ガードレールに腰かけてる(9/9)

ふたりに負けないよう、朋恵もありったけの声で叫んだ。

輪郭がはっきりした太陽の前を、一羽の鳥が低空飛行でよぎっていく。

波間を漂うポップコーンが星屑みたいに消えていくさまを三人はずっと見つめた。



「田中社長はどうして前の会社を辞めたんですか?」

店に入ってきたグループ客のざわめきにかぶせて、リクルートスーツが朋恵に訊いた。

送別会の二次会か、花束を抱えた女性がテーブル席に座ると、マスターが人数分のおしぼりを持ってカウンターから出ていく。

「前の会社を辞めたのは事業につまずいたからよ。それが、名前を旧姓に戻す時期に重なったの」

「そのときも社長だったんですよね……すみません……わたし、ネットでいろいろ調べちゃいました」

三杯目のカクテルに手をつけないまま、リクルートスーツが声を潜めた。朋恵は、空(から)になりかけたグラスの飲み口を指でなぞっている。

ふたりの背中側では、客の動きがようやく落ち着き、幹事らしき年長者の声が店内に響く。

「それで、わたしがバツイチなのも知ってたのね。そうなの……旦那と別れて、前の会社をたたんで、いまの仲間たちに出会えたのよ」

隠す過去は何もないといったふうに、朋恵はきっぱり答えた。発した言葉にためらいはない。

「それでまた、別の会社で社長になっちゃうなんてすごいパワーですよね。田中社長って、キャリアウーマンの理想だと思います」

「……田中社長じゃなく、『田中さん』でいいのよ。小さい会社なんだから」

はにかみながら、リクルートスーツは飲み物に口をつけた。ラムとホワイトキュラソーにチェリーのリキュールを入れたカクテルだ。年齢よりも大人っぽく見える外見がグラスを満たす薄紅色に合っている。

「お飲み物は大丈夫ですか?」

カウンターに戻ったマスターがグラスの行方を気遣うと、朋恵はなかなか減りそうにない薄紅色のカクテルとカウンターのボトルを併せ見て、ウィスキーをオーダーした。

「アイリッシュなら、ブッシュミルとタラモアとジェムソンがありますけど……」

「じゃあ、タラモアをいただくわ……随分たくさんのお酒を揃えたのね。お店の雰囲気がとってもステキだわ」

朋恵の言葉に、今度はマスターが照れ笑いを浮かべて、ワンショット分のウィスキーをメジャーカップで計量する。

「……それにしても、よく来てくれましたね」

「一期一会は嫌いなのよ」

「その言葉、憶えてますよ……でも、まさか、こんな早く来てくれるなんて。写真のプレゼントもありがとうございます」

カウンターに据え置かれたA4サイズのフォトフレームの中で、色鮮やかな花が息づいている。

「地中海のそばで咲いてるんですよね」

「そう……それはあなたが教えてくれたのよ。開店のお祝いって言ったら恥ずかしいけど……店の雰囲気に合わなかったら、ご自宅にでも」

「いえ、あとで壁にちゃんと掛けますよ」

マスターと朋恵のやりとりの隣りで、リクルートスーツは携帯電話に向き合っている。

「時間が経つのは早いですねぇ。もう十一年ですか……」

「約四千日ね」

「あっ、そう言い変えると、ものすごく長い時間ですね。四千の夜が過ぎたのかぁ」

言いながら、ウィスキーとチェイサーをカウンターに置く。

「ゴウダさんもいろいろあったんですね……あっ、いまは田中さんか……僕の方は、あの江本とも、次の男とも、その次の次の男とも別れたくらいかな」

「パートナーのことはさておき……若いのにお店を出して……がんばったのね。雇われバーテンダーじゃなくて、自分の城を持つなんてすごいわ」

携帯電話をしまったリクルートスーツが、会話の行方を追いかける様子でおつまみのピーナッツに手を伸ばす。

「あなた、お腹すいてるでしょ。ここのマスターの岡田さんは裏メニューでポップコーンを持ってるはずよ。どう?」

グループ客の生ビールをジョッキに注ぎながら、岡田が昔と同じ笑みを朋恵に向けた。

「……はい、それがうちのいちばんのオススメですよ」


おわり

⬛単作短篇「ガードレールに腰かけてる」by TohruKOTAKIBASHI

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短篇小説「ガードレールに腰かけてる」 トオルKOTAK @KOTAK

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