#52 : Masquerade / ep.4

「ああーっ! 琴音の挨拶見逃したーッ!」


 息せき切って飛び込んだ凛子は、すでに歓談の最中にある会場の様子を見て途方に暮れた。

 ホテル・マーベリック。グランドレセプションホール、メイン会場。

 来客達の会話を邪魔しない程度の音量で、クラシックが響き渡っている。思わず凛子は手元の時計を確認する。午後七時を少し回ったところ。ダンスパーティーの開幕には間に合ったが、本番までほとんど時間は残されていない。


「琴音の挨拶だけが……愉しみだったのに……」


 出入口そばの壁にもたれて、凛子は疲れて震えている足を擦った。

 凛子は律儀にもシャンディの言いつけを守っていた。琴音の儀式が終わってすぐ、久瀬文香の元へ向かって、例の四つ以外のステップを教えてくれと懇願したのだ。事情を話しても文香は「何故?」と言った調子だったが、レッスンには応じてくれた。結果、凛子は限られたわずかな時間で三つのステップをどうにか習得した訳だが――


「それもこれも全部あの女のせい! だいたいどこ行ったのあいつ!?」


 このままではくたびれ損だった。凛子は会場を見渡すも、会場内は客が多い。探そうにも慣れないステップで足がかくつき、全力疾走して息が上がっている。

 少し休んでからにしよう。そう感じて壁にもたれて呼吸が落ち着くのを待っていると、その場にまるで似合わない看護師ナース服姿の女性に話しかけられた。


「白井さん、みーっけ!」

「へ?」


 顔を上げる。立っていたのは柳瀬董子だった。


 *


「……そんなことだろうと思っていました。臨時で招待客が増えるなんて普通は考えられませんから」


 董子に連れられてやってきたのは、ホールそばの小さな控室だった。

 関係者以外立入禁止。札が掛かった扉の内側に、タブレットを眺めながら椅子の上にあぐらをかいてココアシガレットを貪っている早苗の姿があった。何故かバニーガール姿で、あからさまに不機嫌なのが目を引く。やさぐれバニーちゃん、と凛子は心の中で勝手にあだ名を付けた。


「コスプレ趣味なの……?」

「着たくて着てる訳じゃありません」

「私は着たくて着てまーす!」


 看護師姿でどこまでも浮き足立っている董子の一方、早苗は「触れてくれるな」と無言の圧力で凛子をにらみつけてくる。

 何か悪いことでもしただろうか、と自問して、そういえば瀬田麻里亜として潜入したことを思い出す。早苗は日比谷側の人間だ。すなわちバレてしまったことになる。


「あ、いや、私は白井凛子じゃなくて瀬田麻里亜で!」

「どちらでもいいですが助かりました。貴女が居るということは、彼女も会場に潜入しているということですから」

「か、彼女?」


 早苗が持ち寄ったタブレットを、傍らの董子と共に覗き込む。映っているのは場内の映像だ。来客達の顔がよく見える。

 早苗はタブレットとは別に、スマホで指示を飛ばす。


「飯田くん、もう一度場内をくまなく撮影して回ってください」


 指示からやや間を置いて、映像が動き出す。早苗の告げた飯田という人物が場内を撮影して回っているのだろう。


「リアルタイム配信? こんなの私に見せてどうするの……?」

「結論から言います。シャルロット・ガブリエルを見つけてください」


 飛躍しすぎた早苗の発言の意図が、凛子にはまるで分からなかった。

 とにかく潜入のことを日比谷の人間に知られる訳にはいかないのだ。


「え、いやちょっと待って!?」

「先ほど、招待客が急遽二名増えたという報告を受けました。うちひとりは招待客リストに名前のない貴女。となれば残るひとりは、貴女とマーベリックか日比谷を繋ぐ関係者。そして、こんなことをしでかす理由のある者だけ」


 早苗の言葉は理路整然と整いすぎていて、まるで付け入る隙がない。


「彼女は変装していますね? 我々は場内をすでに見回りましたが、シャルロットとおぼしき金髪女は見つからなかった。となればシャルロットを探す手がかりは、彼女の手引きで場内に潜入したと考えられる瀬田麻里亜……いえ、白井凛子さん。貴女だけです」


