童の飯

白川津 中々

 二十三時過ぎ。

 食堂兼居酒屋の一席に目を引く客あり。数は二名。一方は化粧崩れた女。一方は年端もいかぬ童。

 見るに二者は血縁であり、母子と考えるが妥当。解せぬのは今が夜更けという事。子供はとうに床で寝息を立てる時分である。それがなぜ、よりにもよって背徳著しい夜の世界に……


「いけねぇなぁ。こんな時間に」


 客の一人である腹の出た男が、わざとらしく呟いた。いや、喚いたといった方が正しい。大きな声でわざとらしく、嫌な言葉を吐いた。


「餓鬼がいたんじゃ酒がまずくなる。おい婆さん。ちょいと追い出してくれよ」


  男は店主の婆に向かってニヤついてそう吐く。恐らく憂さ晴らしの類であろう。取るに足らぬ戯言ではあるが、件の女は肩身が狭そうに俯き、子供は眼をぱちくりとさせている。


「なぁ、あんたもよぉ。分かるだろう?」


 とうとう男は女の方を向いて明け透けにそう言った。その表情は相変わらずだらしなく弛んでいたが、先までとは違い、侮蔑と軽蔑の気配が、一重の垂れさがった眼差しに含まれている。


「……」


 女はそれに答えずじっと卓を見ている。いや、もしかしたら見ていなかったかもしれないが、彼女の視線は終始、下ばかりを捉えていたのである。女の面持ちには一種の劣情めいた感情を浮かばせる儚さが醸し出されていたのだが、子連れの為かその魅力は返って嫌悪の象徴となっており、目ざとい男はそれを見逃しはしなかった。


「あぁ嫌だねこんな女! 嫌だ嫌だ」


 男はそう言って、金を置いて出ていった。店の外からでも、「嫌だ、嫌だ」と歌が聞こえる。


「……」


 それでも女は黙っていた。黙って、卓の方を向いていた。


「はい。おまちどうさん」


 婆が食事をもってきた。内容は、卵焼きと、みそ汁と、漬物と、白米。

 貧相な、実に貧相な皿に盛られて、それらは童の前に置かれていった。


「わぁ」


 童の口から歓喜が響く。先までの呆けた顔から一転、笑顔の花が咲いた。


「いただきます」


 童が可愛らしく声を上げると、女はようやく顔を上げて、口元を緩ませた。

 童が不器用に箸を運ぶ姿を眺め、女は幸せそうに、ずっと童を見続けていた。


 それは二十三時を過ぎ、日付も変わろとする頃合い。

 安く、粗末な店の中でのでき事である。

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