第18話

 私の知る「死神」のビジュアルは、腰まで流れる雪のような白髪はくはつに、闇色の燕尾服タキシード

 髪の長さも服装も違うけれど、目の前に立つ「彼」が「死神」なのだと直感した。


 どうしたらいいの? どうしたら……。


「ディアンヌ……」

 髪の中で、フラヴィが小さな身体を震わせている。

 私は、大丈夫と言うように髪を撫でた。


「どうやら、怯えさせてしまったようですね」

 銀縁の丸眼鏡の奥で、真紅の双眸が輝いた。


 庭園で憩う学生たちは、こちらのやり取りをさほど気にとめる様子もない。

 元・聖女候補の侯爵令嬢に、一生徒が通りがかりに挨拶をするだけの、何気ない日常風景。


 純白の髪の男子生徒――死神は、緑を揺らすそよ風のように涼やかな笑顔を浮かべた。


「忠告してあげよう。これ以上、聖女候補にちょっかいを出すのは、やめたほうがいい」


 静かでいながら、威圧的な声と口調。

 私は、こくりと喉を鳴らした。

「ちょっかいとは? そのようなもの、出した覚えがございませんわ。わたくしは忙しいの」

 手のひらに汗がにじむ。

 私は両手を強く握りしめ、できるだけ尊大に、顎をつんと上向けて死神の顔を見返した。


「ところで、あなた、どなた?」


 すると、死神は目をまん丸に見開き、口角を上げた。

 新種の昆虫を発見した小学生のような、無邪気な顔。


「名を尋ねられたのは初めてだ」

「は?」

「名とは、有象無象の人間を識別する記号のようなもの。唯一無二の存在であるボクには持つ必要がない。だから、彼女はボクの名を尋ねない」

 淡々と、事実だけを告げるように、彼は言葉を並べた。

 彼の言う「彼女」とは、おそらくサーラのこと。


「キミは、面白い」

 死神は、私の顔をじっと覗き込んだ。

「それはどうも」


 耐えるのよ、ディアンヌ。

 泣く子も黙る悪役令嬢は、けっして弱みを見せてはならないの。


 本当は、今すぐ逃げ出したいくらい恐ろしい。

 髪の中で怯えるフラヴィの震えが、私の心臓にまで響いてきそう。


「彼女の籠絡はあまりに容易たやすくて、少々物足りない。キミが聖女候補に残っていたら……もう少し手応えを楽しめただろうね」

「あなたの目的は何ですの? 聖女候補を『箱庭』に閉じ込めて、ご自分の所有物として楽しむことなのかしら?」


 彼の言葉から察するに、サーラはアランとの大恋愛EDを目前にして、発生率がきわめて低い死神ルートへの分岐を発生させてしまったらしい。

 夢で見た『分岐出現率、一パーセント未満』の文字列が、たった今、脳裏に浮かび上がった。


 私が転生した世界は、『マギクロ』の主人公サーラが、不運な偶然によって死神に捕らわれてしまう「破滅」の宿命を持った世界。


 だとしたら、私のすべきことは「ディアンヌの破滅回避」ではなく、「サーラの救済」に他ならない。


 前の人生で、ゲームの死神ルートを完全回避してきた私は、死神フラグの折り方を知らない。

 下手をすれば、サーラと共倒れになるかもしれない。

 私も一緒に、「闇の箱庭世界」に永遠に閉じ込められるかもしれない。


 それならそれで、構わない。 



 だって、「私」の推しキャラが破滅の道をたどるなんて、とても耐えられないもの。



 私の推しキャラは、アランでもデュークでもシャルルでもエチエンヌでも死神でも、今現在ディアンヌとちょっといい感じになっているベルナルドでもない。

 サーラなのよ。

 私は、ヒロイン推しなのよ!!



