#40 : Kamikaze / ep.1

「黒須さん! この写真はっ!」

「その話は勘弁して……」


 明治文具オフィス。勤怠管理用のICカードを機械に通すなり、凛子が興奮気味にスマホを近づけてきた。普段漂わせている愛らしいふわふわした表情はどこへやら。証拠写真を突きつけてくる姿はまるで記者会見中のマスコミだ。


「なんでバニーガールなの!? いや違うんだよ、バニーがヘンって言ってるワケじゃないの私も着たことあるし好きだし! って私の話はどうでもよくて」

「白井さん声が大きいから、他の社員に聞かれちゃうでしょ……!」

「でも今朝ニュースでやってたよ?」

「はあ!?」


 経堂のシャンディ宅には、テレビをつけるという習慣がなかった。もっぱら無音か、ネットラジオのジャズなりクラシックが流れている彼女の家は、俗世間のニュースやゴシップからほぼ完全に隔絶されている。


「おお! おはよう黒須さん! いやあ、ちょうどよかったよ!」


 年甲斐もなく息せき切って、好々爺たる都築専務がオフィスの社員達に呼びかける。昭和の職員室感そのものの明治文具オフィスにはテレビが置かれた応接間があり、専務はテレビをつけて手早くリモコンを操作する。


「ちょっと専務何を……」

「うちの社員がテレビに出るんだよ! みんなで見よう、黒須さんの勇姿を!」

「ちょっ……!」


 専務の呼びかけに社員達がぞろぞろと応接間に詰めかける。「もうすぐだよ!」と子どものようにワクワクしている専務の他、部署の同僚達もテレビに釘付けだ。テレビは朝のワイドショー、コメディアン出身の司会者が芸能ニュースにコメントをしている。

 そこに映っていたのは紛れもなく。


『姉妹で並んでいる写真見ると本当に琴音さんそっくりですね。どう思います、二階堂さん?』

『ええ! 女の私から見ても惚れてしまいそうなくらい最高です! 何より見てくださいお二人の髪の毛! 近づいて絡み合ってこれって実質セッ――』

『はい、二階堂さん朝の生放送ですよー』


 応接間に居合わせた社員達の視線が、一斉に美琴に注がれた。テレビ画面の琴音と自撮りした2ショットが例のバニーガール姿に切り替わると、社員達は再びテレビに注目して「おお……」と静かな歓声を漏らす。

 死ぬほど恥ずかしい。


「こういうのって本人の許可必要なんじゃないの……?」

「え? 無許可なの? 私はてっきり……」


 凛子が言いかけた言葉で合点がいった。

 許可を出したのは琴音だ。スキャンダル写真を潰すインパクトにこだわっていた琴音が、全国ネットで取り上げられるチャンスなど逃すはずがない。結果、美琴のバニーガール姿は日本中に拡散してしまった。


「テレビデビューおめでとう、黒須さん!」


 いたって無邪気な笑顔で都築専務が拍手する。それに続いて同僚達の「おめでとう!」と割れんばかりの拍手が応接間を包み込んだ。

 いったい何がおめでたいのか、全国ネットで辱めを受けた美琴は一刻も早く消え去りたい思いで自らのデスクにうずくまった。


「だ、大丈夫! 黒須さん似合ってるよ! 可愛くて綺麗でセクシーな黒須さん、私すっごく好き! 大好き!」

「うああああああ……!」


 思いやりなのかドサクサ紛れの告白なのか分からない凛子の言葉はまるで美琴の心には響かず、結局一日中、まるで仕事に集中できないのだった。


 *


「お帰りなさいませ、美琴さん。お客様がみえていますよ」

「私にですか?」


 ここは六本木はずれ、美琴目当ての客が来ることもあるガールズバー《antiqua》。

 「ええ」と短く告げたシャンディに春物のコートを預けてエントランスそばの暗闇をくぐると、壁際の特等席の隣に大小ふたりの女性の人影があった。仄明かりの中では誰か分からない。シャンディに促されていつもの席に着いたところで、来客の正体に気づいた。


