最終日

 夜が明けて、礼拝堂に集まったのは旅人のエルと、村人のオルガとアレンだった。エルの予想通りウィグマンは喰い殺され、そして吊るされたジュリアの死体は。

「やっぱり人間だったなぁ」

 処刑台の前に立って呟いた旅人の言葉を聞いて、その背後に立とうとしていた男が驚いて足を止めた。

「お前、最初からわかっていたのか」

「人間と人狼の違いは、ぼんやりとならわかるんでね。まあ、信じてもらえないから大抵は黙ってるんだけどな」

「その上で俺たちに協力したのか? お前が噂の狂人だったのか」

 なぜか人間でありながら人間を裏切り、嘘を吐き、人狼に協力するという狂人。その狂った思考以外は見た目から何から全て人間であるため、協力されている人狼でも見分けが付かずに喰らってしまうことがあるという。

「残念ながら、俺はここへ来てからひとつも嘘を吐いてないんだな。思わせぶりに余計なことを言って場を引っ掻き回しただけだ。――なあ、おおかみさん」

「そうだな」

 ぐちゅ、と。肉が抉られる鈍い音が静かな礼拝堂に響く。

 一人と二匹しかいないこの空間で、背後から護身用のナイフで刺された、という状況を刺された男が理解するのに時間がかかった。そんなことは決してあるはずがないのに。

「お前、お前が……!」

「裏切り者はそいつじゃなくて俺だよ、オルガ」

 残念だったなぁと笑う声を聞きながら爪を立て、背後の相手を払おうとして前方への注意を怠ったオルガの喉が切り裂かれる。その返り血を浴びた旅人は手にしたナイフをくるりと回して逆手に持ち、両手でしっかりと力を込めながら人狼の心臓に突き立てた。

「随分と手慣れてる」

「こいつで三十匹目だ。ちょうど故郷の村で犠牲になった数と同じになったな」

 そんなに葬って来たのかと裏切り者の人狼――アレンは少し驚く。人狼は集団で行動しない。多くても今回のように三匹程度だ。その十倍の数ということは、彼の復讐の旅はそれなりに長く続いてきたものなのだろう。

「俺で三十一匹目?」

「そうだな。俺を犠牲者に含めると三十一人だから、お前でとんとんになるのか」

 事切れたオルガ、の姿をした人狼からナイフを引き抜いたエルは、頬についた血を腕で乱雑に拭う。これで礼拝堂に残ったのは一人と一匹。

「さて、約束だ。できればゆっくり喰らってくれよ。お前を殺せなくなる」

「わかってる。お預けされて、やっとありつけたご馳走なんだ。ゆっくり楽しませてもらうよ」

 ナイフを握る。隠していた牙を顕わにする。

 昨夜までは舐めるだけだった首筋に軽く突き立てた牙が、ようやくその肌に深く食い込んだ。流れ出した血をうっとりと舐め、次は肉片を喰い千切るために牙を剥く。その背に突き立てるためのナイフを振り上げて――


「はい、そこまで」


 パンパンと手を叩きながら、教会に入ってきたのは背の高い男。黒い詰襟の長衣を身に纏った神父だった。

「邪魔すんなクソ神父」

「ダメですよエル。それでは話が違うでしょう」

「お前ら教会に協力するのは俺が死ぬまでの話だ。ここで俺が死んだらその話自体がなくなるだろ」

「それは困ります。私たちの仕事が増えてしまうじゃないですか」

 突然言い争いを始めた二人に置いてけぼりを食らっていた人狼が、ようやく事態を把握する。

「お前ら、最初からグルだったのか」

「俺はこの村に人狼がいるらしいと聞いたから来た、って、初日に言っただろ」

 では、誰がそれを旅人に伝えたのか。特定までは出来ずとも、人狼の存在自体を感知できるのは教会の人間だけだ。人狼が紛れ込んだという噂を元に村に赴任した神父が、噂が真実であることを確認して旅人に連絡を取った。そういう流れなのだろう。

「まさか人狼側に協力者が現れるとは思ってもみませんでしたが。しかもその男を喰いたいから、なんて悪食にもほどがあると言いますか。……いえ、そもそも人を喰らった形跡がありませんね。そうか、だから羊たちは騒がなかった」

 そう言って神父が、何かを見極めようとする様子で目を細めて人狼を眺める。確かに彼が言うとおり、アレンを名乗る人狼はまだ人間を一人も喰らっていない。昨夜もその前も、自分はギリギリまで空腹状態にして楽しみたいからと仲間たちに譲った。

 それはとにかく旅人を喰らいたいという欲求が強かったせいだが、それ以前も必要をあまり感じなかった。人を襲うことで人狼として見つかることのリスクと天秤にかけるまでもなく、普通の人間として暮らしている方が圧倒的に安全である。

