#April 1st : Casino Royale
※エイプリルフール記念。番外編です
ここは六本木のはずれ、オーセンティックなガールズバー。
――ではなく。
ギャンプルの聖地・アメリカはラス・ベガス。
色とりどりのネオンにピラミッド型のモニュメント、飛沫を上げる噴水を擁する華々しい中心部のはずれに佇むホテル――《antiqua》。
「はい、あたしの勝ち。またのご来店をお待ちしておりますね。ふふ」
緑のフェルトが張られたテーブルにカードが叩きつけられる。悔しさを露わにする客の様子などモノともせず、卓の支配者たる女性ディーラーは、掛け金のチップをスティックで自らの元に引き寄せた。
カジノ・アンティッカ。
世界中の名だたるセレブが夜な夜な通う、女性限定の高級ホテル・アンティッカに併設された大型カジノ。煌びやかな店内に並ぶのはポーカーテーブルやスロットマシンにルーレット。遊戯に、掛け金の行方に一喜一憂する女性達と、その合間を縫うように歩くバニーガール達。カジノには今宵も、酒精と煙草と、危険な遊戯に耽る客達の狂気にも似た熱気が漂っていた。
「
ビッグディールが繰り広げられている店内のその隅、壁の花を決め込んでいた女性は、無線機型イヤモニのボタンを押した。耳たぶから垂れるイヤリングのマイク機能をオンにするため。
無線機の向こう――カジノのバックヤードに潜入した冷徹でいて理知的な女性の声に耳を傾ける。
『こちらも捕捉しました。対象、3番卓。遊戯はブラックジャック』
「
『小憎らしいディーラーの
事前の
『こちらトーコ、先に始めてまーす。応援してねサナエ!』
『同じくリンコ、位置につきました。コトネさんは?』
『オーキードーキー。ハズさないでよ、姉ちゃん』
協力者達の無線を聞きながら、歩みを止める。前方を横切る客やバニーガール達の隙間から、卓の様子を窺う。
3番卓。ディーラーの白磁の肌と琥珀色の瞳はポーカーフェイスだ。表情を、さらにはその奥の真意をうかがい知ることはできない。だが、今宵はそのベルベッドのごとき美しい顔に、コーデュロイじみた泣き皺を奔らせ、決着をつけねばならない。
琥珀色のディーラー、宿命のライバルたるシャンディに勝利する。
それが稀代のギャンブラー、ミコト・ブラックバーンの宿願であった。
作戦通り、先にプレイしていたトーコが無理押しのディールを続け、卓のベットレートを引き上げる。レートについて行けなくなった一般客が離れた間隙に、コトネが飛び込んでさらにレートを上げる。
トーコとコトネの仕事は、この後に登場するミコトのためにレートを釣り上げることだ。
『現在、
「あいにく、《スクエア》しか持っていませんよ」
アンティッカで使用されるチップは2種類。1ドルから5万ドルまではコイン型の《フォーポイント》で、10万ドル以上は長方形のプレート型である《スクエア》に取って代わる。
ミコト本日の所持金は2000万ドル。純金製で重たい1000万ドルの《スクエア》が、数枚の樹脂製プレートとともにポシェットの中に収まっていた。
『3番卓、最低賭金は《スクエア》から。《フォーポイント》しか出せない
お膳立ては整った。
一世一代の勝負。せこせこ稼がず、一撃でケリをつける。
「オーケー。始めましょう」
『
ドレスの裾を引いて、3番卓へ。レートについていけなくなった客が離れた場所――ディーラー・シャンディの真正面へ滑り込む。
「あら、これはこれは。お噂はかねがねお伺いしておりますよ。ベガスを呑み込む黒巨鯨、ミコトさん」
「ええ。私もぜひ一度、貴女と遊戯をと思っておりましたので」
「ふふ。少々お待ちくださいな。この卓の勝負にケリをつけますので」
勝負の舞台、3番卓はブラックジャック。左右に控えるトーコとコトネの手はそれぞれ19と20。最低賭金10万ドルの勝負の中、これ以上カードを引かないスタンドを決めている。
一方、ディーラー・シャンディの
「オープン、伏せ札は2。あたしのハンドは20で、トーコさんは負け。コトネさんは引き分けです」
「ああああーッ! 新婚旅行の積立金が!?」
