第21話

 死神がパンプディングを一切れ、口に含んだ。


 咀嚼し、飲み込み、顔を上げる。

 鮮血の色をした切れ長の双眸が、こちらを見た。


 数拍の沈黙。


「あの」


 お味はいかがかしら、と問いかけようとした瞬間、私の視界は真っ黒――闇の色に塗りつぶされた。





「…………え?」


 そこは、あきらかに学生食堂とは異なる場所だった。

 空が低い。

 月のない漆黒の空には、青白い星がまばらに瞬いていた。


 地面とも床ともつかない足元も、黒。よく見れば、それは御影石みかげいしのようなものを敷き詰めた石畳だった。

 正面にはどこまでも続きそうな深い森、左右には手入れの行き届いた花壇。

 砂色の煉瓦で仕切られた花壇には、月明かりのような銀色に輝く花々が咲き誇っていた。


「きれい……」


 私は思わずため息をついた。

 足元の花壇を彩る銀の光の花々は、蛍を大きくしたような、まんまるな形をしている。

 さながら、妖精が発光しているみたいな。


 ……妖精?


 私は、ふと自分の髪の毛や肩に手を触れて、いつも一緒にいる相棒の妖精を探した。

「フラヴィ……?」

 たった今まで、すぐそばにいたはずなのに。


 あらためて周囲を見渡すと、サーラもベルナルドも、学食でお昼を楽しんでいたはずの学生たちも、誰一人としていない。


「ようこそ、ディアンヌ。ボクの領域テリトリーへ」


 聴く者を惹きつけるような、不思議な響きを持った声。

 私は、反射的に身体ごと振り返った。


 小さいながらに瀟洒な石造りの屋敷を背景に、純白の長髪をなびかせて、闇色の燕尾服タキシードを身に纏った、細身で背の高い青年。

 死神の手には、細い三日月のような銀色の大鎌が握られていた。

「ここを知る数少ない人間は、『闇の箱庭世界』と呼んでいるみたいだね」


 闇の箱庭世界。

『マギクロ』の死神ルート……破滅の、果て。


「どうして、そんな……」

 私は頭の中が真っ白になった。指先が凍りついたように動かない。

 あの一口で、死神の機嫌を損ねてしまったというの?


「怯えなくても大丈夫だよ。すぐに元の場所へ戻してあげる。今は、あっちの時間を止めてあるから、キミとボクが消えたことは誰も知らない」

「…………」

 目を見開く私に、死神は妖艶な笑みを浮かべた。


「あの場にいたら、キミとゆっくり話せないからね。聞きたがっていただろう? ボクが、彼女……サーラを欲しがる理由さ」

「あ……」

 死神は、足元の花壇へ慈しむような視線を向けてから、薄い唇を開いた。


「キミたち人間は、食べものを身体に取り入れて命をつなぐ。ボクは、人間の魂を『食べる』ことで生きながらえている」

「あなたは……サーラの魂を食べるおつもりですの?」

「いや」

 死神は、かぶりを振った。

「輪廻の流れからはぐれた、行き場のない魂をひとつ得るだけで、十年は生きられるんだ。でも、それ以上のご馳走が他にあってね」

 死神は唇に指先を添え、赤い舌をちらりと覗かせた。


「生きた人間の『絶望感』。死者の魂なんかよりもずっと、甘美で栄養価が高い」

 栄養、という言葉選びに、私は背筋に怖気おぞけが走った。


「夜毎にサーラの心をかき乱して、彼女が大切に育てている妖精王の卵とも共鳴できないように細工をして、彼女が絶望の底へ叩き落とされる瞬間をね、今か今かと待っていたところだったのさ」

「なんて、残酷なことを……」


 これが、死神ルート……。

 ゲームでは回避を貫いてきたのに、実際に体感することになるなんて。

 胸が悪いわ。


「残酷、大いに結構。それが死神たるボクの存在意義だからね」

 死神は美しくも残忍な微笑みを浮かべる。


「単刀直入に申し上げますわ。これ以上、サーラに手出しをなさらないでくださる? 彼女を、あなたの『偏食』の犠牲にする気はありませんわ」

「じゃあ、キミが彼女の代わりにここに住む? キミの神経は神殿の柱よりも太そうだから、『料理』のしがいがあるだろうね」

 遠回しに、図太いと言われたのかしら。ちょっとムカついた。


「わたくしは構いませんわよ。サーラを解放してくださるのなら。それから、あなたの思い通りにはなりませんので、そのつもりで。わたくしが絶望するよりも先に、あなたが飢え死にするでしょうけれど」

 私は、青緑色の巻き毛を肩の上でバサリと払い、顎を上向けて鼻で笑ってやった。

 もちろんハッタリよ、虚栄よ。

 本当は、今にも膝が震えそうなくらい不安よ。


「ところで、さっきの黄金のような色をした料理、あれは何ていうの?」

「え? えっ、あれは……パンプディングですけれど」

「パンプディング……」

 死神は、その名前を噛みしめるように繰り返した。


「あれ、もう一口食べてもいいかな?」

「……もちろんですわよ? そもそも、あなたのためにこしらえた料理なのですから」

 もしかして、もしかしてだけれど、

「お口に……合いまして?」

「いや、よくわからない」

 死神は、真顔でさらっと答えた。

 料理人としては、「おいしい」以外の感想は心を抉るものがある。

 もちろん、後学のために聞かせてもらうけれど。


「人間の食べものを初めて口にしたものだから、何がおいしくて何がおいしくないのか、味というものがまだよくわからない」

「ああ……なるほど」

 少しほっとした。


「では、質問を変えましょうか。あの料理を口にして、あなたはどんな気持ちになりまして?」

「気持ち?」

 私はうなずいた。

「よくわからないけど、心が躍るというか……楽しいことが始まりそうな気分、かな」

 戸惑いを含んだ表情で、死神は最適であろう言葉を選びながら答えた。

「きっと、それが、あなたにとっての『おいしい』感覚なのかもしれませんわね」

「おいしい……?」

「ええ」


「おいしい、か……」

 死神は顎に手を添えて、数秒の間何かを考え込んでいる様子だった。

 暑くもなく、寒くもない。静かで美しい、絵画の中のような空間。

 雪のような長髪をなびかせてたたずむ青年の姿は、悲しいほどに美しいと思えた。


「ディアンヌ」

 燕尾服タキシードの裾を踊らせて、死神はこちらへ向き直った。


「いいよ。ボクは、サーラから手を引くことにする」

「本当ですの?」


「その代わり……」

 この空間で、初めて風が吹いた。

 やわらかな風に運ばれてきた花の香りは、バニラのように甘かった。

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