水を震わす律動
「あっ……!い、てぇ……や、やめ……痛い!か、かすみ……もう、やめて……っ!」
ゴスッと重い音が自分の体に走る衝撃と痛みと共に聞こえる。
今日の香澄は帰ってきて早々食事もせず煌水の頭を髪ごと引っ張り上げて「煌水くん、たくさん叫んでくれる?」と言い水槽から上がるように求めてきた。
あまり長時間水から離れていると皮膚が乾き体に負担がかかるが、煌水はイルカのようにある程度の時間なら水槽の外にいることも可能であった。
それが今回のように彼の不幸を引き寄せている要因でもあるのだが。
香澄は振り上げた手に掴んだリモコンで煌水を殴る。
近くにあったから適当に取って使っているだけで香澄は何も考えてはいないだろうが、日常で使う道具が本来の使い方から外れ鈍器として使われていることは殴られている側からすればその日常と非日常のコントラストが乱反射して目が眩んでしまう苦しさに首を絞められていく様な感覚に沈んでいくことになる。
まな板の鯉、という言葉を香澄から借りた本で読んだ記憶が頭によぎる。
自分もそれと同じように為す術なく自分より小さく力も弱いはずの人間に蹂躙されるのをただこうして逃げることは出来ないのを理解しながらも、どうにか少しでも早くこの終わりの見えない香澄が満足するまで続く暴力が止むように乞う言葉を口にしてしまうのは生命としての叫びなのだろうか。
「煌水くん、寝ないでくれない?」
「……寝てねぇ、よ……」
反応が鈍くなったことに不満げな顔で頬を紅潮させた香澄が執拗に頭を殴られて白んできた視界に写りこむ。
「そう?ならいいんだけど、まだ私は満足出来ていないから。」
「ウ…ッ!グ………!」
言い終わる前に胸を殴られ衝撃に息が詰まり咽せる。
体を捩り胸を抱え息を整えようとする煌水に香澄は表情を変えずにその無防備に上下する脇腹に強く力を込めた一撃を与える。
「ぃったい……!やめてくれ、もう……ゆるして……」
「それ、嫌いなんだってば煌水くん。」
乱暴に顎を掴まれて香澄と視線を合わされる。
「許して、じゃないの。別にこれ、罰としてやっているんじゃないし。許す許さないじゃないっていつも言っているでしょう?
本当に頭の悪い生き物ね、人魚って。」
「う、ぁ……ごめんなさ……」
「謝るのもどうでもいいから。ちゃんと私に応えて泣きなさい。
それしか煌水くんには求めていないの。どうせ何も出来ないんだから私は煌水くんに期待しているのは上手に苦しんでくれることだけだし、難しいことなんてないはずなんだけど……もう少し分からせてあげないといけないの?」
「……っ!もうやだ!やだよ!」
「……それだよ。正解だよ、煌水くん!」
手にしたリモコンを置き素手で煌水の頬を叩く香澄は笑っていた。
香澄にとって煌水はそういう存在でしかない。
欲を満たし解放させるための大切な人形。
美しい少年を自分の手元に置き愛を持って接し己の思うままに苛み苦しませながら生かし続けるこの生活は、香澄にとっては長く燻っていた炎を赤く強く燃え上がらせる幸福その物で暖かな光は彼女を包み守る殻のようでありそれは煌水にとっては真逆の地獄だというのも彼女からしてみれば美徳的愉悦でしかない。
生殺を握られ苦痛に喘ぐままに香澄の手の内に抱かれていく屈辱は煌水をズルズルと飲み込んでいく。
赤から紫へと変わってゆく痣はまたいずれ肌色へと戻っていく。
繰り返される狂気は何度でも煌水に寄り添い牙を剥く。
与える痛みと与えられる痛みが共存するこの部屋ではその狂気とは何を指すのかすら危うく、正常異常の区別は人の主観でしかなく寧ろここでは香澄の支配欲は正常であるようにも錯覚していき、そうして煌水もまたその中で自身の思う存在価値を見失ってしまいそうになる。
「煌水くん、好き。大好き。」
そう笑う彼女は心の底からの愛を囁く。
眠りにも思える虚ろな思考でそれを聞きながら煌水の意識は暗転していく。
──次に起きたら全てが夢であったら……いや、誰に飼われても変わらないよな
バシャンと水音がして水槽に沈んでいく感覚がする。
香澄が満足したか、もしくは飽きたのだろう。
「だから、人間は嫌いだ。」
はっきりと口に出したつもりだったが本当に言えたかどうかは分からない。
聞こえていても香澄はその言葉にただ微笑むだけで傷つくことはない。
お気に入りのぬいぐるみで人形遊びをしているのと変わらない無邪気さは成熟した女性である彼女の人生に呼応して深い情欲として輝き誰に侵されることもなくその清らかさを保ち神聖さを讃えている。
煌水の沈みゆく水槽を満たす水と同じように白々しいほどの透明なそれは彼を強く抱擁し離すことはない。
「おやすみ、コウ。」
香澄の声が水を揺らす。
波紋は大きく広がっていき水槽の縁をなぞる。
この支配は、どこまでも永続的に続く。
素敵な人魚の飼い殺し方 朱音海良 @kairaxkogasa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。素敵な人魚の飼い殺し方の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます