エピローグ
第22話
四日後。
王立学院卒業式の日。
早朝から神殿にて始まった聖女最終試験において、サーラは見事、妖精王の卵と魔力を共鳴させて幼体を孵すことに成功した。
そして、王族や宰相らの立ち会う卒業式の場で、次の聖女に任命された。
卒業後は王宮に居を移し、半年間の修行と、現聖女(王妃)からの引き継ぎを行う予定である。
聖女には、話し相手兼、秘書兼、お目付け役である「側近」が一名、付くことが定められている。
その側近に任命されたのが、なんと、私ことディアンヌ。
新聖女サーラ直々の指名だった。
これは、『マギクロ』のディアンヌEDのシナリオと同じ。
二年間の聖女試験を経て、切磋琢磨するライバルであり腹心の友となったサーラとディアンヌ。
二人は互いに励まし合い、生涯、王国のために尽力するという筋書き。
願わくば、ゲームでこの感動を味わいたかった。
ディアンヌEDのスチルが最高に美麗だって、攻略サイトの掲示板に書き込まれていたのよね。
前の人生の最大の心残りは、『マギクロ』のスチルをコンプできなかったことだわ。
「ディアンヌ・モーリス。前へ」
学院長から名前を呼ばれた私は、寝不足でふらふらの身体に鞭を打って立ち上がり、壇上へ進み出て全生徒の前で堂々と挨拶を述べた。
十六歳のゲームキャラの肉体でも、さすがに二徹はつらい。眠い。
卒論が完成したのは、ついさっき。
卒業式の直前に学院長室へ駆け込んで提出して、晴れて正式に退学を撤回され、卒業式出席の許可が下りた。
交替で手伝ってくれたベルナルドとシャルルには頭が上がらない。
それから、アランも。サーラの代理という名目で手助けをしてくれた。
日を改めて、皆にお礼をしたい。
でも、今はまず帰って寝たい。十時間は寝たい。
寝たいのだけど……、
「ディアンヌ、まるで死霊みたいな顔になってるわよ」
学院から王宮へ移動する馬車の中。
フラヴィは恐ろしいものでも見たような表情で、私の顔を覗き込む。
「卒論という名の悪魔に殺されかけたのですわ……」
「ご苦労様。これも報いだと思いなさいな。数々の悪事が卒論の追加くらいで許してもらえるなら、安いものよ」
たしかに正論だけれど、報いを受けるのが転生した「私」なのが、少々納得がいかない。
「でも、おかげでこれからもずっと一緒にいられるわ」
本来なら、聖女候補から脱落した時点で、妖精王から派遣されていたフラヴィは妖精の森へと帰還するはずだった。
ゲームのシナリオと同じく、「せめて、サーラの最終試験が終わるまではディアンヌのそばにいさせてほしい」と、フラヴィが妖精王に直談判したことで、一緒の時間を過ごすことが許されていた。
「がんばってくれてありがとう、ディアンヌ」
「どういたしまして。これからも、よろしくお願いしますわね」
鼻先で笑いかけてくるフラヴィに、私も微笑み返した。
馬車は緑の小高い丘を昇り、白亜の王宮を目指す。
先に王宮へ向かったサーラと合流し、新聖女と側近となる挨拶をするために国王と王妃に謁見するのだ。
「王宮へ行くのは、百年ぶりくらいかな」
私とフラヴィ以外、誰もいないはずの馬車の中で、男の人の声がした。
いつの間にか、短い白髪に丸眼鏡の、赤い瞳の青年が、私の隣で小窓から外の景色を眺めていた。
今日は、王国騎士団の青色の制服に身を包んでいる。
「いきなり姿を現すのはやめてくださらない? 心臓に悪いですわ」
「これは失礼、ディアンヌ嬢」
宮廷騎士然とした凛々しい笑みを浮かべて、死神は言った。
「うう……、翅がビリビリするわ」
妖精は死神の気配と相性が悪いようで、フラヴィは私の髪の中に隠れてしまった。
「ごめんね、妖精のお嬢さん。そのうち慣れるよ」
「慣れないわよ!」
髪の毛の中で、フラヴィは火のついた花火のように叫んだ。頭に響くわ。
けれど、彼の言うことも一理あるのよね。
「今日は、王宮でキミの料理が味わえるのかな?」
「残念ながら、今日は謁見が終わりましたらすぐ屋敷へ帰って寝ますの。丸二日、寝ていないもので」
「それは残念。キミの料理を食べている時は、妖精たちを怯えさせずに済むんだけどな」
そうなのだ。
死神が妖精に近付くと、翅が切り裂かれるような痛みを覚えるらしいのだけれど、人間の食べもの(というか、私の料理?)を口にすると、しばらくの間は、死神の持つ禍々しい気配が和らぐのだそう。
