スクエア・サークル・イン・トライアングルワールド
朝目が覚めると、世界は三角に満ちていた。
長方形の形をしていたはずの僕のベッドは、対角線上で真っ二つに割られ、その半分だけが生き残り、見事な直角三角形に生まれ変わっていた。
僕はもう少しで対角線の辺縁から床に転げ落ちる所だったが、幸か不幸か掛け布団の形まで綺麗な直角三角形になっていて、布団の切れ端がベッドの勢力圏の限界値を足の指先に伝えてくれたおかげで、転落を免れる事が出来た。
僕は目覚めて直ぐに違和感に気付いた。
何だか妙に遠近感が激しく感じられ、僕はふと、テリー・ギリアムの映画に出てきたどこまでもどこまでも奥行きが伸びてゆく壁のことを思い出した。(バンデットQだったかな?)
しかしそれはやはり目の錯覚だった。
ベッドだけでなく、部屋の形も三角形だったのだ。
僕は部屋の底辺にあたる辺りから、対面の鋭角な方の角に体を向けていたため、その少しずつ先細りしていく空間に遠近感の錯覚が生まれ、現実以上の深みを感じていただけだったのだ。
見回してみると、まだまだあった。
窓も三角形。机の天板も三角形。机の脚も三本で三角形。パソコンのディスプレイもキーボードも、プリンターの本体も三角形になっている。
何だか変な感覚のまま体をベッドの上で起こした時、iPhoneにセットしていた目覚ましのタイマーが鳴り始めた。
まさかと思ったが、僕のiPhoneも見事な逆正三角形になっていた。
しかし機能的には問題はないようだと言う事は、いくらか触れてみて直ぐに判明した。ただ使いにくいだけだ。
その時僕はある事を想像して戦慄し、バスルームに向かって駆け出した。
鏡を見る。
鏡に映る自分を見てようやく安心する。
普通だ。
頭蓋骨が三角形になったりはしていなかった。
僕の知っている僕の顔。
ただ、眼鏡はとんがったサングラスみたいな形の三角形になっていて、まあでもこれはこれでいいやと思えた。
そこでふと考えた。
僕はおかしくなってしまったのだろうか?
それとも世界がおかしくなってしまったのだろうか?
はたまたもともと僕の頭がおかしくて、今ようやく世界に合わせて正常になることが出来たのだろうか?
どれも同じくらい考えられることだと思った。
いずれにせよ、たった一晩で、いったいどのような変換が世界に対して行われたのか、それは確かめるべきだと思った。
僕は服を着替えて外に出た。
顔も体も普通に僕が知っているもののままだったが、服は生地の形からして三角形が基準のデザインだった。
まるで三角形こそ機能美の極地なのだと誰かが言っているように思えた。
部屋の外が僕の見知った世界なら、まだ安心できたかもしれないが、そこはさらなる異世界でしかなかった。
建物と言う建物がピラミッドみたいな形になっていたのだ。
いぶかしげな視線を右から左に流していた僕の目の前を一台の車が通り過ぎた。
それは確かに車に違いないのだが、タイヤはついていなかった。
タイヤのかわりに全く別の機構が使われていた。
あっという間に過ぎ去ってしまったから詳しく観察など出来なかったが、そこにはやはり三角形が関わっていた。
横から見ただけでも、大小さまざまな三角が重なったりぶつかったり組み合わさったり回転したりして、最終的に無数の細かな三角形の部品が地面を蹴っていたように見えた。いったいどんな技術が使われていると言うのだろう?
その機構、機能には非常に興味をそそられもするのだが……
そこでふと思う。三角にばかり目を奪われていたが、逆に考えてみると、丸や四角がほとんどない。見当たらない。と言うか全く見つけられない。
あの見慣れていたはずの図形たちはどこへ行ってしまったのだ?