「こんばんは、黒須さん」

「あ、ああ。早苗さんと董子さんでしたか。何か進展がありましたか?」

「ええ! 二人の恋の進展を聞きに来たんです! ね、早苗?」

「董子のことはお気になさらず」

「ああ、そういう……」


 思わずシャンディに目配せすると、唇に手を当ててくすくす笑ってみせる。《エックス・ワイ・ジイ》とまで評した早苗ら柳瀬妻妻ふさいの入店を許したのは、おそらく美琴で遊戯あそべるからだろう。悪いバーテンダーの顔がチラチラと覗いている。


「よく入店を許しましたね、シャンディさん」

「奥さんを連れて来られたので特例です。女性同士のご家庭がどういったものか学んでおけば、あたし達の将来のためになると思いまして」

「ということは! プロポーズはどちらから!?」

「してませんから!」


 「なーんだ」とガッカリした途端「じゃあこれから!?」と再び目を輝かせる董子に頭を抱えていると、早苗が切り出した。


「ニュースを見ました。私は芸能関係には疎いのですが、あの件で日比谷社内も騒然としていまして」

「その話はやめてもらえませんか!? 一生の恥ですから!」

「問題は貴女ではなく、妹さんの方です」

「琴音?」


 早苗はスマホを取り出し、動画を再生した。

 琴音が大規模な倉庫の中を歩いている。ナレーションをバックに、動き回るロボットやガントリクレーンを見つけては、皆が思い描く清純な女性そのものといった表情ではにかむ琴音が映っている。映像の最後には日比谷のロゴマークと、『支えるチカラ、日比谷グループ』というコーポレートスローガンが現れた。


「これは来月から放映される弊社のテレビCMです。ご覧の通り、主演は黒須琴音。同じようなコンセプトのCMが他に三パターンありますが、ご覧になりますか?」

「琴音はお腹いっぱいです。というか、CMが何か……?」

「広報部から、黒須琴音を日比谷のCMから降ろすべきではないか、という声が出ていまして」

「え……」


 考えてみれば、突如SNS上にバニーガール姿をアップして「イタズラでした」とネタばらしした琴音は、ある意味で世間を混乱させたお騒がせ芸能人だ。日比谷のような大企業にとって、琴音を起用するのはリスキーだという判断なのだろう。


「いやあれは、ちゃんとワケがあって……」

「今夜はその真相を伺いに来たんです。広報部長から妹さんの真意を探ってきてくれと頼まれたもので」


 甘い物で口を割らせようと、早苗は缶入りのクッキーアソートを差し出した。秘書課で戦っている現在も、《総務の何でも屋》としての活動は続いているらしい。


「話してあげてはいかがかしら、美琴さん。あの公開羞恥プレイは御社のせいですと恨み節をたっぷり込めて」

「日比谷のせい?」

「ええと……」


 先日、琴音に行ったものと同じく、美琴は来瞳がしでかした強請について説明した。当然、土下座のくだりはシャンディに心配をかけたくなくて、ばっさりカットする。

 話の途中で早苗の表情は曇り、終わる頃には頭を抱えていた。


「……またしても弊社、というか赤澤ですか。貴女がたの写真を琴音だと言い張って、スキャンダルを起こそうとしたのですね」

「ええ。シャンディさんと琴音に手伝ってもらったんです。スキャンダルを潰すにはインパクトが大事だから、と……」

「たしかにインパクトすごかった! 好きな人にあんな格好させるの、うらやましいなって思ったもん!」


 董子の発言に、早苗は露骨に閉口した。制服を着せれば女子高生でも通りかねない彼女があの衣装を着るのは、相当にアブノーマルな匂いがする。


「……ともかく、赤澤の目論見は妹さんの機転で潰えたのですね」

「そればかりか、日比谷のメンツも守っていますね。スキャンダルでCMがお蔵入りにでもなったらそちらも困るでしょうし。ちょっとしたイタズラくらい大目に見た方がよろしいのでは?」

「分かりました。黒須琴音に問題はないと伝えます。ご迷惑をおかけしました、黒須さん。私達はこれで」


 退店しようと立ち上がった早苗に、董子が抗議の声を上げた。早苗は仕事のためだけに美琴に会いに来たのだろうが、董子の目的はまるで違うらしい。


「ダメだよ早苗、まだ恋バナ聞いてないよ? お酒も飲んでないし」

「董子。ただの付き添いでいいから、と私に約束しましたよね?」

「女の子は気まぐれなの!」

「女の子って歳ですか……」

「いくつになっても女の子は女の子だから、恋バナもお酒も愛するの!」

「未成年者の飲酒は禁止されています」


 アンティッカのクラシックは、新婚婦婦の痴話喧嘩に上書きされた。どうしたものかとシャンディを見ると、やれやれと肩を落として微笑んでいる。呆れつつも二人を見守る慈母のような優しい瞳に、美琴の心は吸い寄せられていた。


