グルメモリ
いさき
第1話
一体、自分は何がしたいんだろう──。
いつの頃からか、そんなことを考えるようになっていた。
何をしても空しくて、ただ、心が空っぽになっていく毎日。
目標がある訳でもなく、かと言って大人達の言う当たり前に従うことにも抵抗を覚える。
別に、これといったきっかけがあるわけではない。ただ、気が付いたら僕はそういう生き物になっていた。
一体、どこへ向かっているのだろう──。
そんな判然としない疑問に答えも出せないまま、ただただ日常は過ぎ去っていく。
まるで、早送りの映像のように繰り広げられるクラスメイト達のやり取り。
その光景を前にして、僕は世界に一人……取り残されているような感覚を覚える。
一体、僕はどこに居るんだろう──。
それは、前にも後ろにも進めない宙ぶらりんの日常。
そんな日々の中で僕は彼女と出会った。
♢♢♢
「待っていたよ。
僕を呼ぶ声に目を開く。ボヤけた視界の中、一人の少女の姿が目に映った。
「おはよう……いや、おやすみと言うべきかな。この場合には」
何がおかしいのか、こちらを見て彼女はクスクスと笑う。
僕はそんな彼女の名前を呼んだ。
「やぁ、エリス。一週間ぶりかな」
「あぁ、ええと……そうだね」
少し数える素振りを見せて、彼女は答える。
透き通るような白い肌には真紅のドレスを纏い、金色の長髪の奥からは深緑の瞳が覗く。アンティークチェアに鎮座する、その現実離れした姿は見惚れてしまう程に美しかった。
「なんだい。そんなにまじまじとこちらを見て」
「いや、なんでも……それにしても、相変わらず殺風景だな」
僕は彼女から目を逸らし、周囲を見渡す。
おおよそ、風景と呼べるような光景は一切存在せず、どこまでも白い空間が広がっている。この場に存在するのは僕とエリス、そして彼女が座るアンティークチェアだけだった。
「必要ないからね。ここは目的を果たすためだけに存在する場所だ。腰掛けさえあれば十分なんだよ」
「そんなもんか」
「あぁ。君達、人間風に言うのならシンプルイズベストというやつだよ。それよりも祥平、例の物は用意出来たんだろうね?」
不意に彼女の目が怪しく光った気がした。
僕は、この非日常感に少々の恐怖と多少の興奮を覚えながら答える。
「あぁ、大丈夫……今回のは上物の筈だから」
「そうか。それは期待出来るね」
エリスの口角が吊り上がった。
整った口元から二本の犬歯を覗かせる。その画は、まさしく捕食者のソレのように僕には思えた。
何故なら、彼女……エリスは──。
「それじゃ早速、今回の記憶を渡してもらおうか」
──人の記憶を貪る、夢魔なのだから。
♢♢♢
エリスと出会ったのは、一月ほど前のことだった。
その頃、桜が舞い散る中で僕はめでたく進級した。
高校二年生……大人からは子供と見なされ、年下の子供達からはやたらと大人に見られる中間地点。転期と言える頃合いでもなく、人生において中途半端極まりない年頃。
特段何か変わった気もせず、僕は日々を過ごしていた。
ところが、そんな僕とは相反して教室は俄かに騒がしくなった。
周囲では色々なことが変わったらしい。
ある人は先輩となり、指導で忙しくて仕方ないと語った。また、ある人は進級をきっかけに、新しい友人や恋人が出来たと喜んでいた。
学校には秘密でバイトを始めたという人も居る。
「へぇ、そりゃ良かったね」
だが、僕はどこか一歩引いた目線で彼らを眺めていた。
別に、誰も話す人が居ないとか……そんな重度のディスコミュニケーション界隈に生きている訳ではない。
ただ何となく、僕はこの空っぽな日々の中……積極的に誰かと関わり合いになろうとも思えなかった。
そんなある日のこと、僕の前に彼女──エリスが現れた。
真っ白な空間にただ一人佇む彼女は、僕に告げた。
「ここは君の夢の中。そして、私は夢の中にだけ現れる悪魔……即ち、夢魔だ」
「あ、そういうのは間に合ってるんで」
当然、僕は初めは一夜限りの悪夢でも見たのかと思うことにした。
正直、いきなりそんなことを言われても困る。
ところが……それから僕は毎日、エリスの夢を見るようになった。
「君も強情だな。この世界は曖昧かもしれないけど、しかし、確かにこの私……エリスは存在しているんだ。諦めて私の話を聞いてほしいんだけどな」
