第20話

 主人公の王道ルートでは、異国に逃れて宿屋を開業することになる(のちに、現地で火刑に処される)ディアンヌ。

 侯爵令嬢でありながら、宮廷料理から家庭料理まであらゆるジャンルの料理を自在に作り出す。


 料理に目覚めたきっかけは、数か月に一度しか笑わない母親がディアンヌの作ったパンケーキを食べて、とても幸せそうな笑顔を浮かべて「おいしい」と言ったこと。


 転生する前の「私」も、似たような出来事がきっかけだった。

 小学生の頃、調理実習で作ったカップケーキを家に持ち帰って、母にプレゼントした。

 とてもおいしいと、喜んでくれた。

 勉強もスポーツも平均的で何の特技もなかった私が、人生で初めて親から褒めてもらえた。


 食べてくれる人の笑顔が見たくて、私は料理の道を志した。


 ディアンヌも、きっと。



     ☆



「ディアンヌ。こんな感じでいいのかしら?」

「結構ですわ、ありがとう」

 料理の苦手なサーラが、おっかなびっくりナイフを握りしめ、パンを一口大にカットする。

 学食のカウンターに並べられている、本日のセルフサービスのパンをいくつかいただいた。


 サーラは、卵と牛乳と砂糖を合わせてかき混ぜる私のそばへ近付くと、ひそひそと囁きかけた。

「わたしなんかが手伝ったら、せっかくのディアンヌのお料理がまずくなったりしないかしら? 大丈夫?」

「心配いりませんわよ。昨日だって、あなたに手伝ってもらったでしょう? 料理の出来に変わりはありまして?」

「う、ううん。ちゃんと、おいしかったわ!」


 でしょう? と、私はサーラに笑いかけた。

 味付けと火入れさえ私がどうにかすれば、おかしなものが出来上がることはないはず。


「それに、あなたとわたくしが一緒に作ることに意味があると思いますの」

「一緒に?」

 サーラは胡桃色の目を瞬かせて、不思議そうに小首をかしげた。


「ディアンヌ様。オーブンの準備ができました!」

 オーブンに火を入れて予熱をしていたベルナルドが、声をかけてきた。

「ありがとうございます、ベルナルド様」


「ベルナルドって、器用よね。オーブンに火を入れる王子様って、なかなかいないと思うわ」

 ふよふよと、そこらを飛び回っていたフラヴィが、感心したふうに言う。

「王族も自活する時代だからって、兄上ともども父から鍛えられたから」

 ベルナルドは、にっこりと笑って言った。

 そして、「こういう作業は、ぼくよりも兄上のほうが得意なんだよ」と付け加える。

 なんとなく、アランは不器用そうなイメージがあったから、意外だった。

 サーラも似たようなことを思ったのか、驚いたように目を丸くしていた。


 死神は相変わらず、涼しげな表情でこちらの様子を見物している。



 サーラの切ったパンを、十分ほど卵液にひたしておく。

 その間に、胡桃を天板に並べてオーブンでローストして、鍋で砂糖と水を煮立ててカラメルを作る。


「ふわ……、いい香り」

「うん。お腹のすく香りだね」

 ここ数日で距離が縮まったらしいサーラとベルナルドは、そろって目を細めた。

 ほんの三日前までは、ベルナルドなんてサーラを虫のように毛嫌いしていたのに。

 見れば、いつもいがみ合っているはずのフラヴィとポレットも、一緒になってカラメルの煮立つ様を眺めている。

 なんだか不思議。


 ローストした胡桃をオーブンから取り出し、カラメルと合わせる。

 大きめのグラタン皿に、卵液にひたしておいたパンを敷き詰めて、今度はこちらをオーブンへ。

 火加減を見つつ、十五分ほど焼く。


 空いた時間で、次は豚の燻製肉を厚切りにしてフライパンで焼く。

 ついでに、薄切りのカボチャも一緒に焼いてしまいましょう。

 燻製肉から染み出る塩味が絡んで、きっとおいしいわ。

 それからチーズも絡めましょう。


「てっきり、一品だけ作ると思ったんだけど」

