆れながら岬はテキトーに相槌を打った。
ラブホ街に入ったら急に人通りが途絶え、葉月に見つかる可能性が高まった。三人はそれぞれ散った。葉月と適切な距離を取りつつラブホの入り口の前で一度止まったり建物の陰に隠れたり。とりあえず葉月を見失わないように、彼女がやはりラブホに入っていくのか、入るとしたらどのラブホに入るのか。そこが判明しなければ尾行した意味がまったくない。
「あ」
慣れた足取りで葉月がラブホに入っていった。岬が葉月の入ったラブホを見つけ指をさした。ジャスチャーで『あそこあそこ』と二人に訴える。二人は親指を立てて『了解』の合図をした。葉月がためらうこともなくすーっと入っていったことに現実感がなかった。
『慣れてる…』
岬はぽかんとして入り口を見た。
入り口の両端には神殿にありそうな円柱の柱、その隣には二体のスフィンクスを模したような像、ガラス張りのドアの向こう側にはツタンカーメンの黄金のマスクみたいなものも見える。
なにかコンセプトがあるのだろうか。
エジプト文明……すなわちエキゾチックな。非日常的な空間に見える。岬には近寄りがたいオーラが感じられた。
三方向から監視していたが、相手の男らしき人物が入っていくことはなかった。長く居座り続けていると非常に罰が悪かった。カップルで入っていく人や通りすぎていった男女を見て、人にはそれぞれの恋愛事情みたいなものがあることを初めて知った。
かっちりとスーツを着たサラリーマンらしき男と東南アジア系の少女、岬の父と同年代くらいの男と制服を見た女子高生、でっぷり太った金持ちそうな男とモデルみたいなスタイルの長身の女、岬の母と同年代くらいの女と若いイケメンふうの男、高校生のカップルや高齢の男女もいた。
岬をちらちら不審そうに見て、彼らは古代エジプトの世界に入っていった。一人で来る男性がいなかったので、もしかしたら男が先に入って待っていたのかもしれない。出てくる時はどうだろう。二人で出てくるだろうか。出てきたとしたら、その時がチャンスだ。
しばらく待ってもこないので、柏原はともかくとして丹羽所もスマホをいじり始めた。メッセージがくる。
『熱い缶コーヒーでも買ってこようか?』むらさきである。
『買ってくる間に出てきたらマズイから却下』岬はバッサリ切った。
『でもさー刑事ドラマとかでこういう監視シーンの時によく缶コーヒー飲んでんじゃん』
『喫茶店に行って飲みなさい』山萌もバッサリ切った。
岬はSNSで『ちゃんと集中しろ』というメッセージを両者に送った。二人はスマホをしまい、監視を継続した。
監視を始めてから一時間半、誰一人として退店する者はいなかった。あと三十分経って二人が出てこなかったら帰ろうという話になった。もう十八時半だった。
十八時五十分頃、エントランスに葉月が現れた。そそくさと外へ出てくる。見つかった。
「えーなんでここにフーちゃんがいるのー」
「ワープする先、間違えちゃった。てへへ」
カワイらしく舌を出してごまかしてみるものの岬はそういうぶりっ子キャラではないし、とっさにしてもワープはちょっとふざけすぎている。
「むらさきと山萌もいるんでしょ! 出てきなさい!」
「はーい」と言って怒られた子供みたいに二人が出てくる。
「理由を説明して!」
「理由〜?」開き直ったようにむらさきが言った。「決まってんじゃーん。まさかラブホの設備点検しに来たわけないでしょうが。アンタを尾行していたの。どんなヤツと付き合ってるのか。悪いヤツにダマされていないのか」
「そのことなら大丈夫。もう別れちゃったから」
とんでもないことをけろっとして言ってのけた。
三人は魚みたいに薄く口を開けたまま顔を見合わせた。今までの自分たちのあの熱弁はどうなったのかと。そんなあっさり言ってくれちゃって。
「とりあえずあの人が出てくるといけないからこっちきて」
葉月の先導でラブホ街を出ると近くにあったカフェに入った。軽食付きのコーヒーを注文する。
「さて」岬が腕を組んで問い詰めた。「葉月なんでいきなり別れることになったの?」
「別れてほしくなかったの?」
「そういう問題じゃない」
「どういう問題?」
「葉月わかってるくせにフザケないで」山萌が言った。
「ヤダー山萌怖いッテーブル叩かないで!」
「いや叩いてねーし」
「わかったわ。マジメに答えるね。とりあえず今日はこの前のみんながくれた助言を参考にして受験勉強、試験が終わるまではしばらく会わないことにしましょうってカレに告げたの。そしたらさ、ダメだそんなのはダメだ、君とそんなに長く会えないのは僕には耐えられないっていうわけ。でもわたし受験生なんだよ? 今がいちばん人生で勉強しないといけない時期。アナタも大学で講師やってるなら、勉強がいかに大切かわかっているでしょう? って。それなのにさーそれとこれとは話が別だとか君がいないと耐えられないとか言って子供がママにするみたいに必死に抱きついてきたの。…それを見てわたし、あー見る目なかったなーって失望したのよ。だって、まっとうなオトナなら受験生が勉強するって言っているのに、応援してくれるならまだしもすがりつくなんてことしないでしょ」
「だから別れた?」ゆっくり噛みしめるようにむらさきが確かめた。
「うん」
「エラい! アンタ最高だ! …ていうか安心した〜葉月が戻ってきてくれてよかった〜」
二人は人目もはばからずハグを交わした。
「まさかこういう結末になるとはね」
山萌が呆れたような冷静のような調子で言った。
三人の本来の計画では、不倫男と葉月が同時に出てきたところで三人一斉にカメラのフラッシュをたいて不倫現場を押さえるつもりだった。そしてその写真を不倫男に突きつけて、葉月と別れないとこの写真を大学の校舎にばらまくとか奥さんに送りつけるとか、そういう危ない橋を渡ろうとしていたのだ。
「今だから言えるけど、不倫男が葉月の受験を応援するようなオトナじゃなくてよかったね」
「そうだね。今だから言える」
「だけど応援できるオトナだったらどうなってたんだろうね」
「さあそのまま続いていたんじゃない?」
岬はそれでも別にかまわないと思っている。応援できるオトナだったら付き合っていて葉月にもきっとプラスになるかもしれないからだ。不倫という倫理的に難しい立場にいるとしても葉月が全力で一人の男を愛したことは岬もまだ知らない世界のことであり、きっと素晴らしい価値観なのだろう。たとえそのことで葉月がいずれ傷つくことになったとしても糧にすればいい。糧に出来なければ、それだけの女だったということだ。
わたしたちはそれぞれ別個の人間である。幼なじみから始まって高校の今までいくら楽しくワイワイやっていても、いずれは必ず別々の道へ進んでいく。新しい友達だってできるだろう。もしかしたらその人こそが誰かのいちばん親友になるかもしれないし、カレシにもなるかもしれない。
冷たい言い方かもしれないが、オリンピック選手のように必ずどこかで差がつきどんどん登っていく人と下がっていく人だって出てくると思う。あるいはまったく差のつかない最適な人生へと平均化されていくこともあるだろう。
どちらかというと後者が望ましいが、山萌なんかはもう多分一人だけ辛い坂道を登っている思う。あの子はもう意識している。いずれ差がついてしまうことを。彼女は待ってくれない。彼女に追いつかなければ。残りの三人で。
(了)
小学校からの友達 早起ハヤネ @hayaoki-hayane
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