「あたし達も早く痴話喧嘩ができるような仲になりたいものですね?」

「口喧嘩でシャンディさんには勝てませんよ」

「あら。ならば今宵の遊戯ゲームで試してみましょうか。ふふ」


 告げると、シャンディは柳瀬妻妻の間に割って入った。「お静かに」と一言、アンティッカの主たるバーテンダーの威厳を見せて、遊戯を提案する。


「今宵の遊戯は、お二方を交えたチーム戦といたしましょう。いかがですか、早苗さん、董子さん?」

「……なんですか、遊戯とは」

「シャンディさんの悪ふざけです。付き合わない方が身のためですよ」

「あら。勝てば一杯無料にしてさしあげようと思いましたのに」

「やろう、早苗!」


 董子の鶴のひと声で、早苗は再びカウンター席に腰を落ち着けた。《総務の猟犬》として社内を駆け回る優秀な早苗も、董子の押しには弱いらしい。仏頂面の早苗にしては珍しい弱った顔からは、表情とは裏腹な幸せがにじみ出ている。


「それでシャンディさん、遊戯のルールは?」


 尋ねると、シャンディは琥珀色の瞳を煌めかせた。


「そうですね。以前は好きなところを言い合いっこしましたから、今宵はパートナーに直してほしいところを言い合いっこしましょうか? で、先にパートナーを方の勝ち」

「またそんな悪ふざけを……」

「帰ります」


 再び立ち上がった早苗の手を、董子がガッチリと繋ぎ止めていた。意地でも遊戯に参加させるといった様相だ。


「何を考えてるんですか。こんなの恥をかくだけです」

「ううん、やろ? 早苗だって言いたいこと溜まってるよね。それにシャみこかみこシャか確かめるチャンスだもん!」

「董子に言いたいのはその解釈です! シャみこだと決まりましたよね!?」

「みーこーシャー!」

「なんなの、この婦婦ふうふ……」

「ですねー」


 当事者を前に盛り上がる二人を黙らせるべく、シャンディは手を叩く。そして先手に董子を指名して、カウンターに頬杖を突いた。瞳はきらきらと輝いている。遊戯開始の合図だ。


「では董子さんから。思いの丈をぶつけてくださいな」

「早苗はちっとも私に相談してくれないの! 日比谷で先輩後輩だった頃からそうなんだけど、全部自分ひとりで解決しようとしちゃって! ちょっとは私も頼ってよ!」

「仕事の話は口外できません――」

「これは思いの丈を吐き出す遊戯。反論は禁止ですよ、早苗さん?」


 ぷりぷり怒っている董子の隣で、早苗は不満そうな顔を浮かべていた。一方でシャンディは、悪辣きわまりない悪女めいた笑みを浮かべている。先ほどまでの慈母が一転、ドSに切り替わったシャンディを相手にすると思うと、美琴の背筋は自然と伸びていた。蛇ににらまれたカエルの心境だ。


「ではお次は美琴さん。あたしに直してほしいことは?」

「こ……これは困りましたね? 貴女を好きすぎるあまり、直してほしいところなどまるで見当たりませんよ。何せ貴女は完璧ですので」

「自分だけ逃げようなんて思わないでくださいな。今宵のあたしは悪い女、たとえ貴女が逃げようとも地獄の果てまで追い詰めてさしあげます」


 八重歯をちらつかせてシャンディは嗤う。今宵の彼女には容赦がない。逃げたところで喉笛を食いちぎらんとする獅子の意思を感じる。

 何かシャンディを怒らせるようなことをしてしまっただろうか。ここ数日の記憶を辿ったものの、来瞳の件について黙っていることくらいしか思い当たる節がない。


「では、その……。本心を語ってくれないところですかね? できればもう少し、素直になっていただきたいのですが……」

「あら。かなり素直に愛を囁いているつもりなのですけれど。もっと可愛らしく甘える女が好みなのかしら?」

「ええ。素直になってください。おいで? 甘えたがりの子猫ちゃん」

「ふふ。にゃあお」

「ほら、みこシャだよ」

「違います。言わされてるだけです」


 シャンディの下あごをくすぐる決め台詞は、即座に柳瀬妻妻に品評された。あまりその分野について詳しくない美琴でも、シャみこやみこシャが何を意味しているのかはぼんやり理解した。