 それまで沈黙を守っていた死神が、声をかけてきた。


「わたくし、一秒たりとも手持ち無沙汰になるのが嫌いですの。お暇でしたら、あなたも手伝ってくださってよろしくてよ?」

「遠慮しておくよ」

 死神は私の挑発に乗ることなく、色白の手をひらりと振ってかわした。

「それでは、あちらの席でお待ちいただけますかしら? すぐにお料理をお持ちいたしますわ」

「そうさせてもらうよ」

 死神は優雅にきびすを返して、厨房をあとにした。



「あの人は、ディアンヌの友達?」

「友達……ではありませんわね」

 離れたところから死神の姿を見るサーラは、胡桃色の双眸を揺らした。

「どこかで会ったことがあるような……」

 私の知らないところで死神ルートに入ってしまっているサーラなら、どこかで彼の本来の姿と出会っているだろう。


「あの人、本当にディアンヌ様のファンじゃないんですよね? 事と次第によっては、一度話し合わないと……」

「ですから、本当にそういうのではありませんわ! どうか落ち着いてください」

 死神を追いかけて行こうとするベルナルドの袖を捕まえると、彼は拗ねたような顔でこちらを振り返った。

「ディアンヌ様はご存知ないかもしれませんけど、学院にはディアンヌ様の隠れファンがごまんといるんですからね? せっかく兄上との婚約が破談になってフリーになっても、ぼくはまだ安心できないんです」

「隠れファン……ですか」

 悪役令嬢という立ち位置のせいで、表立ってファンと公言できる男子はいないのだろう。

 思わず苦笑が漏れた。


「そうだ、サーラ。兄上と、もう一度ちゃんと話をしなよね。兄上は、きみのことを心から想っているんだから、素直に受けとめてあげて」

「ベルナルド様……」

 サーラは頬を染めて、瞳を潤ませた。


 ベルナルドのこの一言が、サーラの死神ルートを回避する決定打になったのかもしれない。

 私がそう思い至るのは、すべてが終わってから何日も後のこと。


 そうしているうちに、オーブンから甘く優しい香りがただよってきた。

「そろそろ、頃合いですわね」

 オーブンから取り出した器の中身は、黄金色に照り輝いていた。

 切り分けて皿に盛り付け、先ほどカラメリゼした胡桃を載せて完成。

 別添えの蜂蜜は、お好みで。


 いざ、給仕よ。



「ディアンヌ特製、パンプディングのできあがりですわ。燻製肉とカボチャのチーズ焼きも召し上がれ」

「へえ。なかなかいい香りだね」


 カウンターからほど近いテーブルについて待っていた死神は、楽しげに口角を上げた。


「ディアンヌ……、わたしたちも一緒にいただいちゃって本当にいいの? お邪魔じゃないかしら?」

「ぼくはむしろ邪魔をするつもりです」

 遠慮がちなサーラと、ぐいぐい押していくスタイルのベルナルドも、同じテーブルに着席する。

「ぜひ、ご一緒に」

 すでに、サーラとベルナルドの分も盛りつけて卓上に並べてある。


 察しのいい死神は、小さく首をかしげて私に問いかけた。

「ディアンヌ。キミの狙いは?」


 私は、ディアンヌの美貌を存分に活かした優雅な笑みをたたえて、こう答えた。

「これが、あなたの提示した問いへの答えですわ。『わたくしが思う食べものの代表』。それは、『みんなで食卓を囲んで食べる、温かい料理』ですわ」


「…………」


 死神の顔から、余裕めいた笑みが消えた。

 黙って卓上の料理を見つめる。


 そして、彼はフォークを手に取った。


 私は、祈るような思いで、死神が料理を口に運ぶ様子を見守っていた。

 事情を知らないサーラとベルナルドも、どこか緊張した面持ちだった。


 彼の一口目が、死神ルート回避への糸口になるのか。

 それとも、サーラと共倒れか。



 ほんの数秒が、この時はまるで……永遠のように長く感じられた。

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