どのような仕組みなのかは、まったくわからない。
ここ数日で、死神に毎日手料理をふるまっているうちに、フラヴィが発見したのだ。
卒論の作業で忙殺されていたにもかかわらず、毎日、死神のごはんをこしらえていたのには理由がある。
サーラを救うため。
彼が、サーラから手を引くのとひきかえに提示した条件。
『人間の食事について研究したいから、気が向いた時に何か作って』
それはあまりに、ざっくりとした条件だった。
先日、学食でふるまった料理。はじめは味覚を理解していないせいで戸惑っていたけれど、そこそこ気に入った様子だった。
加えて、「誰かと一緒に食べること」で食べた時の心地が変わることを、彼は自然と察したみたい。
死神は屋敷の使用人を装って、一日に一度、まかないを食べにやってきた。
学院に生徒として溶け込んだ時と同じく、屋敷の誰も、彼の存在を訝しむことなく受け入れていた。
ただ、誰も彼の名前を知らないし、尋ねようともしない。
死神いわく、「必要がないから」なのだそう。
「ゆっくり眠りたくなったら、いつでもボクを呼ぶといい。『箱庭』が、快適な眠りを提供するよ」
「遠慮しますわ。二度とこちらの世界へ戻れない気がしますもの」
少々の棘を含ませて言うと、騎士姿の死神は肩をすくめた。
「キミは大丈夫だよ。『箱庭』に捕らわれることは、おそらくないだろう。それから、彼女……サーラもね」
「それは……?」
死神の歪んだ「食欲」によって、サーラの心は「闇の箱庭世界」へ引きずり込まれる寸前まで追いつめられていたはず。
「彼女の心は、『箱庭』の入口まで引き寄せられていた。でも、ギリギリのところで踏みとどまっていたのさ」
丸眼鏡の奥で、サクランボのように鮮やかな赤の瞳が輝く。
「彼女を引きとめていたのは、キミの料理なんじゃないかって、思ったんだ」
ガラガラと音をたてて進む馬車が、城門をくぐった。
「それは、買いかぶりというものですわよ」
一度はまったら抜け出せない、底なし沼のような死神ルートが、私の料理くらいで回避できるなんて、都合が良すぎないかしら。
「感じ方は自由さ」
そう言うと、死神は「またね」と姿を消した。
ぼんやりしている間に、馬車は王城の前で停まった。
「ディアンヌ様!」
馬車の扉を開けて出迎えてくれたのは、お城の使用人ではなく、隣国の王子ベルナルドだった。
「ごきげんよう、ベルナルド様。どうなさいましたの?」
「ディアンヌ様がおいでになると聞いて、飛んできました」
小柄でまだ幼い王子は、優雅な所作で手を差し伸べる。
「あなたの手を取るのは、ぼくだけでありたいから」
「まあ、お上手」
私は喜んでベルナルドの手を取り、馬車を降りた。
彼に導かれて、城の大扉をくぐる。
「アラン様とサーラ、無事に婚約が決まってよかったですわね」
「はい。弟のぼくも一安心です」
待機のための応接間へ案内されるかと思ってついて行くと、そこは中庭へ続く回廊だった。
午後の陽光に照らされた緑と、色の濃い花々がまぶしい。
私の一歩前を進むベルナルドの濃い金髪は、地上に照り輝く太陽のよう。
「ベルナルド様。わたくし、今日は国王陛下に謁見を……」
「わかっています。陛下からお許しはいただいています」
私たちの他に、人はいない。
フラヴィは、私の髪の中に隠れて、いないふりをしている。
「ディアンヌ様は、聖女の側近になられるんですね」
「ええ。サーラたっての希望で」
「兄上は、祖国の王位継承権を手放して、こちらの国で聖女の夫となり、爵位を与えられます」
「ええ」
「だから、ぼくが……祖国の王位を継ぎます」
「ベルナルド様の才覚でしたら、素晴らしい国王様になれますわ」
私がそう言うと、ベルナルドは苦しげに眉根を寄せて、顔をうつむけた。
「聖女の側近は……、生涯のお勤めだと聞きました」
「わたくしは、そのつもりですわ」
木々にとまる小鳥が高らかにさえずる。
「もしも、ぼくが……あなたに、側近の地位を諦めて一緒に祖国へ来てほしいと言ったら……どうしますか?」
ベルナルドは、拳を震わせていた。
彼は、本気で、心の底からディアンヌを想っているのだ。
私は深呼吸をして、「ディアンヌ」なら何と言うか考えた。
そして、言葉を紡いだ。
「申しわけございません。とても嬉しいお話なのですが、わたくしには聖女を支えるという使命がありますので」