「妙だね。キミは、人間世界の住人のはずなのに、世界を俯瞰で見ているような物の言い方をする」

 死神は、優美な仕草で首を傾け、細く尖った顎に手を添えた。

「ご想像におまかせいたしますわ」

 私は優雅に微笑み返した。

「ただのお戯れなのでしたら、不用意にサーラを傷つけるような真似はご遠慮願いたいのですが」


 死神ルートは、バッドエンドに至る過程で、サーラが聖女を目指すことにも恋することにも絶望し、相棒の妖精ポレットからも妖精王からも見放され、孤独に打ちひしがれているところを死神につけこまれる。

 たとえ「闇の箱庭世界」で、安らぎを得られたとしても、サーラがひどく傷つくことに変わりはない。


「キミは、彼女が聖女になることを望んでいなかったはずだよね? どうして、今になって手助けをしようとするのかな?」

「それも、ご想像におまかせいたしますわ」

 ゲームのシナリオなんだもの。

 初めからディアンヌがサーラの肩を持っていたら、ライバルとして成立しないわ。


「いいよ。ボクの目的、教えてあげる」

 ほんのわずかに、死神の声音が穏やかなものになった。

 この時初めて、フラヴィが私の髪の中からひょこっと顔を覗かせた。

「ただし、条件がある」

「条件?」

 聞き返すと、死神は校舎のある方角を指差した。

「付き合ってほしいところがある」




「あ、ディアンヌ嬢。ちわーッス!」


 長テーブルがずらりと並ぶ空間に足を踏み入れると、制服姿の黒髪の同級生、シャルルがこちらに気付いて手を振ってきた。


「ごきげんよう、シャルル様」

「今日もおばちゃん、お休みみたいッスね。パンとスープは用意してくれてるッスけど……」

 言いながら、シャルルは「はて?」といった眼差しで私の隣に視線を向けた。

「お友達ッスか?」

「えっ、ええ、まあ……」

 問いかけられて、私は曖昧に笑みを浮かべた。


 死神と友達だなんて、世も末だわね。


「こんにちは」

「どもッス」


 ゲームの主人公サーラにしか姿を見せないはずの死神が、学生に扮してなぜか学食にいる。

 死神がサーラに執着する目的を教える条件……それは、「学食でお昼を食べる」こと。


「それじゃ、ディアンヌ嬢、オレはここで失礼するッス」

 今日は、別の学友と連れ立っているらしく、シャルルは制服姿の男子たちと数人で談笑しながら学食をあとにした。


「それで、ディアンヌ。ここは、どうやって利用する場所なのかな?」

 死神は、人間の食べものを口にしたこともなければ、学食という場所を訪れたこともないという。

 ただの好奇心を満たすためのお供に、ちょうどよく私が駆り出された。


「本来でしたら、カウンターに学食のおばちゃん率いる料理人の皆さんがいて、日替わりメニューを注文するのですけれど、あいにく今日はお休みなのですわ」

「それじゃあ、何も食べられない?」

 死神は、地面にアイスクリームを落としてしまった子どものように、わかりやすくうなだれた。

「いいえ。あちらにパンとスープが用意されていますので、いただきましょう」

「パンとスープ」

 死神の顔が、一瞬で輝いた。

「それから、厨房に食材がある程度用意されていますの。パンとスープだけでは物足りない人は、自分で好きに調理をして良いとのことですわ」

「キミ、たしか料理が得意だよね?」

 間髪を容れずに死神が言った。

 その言葉の裏にある「何か作って振る舞え」まで、聞こえた気がした。


「…………」


 これは……、やり込み勢の集まる攻略サイトにも載っていないシナリオだわ。

 載るわけがない。

 二次創作でもない限り、『マギクロ』の世界で、ディアンヌが死神にごはんを食べさせるシーンなんて存在しないもの。


 私は、おそるおそる問いかけた。

「何か……召し上がります?」

「もちろん」

 死神は、当然のようにうなずいた。

 それから、こう続けたのだ。

「ボクは、人間の食べものを何も知らないから、キミが思う『これが人間の食べもの代表』を作って食べさせて」


 丸眼鏡の奥で、赤い瞳をサクランボのように無邪気に輝かせて、死神は微笑んだ。



 もしかして、もしかしてだけれど、サーラの命運って、私の料理にかかってしまっているのかしら……?

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