 完全にバレている。とは言えカマをかけられているだけの可能性もあるのだ。どうにか言葉を探ろうとした凛子の肩を、董子が寄り添うように叩いた。


「だいじょーぶ。早苗に話しちゃいなよ!」

「安心してください、我々は味方です」

「わ、わかったよ……」


 凛子はこれまでの経緯を包み隠さず早苗達に話した。シャンディの口車に乗ってやってきたら危うく門前払いを喰らいそうになるも、大嘘を叩きつけて招待状を得た件だ。


「……なるほど、理解はできました。秘書課の連中に黙っているのは当然として、黒須さんは嘘がつけないから内緒にしていたと言う訳ですか」


 凛子のつたない説明でも、早苗はほぼ一瞬で理解したようだった。やさぐれバニーちゃんは想像以上に頭がキレるらしい。ただキレやすいだけの凛子とは大違いだ。


「そうだよ……。ていうか美琴さんは無事なの!?」

「今は無事です。飯田くん、黒須さんを撮影してください。なるべくバレないように」


 映像がぐるりと回った。手ぶれがひどくて酔いそうになるが、タブレットは壁際に並べられた椅子に腰掛けた美琴を映し出した。タキシード姿だ。

 それよりも美琴の隣に座る女性の姿に、凛子は思わず声を上げた。


「あいつ、こんなトコに居たの!?」

「シャルロットですね? どれですか!」

「隣の黒髪の女、名前はリドル・スミス!」

「リドル……嘘、ということですか……。あからさまな偽名に騙されるとは、ウチの秘書課はクズも同然ですね……」


 バニーちゃんのうさ耳を指先で弄びながら、早苗が尋ねてくる。


「シャルロットは他に何か言って居ませんでしたか?」

「何か、って……。いつものムカつく笑いと「どうかしら?」みたいなのだけで」

「あれの態度に腹が立つというのは同意しますが、それ以外に」


 凛子の脳裏をよぎったのは、琴音に掴まる前の注文だった。


「そうだ、久瀬さんからダンスを習えって言ったの! 踊ってる場合じゃないのに、ナチュラルなんとかとか以外のステップをひとつでも多くって!」

「《ナチュラル・スピン・ターン》、《リバース・ターン》、《ホイスク》、《シャッセ・フロム・PP》以外、ではありませんでしたか?」

「そ、そうだけど……」

「……なるほど。シャルロットの思惑は分かりました」

「え?」


 早苗は電話口の飯田にリドル・スミスをマークするよう告げ、立ち上がった。不機嫌極まりなかった瞳は、どこか活力がみなぎっていた。やさぐれバニーちゃんの面目躍如なのかもしれない。


「董子、行きましょう」

「オッケー! 悪い子にはお注射しちゃうゾ」

「ちょっと待ってどこ行くの!? 何が分かったの? どういうこと!?」


 ドアノブに手をかけて、早苗は不気味に口角を上げてつぶやいた。


「貴女は黒須さんと踊ってください。それが結果的に、彼女を救うことになります」

「なんで!? なにが!?」

「秘書課と赤澤の件は任せます。我々は小杉を追いますので」


 言い置いて、早苗と董子は謎のコスプレ姿のまま控室を出て行った。ひとり残された凛子は、タブレットに映っている美琴とリドル・スミス――シャルロット・ガブリエルの姿を見つめて頭を抱えた。


「何考えてるのよ、シャルロット……」


 *


 パーティー会場内。

 司会進行を務める久瀬文香のアナウンスで、場内はモーゼの出エジプト記もかくやとばかりにフロア中央から人が分かたれていく。

 即席のダンスフロアができあがっていた。

 フロアを囲むように人の壁を作った観客達は、スマホやハンディカムを片手に構えて待っている。おそらく、ダンスパーティーが始まるのだろう。

 出番かも知れない。美琴は生唾を呑み込んで、名を呼ばれるのを――本当は呼ばれてほしくないが――待つことにした。

 スマホを見ても、シャンディからの応答はない。


「……まだ、ミズ・黒須の……番じゃない、よ…………」

「そうなんですか……?」


 ひとりぼっちだと思われたくないと語るリドル・スミスは、未だに美琴の傍らに座っている。


「まず……社交界一年生……《デビュタント》の、ダンス……」

「お詳しいんですね、スミスさんは」

「……ボクも、やったこと……あるから…………」


 招待されている以上、スミス氏も社交界の住人なのだから当然だろう。この性格で社交界を生き抜くのは相当苦労しそうだ。

 直後、場内は拍手に包まれた。出入口から若々しい男女が、揃いの衣装で入場してくる。BGMになっている軽やかなクラシックすらも塗り潰すほどのフラッシュの嵐が吹き荒れていた。


