第5話

 いつのまにか眠ってしまっていた。

 つぐみちゃん、つぐみちゃん、と呼びかける桃香さんの声で目が覚めた。時刻は朝の七時。椅子に座って寝ていたようで、呆れたように桃香さんが肩をすくめた。

「ぬくうして寝ないと風邪引いてまうよ」

「……ごめんなさい」素直に謝った。

「うち、おなかすいてしもうた。ごはん食べ行くから、はよ身支度しぃ」

 促されて身支度をする。

 昨日買ってもらったワンピースに袖を通すだけで緊張してしまった。洋服は本当によくあたしに似合っている。だからこそ鏡に映るあたしが、あたしによく似た別人のようにも思えてしまう。地味なあたしが、こんなに可愛いわけがない──。

 パシャリ。シャッター音がしたので振りかえると、桃香さんがスマートフォンで写真を撮っていた。もちろん、あたしの。

「記念写真」と桃香さんがにっこり笑う。「せっかく可愛いんやさかい、写真に残さんともったいないよ」

「もう、撮らないでくださいよ!」

 恥ずかしさで大声をあげてしまった。冷静に考えると写真を撮られて困ることはないのだけど、新しい自分の姿に慣れなくて、正常な判断力を欠いてしまっている。気持ちがふわふわして落ち着かない。

 変な緊張は朝食のときまで続いた。ビュッフェ形式のホテルの食事。格式張ったものじゃなくて気軽に好きなものを選べるスタイルなのに、周囲の視線が気になって身体がやけに重く感じてしまう。もちろん、誰かにみられているわけはないのだけど。

「つぐみちゃんは可愛いことに慣れなあかんよ。美人なのに自己評価低すぎやわ」

「あたしは全然美人じゃないですから……」

「ほら、それ。悪い癖や。自分を卑下しすぎとちゃう? もっと自信もってええのに。というても、生まれついた性格を急に直すんはできひんか」

 溜息まじりに桃香さんがいう。もったいないとかいいながら、クロワッサンを千切っては口に運んでいた。

 十七年の人生のなかで美人といわれたことは、実は何度かある。それでも自信がもてないのは、あたしの本質が月だから。夢村月海と書いてゆめむらつぐみと読む、まるで芸能人のような名前と、体格が小学生並に小さいこと以外に、あたしには特徴がない。友達も少なく、いつも引きこもっては本を読んでいる地味な子。物語の主人公にはなれない、あくまで脇役の月。それがあたしだった。

「つぐみちゃんの性格のことは今後の課題にするとして、今日は長谷に行こうと思うてるの」

「長谷ですか?」

 長谷は鎌倉の大仏がある場所。季節はもうすぎてしまったけれど、紫陽花で有名な長谷寺もある、代表的な観光スポットのひとつ。

「旅行したとき、長谷の武器屋でみゅうがえらいはしゃいでたの。もしかしたら今回も行ってるかも」

 武器屋というのは、もちろん本当の武器屋ではなく実際はお土産屋さん。お店の名前は『山海堂』という。お土産屋さんなのに、アニメやゲームなどに登場する架空の武器や歴史上の人物が使っていた刀の模造刀を売っている不思議なお店。

「長谷でも手がかりがなかったら、小町通りとか鶴岡八幡宮とか捜しますか?」

「せやね。それでいこ」


 藤沢駅から江ノ電に乗る。

 藤沢から江ノ島、そこからしばらくして長谷に到着する。──なにかが引っかかった。

 昨夜もなにかが引っかかって、結局その正体がわからなかった。ヒントがないかと思い車内の路線図を確かめる。

 藤沢、石上、柳小路、鵠沼、湘南海浜公園、江ノ島、腰越、鎌倉高校前、七里ヶ浜、稲村ヶ崎、極楽寺、長谷、由比ヶ浜、和田塚、鎌倉。

 路線図をみても、なにも掴めなかった。あたしはなにが気になっているのだろう。大切なものを見落としているような気もするのだけど──。

 車両はいつのまにか車道を走っていた。江の島駅と腰越駅の間だけ江ノ電は路面を走る。窓から外をみると自動車や歩行者、鎌倉の街並みが映る。腰越をすぎると今度は家と家の間の細い路地裏のような場所を走り、しばらくすると開けた場所にでて海がみえてくる。

「あ……」

 あることに気づき、声をあげてしまった。思いがけず大声になって乗客の視線が集まってしまう。食堂のときとはちがって、今度は本当に注目されたので赤面してしまった。恥ずかしい。

「桃香さん、次降りましょう」

 目的地の長谷までは数駅ある。桃香さんは怪訝そうにしていたけれど、あたしは彼女の手を引いて降りた。

 到着駅は鎌倉高校前駅。

 電車が発車すると駅のホームからは穏やかな海がみえる。無人駅の鎌倉高校前駅は登下校する高校生たちのラッシュの時間からずれれば、ひとは少なく静かな場所。こんなときでなければ駅のベンチに座って、なにも考えずに海を眺めてのんびりしていたい。そんな場所。

「急にどうしたん?」

 桃香さんが訊ねた。なにから話せばいいのだろう。急いで頭のなかを整理する。

「……美優さんのブログ、更新されていますか?」

「みてへんかったね」桃香さんはスマートフォンを取りだした。「うん。更新されとる」

 画面をみせてもらうと、『秘密基地』というタイトルで短い記事ができていた。内容は「なぜか今日は一日書道部員になっています」というもの。筆で書かれた「永久」という文字の写真も載っている。更新日時は昨日の夜十一時半。

 やっぱりそうだ。あたしは確信した。美優さんは今、鎌倉にはいない。けれど意外と近くにいる。

「ねえ、桃香さん」と訊いてみる。「あたしは昨日、桃香さんとホテルで一緒でしたけど、美優さんはどこにいたと思いますか?」

「鎌倉に知りあいがいるなんて聞いたことないし、お金もそんな持ってないやろし。ネットカフェに泊まったりしたんちゃう?」

 桃香さんは当然のように答えた。あたしの疑問が逆に不思議なような口調。桃香さんなら、そう答えるのも仕方がないのかもしれない。けれど、桃香さんと美優さんには決定的なちがいがある。

「ネットカフェはないですよ」

「どうして?」

「泊まれないからです」

「え?」

「美優さんはネットカフェに宿泊できないんです」

 あたしは断言をした。

 中学生である美優さんは深夜のネットカフェの利用はできない。地域ごとに差はあるものの、条例などの関係で未成年の深夜の利用は制限されている。当然、カラオケボックスやファーストフード店などで一夜をすごすこともできない。いくら長期休暇であったとしても、美優さんが深夜に出歩くことは難しい。未成年であるが故に。

 けれど、昨日の夜にブログの更新をしている。秘密基地で書道部な写真のブログを。少なくとも江ノ島を去ったあと、どこかで泊まったことになる。つまり、

「美優さんには協力者がいるんです。あたしが桃香さんにそうしてもらったように、美優さんが寝泊まりできる場所を提供しているひとがいるんですよ。間違いないです」

 それと、と心のなかでつけたした。もしかしたら、桃香さんに魔法をみせることができるかもしれない。

「一度ホテルに戻りましょう」

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