第6話
鎌倉高校前駅からUターンしてホテルに戻った。
これからするのは魔法の儀式。その前に美優さんのブログをもう一度みせてもらう。龍恋の鐘の記事。そこにはこう書かれていた。
『ここは桃ちゃんとの思い出の場所。桃ちゃんと一緒にきたかったな』
大丈夫、とあたしは自分に言い聞かせる。美優さんは桃香さんのことが好きでいる。桃香さんの声はきっと美優さんに届くはず。キキが箒に乗ってひとの想いを届けたように、あたしは桃香さんの想いを届けることができるはず。桃香さんの声は、恋は、ネットの海を越えて遠い街まで旅をするはずだ。
祈りながらスマートフォンを桃香さんに返した。魔法の儀式とは、スマートフォンを使った生配信のこと。告知もなにもしていない突発的な配信。もちろん美優さんにも知らせずにはじめるから、聴いてくれるとは限らない。むしろ聴かれない可能性のほうが高い。
なにしろ桃香さんは(あたしもだけど)、これが生まれてはじめての生配信となる。美優さんが聴いてくれたら、それだけで小さな奇跡と呼んでいいかもしれない。聴いてくれるだけでは、意味がないのだけど。
「これで放送がはじまっとるはず。たぶん」
桃香さんがスマートフォンを置いた。配信初心者のふたりなので、きちんと放送がはじまっているのか不安になってしまう。「聞こえますか?」「音、入っとる?」と最初のうちは存在するのかどうかもわからないリスナーに話しかけ、結局なにも反応がないから普通に桃香さんと雑談をすることになった。
「うちの初恋ってね、中学一年やったの」
ふと桃香さんが話しはじめた。
「相手はふたつ上の先輩。ブラスバンドでトランペットやっとって、ものすごく可愛らしいひとやった。背はつぐみちゃんくらいかな。お人形さんみたいに、ちっちゃくて可愛らしい女の子。うちから告白して、つきあうようになって。めっちゃ勇気をだして好きですっていうたから、先輩がつきおうてくれるってなったときは死ぬほど喜んだんよ。
せやけど──。半月もたたへんうちにフラれてしもうた。うちが告白してすぐくらいに、先輩は高校生の男のひとに告白されて、そのひととつきあうことになって、あっけなく失恋。天国から地獄へ急降下やった。
さすがにショックで、しばらくずっと泣いとった。ちょっぴり荒れたりもした。いろんなひとに迷惑かけてしもうた」
「桃香さんが?」
「みえへんでしょ?」
「はい」
桃香さんはゆったりと穏やかに笑うひとで、あたしを美人と言い張る我の強いところはあるけれど、荒れるようにはみえなかった。想像もできない。
「泣いて、暴れて、何人かのひとを泣かせてしもうて、それで心に誓ったことがあるの」
「誓ったこと?」
「もしもうちが女の子から告白されて、つきあうことになったら、誠実になろうって。つきおうたら、その子のことはずっと、ずっと好きでいようって」
ずっと──。その言葉は昨日も聞いた。永遠の友情を誓い、鐘を鳴らし、南京錠に鍵までかけた。
「ずっとって、桃香さんがおばさんになっても、おばあちゃんになっても?」
「もちろん」
「好きなひとがある朝、いきなり巨大な虫に変身していたとしても?」
その質問には答えず、桃香さんは逆に訊いてきた。
「つぐみちゃんは鶴岡八幡宮の大銀杏はみたことある?」
「公暁が実朝を暗殺したあの?」
「せや」
鎌倉には何度もきているから、鶴岡八幡宮も訪れたことはある。境内には樹齢八百年とも千年ともいわれる大銀杏があった。ひとりの人間を優に隠せるほどの巨木は、なにがあっても、ずっと変わらずその場に根を張り続けるのだろうと信じて疑わなかった。それこそ、あたしがおばさんになっても、おばあちゃんになっても、ずっとそこに在り続けるのだろうと思っていた。
大銀杏が倒れたのは二〇一〇年三月十日。強風で、根元から折れてしまった。当時は大きなニュースになり、映像で倒れている大銀杏をみたときには、にわかに信じられなかった。
「鶴岡八幡宮のシンボルでみんなから愛されとった大銀杏は、倒れた今でもみんなから愛されとる。残った根の部分から新芽も生えて、生まれ変わろうとしとる。生まれ変わった姿も、きっとみんなから愛される。あの大銀杏はカフカ的な変身といえるんちゃうかな。姿が変わってしもうたからって、それでひとの気持ちまで変わるわけでもないんよ」
違和感があった。倒れた大銀杏が今も愛されている、それはそうかもしれない。けれど倒れた巨木をみて絶望したひとだっていただろう。
気持ちは変わらない、桃香さんの言葉が嘘だとは思わない。しかし、永遠の愛を誓ってもそれが短命な愛だったりすることが多いように、ひとの気持ちは移り変わることが多い。
「でも、桃香さんの気持ちが変わらなくても、相手のひともそうだとは限らないですよね」
「変わってもええよ。みゅうが大人になって、素敵なひとと恋愛して、しあわせになるのならそれでもええよ。みゅうがしあわせで笑うとるなら、うちはそれで充分や」
桃香さんは優しく微笑した。
「伸びゆく新芽と共にあなたの願いが叶いますように──。
鶴岡八幡宮にそんな言葉があるんやけど、新芽が伸びていくのがうちの願い。新芽が伸びて、成長して、変わっていく姿をみていきたい。その隣にうちがいられれば一番なんやけど」
ひとつの放送枠は三十分。時間がすぎると自動的に終了となる。少し休憩をしてから次の放送をしよう、桃香さんとそんな話をしていると、あたしの携帯電話が鳴った。メールではなくて電話。相手は雪乃さんだった。
「どうしてつぐみが桃と一緒にいるの?」
開口一番、雪乃さんがいった。どうやら今の配信を聴いてくれたらしい。まさか一番最初の放送枠から聴いてくれるとは思わなかったけれど。
「偶然です。昨日、たまたま鎌倉で会いました。それよりも今、雪乃さんのところに美優さんがいませんか?」
「……いるよ」
電話越しに雪乃さんが苦笑いするのが聞こえた。
考えれば単純な話だった。今年の春、桃香さんが東京にきたとき美優さんは一緒ではなかった。鎌倉や江ノ島に捕らわれすぎてしまったけど、美優さんの知らない桃香さんの思い出の場所も考慮に入れるべきだったのだ。
それが下北沢の秘密基地『ムーンストーン』というお店。はじめて桃香さんと出会った場所。秘密基地と呼ばれる由縁はいくつもある。ショットバーなのに手作りのぬいぐるみを売ったり、書道部の日があったり、アニメの上映会をやったり、ジャズのライブをやったり、オーナーの細山田さんの興味が赴くまま好きなことを自由にやっている。
加えて春の伝言板の件もあるから、桃香さんにとっても強く印象に残っている場所のはずだった。桃香さんが美優さんに話さないはずがないし、美優さんが興味をもたないはずがない。
これはあたしの想像にすぎないけれど、江ノ島に行ったあと、美優さんは『ムーンストーン』に行ったのだと思う。未成年で泊まる場所がない美優さんを細山田さんはどうしたのか。彼が泊めてあげてもいいのだけど、男性の家に泊めるよりも、桃香さんの知りあいで信頼できる女性を紹介したのではないか。それが雪乃さんだった。
「さっきの放送、美優ちゃんと聴いてた。昨日は頑なに桃と会いたくないと言ってたけど、今は桃と話したいと言ってる。『ムーンストーン』で合流しよう」
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