「……親とか、許嫁の両親、とか、そういう人達の前、で、踊る……」

「運動会みたいなものでしょうか?」

「……そう、だね…………。無様、で、愉快、だし……」


 スミス氏は「ふひひ」と面白いのかどうなのか分からない様子で笑う。

 その様子が妙に美琴の脳裏に引っかかった。この、どこか斜に構えたような笑いのツボには覚えがある。


「……ミズ・黒須、は、どうして、ここに…………?」


 ただ、斜に構えた人間などこの世にごまんといるはずだ。あり得ない可能性を消して、美琴はスミス氏の質問に答える。


「会社命令です。少々訳がありまして、ダンスパーティーに参加せよと請われてしまいまして。何故か男性側リーダーですけれど」

「…………ミズ・黒須は、きれい、だから……では……?」

「お褒めにあずかり光栄ですが、嬉しいことばかりでもないんですよ。知人には贅沢な悩みだと言われてしまいましたし」

「……スマホ、は、その、知人…………?」

「え?」

「…………さっきから、ずっと……スマホ、見てる、から……」


 スミス氏は想像以上に美琴を観察していた。事実、スミス氏と座っている間、美琴はずっとスマホを見つめていた。LINEに既読がついていないか確認し、インスタのDMや不在着信を何度も舐めるように確認していたのだ。


「ああ、これはちょっと……」

「…………大切な、人、なの、かな……?」


 スミス氏は虚空を見上げてつぶやく。彼女の血色の悪い肌が、強い天井照明に照らされて青白く浮かび上がった。

 美琴の意識は、ひとりでに自身の左手薬指に向かっていた。早苗の仕草が移ってしまったのかも知れない。シャンディを信じられなくて外していたプラチナは、今は元の場所に収まって煌めいている。


「まあ、そんなところです。ケンカしてしまったもので」

「…………ボクも、同じ……」


 スミス氏は小さくため息をつく。頼りない猫背の体がさらに丸まると、哀れとしか思えないほどの憔悴だ。

 彼女の細くしなやかな指にも、美琴と同じ証が填まっている。美琴がシャンディに送ったものと似た、ありふれた飾り気のない細身のリング。ただしスミス氏は社交界の住民だ、美琴が送ったような安物のシルバーなんて身につけてはいないだろう。


「それで、ひとりがイヤだという訳ですか」

「……う、ん。恋人、は……この会場に、居る…………」

「私と話していていいのですか? 見つかったら余計に問題になるかもしれませんよ」

「…………いい、よ。今は、ミズ・黒須と……話したい……」


 ダンスフロアでは、デビュタント達のダンスが始まっていた。さながらマスゲームのように男女交互に並んだ一年生達が、一連のルーティーンを繰り返しながら、ペアを組み替えながら踊っている。


「……ミズ・黒須は、どうして……? ケンカ、したの…………?」

「ああ、それは……」


 人見知りと思われたスミス氏は、一連の会話で打ち解けてきたのか美琴の事情に踏み込んでくる。答えたくない気持ちはあれど、彼女は招待客で自身はホストの立場だ。あまり無碍にして客の気分を害してしまうのもよくない。


「…………答えたくない、なら、いい……」

「いえ、構いませんよ。私も、誰かに相談したいと思ってはいたところでしたから……」

「……ありが、と」


 記憶の糸を紐解き、シャンディを信じられなくなってしまった経緯をゆっくりと振り返りながら、美琴はスミス氏に語りかける。


「お察しの通り、私は恋人とケンカしています。理由としては些細なことだったんですが、そんな些細なことから恋人を信じられなくなってしまいまして……」

「…………それは、些細、な、ことじゃ……ない、と、思う……」


 スミス氏の言うことはもっともだった。シャンディを信じられなくなるなんて、普通に考えれば些細なことではない。共感を示されたことが嬉しい反面、美琴は思い出す。


「ええ、確かにそうかもしれません。ですが私の恋人は、昔からそういうフシがありまして……」

「……どう、いう……?」

「笑わないで聞いてくれますか?」

「…………もち、ろん」


 ――美琴が初めて出会った時から、シャンディはずっと変わらなかった。


「からかうのが好きなんですよ、私の恋人は。遊戯ゲームだなんて言って、いろいろなモノを賭けて。私は負けどおしで、恋人に勝ったことなんて片手で数えられるくらいでして……」