やがて、五日連続で彼女から同じ話を聞かされた僕は、ついに折れた。
「あぁ、分かったよ。それで悪魔が何だって?」
「はは……理解が早くてたすかるよ」
エリスは極めて皮肉な笑みを浮かべると、本題を切り出した。
「相模祥平。私が君の下へと現れたのは他でもない。分けてもらいたいものがあるからなんだ」
「分けてもらいたいもの?」
見当もつかなかった。そもそも夢魔などという非現実的な存在を認めることに、こちとら精一杯なのだ。
ポカンとする僕を前に、彼女は声のトーンを落とす。
「あぁ。私達、夢魔は君達……人間のあるものを頂いて生きている」
真剣な表情を浮かべるエリスを前に、僕は生唾を飲み込む。
「さて、ここで一つクイズだ、相模祥平。君は人間が何故夢を見るか……知っているかな?」
「何故、夢を見るのか……か」
(何だろう……以前、本で見たような気がする……)
僕は必死に頭を回転させる。そして、朧げに残った記憶を口にした。
「確か、記憶の整理を行っている……だったかな」
「正解。君達は睡眠を取り、夢を見る。それは記憶の整理を行っているからだ。では、夢魔たる私達が何を求めて、その世界に現れるのか……」
「まさか……」
行き着いた可能性に僕は言葉を失う。
「そう。それは記憶──それも出来る限り質の良い、君達の正の感情に満ちた記憶。それを夢の中で私達は少しずつ分けてもらっているんだ」
彼女は続ける。
「だから、私は君の記憶を頂きに来た」
「僕の、記憶……」
「そうだ。君の、君自身の記憶だよ。相模祥平」
そう言って、妖艶な笑みを浮かべるエリス。その姿から僕は目が離せなくなっていた。或いは既にこの時、僕は彼女の術中にはまっていたのかもしれない。
「もし、嫌だと言ったら?」
「その時は……分かっているよね」
ニヤリと口元を吊り上げるエリス。
彼女は自らを悪魔と称した。おおよそ、ロクなことにならないのは察しが付く。
かと言って、記憶などおいそれと渡して良い物であろうはずもない。
「で、でも、そんな……記憶を頂くだなんて……僕は、どうやって生きていけばいいんだよ」
すると、狼狽る僕に彼女は言った。
「それは安心して欲しい。何も毎日という訳じゃないし、頂く記憶はほんの少しだけだ。もちろん、君の前に姿を現すことは容易だが……私は小食でグルメなんだ」
(いや、小食って……グルメって……)
何となく、この場に似つかわしくない言葉に僕は少々脱力する。
そんな僕に、彼女は告げた。
「つまりは数日に一度……私の気が向いた時、君は記憶を差し出してくれればいい。君が最も充足していたと感じる、上質な記憶をね」
♢♢♢
「私は君の記憶を頂きに来た」
確かにあの時エリスはそう言った。
そして、その言葉通りに彼女は数日に一度、夢の世界へと姿を現した。
「待っていたよ。相模祥平」
そう言って、エリスは毎回……アンティークチェアに座って僕を出迎える。
中一日で現れることもあれば、一週間ほど間を開けることもあった。
「それじゃ早速頼むよ、祥平」
僕はエリスの言葉に従い、記憶を差し出す。特別難しいことは何もない。
彼女を前にその時の記憶を思い返す。すると、エリスにはその内容を判別することが出来るらしい。
「うぇっ! なんて辛気臭いんだ。相模祥平、君はもう少し楽しく生きられないのか?」
「そう言われてもね……」
「こんなのを食べたらお腹を壊す。もう少しマシな記憶は無いのか?」
毎度毎度、彼女は僕の記憶をくそみそにこき下ろす。
どうやら、グルメを自称する彼女にとって、僕の記憶というのは味見すら憚られるレベルらしい。
「やり直し!」
その言葉と共に目を覚ますのが、いつしか僕の新しいルーティーンとなっていた。
なぜ、僕なのだろう、人の記憶に対して失礼なんじゃないか、適任者は他にも居るのではないか……等々、様々な疑問が湧いて出る。
「やり直し!」
しかし、いつも最後にはエリスの姿が頭の中に浮かんで消えなかった。
「やり直し!」
「やり直し!!」
「やり直し!!!」
そして、この奇妙な逢瀬を重ねるうち、彼女と少しでも一緒に居たい──いつしか僕はそう思うようになっていた。
♢♢♢
「やり直し。相変わらず、辛気臭くて味気ない記憶だ」