目覚めるまでの一晩で、この世界には何らかの変換が加えられてしまったのは間違いないが、不思議なことにそれに対して疑問を抱いているような空気が、僕以外の道行く人々には感じられない。
多くの人々が向かう先へ、僕の足も釣られて向かう。
時間帯は通勤ラッシュ。
人々の流れゆくその先には駅がある。
当然のごとく、駅も幅の広い三角錐型をしている。
券売機の前に立つ。地下鉄の乗り換え案内の路線図がある。
驚いたことに丸の内は三角の内に名前が変わっていた。冗談にも程があるってものだ。いい加減頭が痛くなってくる。
もう三角は十分だ……
そう思った時、何かが僕の視界の隅できらめいた。
丸い。間違いなく丸い!
思わず駆け出していた。
丸い! 丸だ! いいぞ!
駆け寄ってきた僕に、その女性は驚きと動揺の反応を示した。その耳に、大きな輪っかがぶら下がっている。綺麗な弧を描いたリング。ピアスかな? ええいそんな事はこの際どうでも良い。そんなものを付けてるあなたはきっと僕と似通った価値観を持っているに違いない。そう。リメンバー・ザ・スクエア! ウィ・ラブ・サークル!
「あ、あの。僕は怪しいものじゃなくて、その、そのイヤリング、丸いですね」
僕はいつの間にか話しかけていた。しかしもうおかしなくらいに緊張している。
丸いイヤリングの女性は態度保留の表情を固定したまま、ほんの少しだけ首を傾けた。
「これですか?」
女性は指先で自分のイヤリングにそっと触れてみる。
「はい。ええ。それです。丸くて、いいですね」
正直、何を話しかけているのか自分でも分からなくなってきていた。
「あの……ひょっとして、あなたも丸や四角が好きですか?」
女性の方からそう言われた時、僕はもうこの人の為なら何でも出来るとさえ思った。それだけ世界に対する不信と不安が募っていた、と言うことを自覚した瞬間でもあった。
とにかく、それが僕らの出会いであった。
似通った価値観を持つもの同士、僕らは直ぐに仲よくなった。彼女は理奈と名乗った。そして理奈の話では、彼女は僕よりも一年はやくこの三角世界の住人になったのだと言う。さらに驚いたことに、他にも同じ価値観を共有する仲間たちのサークルが存在すると言うのだ。
「この世界への疑問や、丸や四角の有効性なんかをあんまり表立って議論したり主張したりすると、周りから変な目で見られて社会的信用を失ったりご近所付き合いがうまくいかなくなったりするから、地下クラブみたいになっちゃってるの。まるで革命前のレジスタンスみたい」
理奈は半ば自嘲気味にそう言っていた。
理奈の話では、最近になってこの三角世界に疑問を持つ同志が増えてきているらしい。僕のような人間は独りではなく、同じように驚きの朝を迎えた仲間が他にもいるようだ、と言う話は少なからず僕をほっとさせたが、それが事実なら、あっちの世界からこっちの世界へ、少しずつ人が移ってきていると言うことになるのだろうか。そうすると、世界は変換を果たしたのではなく、もともと存在していたふたつの世界の間で人のやり取りが行われているということになるのか?