「……う、ん」

「その遊戯の中で、恋人はよく私を試すんです。『本当に愛しているのか?』って。当然、私は……好きなんですけど、素直に好きだと言うのはあまりに恥ずかしくて」

「…………イヤだった、ん、ですか……? 遊戯、が……」

「いえ。恋人との遊戯は……好きです。成長できましたし、お互いを知り合うことができましたから」

「……だから、恋に、堕ちた…………?」

「それも一因ではあります。遊戯で愛を囁かれるうちに、堕とされてしまったというか……」

「……わかり、ます……光景が、目に浮かぶ、よう…………」

「ああ、いや。想像はしないでくださいね? 思い出しただけでも恥ずかしいので」


 慌てて訂正するも、スミス氏は人の悪そうな顔で「ふひひ」と笑っていた。


「……その遊戯、が、ケンカの、原因…………?」

「ええ」


 ――シャンディは以前から変わらない。

 チェシャ猫かもしれない久瀬文香との悪辣なダンスも、遊戯の一環だ。


遊戯ゲームは、私が恋人を愛しているか試すものなんです。普段の遊戯は些細なイタズラの延長に過ぎないものだったんですが……ただ、ケンカした日はちょっと度を超していまして」


 スミス氏は押し黙った。何かを言おうとしているが、言葉がつかえて出てこない。流れる沈黙を、デビュタント達がフロアを叩く音が埋めている。

 しばらく待ってもスミス氏の言葉はない。美琴は続けることにした。


「……あの日の遊戯で、私は恋人を信じられなくなったんです。私が精いっぱい伝えてきた愛情をいっさい受け取らず、ひどい手段で私を試してきたから」


 これまでシャンディに好意を伝えたことなど数知れない。好きだと伝えてキスもして、毎日どころか数時間、あるいは数分に一度は彼女のことを想っている。体だって何度となく重ねてきた。美琴がシャンディに差し出せるものなど、もうほとんど残っていない。

 それでもシャンディは、美琴の気持ちを信じるばかりか疑ってかかる。


「本当は、私のことなどどうでもいいのかなんて不安に思う時もあります」

「それは違いま――!」

「スミスさん?」


 ようやく口を開いたスミス氏は、一度言い淀んでから消え入りそうな声でつぶやいた。


「…………違う、と、思う。その人、は……」


 スミス氏が美琴に視線を向けた。黒髪で、蒼白なほどの白人女性。マスクで覆った顔の目元、ふたつ空いた穴からは赤い瞳が覗いている。


「……その人、は……誰の愛も、信じられない、の、かも…………」


 スミス氏の言葉が、美琴の腑に落ちた。

 シャンディが幾度となく遊戯を仕掛けて愛を試そうとする真相だ。


「ええ、そう思います。私にはいっさい話してはくれませんが。きっと私の恋人は、複雑な過去を抱えているのでしょう」

「…………知りたく、ない、の。過去……話して、って、頼まない、の……?」


 シャンディの意味深な微笑みが脳裏をよぎった。しばらく見ていない彼女の琥珀色の満月、上弦の瞳が懐かしくなって美琴は思わず笑ってしまう。


「ふふっ……。そうですね、尋ねたところで答えてはくれません。あの人は器用なようでいて不器用で、ひどく捻くれてて強情で、頑固が過ぎるところがありますから」

「む……」


 何故かスミス氏の瞳にわずかな怒りの色が宿る。悪い女であるシャンディに対して怒ってくれているのだろうと美琴は解釈した。


「ええ、悪い人なんですよ。私の友人に暴言を吐いたりもします。ですが一線は絶対に越えないし、友人との仲を取りもとうとさえしてくれる。本当はとても優しい人です」

「……う…………」

「だから、恋人の過去には興味がないんです。それに」

「……それ、に…………?」


 シャンディを想う。ただそれだけで美琴は知らず知らずのうちに微笑んでいた。


「言いたくない過去なら言わなくてもいい。私は現在いまのあの人を愛したいんです」

「え…………」

「過去を見せたくないのは、それがあの人の望みだから。なら私は、その想いに応えてあげたい」


 スミス氏は小さく丸まった。顔を伏せ、俯いている。


「……なんて。カッコいいことを言ってみましたが、今は口も利いてくれないので意味がないんですけれどね」

「……そう、で、すか…………」


 俯いたまま、スミス氏は小刻みに体を震わせていた。美琴が放った改心の自虐ネタに、必死でこみ上げてくる笑いを押し殺しているのだろう。嗚咽にも似た、くぐもった声が聞こえている。