 人狼であれば抗えないほどに強く持っているはずの、人を喰らいたいという欲求そのものが薄かった。

「あなたもしかして、生まれつきの人狼ですか?」

「どうしてわかるんだよ」

「それはもちろん、敬虔な神父ですので」

 当然です、と粛々とした様子で胸を張る男に、旅人は冷ややかな視線を向けた。

「あいつは大教会で特殊な訓練を受けてるんだよ。対人狼殲滅部隊としての」

 だからクソ神父なんだと嫌そうな顔で吐き捨てたエルは、手にしていたナイフを床に投げ捨てた。

「これでいいだろ」

「おい」

「悪いな人狼。教会と奴にはいろいろと助けてもらってる恩があるんでな。まあ俺にとっても人狼殺しに便利だから利用させてもらってるけど」

「うぃんうぃんの関係、ってやつですね。復讐のために人狼を殺したいあなたと、人々のために人狼を減らしたい教会と。――それでそちらの彼にご提案なのですが」

 にこやかに笑顔を浮かべながらどんどん話を進めていく。やり口としては旅人に似ているが、その当人がナイフを投げ捨ててさっさと諦めた様子を見せている。これは間違いなく厄介な部類の人間だと、人狼は身構えた。

「なんだ」

「村人に擬態した人狼と人間との間に生まれた、生まれつきの人狼。話には聞いていましたが本物を見るのは私も初めてです」

「大教会の研究室で見たぞ。剥製だったけど」

「ああ、それは大事な研究資料ですので」

「俺も剥製にするのか?」

「とんでもない! あれは見つけた時には既に処刑済みだったから、死体を剥製にするしか残す方法がなかったのです。あなたはまだ生きている。そしてまだ一度も人を喰らっていないから教会の処分対象にはならない。むしろ貴重な存在として観察、保護対象になりますね」

「つまり?」

「教会と契約し、人狼殲滅にご協力いただきたい」

 ここまでの話の流れなら当然、そういうことになるだろうとは予想できたが、実際に言われるとさすがに驚きを隠せない。

「教会がそれでいいのか」

「もちろん監視はさせていただきますが。エルは人狼を効率よく殺せる、あなたはエルを美味しくいただく、そして我々教会の仕事が減る。良いこと尽しではないですか」

「いや、途中おかしいだろ。俺喰われてるぞ」

「殺さずに楽しむ方法なんて、いくらでもあるでしょう?」

 ここまで人を喰い殺さずに生きて来たのなら、人の味を覚えてしまった他の人狼とは違い『食事』自体への欲求はそこまで強くないはずだ。何か別の方法で満足することはできるだろう。

「ほら、食欲と性的欲求は近いと言いますし。その辺りで手を打ったらいかがでしょうか。そして、お二人が失敗したその時は最後の晩餐として召し上がってください。特異な事例としてしっかり記録させていただきますね」

「……なるほどクソ神父だな」

「だろ」

 そして拒否権はほぼ無いに等しい。用意された選択肢は、教会と契約するか、教会のお尋ね者になって殺されるかのどちらかしかない。

「あーあ。ここで終わっても良いかなって、思ったんだけどな」

「エルにはまだまだ働いていただきますよ」

「へいへい」

 とりあえず血を落として着替えないと、その前に手当てが先か、と首筋の傷口を確認している旅人に人狼は問う。

「本当にそう思ったのか」

「……復讐心だけで続けるには、ちょっと旅が長すぎたな」

 村人を喰らい殺した人狼たちへの憎しみは燻り続ける火種のようなもので、薪を投げ込めばすぐに大きく燃え上がる。それを繰り返してここまで来たけれども。

「まあ、目標だった三十匹を仕留めたところだし。次は百匹を目指すのも良いか」

「お前そんな、そんな軽い感じでいいのか」

「だから生き残っちまったんだろうなぁ」

 思えば『あの時』も最後に一人と一匹が残って。他の人狼を仕留めることはできたし、もういいか、と。諦めて抵抗しなかったから教会の救助が間に合ってしまった。

 そして彼と同じように神父から教会との契約を持ち掛けられて。自分は終わりのない復讐の旅を選んだ。

「お前はどうするんだ? 教会の犬になるか?」

「……それでお前が喰えるなら、俺はそれを選ぼう」

「だってさ」

「びっくりするほど愛されてますね、エル。とても良いことです」

 愛を語れば、なんかいい感じに話がまとまりますから。

 そう言ってニコニコと笑う神父の、ひどい胡散臭さはいつものこと。こいつはさっきから何なんだ……と、何とも言えない微妙な表情を浮かべている人狼の横で、既に諦めている旅人は黙ってため息を吐く。

 復讐の旅は、まだしばらく終わりそうになかった。



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旅人と狂狼 おがた @kirimono

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