鷹の目の王子

 王子は退屈していた。

 お城の窓からぼんやりと遠くを眺めることが多くなった。

 剣術の練習にも家来を引き連れての狩りにも詩を考えることにも、もう集中できなかった、

 なぜ毎日はこんなにつまらないのだろう。

 家来たちはおべっかばかり使って来て本音で話せるような人間はほとんど居ないし、宮廷の厳格なしきたりや儀礼作法の数々もうんざりだった。

 それもこれもあいつに会ってからだ。


 ひと月程前のことだっただろうか。

 一匹の鷹が王子の部屋の窓に降り立ち、王子を驚かせた。

 王子は当然そんな野性の存在には慣れていなかったので、恐れ、剣を抜いて追い払おうとした。

 しかし鷹は自分に向けられた刃に動じる気配など微塵も見せなかった。

 王子は鷹と目が合った。

 それは宮廷に出入りするどんな人間の目よりも鋭く、威厳に満ちていた。

 王子は剣を降ろした。

 鷹は啼き、踵を返して空へと舞い戻った。

 王子は窓のそばへ急ぎ、鷹の背中を目で追った。

 鷹は翼を広げて風を受け、悠然と旋回しながら上昇していく。

 なんと素晴らしいのだろう。

 王子はまるで初めて空を見たような気持ちになった。

 それはどうみても新しい世界だった。

 鷹はどんな束縛も受けず、自由に見えた。

 王子にとって、自由という言葉が身に沁みて感じられたのは、この時が初めてだった。

 王子は、鷹になりたいと思った。


 それ以来、城の中でどんな催しが行われようと、王子は楽しめなくなった。

 舞踏会の賑わいは煩わしい喧噪に変わり、家来たちに何を言われても浅ましい追従にしか聞こえなくなった。

 狩りに出かけても、獲物よりも空の広さが気になってくる。

 あの鷹は飛んでいないか。


「私は鷹になりたい」

 ある日王子はそば付きの小姓に言った。

 その小姓は王子の子供の頃から王子の世話をしていた、城の中で心を許せる数少ない者の一人だった。小姓は答えた。

「王子様は鷹のような猛々しい武将になれますとも」

「違う。私は鷹になりたいのだ。大空を駆け巡り、自由に世界を飛んでみたいのだ」

 小姓は少し考えた。

「私も空を飛んでみたいと夢見たことがあります」

 王子は窓の外に向けていた視線を小姓の方へ移した。

「私は空を飛びたいのではない。鷹になりたいのだ」

「王子様。あなたは他の誰でもなくあなたなのです。それは鷹も同じことではありませんか」

「お前のいうことは分かる。しかし、それを聞いても満足もできないし納得もできない。それは私の求める言葉ではないのだ」

「王子様は言葉をお求めなのですか」

「……いや。それも違うな」

 王子は語るのをやめた。いくら言葉を費やしても、これ以上何も伝わるまい。それに、話せば話す程、自分の想いから外れたことを言ってしまいそうな気がしたのだ。

「なぜ、私の前に現れたのだ?」

 王子は鷹の目を思い出していた。

「何かおっしゃいましたか?」

「いや、いいんだ。下がってくれ。一人になりたい」

 小姓は恭しく頭を下げ、王子の部屋から出て行った。


 鷹の目が、どこかで王子を見ている気がした。

 日を追う毎にそのイメージは強くなり、どんなことをしていても、王子は鷹の目を頭に描くようになった。

 その内に、自分が鷹を見ているのか、鷹に見られているのかも分からなくなって来た。

(父が死に、私が王になったら……)

 王子は考えた。

 私は鷹になろう。すべてを私の自由にしてやるのだ。

 その日を境に、王子は王宮の中で理不尽な権勢を振りかざし始めた。


 鷹は優雅に空を飛んでいた。

 城の上を何度か旋回し、景色を眺め、その日の獲物を求めて山の方へと飛び去った。

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