 直してほしいところの話をしているくせに、なぜかかなくていい恥をかいているのだろう。壁を向いて表情を悟られまいとした美琴を無視して、次の発言権は早苗に移る。


「董子に直してほしいのは、軽率なところです。貴女はとにかく、自らを危険に晒します。目に見えて危険だと分かっているのに、何とかなるだろうと楽観視して泥沼に落ちてしまう。それも一度や二度ではない」

「でも、そのたびに早苗が助けてくれたから。あ、そうだ。早苗のプロポーズの言葉、知りたいですか?」

「今は私のターンです! 他人に聞かせるような話では――」

「聞かせてくださいな。美琴さんもいいですよね? しっかり勉強して生かしていただかないと」

「あ、それは純粋に気になる……」


 ふとこぼれた美琴の言葉に、早苗が敵意剥き出しのにらみを投げよこした。普段のどこを見ているか分からない胡乱な瞳は泳いでいて、明確に焦っていることは伝わってくる。


「早苗のプロポーズの言葉はね、『どうやら私は、先輩のことが好きらしいのです』だったの! 可愛いよね?」

「と、董子……」


 ハッキリ物を言う早苗らしからぬ言葉に、美琴の頬がにやけた。それはシャンディも同じらしく、心底嘲笑するような上弦の瞳で早苗の表情を伺っている。


「それで、董子さんはどう返したのかしら?」

「こんな私を好きになっちゃいけないよって言ったんだけど、早苗はどうしてもって譲らなくて。それで付き合うことになって、いろいろあって。でね? 最後には『私は、人生を貴女のために捧げたいのです』って! えへへー」

「あらあら。あの早苗ちゃんがそんなことを?」


 底意地の悪いシャンディはまるで水を得た魚だ。くすくすと笑い混じりに煽られて、早苗はカウンターに突っ伏した。秘密をバラされたことは同情するものの、ひりつきを放っている早苗の意外な一面だ。笑うなという方が無理がある。


「味方に背後から撃たれたような最悪の気分です……」

「ごめんね早苗? 可愛い奥さんを自慢したかったの!」

「……もういいです。直してほしいところを指摘したくらいで直る人だったら、董子を好きになんてならなかったから」

「手間のかかる子に世話を焼いてるうちに、気づけば恋に堕ちていた?」

「そうですが、何か」


 開き直ったのだろう。むくりと顔を上げて、早苗はシャンディをにらみつける。復讐の火が瞳の中に灯っている。


「次は貴女の番です。黒須さんに直してほしいところを吐き出してもらいます」

「ふふ。やっと手番が回ってきましたね? 内心、言いたくて言いたくて待ちくたびれてたんです」


 にんまり笑って、シャンディに見つめられた。

 今宵の遊戯はパートナーをなかせたら勝ちだ。シャンディが言葉の弾丸を、より殺傷力の高いものに替えてくることは間違いない。美琴のほぼすべてを見抜いてしまっている彼女は、美琴の触れられたくない部分も心得ている。心得ているからこそ、美琴を慮って優しく振る舞えるのだ。

 だから、心得ている部分――シャンディが目を瞑っていることに光を当てれば、確実に美琴の心臓はえぐられる。


「お手柔らかにお願いしますね?」

「ふふ。どうしようかしら?」


 言ってみたものの、勝ち気な瞳は雄弁に物語っていた。確実に美琴をなかせるつもりだ。

 美琴は身構えた。そして受け身をとるべく、何を指摘されるか予想する。背伸びばかりしているところか、追い込まれると弱いところか、恥ずかしがり屋なところか。または覚悟がまるで決まらない子どものままの精神性か。


「じゃあ。少し長くなりますが、あたしの話を聞いてくださいな」


 前置きして、シャンディはイタズラに微笑んだ。

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