トーコのベットした10万ドルの《スクエア》がスティックで回収される。ただすべては計算のうちだ。大負けしたトーコや引き分けたコトネの分も稼ぐのがミコトの仕事である。
「お待たせしました、ミコトさん。現在の最低賭金は10万ドルからですが、お持ち合わせはありますか」
「ご心配には及びません」
ポーチから有り金を取り出した。1000万ドルの純金製の《スクエア》が1枚と、残りは細かい額面――細かいといっても最低10万ドル――のものが数枚。
ほとんど見ることのないアンティッカ最高額のチップを一瞥して、シャンディは琥珀色の瞳をわざとらしく見開いた。
「あらあら。よほど危険なお遊びがお好きなご様子ですね」
「ええ。貴女を堕とすための結納金だと思っていただければ」
「ふふ。プロポーズでしたら謹んで承りますよ」
「ああ! これは忘れていました。プロポーズに必要な婚約指輪をまだ用意しておりません。購入資金を調達しなければなりませんね、このカジノの金庫から」
「ご安心なさって? あたしへの婚約指輪なんて、安物で充分。ミコトさんは有り金ぜーんぶ、ウチの金庫にお預けくださいな」
ディーラー・シャンディとの舌戦を繰り広げる。琥珀色の瞳は妖艶に、そして嗜虐心を剥き出しにした上弦の月のごときアーチを描いていた。
ミコトは手持ちの中から、500万ドル《スクエア》をベットする。
「500万ドルからでいかがですか、シャンディさん」
「ふふ、愉しそうですね。他のお客様はいかがですか?」
トーコとコトネは首を横に振った。舞台は整った。
その輪に割って入って、バニーガール姿でカジノに潜入中の協力者リンコが注文をとりにくる。
「ご注文はいかがですか、ミス・ミコト」
「では、《シャンディ・ガフ》をひとつ。琥珀色の瞳を呑み込みたいので」
「あたしは《ミリオン・ダラー》を。ベガスを荒らす黒巨鯨を釣り上げて一攫千金を狙います」
500万ドルの行方は、たった21の数字に左右されることになる。
群衆が色めき立つ。二人の対決の火ぶたが切って落とされた。
カジノでのブラックジャックの手順は、まず賭け金をベットするところから始まる。プレイヤーたるミコトの賭け金と同額を、シャンディ擁するカジノ・アンティッカの金庫が担保する。
ベットが終われば、カードが配られる。プレイヤー、ディーラー双方ともに2枚。ただし2枚とも伏せてよいミコトと違って、ディーラーたるシャンディは1枚を見せ札にする。
スタートの段階で、ミコトの手は合計13。
シャンディの見せ札は7だ。
「ヒット」
「ええ」
カードを1枚引くことを選択したミコトの手元に、カードを格納するシューから引き抜かれた伏せ札が饗される。カードは7。合計20だ。
「あたしもヒットです」
シャンディの白く細い指が、カードシューの伏せ札を流麗な手さばきで引き抜く。表にされたカードは8。合計15。
「うーん、ツイてませんね」
シャンディは唇をすぼめて、さも不運であることを嘆くフリをした。
承知の通りブラックジャックは21を目指すカジノゲームだ。ただしプレイヤーとディーラーではルールが異なっている。
自由にヒット――つまりカードを引く選択ができるプレイヤーと違い、ディーラーにはカードを引く選択権がない。見せ札の合計が17以上になるまで、ヒットし続けねばならない。当然、21を越えてバストする確率も上がる。つまりブラックジャックは基本的にディーラーに不利なゲームだ。
「おや。シャンディさんのバストが見られそうですね」
「あたしの控えめな
「500万ドル分のバストを堪能したいものです」
「そうですね。胸元だけでしたら、0ドルで結構ですよ」
告げて、シャンディはカードシューに伸ばそうとした手でミコトの手首を掴む。そして勢いよく自らの胸元へ引っ張り、控えめなバストの上に着地させた。
「合計23。バストです」
「ふぇ……!? え、えと……?」
ミコトの手のひらに、控えめながらも柔らかいぬくもりが握られている。シャンディのバストを掴んでしまっている。当然、シャンディの告げる「バスト」の意味が分からず、ミコトはあからさまにしどろもどろになる。
