恋人は3D
土曜日の午後の事だ。
「彼女を紹介するよ」
と言われてヒカルと待っていた集合場所に、彼は一人でやってきた。
「なんだよカジマ、一人じゃん」
とヒカル。
「彼女は都合がつかなかったのか?」
と僕。
カジマは穏やかな笑みを浮かべ、それを取り出した。
Gintendo 3DSSX。
折り畳まれた筐体をパカリ、と開き、カジマはディスプレイをのぞき込む。
「ほら、ルル。話してた友達だよ。挨拶して」
カジマはゲーム機の横のスイッチをかちりとやって、ディスプレイを空に向け、気持ち僕らの方に近寄せる。
最新の三次元立体映像機能搭載携帯ゲーム機。
ディスプレイの上の空間に光が広がっていく。立体スクリーンのベースになる光学素子の網だ。
光の中に浮かび上がったのは、現実味をはるかに超えた美少女だった。
人懐っこい妖怪を疑いの目で見るような視線を終始無遠慮にカジマに向けていたヒカルを途中で帰し、僕らは三人(?)で居酒屋のテーブルに陣取っていた。
カジマとルルが隣に並び、その向かいに僕がいる、と言う構図。
僕とカジマは小中高を供にした親友と呼べる関係で、互いに数少ない、と言うよりほとんど唯一の友人同士でもある。だからこそ、僕はカジマをほっとけなかった。何を考えているのか、この耳で聞いておかなければならないと思った。教師という僕の職業柄でもあるが、道に迷った子供を放置しておく訳には行かない。
中生を一杯空けた後で、カジマはおもむろに口を開く。
「彼女は何でもできるんだ。料理もうまいし、掃除も洗濯もやってくれる。彼女が苦手な事は、ふたりで一緒にやるけど、僕にとっては最高の、理想の女性だ」
そう言われ、はにかんで見せる光の少女。
確かに、カジマの言っている事は嘘ではない。
最新の恋愛シュミレーションゲーム『ラブ++αGX』は、あらゆる電子家電製品と連動し、ゲーム内の恋人と上手くコミュニケーションする事で家事を実行する事を可能としたのだ。
「彼女のいない生活なんて、僕にはもう考えられない」
幸せそうなカジマを前にして、僕はどう言えばいいのか分からなかった。
「そんなに褒められると恥ずかしいわ、ユキヒコさん」
『ルル』はそう言って、カジマを名前で呼び、頬を赤らめた。
正直、僕は混乱していた。
いくら家事や会話が出来るからといって、彼女はただのプログラムだ。データを蓄積させたAIに過ぎない。しかし、カジマの隣に浮かび上がる『ルル』は、コンピュータグラフィックの映像とは思えないほどのリアリティを備えていて、あまつさえ、時折僕に魅力的な笑顔を向けたりするものだから、僕が現実的な指摘を彼に与える事に、罪悪感すら覚えさせるのだった。
僕は意を決してルルに話しかけた。
「ルルさん、ちょっとカジマと二人だけで話したい事があるんだ。悪いんだけど、少し席を外してくれないだろうか」
「あら、そうでしたの? じゃあ、どうしましょう、ユキヒコさん?」
「そうだね、じゃあ、悪いけど、先に家に帰っててくれるかな」
「はい。お風呂、温めておきますね」
カジマとルルは空中で軽いキス(?)を交わし、ルルは手を振って姿を消した。
『ラブ++αGX』のキャラクターはインターネットが繋がる場所ならあらゆる場所へ移動できる。きっとルルは電子の海をサーフしながらカジマの自宅へ戻ったのだろう。
カジマは優秀なプログラマーだ。
ただ優秀なだけでなく、著しく突出して優秀なのだ。一言でいえば天才。
ほんの数年、企業で勤務したあと独立し、フリーで様々なプロジェクトを渡り歩き、かつ仕事が途絶えた事は一度もない。
仕事も出来るが、見栄えも悪くない。と言うより、どちらかというとモテる方だ。ずば抜けた美男子とはいかないが、基本的に顔立ちは整っているし、女性達から見ると「可愛い」と呼ぶべき愛嬌を備えているらしい。
そんな男がなぜ恋愛ゲームのキャラクターに恋したりなんかするのだ、と僕の頭に根を生やした疑問符は、さっきからぶんぶんと問題解決への衝動の矛先を探し求めている。
「実は、市販の『ラブ++αGX』に、ちょっと手を加えたんだ」
カジマはルルがいた時と変わらない穏やかな笑顔のまま、そう僕に教えてくれた。
デフォルトのAIに機能を追加し、オール電化の制御プログラムとの親和性を高めることが、最初の目的だったという。
「初めは遊びだったんだ」
ウィスキーのグラスを傾けてカジマはつぶやくように言う。
その横顔は、彼がこの恋に間違いなく真剣なのだと確信するに十分な雄弁さがあった。僕は右手で眉間を押さえ、左手でこめかみを押さえた。
「でも色々と開発を重ねるたびに、押さえが利かなくなってきて、気がついたら本気になっていた」
言葉だけなら卑猥に聞こえなくもない、と思いながら、僕は相づちを打つのがやっとだ。こいつ本気だ。どうしよう。
「ルルは、完璧だよ」
「ちょっと、完璧過ぎないか?」
僕はやっとのことでいくつかの選択肢の中から言葉を選び取った。
「気を悪くするかも知れんが、いつも間違いなく完璧に動くプログラムは、製品としては優秀だろうが、人間としては、どうかな」
「そこはちゃんと考えてる」
カジマは肩をすくめてそう答えた。思ったより現実的認識を失ってはいないのかも。ゲームはゲーム。現実は現実だと解っていればそれでいいのだ。
「実は隠れパラメータとしてドジっ子設定をしてあるんだ。最初はミスが多くてうまく働かなかったんだけど、今はもう完璧。ランダムな確率で三ヶ月とか半年に一回ぐらい、食器を割ったり洗剤を入れ忘れたりするんだぜ。そういうとこ、かわいいよな」
僕は自分自身の認識の甘さを思い知った。
これはまずい。言葉を選んでいる場合ではない。そう思って口を開こうとした瞬間、機先を制してカジマは僕に向かって人さし指を立てた。
「言いたい事は分かってる。でも考えてみてくれ。ルルは家事をすべてこなす。外出する時はいつも一緒で、仕事の間は文句ひとつなく家で待ってくれている。ただ待っているだけじゃない。家事をこなしながらもインターネットでいつもいろんな情報を仕入れていて、僕の仕事に有益と思える情報や世間のニュースを見聞きしては僕に教えてくれるし、いろんなレシピだって覚えてくる。風呂から上がればビールが出てきて、簡単なおつまみだって作ってくれる」
「それは、全部機械がやってる事だろう」
「動かしてるのは、彼女だ。大体、今の時代、同じような家電製品をどこの家でも使ってるじゃないか。スイッチひとつで全自動。ウチだけが特別な訳じゃない」
「それはそうだけど。あ、セックス。セックスはどうするんだ。出来ないだろ、流石に。それじゃ無理だよ」
何だか鬼の首を取ったような勢いで言ってしまった。
カジマは深いため息をついて、
「セックスだけが、愛情の形か? セックスが無ければ、愛は成立しないのか? 肉体的な問題でそれが出来ない人たちだっていると言うのに」
「いや……そう言われると……」
「スギ、分かってくれ。僕はやっと、本当に愛せる女性と巡り合えたんだ」
「でも、あれはただのプログラムだぞ」
「彼女をあれなんて言うな。それに、四次元以上の次元から僕らの世界を眺めたら、僕らの存在だって、きっとソースコードの一行に過ぎないさ。それだけの違いしか、ないんだよ」
「なんの話だ?」
「愛の話だよ」
愛って言うか、AIじゃん! と言いかけたが、場に不釣り合いな駄洒落みたいになる気がして言えなかった。
「スギにだって、分かる日が来るよ」
カジマは最後にそう言って、黙りこんでしまった。
マンションの部屋に戻ると、ヒカルが待ってくれていた。
複雑な表情のヒカルを見た瞬間に、僕の中で何かがはじけ、次の瞬間、僕は彼女に抱きついて、荒々しいキスをして、乱暴に服を脱がせた。
普段なら、そんな行為をヒカルは嫌がるのだが、何かを感じてくれたのか、むしろ僕と同じ勢いで応えてくれて、その夜僕らは気を失うまで抱きあった。
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