いつも通り、記憶を渡した僕にエリスはそう言った。
正直、今日の記憶なら彼女を納得させられると僕は思っていた。
今しがたスマホゲーで限定キャラを引き当て、非常に充足した気分を味わうことが出来たのだ。ここ一月の間で、最も印象的な出来事と言っていい。
ところが……そんな僕にとっての幸福は彼女のお気に召さなかったらしい。
「そもそも、何故、君が差し出す記憶はいつも一人でいる時の記憶ばかりなんだ。こんな単調な記憶ばかり渡されても困るんだよ」
人の記憶を口を開けて待っているだけの輩が何を言うか……と、口にしかけたが飲み込む。あるいは、世の母親はこんな気分を毎日味わっているのかもしれない。
「それじゃ、僕はどうしたら良いんだよ」
感情を抑え、僕は静かに尋ねる。
すると、エリスは事もなげに答えた。
「まぁ、つまりは簡単なことだよ祥平。君達流に言うのなら……リア充! そう、君はリア充になって、私に美味しい記憶を食べさればいい」
「まったく、簡単に言ってくれる……」
僕がため息を付くと、エリスはやれやれと首を振る。
「別に簡単じゃないか。何も……人を殺してくれだとか、為政者になってくれだとか、恋人を百人作ってくれとか言っているわけじゃない」
(いやいや、それは対比が滅茶苦茶すぎるだろ)
僕は一人、心の中でツッコむ。それを知ってか知らずか、エリスは僕の両目を覗き込んだ。
「ただ、君が自ら誰かと接すれば良い。それだけのことじゃないか」
「いや、しかし……」
僕は俯く。すると、彼女は呆れたような声を出した。
「はぁぁぁぁ……何だ。ヘタレ祥平にはもう期待出来ないのか。それなら、もう他の人の記憶でも……」
「分かった! やるよ! やってやるよ!」
気が付けば、僕はそんなことを口走っていた。
全く非合理的だった。自らの夢に巣食う夢魔が出ていこうとしてくれているというのに、僕はそれを引き留めてしまったのだ。
それも、自らが避けてきた問題と直面するというオマケ付きで……。
(クソッ!! やられた!!)
そう思った時には既に遅かった。エリスはまるで「計画通り」とでも言いたな、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「期待してるよ。相模祥平」
でも僕は、やっぱりその表情から目が離せなかった。
♢♢♢
「あ、あの! 僕もいいかな」
翌日、放課後の教室に僕の声が響いた。
それはこの後……皆でカラオケに行くだとか……確か、そんな他愛のない日常的な会話だった。
いわゆる、クラス会という奴だったと思う。
僕はその会話に割って入った。
これまでだったら考えられない行動だ。しかし、エリスにあそこまで言ってしまった手前……僕も後に引くことが出来なかったのだ。
「えっ……相模君も?」
まとめ役の学級委員長──大泉君が目を丸くする。
これまで、積極的に絡もうとしなかった人間が突然動くと、得てして周囲はこういった反応をする。
想定されたことだ。しかし、そこには言いようの無い気まずさがあるのも事実。
「相模君。こういうの嫌いな人かと思ってたから、ちょっと意外だよ」
「あ……はは、そうかな」
僕は笑って誤魔化す。
すると、一人の女子が委員長の肩を叩いた。
「まぁいいじゃん。それじゃ、相模君。今日の夜六時くらいに駅前に集合でよろしく」
「あ、あぁ。よろしく」
「じゃあ私、部活あるから。またねー」
そう言って、風のように彼女は去っていく。ショートカットの似合う、スポーティな印象の子だった。
その後ろ姿を見ながら、委員長はため息を付く。
「まったく、清瀬さんは強引で困ったもんだよ」
僕はその時、彼女の名前が清瀬さんであるということ。そして、女子の委員長が彼女であることを思い出したのだった。
♢♢♢
クラス会は滞りなく行われた。
まずはファミレスで食事を取り、その後カラオケへと移動。最後は青少年保護育成条例に引っ掛かる前に解散という、何とも健全な会だった。
僕はファミレスでは無難にボロネーゼを注文し、カラオケはそれなりにメジャーな曲を1曲、適当に歌った。採点は82点だった。
多分、その場にはそれなりに馴染んでいたと思う。
きっと、これならエリスも納得してくれるだろう。
でも……本当にこれで良かったのか……?