「500万ドル分のラッキースケベ! さっすが姉ちゃん!」
「うるさい!」
一方で、観客は大いに沸いていた。群衆の中に紛れていたコトネが明らかにバカにした叫びを上げている。
周囲の観客の反応も似たようなものだ。500万ドルの行方よりなにより、美しきギャンブラーが、そのライバルたるディーラーの胸を揉んでいる。その事実の方がより――エンターテインメント性が高かった。
「初戦はミコトさんの勝ち。500万ドル分の胸元はいかがでしたか?」
「あ、ああ……それは……素晴らしい触り心地でしたよ?」
「ありがとうございますね。貴女に触っていただきたくて、磨いてきたものですから」
ミコトは、カジノ・アンティッカのディーラー・シャンディの噂を思い出した。
彼女は別にディーリングが得意なワケではない。そもそもブラックジャックはディーラーの実力差など関係ないのだ。せいぜいカードを綺麗に配れるか、ディーラーそのものの運がいいかくらいしか差がない。
ただし、シャンディが他のディーラーと違うのはこの点――盤外戦術の巧みさだ。思わせぶりな言葉と駆け引き、突飛な行動でプレイヤーが綿密に練り上げた確率計算を狂わせる。
「では、第二回戦といきましょう。ミコトさん、もちろん愉しまれますよね?」
「そ、それはまあ……当然でしょう!」
シャンディの盤外戦術に負けてなるものか、ミコトはまなじりを決して上弦のアーチを描く琥珀色の瞳を見つめる。
「今宵は貴女のその可愛らしくイタズラな笑みを蕩かせに来たのですから」
「まあ、それは愉しみですね。ではあたしも、とっておきのモノをベットしなければなりません」
「なるほど。では、賭け金に見合うものをご呈示いただきたいものです」
今はツキが回っている。幸運の女神がシャンディを毛嫌いしている今こそが勝負所だ。
ミコトはビッグディールに挑む。手持ちの《スクエア》すべてを緑色のフェルトが張られた卓に置いた。
「先ほどの勝ちを合わせて2500万ドル。さて、貴女は何を賭けますか」
「ふふ。あたしの唇……程度では納めていただけませんね? では、こうしましょう」
すると何を思ったか、シャンディは着ていた衣服を脱ぎ始めた。黒のベストから、白のシャツボタンに指をかけ始めたところで、ミコトは声を上げる。
「な、何をなさっているんですか?」
「だって大金なんですもの。釣り合いを取るなら、これしかありませんよね」
シャンディはシャツを脱ぎ、キャミソール姿を晒す。それだけでは飽き足らず、今度は白のスラックスのベルトを引き抜き、下着を露出させた。
一枚脱ぐごとに、周囲の野次馬達が歓声を上げていた。
「ちょ、ちょっと……! ストリップの真似事はやめてください!? みんな見てるんですよ!?」
「いいじゃないですか。ミコトさんだってうっすら気づいてるでしょう? こんなのどうせ、美琴さんがアンティッカのカウンターで見ている夢なんです。だったらどうってコトありませんよ」
「わ、私の夢だったとしても! もっと自分を大切にしてください!」
「だから脱いでるんですよ。貴女にすべてを捧げたいと思っていますから。あるいはあたしにこんなことをさせるのが、貴女の潜在的な欲望なのかもしれませんね?」
「ふふ」と笑って、キャミソールに手をかける。思わず目を瞑ったところで、リンコの声がした。
「ご注文の――」
言いかけて、リンコは絶句した。シャンディの姿を一瞥すると、とっさにミコトの背後に回り、後ろからミコトの目元を「いないいないばあ」の要領で覆い隠す。
「り、リンコさん何!?」
「貴女は見ちゃダメ! 教育に悪いから、私が守る!」
「いや前が見えないとカードの数字も分からないんだけど!」
「私が耳元で囁いてあげるから!」
目を開けてみても、リンコの手で覆われて何も見えない。おそらく下着姿になっているであろうシャンディはおろか、卓にベットした《スクエア》もカードも、真っ暗闇の中だ。
突如始まったストリップショーに沸く観客の声に混じって、鈴の音を転がすようなシャンディの声が聞こえてきた。
「ミコトさん? 今あたし、何もつけてません」