凛とした声が回廊に響き渡った。
ベルナルドは、うつむけていた顔を上げ、涙をこらえるように微笑んだ。頬が赤い。
「ディアンヌ様ならきっと、そうおっしゃると思いました」
「…………っ」
胸の奥が、引き絞られるように痛い。
これはきっと、「私」の中の「ディアンヌ」の心の痛み。
「ぼくは、凛として……意志がお強い、そんなディアンヌ様が好きなんです」
「ベルナルド様……」
彼の両手が、私の両手を優しく包み込む。
身体は小柄でも、手は私と同じか、それより少し大きい。
「ディアンヌ様、どうか、この国で末永く幸せに過ごしてくださいね」
ベルナルドが手を離し、その場を立ち去ろうとした時だった。
「待って!!」
ベルを鳴らしたように軽やかな声。
小走りで駆けてきたのは、ピンク色の可愛らしいドレスに身を包んだサーラだった。
「サーラ?」
「どうなさいましたの? そんなに慌てて」
「あのね、ディアンヌ……ベルナルド様」
サーラは胸に手を当てて呼吸を整える。
「こちらの国の妖精王と、お隣の国の精霊王が……『道』をつなげてくださるって」
「どういうことですの?」
この国の民が妖精と共存しているように、アランとベルナルドの祖国には精霊が棲んでいる。
妖精はフラヴィたちのように実体を持っているのに対して、精霊は自然界に棲む霊体のような存在で、普通の人間には視認が難しい。
「あのね、わたしはディアンヌとずっと一緒にいたい。でも、ベルナルド様も、同じくらいディアンヌが大事で、一緒にいたいと思ってるんじゃないかって、それで……」
「心外。きみと一緒なわけないだろ。ぼくは、きみの一億倍はディアンヌ様のことが好きだよ」
「うわ、重い」
私の髪の中で、フラヴィが心底引いたような声をあげた。
サーラは気にせず続ける。
「だから、考えたの。ディアンヌが、聖女の側近をしながら、ベルナルド様と一緒にいられる方法」
「つまり、ぼくたちの祖国から『道』を使って、こちらの国へ通うってこと?」
「そう!」
妖精王と精霊王の力を駆使すれば、空間をゆがめて、果てのない距離も縮めることができるのだそう。
「ものすごくスケールの大きい長距離通勤ですわね……」
サーラの突飛な発想力には脱帽だわ。
「どうかしら……? だめ?」
妖精王と対面できる神殿からこの回廊まで全速力で駆けてきたらしいサーラは、頬を真っ赤にして、胡桃色の瞳を潤ませてこちらを見上げた。可愛い。
「ディアンヌ様」
ベルナルドは、ふたたびこちらへ向き直った。
あどけない顔を凛々しく引き締め、手を差し伸べる。
「ぼくの国へ、結婚を前提に……来てくださいますか?」
「ベルナルド様……」
私は、吸い寄せられるように彼の手を取ろうとした。
互いの指先が近づく。
そこで、ふと、ひらめいてしまった。
「ディアンヌ」だったら、こう言うんじゃないかしら、と。
「生ぬるいですわ」
「「「え???」」」
ベルナルド、サーラ、フラヴィの声が重なる。
「そのような小手先の手段、わたくしの肌には合いませんわ。いっそのこと、ふたつの国をひとつにするくらいの気概があってもよろしいのではなくて?」
私は、青緑色の巻き毛を肩の上でバサリと払い、尖った顎を反らしてエメラルド色の目を細めた。
「く、国をひとつにって、ディアンヌ様……?」と、
「侵略じゃないの」と、呆れるフラヴィ。
「ふたつの国が合わさったら、聖女のわたしは二国分の守護をすることになるのかしら?」と、意外にも冷静なサーラ。
……ちょっと冗談が過ぎたかしら。
しばらくしたら、ちゃんと訂正して謝るわよ?
「あのですね、ベルナルド様……」
転生した乙女ゲームの世界。
破滅の道を進みそうになりつつも、なんとかたどり着いたハッピーエンド。
私がこれから生きていくのは、ゲームのシナリオにはない、エンディングのその先。
もしかしたら、ゲームの開発チームさえも知らない、新たな破滅ルートが待ち構えているかもしれない。
その時はまた、
おいしいごはんは、人を幸せにする力を秘めているのだもの。
―おわり―
悪役令嬢のスペシャリテ ~破滅エンドは胃袋で回避いたします!~ 高見 雛 @hinahina_tkm
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