第19話

 ガレット、キッシュ、シチューパイ、クレームブリュレ、ブイヤベース、スフレパンケーキ、ジンジャーブレッド、クランブル、サフランケーキ、トライフル、アスピック、サヴァラン、コッコーヴァン、テリーヌ、グラタン、リエット、ラタトゥイユ……。


 思いつく数多あまたのレシピの中から何を作るべきなのか、最適解が見つからない。

 私は制服の上から借り物のエプロンを身に着けて、厨房の真ん中で立ちつくしていた。


「ディアンヌ……」

 すぐそばで、フラヴィが水色の翅を羽ばたかせながら、不安げな眼差しで見守っている。


 それから、悠々と壁に背をもたせかけて両腕を組んでこちらの様子を眺めている、制服姿の少年――死神。


 人間の食事を知らない彼が私に提示した「お題」は、「私が思う、人間代表の食べもの」。


 私が自信をもって提供できるメニューをこしらえて、死神を満足させること。

 できなければ、サーラの死神ルートは回避できない。

 サーラは、「闇の箱庭世界」に永遠に閉じ込められてしまう。


「…………」


 頭が真っ白になって、体温が下がっていく。

 エプロンを着けるよりも早く、私はすでに、このお題に対して「不可能」という答えを出してしまっていた。


 人の集う土地の数だけ、郷土料理がある。

 その郷土料理だって、家庭によって作り方も味付けも異なる。

 人によっては好き嫌いだってある。デュークの妹ジゼルが、つい最近まで魚しか口にしなかったように。


 誰もが満足するような、「これが食べものの代表」と言わしめるメニューなんて、世界には存在しない。


「ディアンヌ、顔色が悪いわ……大丈夫?」

 フラヴィが、ひらりと私の眼前へ舞い降り、顔を覗き込んできた。

「ええ、大丈夫ですわ。ありがとう」


 とは言ったものの、本当はちっとも大丈夫じゃない。


「…………」


 私は重ねた両手を胸に当て、目を閉じて深呼吸をした。

 前の人生で、料理の追究で行き詰まった時、いつもこうして心を落ち着けていた。


 しっかりなさい、ディアンヌ。

 どこかに必ず答えはあるわ。


 たとえば、ここが前の世界で、日本だったら、私は迷わずおにぎりを作っているだろう。

 具はもちろん紅鮭。シャケのおにぎりは最強だもの。


『マギクロ』の世界の、この国にも、シャケのおにぎりに匹敵するような、万人から愛されるメニューがあるのだとしたら。



「ディアンヌ様、今日は学食でお料理ですか?」

 厨房に現れたのは、ベルナルドだった。

「まあ、ベルナルド様。いいところへ!」

 私は手短に要件を伝えて、この国で最も愛されている食べものについて尋ねた。

「うーん、ぼくはこの国の民ではないので食文化に詳しくは……。すみません」

 そうだった。彼は、隣国の王子様だった。

「ところで、あの人、何なんです? ディアンヌ様の新しいファンだったら、牽制しておかないと……」

 ベルナルドは、横目で白髪はくはつの男子生徒を見て言った。

「いいえっ。まったく、そういうのではありませんわ!」

 死神に喧嘩を売って、彼まで死神ルートに巻き込まれでもしたら、隣国のお世継ぎ問題に多大な影響が出てしまうわ。

「それならいいんですけど。ディアンヌ様、何かお手伝いできることがあったら言ってくださいね」

 そう言って、ベルナルドは作業台の拭き掃除を始めた。

 王子様とは思えない、まめまめしさである。



「おや、ディアンヌ嬢。今日もこちらにいらしたのですね」

 しばらくして、今度はエチエンヌが顔を見せた。

「まあ、エチエンヌ様。いいところへ!」

 知識の坩堝るつぼが服を着て歩いているようなエチエンヌなら、何かわかるのではと思い、尋ねてみた。

「申しわけありません、ディアンヌ嬢。私は、食に関しては無頓着ですし、この国の生まれではありませんので、貴女の求めるものを導き出すことができそうにありません」

 忘れていた。彼は、遥か東にある砂漠の国の生まれだった。

「ああ、先ほどお見せした参考文献ですが、今しがた荷馬車に積んでご自宅へお送りいたしました」

「ご丁寧に、ありがとうございます」

「頑張ってくださいね」

 エチエンヌは笑顔で言い残し、セルフサービスのパンとスープを取りにカウンターへ移動した。

 そうよ。こんなところで死神のお昼ごはんを作っている場合じゃないのだわ。

 卒論をどうにかしないと。



「あら、ディアンヌ。これからお昼?」

「う……っ」

 次にやって来たのは、よりにもよって、今まさに死神ルート驀進ばくしん中のサーラ本人だった。肩の上には妖精のポレットもいる。

 サーラは、すぐそばにいる男子生徒が死神とは気づいていない様子で、無邪気な笑顔でこちらへ歩み寄る。

「……何しにいらしたの? また、厨房を炎上させる気ですの?」

 けっして、敵意や悪意などではないけれど、昨日の今日では警戒心も出てしまうというもので。

 私は無意識に顔をしかめていたらしい。

 そして、サーラの目には、めちゃくちゃ怒っているように見えたらしい。

「ひえっ、あの……ごめんなさい、わたし……」


 推しキャラを泣かせてしまった。つらいわ。


「別に怒っているわけではなくてよ。泣くのはおよしなさい」

 泣かせたのは他でもない、私なのだけれど。

「う、うん……ごめんなさい」

 サーラは制服の袖口で涙を拭いた。可愛い。


「ところで……いえ、あなたに聞いてもわかるはずがありませんわね」

 出身国以前に、サーラは異世界から召喚された人間。

「私」と同じくらい、この国の食文化には馴染みがないはず。

「なあに、ディアンヌ? わたしでよければ、相談に乗らせて」

 曇りのない眼差しで見つめられれば、無下にできるはずもなく。

 私は、ダメ元でサーラに尋ねた。


「あなたが思う、この国の民にとって代表的な食べものとは、何ですの?」

「食べもの……」

 サーラはしばらく考え込んでから、胡桃色のつぶらな瞳を輝かせて答えた。


「ぜんぶ、かしら」

「は?」


 あまりに突飛な答えに、思わず眉尻を跳ね上げてしまった。

 すると、サーラは胸の前で両手をぽんと合わせて言った。


「だって、寮のみんなと一緒に食べるごはんは何でもおいしくて好きだし、ディアンヌの作るお料理はなんでもおいしくて大好きなんだもの。決められないわ」

「一ミリでも期待したわたくしがバカでしたわ」


 とは言ったものの、サーラの発想は的外れでも突飛でもない。

 根っこの部分は私と同じなのだ。

 全部おいしい、全部好き。だから、代表なんて決められない。


 ふと顔を上げると、死神が、珍獣の曲芸の稽古風景を眺めているかのような、飄々とした眼差しでこちらを見ていた。

「さて、キミはここからどう動く?」とでも言いたげに。


「…………」

 私は胸の前で両手を重ね、ふたたび深呼吸をした。


 やってやろうじゃないの。


「サーラ」

「なあに?」

「あなたに頼みがありますの」


 見ていらっしゃい、死神。

 この国で……いいえ、この世界で最上の一皿をご覧に入れてみせますわ。

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