いくら考えてみた所で、それは仮定や想像の範疇でしかなく、しかもそうすることで得られた何らかの世界観が現実的な解決策に結びつくというものでもなかった。
つまり、そういう風に行き詰まってしまったマイノリティ達が自然と集まり、サークルを結成したということだ。僕はそこに肩を寄せ合って寒さをしのぐような寂しいイメージを重ねてしまった。
とは言え、一人で訳も解らないまま足掻いていても仕方なく、僕は理奈の仲介でそのサークルに入会を果たした。
月日は流れ、サークルのメンバーは飛躍的といっても良いぐらいにその数を増やしていった。不思議なもので、人の数に比例して、我々のサークルにも活気のようなものが生まれていた。
みんな理解者に飢えていたのかもしれない。
いつしか、この集まりは洒落も込めて『スクエア・サークル』と呼ばれるようになっていった。
僕は仲良くなったサークルの仲間と一緒に、自分たちのことを「図形レジスタンス」などと言って笑い飛ばすことが出来るようになっていたが、そうはいかない者たちの方が数は圧倒的に多かった。「こんな世界は認められないし、絶対に間違っている」「我々がここにいるのは何かの手違いなのだ」「何かが狂ってしまった。そして狂っているのは我々ではなくこの世界だ」というのが彼らの主張する所だ。
彼らの一部は真剣に、この世界の価値観を転覆させようと鼻息荒く目論んでいる。気になるのは、理奈がこのごろ少しずつ、そちらの派閥に傾倒し始めていると言うことだった。
僕は理奈に言う。
「そんなに頑なな姿勢にならなくても、いいんじゃないか? 案外三角にも良い所はあるし。僕はもう慣れてきたよ」
「そうはいかないわ。だっておかしいじゃない、こんな世界。三角ばっかり。私たちには私たちの世界を取り戻す権利がある。いいえ、これは義務。世界を正常な姿に戻す為の使命なのよ」
「なかなか難しいと思うけどなあ」
「やってみないと分からないわ」
「僕はもうちょっとこの世界の人とも仲良くなってみたいんだけどなあ。その方がもう色々と楽じゃない?」
「軟弱者!」
そんな風に僕らの議論はかみ合わない。理奈は自分の足場を一歩一歩踏み固めて堅いものにしていき、僕はそこに水を注ぐ。時々議論が白熱することはあっても、我々のバランスはまだ保たれている。こんな話をしている時以外は仲良くやっているのだ。僕と理奈はそろそろサークルの中でも公認の仲になり始めていた。
彼らにだって有効的で具体的な対策など立っていないのだ。ともすれば己の無力を否定し、価値観の優位性を声高に叫ぶことそのものに価値を見いだす傾向すらある。そんな姿を横目に見ていると、三角の何がいけないんだという気持ちになってくるから不思議だ。
一年はあっという間に過ぎた。
僕は理奈にひとつの提案をした。それは僕がずっと考え続けていたひとつの折衷案でもある。
「店を出そう」
「店?」
「そう。僕らの知ってる、僕らの技術でいろんなものを作って、丸や四角をこの世界に提案していこう。悪くない考えだと思わないか?」
「そんなの、うまくいくわけないわ」
「それこそやってみないと分からないじゃないか」
「そうかもしれないけど……何を作るの?」
「とりあえず自転車なんかどうだろう。完成したら宣伝代わりにふたりで街中をサイクリングするんだ」
理奈は納得しきってはいないようだったけど、僕はすぐに行動にかかった。材料をそろえ、道具をそろえ、何人かの仲間を集めた。ハンドルやフレームやホイールの造形をしていくのは楽しかった。うまくいったりいかなかったりして、その度にみんなで話しあい、頭をひねった。スクエア・サークルのメンバーに素材開発の技術者がいて、彼の話によると、この世界の物質は分子レベルで三角形の造形に適した作りになっているらしく、ひょっとしたら僕らの試みは非常に難しい挑戦になるかもしれないと教えてくれた。でも僕は気にならなかった。明確な目標が出来たからだ。
理奈とふたりで、シンプルな造りの自転車に乗って、街中をサイクリング。
争ったり戦ったりなんてしなくて良い。
圧倒的多数のいわゆる常識人たちから奇異の目で見られたっていい。
僕らが僕らのやり方で楽しむ姿を逆に見せつけてやれば、そのうち羨ましくなって向こうの方から僕らに歩み寄ってくるはずさ。
この愛すべき世界で。
と僕は思った。
既に僕は楽しみ、親しんでいるこの世界で、自らを失わず、大多数に迎合せず、恋人や、仲間と、目標に向かって、まっしぐら、そんな風に普通に。生活を。人生を。
もちろん、元に戻れるならそれも良い。
ただ……なんていえばいいかな。
そう、あるがままに。
あるがままに。
毎日(書いてた)超短編 cokoly @cokoly
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