結局のところ……僕は、エリスに踊らされているだけではないのか?
(やめろ、考えるな)
頭に浮かんだ考えを振り払う。
「おーい、相模君。置いてっちゃうよー」
するとその時、前方から声が響いた。
「あっ……ご、ごめん」
僕は、こちらを振り返る清瀬さんの下へと急ぐ。
「相模君、どうかした?」
「いや、大丈夫。ちょっと考え事してて」
「それならいいけど」
それ以上、こちらを追求することなく清瀬さんは再び歩を進める。
僕はその横に並んだ。
「それにしても、まさか、すぐ近くに住んでたなんてね」
「あ、あぁ。そうだね」
これまで登下校の時間が被ることも無く、全然気が付かなかったのだが……僕と清瀬さんの家は、お互いに徒歩三分程度の距離に位置しているらしい。
(もっとも、僕の方は彼女の名前も知らなかったので気付きようも無いけど……)
そんな事情から僕達はいま、帰路を共にしているのだった。
「いやー、すっかり真っ暗だね」
「まぁ、もう一〇時だからね……」
街灯が照らし出す国道沿いを南へと進んでいく。
本来なら路地裏を通っていくのが近道なのだが、夜も深い。流石に女子をそんな裏道へ通すのは気が引けた。
「んー、楽しかったー。久々のカラオケでテンション上がっちゃったよ!」
「はは……」
清瀬さんの言葉に僕は苦笑する。
その言葉の通り、カラオケにおいて彼女はまさしくお祭り状態だった。
椅子の上に立ち、身振り手振りを交えて熱唱。しまいには、他の人が入れた曲に乱入したりと、やりたい放題。
まさしく、自分とは対極にいる人なのだろうと……そう思わされた。
「やっぱり、あういう場は全力で楽しまなくっちゃね! 相模君もそう思うよね?」
「ま、まぁ……」
やはり、僕は苦笑いを浮かべることしか出来ない。
「あ……あはは……」
下を向いて、どうにかお茶を濁そうとする。
すると、そこにはドアップの清瀬さんの顔があった。
「ふーん」
「って、うわぁ!!」
堪らず僕は後ずさる。
屈んだ清瀬さんがこちらを覗き込んでいた。
「ねぇ、相模君。本当に楽しかった?」
「それは……」
まじまじと見つめられ、僕は回答に窮する。
何故だか、冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。
「た、楽しかったよ」
僕は引き攣り笑い浮かべながら答える。
すると清瀬さんは笑顔で言った。
「良かった。それじゃ、第二回・三回も参加してね」
「へ?」
何かの聞き間違いかと思い、僕は清瀬さんに問い返す。
だが、現実は残酷かつ唐突だった。
「私、委員長だからさ。クラスのみんなが仲良くなれるように、定期的にクラスでイベント開いていくつもりなんだ! だから、よろしく!」
「は、はぁ……」
内容に頭が追い付かない。だが、清瀬さんも止まらない。
「ちなみに、うちのクラスでこの話するの、相模君が最後だったんだ。良かった。これで全員だー!」
どうやら、とんでもないことに巻き込まれてしまったらしい。
引き続き、僕の顔面には引き笑いが張り付いていた。
♢♢♢
「ギャハハハハ。あー、おかしい! 腹がよじれる!!」
目の前では、金色の長髪が転げまわるようにして爆笑している。
僕はその失礼な金髪に向かって、声を荒げた。
「笑いごとじゃないんだよ! まったく!」
「いやいや、笑うなって言う方が無理だろう!! 確かに、私は誰かに声を掛けろとは言ったけど……まさか、ここまで話が一気に進むなんて予想してなかったからね」
「僕だって予想外だよ! せいぜい、カラオケ程度で終わりだと思ってたんだよ! それが何だよ、第二回……三回って……」
思い出すだけでむずがゆくなり、僕は頭を掻きむしる。
すると、エリスは姿勢を正し、こちらへと向き直った。
「あー……おかしかった。でも、良かったじゃないか」
「一体、どこが!?」
僕はエリスに食って掛かる。
すると、彼女は笑みを浮かべながら答えた。
「きっかけはどうであれ、君の辛気臭くて、味気なくて、湿気た日々にもようやくまともな兆しが見えたってことじゃないか」
「それは……」
確かに、そうかもしれない。
結局のところ、クラスメイト達と一方的に距離を置いていたのは僕の方だったのだ。そのことが分かっただけでも一歩前進と言えるのかもしれない。
「現に、今日……君が持ってきた記憶は、悪くなかったよ」
そう言って、エリスは舌なめずりをする。
瞬間、世界が揺らめく。頭の中の何かが抜き取れたような気がした。
「あれ? 僕は一体、何を……」
視界が暗転する。
そのまま僕は意識を失った。
暗闇の中、最後に僕はエリスの声を聞いた気がした。
「ごちそうさま、祥平。第二回・第三回も期待してるよ」
♢♢♢
それからの日々は、筆舌に尽くしがたいものとなった。
第一回のカラオケに始まったクラス会は第二回、第三回……と繰り返されたようで、気が付けばソレは第四回を数えるまでになっていた。
僕自身には記憶が無いものの、清瀬さんと何らかの約束をしてしまったらしい。
僕はいつの間にか第二回以降のクラス会にも参加する運びとなっていたのだ。
もちろん、強制というわけではなく自由参加のイベントである。回によっては、数人しか集まらないこともあったという。
しかし、どうやら僕はその会に皆勤賞で参加しているようだった。
だが、僕にはその記憶がない。第一回のカラオケだけは記憶に残っているが、それ以降……どういった会が開催されたのか、それを僕は憶えていないのだ。
でも、それで良かった。
「うん、いいね。最近の君の記憶は、前とは比べ物にならないくらい、美味しそうだ」
そう言って、エリスは僕の思い出を貪る。
僕はその姿に充足感を感じていた。
そして今日、河川敷で行われる第四回のクラス会はバーベキュー大会だった。
休日にも関わらずクラスの担任まで監督者として引っ張り出してくるあたり、清瀬さんの人望が伺える。
「さー、じゃんじゃん焼いて、じゃんじゃん食うぞー」
先生のその言葉を皮切りに、第四回のクラス会はスタートした。
しかし、食べ盛りの高校生達を前に、用意した肉達はあまりにも無力だった。大量にあった筈の牛肉は手品のように消えていく。
「おい、俺の肉を取るんじゃねえ!!」「なんだと、この野郎!!」「私、赤身のとこだけ食べたーい」「ムムム、タンはどこですかな」「ちょ、野菜残し過ぎじゃね」
思い思いに、欲望を鉄板へとぶちまけるクラスメイト達。
僕もまたその渦中にあり、いつしか肉の奪い合いにその身を晒していた。
「相模君、今回も参加してくれてありがとう!」
不意に声を掛けられ、そちらへと目を向ける。するとそこには清瀬さんがニヤけながら佇んでいた。
「へぇ……相模君って、そんな顔も出来るんだね」
「え?」
「頬、緩んでるよ」
いきなりそう指摘され、僕は慌てて両頬に手をやる。
瞬間、目の前を箸が通過していった。
「隙あり! 頂き!」
「あっ、ズルい!!」
見事な陽動に引っ掛かり、僕は鉄板で育てていた大量の肉を失った。
「へっへーん、弱肉強食だよー」と、清瀬さんは言った。
そのまま彼女は攫った肉をまとめて口に放り込む。
だが、一度に飲み込める筈もなく、彼女の頬はまるでハムスターのようになっていた。何だかその姿がおかしく思えて、気が付けば僕は笑っていた。
「ひょひょ、わらふなー」
やがて、僕の笑いは伝播し、いつしか周囲は笑い声に包まれていた。その中心には顔を真っ赤にする清瀬さんと僕が居たのだった。
それからしばらくして、彼女はふと僕に尋ねた。
「ねぇ、相模君。今日のクラス会はどうだった?」
「あ、あぁ……楽しかったよ」
僕は自然とそう答えていた。多分、その言葉に嘘はなかったと思う。
(前の記憶も無いっていうのにな……)
何だか不思議な感覚だった。
以前とは違い、こういうのも悪くはないと……そう感じたのだ。
そして何より、きっとこれならエリスも満足してくれる……そう思った。
♢♢♢
「やぁ、待っていたよ。相模祥平」
バーベキュー大会を終えた日の夜、眠りについた僕の夢の中。
いつもと同じ真っ白な空間に、いつもと同じアンティークチェア。
相も変わらず、エリスはそこに居た。だが、その様子がいつもとは異なっていた。
「エリス? どうかした?」
何度も何度も足を組み替え、見るからにソワソワとしている。
「いやなに、少しワクワクしてしまってね」
「そ、そうなんだ」
僕は苦笑いを浮かべる。
すると、彼女は目を爛々と輝かせながら告げた。
「祥平。これから、私は今まで待ち望んだ君の、とある記憶を頂こうと思う」
(来た……!!)
僕は身構える。
どうやら、今回のバーベキュー大会についての記憶に相当の興味を持っていたらしい。望むところだと思った。
「あぁ、任せて欲しい。きっと、これは今までで一番の記憶だから」
僕は胸を張って答える。
今回は今までで間違いなく、一番のポジティブな記憶。エリスにとってはこれ以上無いご馳走となることだろう。
早速、僕は今日の出来事を思い返そうとする。
「あ、あれ? おかしいな」
だが、何故だかうまくいかなかった。
見たはずの光景は象を結ばず、誰が何をしていたのかも思い出すことが出来ない。
それどころか、自分の周囲が歪んでいくように感じられる。
そんな僕を、冷静にエリスは眺めていた。
「突然だけど、祥平。君とはこれでお別れだ」
彼女はそう言った。
「えっ?」
僕は堪らずに聞き返す。
すると、エリスは妖艶な笑みを浮かべて答えた。
「ようやく、ようやくだ。待ちに待った日が来たんだ。君が自信を手に入れて、その上で私に自らの記憶を差し出そうとする、その瞬間が」
「何を言ってるんだ……」
ふと、悪い予感を覚える。
この先の言葉は聞いてはいけないと、脳が警告を発する。
僕は耳を塞ぐ。だが、そんな僅かながらの抵抗は意味を為さなかった。
「無駄だよ」
彼女の声が脳裏に響く。
考えてみれば単純な話だ。ここは僕の夢の中なのだ。いくら耳を塞いだところで意味などある筈もない。
エリスは淡々と告げる。
「いいかい、祥平。私は、君の持つ私についての記憶を頂く」
瞬間、僕の脳が沸騰した。
「そんな……どうして!? どうして、そんなことをするんだ!!」
ただ……エリスが、彼女が居れば良かった。
だからこそ、僕は記憶を……思い出を作ろうとした。
彼女に、それを差し出すために。
それなのに──。
「それなのに……君を忘れたら、僕は何のために生きていけばいいんだよ! 思い出を作ればいいんだよ!!」
「祥平。これから君は、君自身のために生きるんだ」
「僕……自身……」
僕は、とっさに彼女の言葉が消化できなかった。
エリスは、そんな僕に諭すように言った。
「それに、言ったじゃないか。私はグルメだって。
君の私に対する純粋な想い……その記憶。それこそ、私が本当に求めていた甘美な記憶なんだ」
「まさか……そのために……」
僕の頭の中で、全てが繋がる。
あの怪しげな笑みも、思わせぶりな発言も……これまでのエリスの行動、その全てがこの時のためのものだったのだ。
つまり、彼女は最初から──。
「共存共栄ってやつだね。私達、悪魔も搾取するだけでは生きていけないご時世なんだ。だからこそ、私は目的を達成し、君もまた自分を変えることが出来た。だから祥平、私は次の宿主を探すよ」
「嫌だ! やめろ! やめてくれ! エリス!!」
だが、それでも僕は喚いた。
みっともなくてたって構わない。
彼女が居てくれるなら……。
「大丈夫だよ、祥平。記憶は無くとも……もう君の周りも、君自身も以前とは違うはずだ」
しかし、その願いは叶わない。白の世界は崩壊を始め、彼女の姿は朧気になっていく。
「そんな……」
「だから、私なんて居なくても、君はこれからも大丈夫だ」
やがて、僕の意識はブラックアウトする。
最後に、誰かの声を聞いた気がした。
「バイバイ、祥平。楽しかったよ」
♢♢♢
気が付けば、僕の頬を涙が伝っていた。
どうして泣いていたのだろうか。考えても答えは浮かんでこない。
カーテンを開けると、窓から日差しが差し込む。
そんないつも通りの朝。
ただ……何か、大切な物を失ったような気がする。
でも、それが何なのかも分からない。
──君はこれからも大丈夫だ。
ふと、誰かがそう言っていた気がする。
それが誰かは分からない。
でも──。
「うん、僕はきっと大丈夫」
何となくそう思った。
グルメモリ いさき @isakimaru
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