 そう思うと無性に恥ずかしい。


「……以上が、私がスマホばかり見ている真相です。やはりあの人を信じてみようと思う出来事がつい先ほどありましてね」

「…………」


 スミス氏は、聞き取れないほど小さな声で囁いた。その声色は歪んでいた。

 おそらく続きを話すよう言われたのだろうと思い、美琴は続ける。


「それが今宵のダンス。あの人は私に――」


 口にしかけて、言葉を呑み込んだ。

 ダンスの説明にさしかかって、いいかげん《あの人》や《恋人》と言って性別を濁しているのがイヤになった。スミス氏は妙なところで鋭い。美琴がタキシードを着ているという事実だけで、真相に辿り着いている可能性すらある。


「――は私に、男性側リーダーの所作を教えたんです。社命でダンスを踊れと言われたら、普通は女性側パートナーを教えるところなのに、彼女はなぜかそうしなかった」


 恋人シャンディが女性であることを告白したのに、スミス氏は特に驚いた素振りも見せなかった。理解がある人なのだろう。

 ただ美琴は、スミス氏が理解を示してくれたことよりも、同性の恋人であるシャンディをだと自信をもって公言できることが、何よりも嬉しかった。


「……なぜ……その人、は……男性側を、教えた、の、ですか……?」


 スミス氏の問いかけに、美琴は答える。


「気づいた時は私も、いつものイタズラかと思ったんです。あるいは私が男性の腕で踊るのがよほどイヤだったか。だけど、今は違うと言い張れます。彼女を信じられます」


 ――シャンディが男性側のステップを教えた真相は、他でもない。


「彼女は、私を敵から守り、敵に打ち勝てるように育てようとしてくれていたんです」

「……あ…………」


 シャンディは聡明だ。

 早苗と秘書課が対立していること、小杉の命を受けた赤澤が美琴達を追い詰めようとしていること。それらすべての――わずかな事象だけをつなぎ合わせ、先に結論に達していた。

 ダンスパーティーで美琴は男性側を任される、と。

 だから美琴が敵の罠にハマらないように、先手を打ってくれていたのだ。

 回りくどくてわかりにくい、シャンディの愛。それは美琴が向ける愛を疑ってはいながらも、美琴を愛してくれている証左。


「彼女は最後まで真相を伝えてはくれませんでした。伝えるのが恥ずかしかったのか、あるいは、私が真相に気づくかという遊戯を愉しんでいたのかもしれませんけれど」

「…………そ、う……」

「……私の彼女は、そういう人なんです。イタズラ好きな悪い女。だけど彼女は間違いなく、私を愛している。だったら私も、それを信じてあげたい」


 沈黙が流れた。デビュタント達のダンスは終わり、いつしか記念撮影が始まっていた。美琴の出番が迫っていた。

 それよりも、出会ったばかりのスミス氏に、信じられないだの今は信じられるだの愛してるだの、蕩々とノロケを聞かせてしまった。さすがに美琴も恥ずかしくなって、どうにか言葉を継ぐ。


「……え、えっと。私の話はこんなところです。スミスさんの方は?」

「…………ボク、は……少し……その…………」


 消え入りそうなスミス氏の声に耳を傾ける。青白い頬に、ほんのりと朱が指しているように美琴には見えた。


「……ケンカ…………ボク、が、やりすぎ、た……と、思う…………」

「そういうこともあると思います」

「……ゆ、許して……くれる、かな…………?」


 自身の恋人――シャンディがそう言ってくれればいい。

 希望を込めて、美琴は告げた。


「誠意を持って謝れば、きっと許してくれますよ」

「……ありが、と…………ミズ・黒須……」


 途端、場内が割れんばかりの拍手に包まれた。デビュタント達が退出し、司会者久瀬文香のアナウンスが流れる。


『それでは、これより恒例のダンスパーティーを開催いたします。ご来賓の皆様、どちら様におかれましてもふるってご参加ください』


 いよいよ、本番だ。スミス氏に話していくぶん心が晴れたのか、心臓を打ち鳴らしていた緊張も少しは和らいでいる。ダンスを控えての憂鬱さも吹き飛んだ。


「では、私は踊ってきます。そうだ、スミスさん。よろしければ一曲いかがですか?」

「……ボクは、その…………」

「……ああ、どうかお気遣いなく。お嫌でしたら無理にとは言いませんから」

「…………」

「そのダンス、ちょっと待った!」


 声の主には聞き覚えがあった。

 恭しく一礼した姿勢から顔を上げると、美琴の眼前に立っていたのは――


「……まずは私と踊って、黒須さん」


 ――美琴の同僚で友人。白井凛子だった。

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