第7話

 藤沢駅から小田急線で下北沢へ向かう。その途中、雪乃さんからメールがきた。

『つぐみ、ごめん。劇団の野暮用でわたしは行けなくなった。美優ちゃんは細山田さんに任せてあるから、桃と行ってあげて。

 それと、桃からつぐみの写真を見せてもらった。つぐみらしくない服を着てて驚いたけど、すごく似合ってる。可愛かったよ。桃が嘆いてたけど、つぐみはもっと可愛い服を着なよ。つぐみに似合う可愛い服は、きっといっぱいあるんだから。

 新芽が伸びること、伸びていく様子を見たいと放送で桃が言っていたけど、わたしも同感。つぐみが成長していくところを見ていきたい。できれば可愛く変わっていくところを、一番近くで見ていきたい』

 すぐに返信はできなかった。可愛く変わっていくところといわれても言葉に詰まってしまう。期待に応えられる自信もなかった。

 雪乃さんへの返事が書けないまま電車は下北沢駅に着いた。徒歩で五分もしないところに、通称下北沢の秘密基地『ムーンストーン』がある。店内に入ると、真っ先に目に映るのが「飲み処月長石」という習字。内装はカウンターのある標準的なショットバーのそれだけど、おもちゃのロボットがあったり、売り物であるお手製の雑貨が置いてあって、なかなか不思議な空間になっている。

「いらっしゃい」

 細山田さんに声をかけられ、あたしは会釈した。カウンター席にはひとりの女の子が座ってドリンクを飲んでいる。

 その子が振りかえり、あたしは息を呑んだ。実物の美優さんは、写真でみたときよりもずっと大人びていた。幼さはまだ残るけれど、端正な顔立ち。高校生といっても通じそう。少なくともあたしより年上のようにみえる。

 その端正な顔が歪んだ。席から立ちあがり、桃香さんの胸へ飛びこむと、ごめんなさい、ごめんなさい、と涙声で謝り続けている。

「どうしたん? うちは別に怒ってへんよ」

 桃香さんは子供をあやすように優しく話しかける。

 今まで堰き止めていたものが崩れたのか、美優さんは泣き続けた。なにかをいおうとしても、声がしゃくりあがって上手にしゃべれない。あたしも経験があるからわかる。涙が止まっていても、こういうときは本当にしゃべれない。

 泣き続ける美優さんのことは気になったものの、あたしは細山田さんに話しかけた。店内に流れているBGMは激しい曲調のもの。それを替えてもらうようお願いした。

 美優さんがしゃべりはじめたのは、店内に流れる曲が替わってから。曲は坂本真綾さんの『やさしさに包まれたなら』。アコースティックギターの音色と透きとおった歌声が、店内を優しく包みこむ。時折嗚咽がまざるものの、美優さんはゆっくりと話しはじめた。

「怖かったの。桃ちゃんのことは、好き。好きだからこそ、怖いの。

 私は、どんどん変わっていく。大人になっていく。桃ちゃんが好きになってくれた小さな私は、だんだん消えていきそうな気がして。

 大人になった私は、桃ちゃんから嫌われてしまうんじゃないかって。嫌われるのが怖くて、完全に嫌われるより前に、桃ちゃんが私をまだ好きでいてくれるうちに、消えてしまったほうがいいんじゃないかって──」

「だから、うちから逃げたん?」

 こくり。

「ごめんな。不安にさせてごめん。もっと、ちゃんと話せばよかったね。なにがあっても、うちはみゅうが好きなんやって」

「桃ちゃんは、なにも悪くないよ」と首を横に振る。「桃ちゃんが信じられなかった私が悪い。あの放送を聴くまで全然信じられなくて──」

 美優さんの語尾がまた涙で濡れた。

 変化する自分に怯えるのは、わかる気がする。ワンピースひとつで、あたしもあれだけ動揺してしまった。未来の自分というのは、未知なる道のようなもの。地図のない旅路は楽しくもあり、同時に不安も伴うもの。

「聴いてくれてありがと。放送してるって、ようわかったね」

「桃ちゃんのSNSはずっとチェックしてたから。そしたら放送してるって表示されてて」

「そっか。つぐみちゃんにも感謝せんとね。みゅうなら絶対聴いてくれるって配信勧めたの、つぐみちゃんなんやし」

 その言葉で美優さんがあたしをみた。軽くおじぎをする。

「私が絶対聴くってわかったのは、どうして?」

 あたしは首を振った。

「本当に聴いてくれるかはわからなかったです。ただ、あたしは魔法があると信じただけです」

「魔法?」

「美優さんは、まだ桃香さんのことが好きでいる。好きなら、きっと放送に気づいてくれる。桃香さんの声を聴けば、きっと会ってくれる。根拠なんて、そのくらいですよ」

 我ながら根拠が薄弱だと思う。美優さんが聴いてくれる確信はなかった。だから最初のプランでは、聴いてくれるまで何度も放送を繰りかえすことになっていた。

 魔法は、信じない者にとっては最初から存在しないもの。だから魔法があると信じて、聴いてくれるほうに賭けてみた。ただ、それだけのこと。

「魔法はほんまにあるのかもね」

「信じれば、ですけどね」

 桃香さんの言葉にうなずいた。

 今起きたことが、まさに魔法だと思う。桃香さんから逃げだし、頑なになっていた美優さんの心を動かした桃香さんの言葉は、確かに魔法だったのだとあたしは信じている。

 倒れた大銀杏を思い描く。新芽が伸び、何十年、何百年もかけて生まれ変わる様子を想像する。成長し、新しくなる自分──。

 あたしも未知なる道を進まないといけないのかもしれないな。ふと、そう思った。変わっていくあたしの姿をみたいというひともいるのだし。

 やさしさに包まれる店内で、あたしは雪乃さんへのメールの文面を考えはじめた。

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魔法が生まれるとき ひじりあや @hijiri-aya

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