「実況しないでください!」
「あたしは賭け金として、身につけていた下着を卓に置いています。何色だと思います?」
「答える義理はありません!」
「ふふ。顔真っ赤ですよ、ミコトさん。でも、見ていただけなくて残念。せっかく綺麗に磨いてきましたのに」
「く、あ……!」
このままだとペースに飲まれてしまう。そんなミコトの心情を察知したらしいサナエの声がイヤモニから聞こえてくる。
『落ち着いてください、ミス・ミコト。貴女の目的は、彼女に勝つことです。裸を堪能することではなかったはずですが』
「わ、分かってます! 落ち着きます……!」
『ええ、そうしてください。喩え彼女が一糸まとわぬ白磁の素肌を晒していようと、貴女には関係ありません。だいいち彼女は、私の妻に比べたらまったくもって女性的な魅力に欠ける貧相な体です。胸は小さいしあばら骨は浮いて欠食孤児のよう、下半身の発育も――』
「だから実況をしないで! サナエさんは味方ですよね!?」
『てへ』
柄にもなく茶目っ気を出して、サナエは通信を切った。
その直後、「ふふ」と笑い声がする。
「サナエさんとのお話は愉しかったですか? ミコトさん」
「どうして貴女がそれを……」
一瞬考えて、ミコトは気づいてしまった。それを裏付けるようにリンコが耳元に息を吹きかける。
「……ごめんね? 私、見たいの。貴女がカッコいい女性じゃなくて、照れ屋さんの女の子みたいに恥ずかしがるところ」
「な……!?」
「ようやくお分かりになりました? 美しい女性達に辱められたいという、ミコトさんが潜在的に秘めた欲望を」
「ち、違います! 私は……」
耳元に吐息がかかる。
「……何が違うのかな。言ってみて?」
さらに、唇に指先が押し当てられる。
「ええ、この唇でハッキリと。仰っていただけるかしら? ミコトさん」
「わ、私は――」
*
「……ハッ! 夢!?」
ここは六本木はずれ。オールナイト営業中のガールズバー《antiqua》。
夢の中でシャンディに指摘された通りの、最悪の寝覚めだった。
「おはようございます、美琴さん。ずいぶんうなされていましたよ? あたしの名前を呼びながら」
「え、ええ……。シャンディさんが大暴れしていたものですから。夢の中で……」
「なら、出演料を戴きませんと。ちなみに夢の中でのあたしはいかがでした?」
思い出すのも気が滅入る。恥ずかしい。
美琴は吐き捨てるような口ぶりで呟いた。
「カジノのディーラーでしたよ。ホテル・アンティッカで私とブラックジャック勝負をしていました」
「あら素敵。あたしって絵になるので、煌びやかなカジノの中でも映えそうですよね」
「自分で言いますか、それ……」
シャンディの差し出してくれたチェイサーを煽って、美琴はシャンディの顔を見た。
吸い込まれそうに綺麗な琥珀色の瞳。
この瞳に魅入られ、恋をしたのは間違いない。
そしてこの恋はきっと間違いではないと美琴は思う。
「……夢の中のシャンディさんも綺麗でしたけど、一番はやはり直に見る貴女ですね」
「そうでしょうそうでしょう」
うんうん頷くシャンディを見ていると、なぜだかおかしくなる。遊戯の駆け引きで見せる顔も、気の抜けた会話を愉しむ時の顔もシャンディなのだ。
ならばもっと引き出したい。普段の彼女ばかりではなく、レアな――自身にだけ見せてくれる表情も。
「ところで、ディーラーの格好ってどんなのでした? 次のコスプレデーの参考に教えてくださいな」
「白のシャツに黒のベストのシンプルなパンツスタイルですよ。まあ、途中で脱いでましたけど」
「え? 脱ぐ……?」
「ホントに変な夢でして。私の賭け金に釣り合うのはカラダしかないとばかりに、着ていたものを全部脱ぎ捨てたんですよ、シャンディさんは」
シャンディは俯いたまま固まっていた。薄明かりの中で目を凝らすと、琥珀色の瞳がわずかに泳いでいる。
「ふふっ。珍しく照れてますね、シャンディさん」
「……美琴さんのえっち」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます