■エピローグ

 カタクリやイチリンソウ、ニリンソウなど、冬の終わりに花を咲かせて真っ先に春の訪れを教えてくれる植物のことを〝スプリング・エフェメラル〟と言うらしい。

 エフェメラルとは〝儚い〟とか〝つかの間の〟という意味の形容詞だそうで、直訳すると『春の儚いもの』『春の短い命』だという。早春の時期に花が咲き、夏まで葉をつけたあとは地下で過ごす一連の草花の総称だというから、いかに春先の短い間にしか見られない植物なのかということがよくわかる呼び名だとすみれは思う。

また、その可憐さから〝春の妖精〟とも言われるそうで、そのことを田屋に教えてもらったとき、なんてかわいらしくて幻想的な響きなんだろうと思った。

「すみれさん、すみれさん、見てください。春の妖精とは違いますけど、これも僕たちにとっては嬉しい嬉しい〝春の便り〟なんじゃないでしょうか」

「わあ、本当だ。もうすぐそこまで春が来ているんですね」

「そうですね。天ぷら、つくだ煮、おひたし……どんな料理にしましょう?」

「田屋さんったら、食べることばっかり」

「ふき味噌もすごくおいしいですよ。ごはんがめちゃくちゃ進みます」

「あははっ」

 土手を散策していた田屋に呼ばれてそばまで行くと、指を差した先に顔を出したばかりのふきのとうが、ぽつぽつと生えていた。すぐに食べることと結びつく、いかにも田屋らしい台詞に笑ってしまいながら、けれどすみれは、もうすぐ季節が一周しようとしていることをひしひしと感じて、胸の中がじんわり温かくなっていった。

 三月。

雪解けの便りはまだ少し先だけれど、すみれたちが住む地域では、緩みはじめた寒さや柔らかな陽光とともに草木が徐々に芽吹きはじめ、こうして春を告げてくれる野草たちも、それに誘われるように、ちょこちょこと顔を出すようになっていた。

田屋がシフト休みの今日は『ちょっと早いですけど、春を探しに行きませんか』とフィールドワークに誘われ、近くを流れる川の土手でふたりで春を探している。

田屋の足元には今日の日を待ちわびていた真新しいアウトドアシューズが履かれ、すみれの首元にもかわいらしいネックレスが今日も光っている。クリスマスプレゼントに贈り合ったそれらは、きっとこれからも大事に大事にしていくもののひとつだろう。

「そんなに笑わないでくださいよ。すみれさんだって食べてみたいでしょ?」

 言われてすみれは、う、と押し黙ったあと、こくりと頷く。

 田屋には、食べることばっかり、なんて言ったけれど、すみれの頭の中も同じだ。どの料理もすごく食べてみたいし、実際に作ってみたい。

田屋が挙げたものは、どれもみんな、ふきのとう料理の王道だ。まだ芽が若いうちにだけ食べられる料理なので、厳密には違うものの〝つかの間の〟という意味ではスプリング・エフェメラルと近いものがあるのかもしれないなと、ふと思う。

「ほら。やっぱりじゃないですか」

 そう言って笑う田屋に、すみれも笑い返す。

 空気にはまだ、ほんのりと冬の気配が残っていて、吐く息はうっすら白い。けれど、春はすぐそこまでやって来ている。

 その証拠に、ふきのとうの近くにはつくしも頭を出しはじめていて、よく見ると、冬の間は地面に這うようにして葉を寝かせていたタンポポも、ここ数日の暖かさで、ゆっくりとそれが持ち上がりはじめていた。

「まだ枯れ草が目立ちますけど、もっと暖かくなったら、ここの土手も一面、春の草花であふれるんでしょうね。今からすごく楽しみしです」

 田屋に採りごろになったふきのとうを教えてもらい、自然から〝おすそわけ〟してもらっている最中、ふと顔を上げたすみれは、春真っ盛りの景色を想像して、思わず口元から笑みがこぼれていった。

 去年までは、ただ〝春だなあ〟と思いながら通り過ぎていた景色だ。でも、今年は――これからは、田屋がかけてくれた魔法の中で見る景色になる。ここではどんな野草が採れるんだろうと思うと、今から春の盛りが待ち遠しくてならない。

「そうしたら、また来ましょう。何回だって来ましょう。それに、ここのほかにも、すみれさんを連れて行きたいところがたくさんあるんです。今年は去年以上にフィールドワークに連れ出しちゃいますけど、すみれさん、覚悟はいいですか?」

 すると、ふきのとうを採る手を休めて田屋が言った。

いいもなにも、すみれの返事はひとつしかない。

「もちろん!」

 そう言って笑うと、田屋も嬉しそうに笑い返してくれた。

 そのときふいに、子どものころに見た、あるがままの自然を愛し、慈しみ敬い、共に生きていたイギリスのグランマ自慢の〝ひみつの花園〟を思い出したすみれは、田屋と一緒に見る景色がこれからの自分の〝ひみつの花園〟になるんだろうと思った。

 日本の祖父母から受け継いだたちばな荘の庭も、これからたくさん連れて行ってくれるというフィールドワークの先々で見るだろうさまざまな景色も、それは同じだ。

 そしてこれからは、ふたりの〝ひみちの花園〟を作っていくのだろう。

「持ち帰ったら、まずはアク抜きですね」

「どうやってやるんですか?」

「一緒にやってみましょう。実はけっこう根気が要りますよ」

「そうなんですね。でも、根気や手間なら得意分野です。お任せください」

「すみれさんは頼もしいなあ」

「ふふ」

 ふたりはもう、食べることに夢中だ。

 たちばな荘の庭にも、目に映るそこかしこにも、もうすぐ春がやってくる。


【了】

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下宿処すみれのまんぷく道草ごはん 道端七変化で折々まかない 白野よつは @chibiichigo

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