#9 : Yes and No / ep.3
「シャンディさん、ウソついてますよね?」
頭をフル回転させてシャンディを追い込むためのロジックを構築する。
彼女はきっと、この質問にノーと答えるはずだ。
ウソをついていない。本当のことを言っている。
だとすれば、シャンディが美琴に対して行ったことは――。
「ノーですよ。最初に約束しましたよね、ウソはつかないって。あたしの言葉が信じられませんか?」
「ノー。信じますよ。ただ、すべて真実だとすると、シャンディさんはものすごく大変なことをしてしまっているんです」
「ふふ、なんですか?」
美琴はすべての発言を思い出して――舌をもつれさせてなんとか切り出した。
「……シャンディさんは、私に告白しています! もし私がシャンディさんの告白を私が受けいれたら、貴女は私とお付き合いするつもりですか!?」
「え?」
シャンディは気の抜けた返事をした。
有線放送のクラシックは、ちょうどベートーベンの交響曲・運命。タイミングよく流れ出したジャジャジャジャーンというおなじみのフレーズの直後、シャンディの唇は破裂した。
「……ぷっ! ふふっ、あはははは……っ!」
大笑いだ。薄暗く静かなアンティッカには似つかない、さらにはミステリアスなシャンディのものとは思えない声が店内に響き渡った。
「あー……くふふ、あははは……! おなかいたい……! はー……。ふふふ……」
見事に笑いのツボに入ってしまったらしい。普段の澄ました顔とは違う、明るく朗らかに笑う彼女の顔が、美琴の瞼に焼き付いた。
――シャンディさんはこんな顔もできるんだ。
目標だった、シャンディの新たな一面を知ることはできた。
が、美琴は複雑だ。なぜこれほど笑われたのか分からないのだから。
「ど、どうして笑うんですか? 私はどう考えても愛の告白を受けてるんですよ? 何度もキスされて好きだの愛してるだの囁かれたら、交際を迫られてると思っちゃいますよ!? だってシャンディさんの言葉にウソはないんですよね!?」
「ふふ、そうですね……。はー……、急に何を言い出すかと思ったらそんなことですか。やっぱり駆け引きが苦手じゃないですか、ふふ……」
「か、駆け引きって……?」
「ふう……説明しますね、ふふ……」
シャンディはチェイサーとともに笑いを呑み込んで、美琴に告げた。
「確かにあたしは美琴さんが好きですよ。ですが別に『付き合ってほしい』とは言っていませんね?」
「へ、あ!?」
「あたしは美琴さんへの愛を伝えただけ。お慕いしている方へ想いをぶつけるのはあたしの自由ですし、その想いを受け取るも受け流すも美琴さんの自由です。まあ、美琴さんは交際を望んでいると受け取ってしまったようですが」
「じゃ、じゃあ私の勘違いだって言うんですか!?」
そうだとばかりに、シャンディは瞳を上弦にした。
「ふふ、美琴さんはあたしとの交際を考えていたんですね? それも今のようなバーテンダーと客ではなく、人と人として。恋人同士として」
「い、や……それは……!?」
美琴はようやくにして気づいた。すべては彼女のワナだ。
遊戯の中で何度も愛を囁くことで、少しずつ美琴の心に毒を蓄積させていたのだ。
「さて、ここからがあたしのターン。美琴さんが勘違いなさった通り、あたしが交際を迫っていたとしましょう。そのとき、あたしの愛の告白に返事をするのはどなたです? 交際を決めるのはあたしですか? それとも美琴さんですか?」
「どなた、って……それは私で……!」
「ええ、その通り。質問はたしか『美琴さんがOKしたら交際するつもりか?』でしたね、答えはイエス。そして、あたしはこう言えばいいんですよ」
まるで子どもをあやすかのように、美琴の頭にシャンディの手が置かれた。
「質問です。では、あたしと付き合ってくれますか? 美琴さん?」
「えっ……? そっ、それ……ええええええっ……!?」
ようやくにして、美琴は自らが墓穴を掘り抜いたことに気がついた。
真相はこうだ。
シャンディが伝えた想いを愛の告白だと受け取ってしまった美琴は、盛大に勘違いした。交際を迫られているのだと受け取ってしまったのだ。だからこそ「OKを返したら本当に付き合うつもりか」と尋ね、陥れようとしてしまったのが運の尽き。
この瞬間、シャンディは勝利を確信した。勘違いした美琴に対して「付き合ってくれるか?」と訊き返せば、交際するかしないかの判断はシャンディではなく美琴に委ねられる。
美琴の手元にあるのは、どこまでも答えにくい質問。
――シャンディと付き合うか、付き合わないか。
「さあ、お答えくださいな。この遊戯にウソは禁物。イエスと言えば本当に、美琴さんはあたしを手に入れることができますよ?」
「わ、私が決めることになるんですか……っ!?」
「だってそういうルールですから。何かおかしなところがありますか?」
「い、いや、待ってくださいよ!? 急に交際なんて言われても――」
「美琴さんがどうかは知りませんが、あたしは真剣ですよ? 冗談で告白なんかしませんし、結果次第でお付き合いに発展してもよいと思っています」
「い、いやいや、私の心を弄んでるじゃないですか! ズルいですよ!?」
「だって駆け引きですもの。それを言うなら美琴さんだって、あたしの心に踏み込みましたよね。苦い《イエス・アンド・ノー》でしたよ?」
「それは……」
「さて、判定のお時間です。イエスかノーか、いえ――」
シャンディは琥珀色の瞳を丸く見開いた。
「あたしとお付き合いしてくれますか? それとも、してくれませんか?」
「うっ、うあああああぁぁぁぁぁぁ……!!!」
敗因は、美琴の性格にあった。
美琴は自身を世間擦れしたオトナだと思っている。が、その実はオトナとして見られよう振る舞っているだけだ。アンティッカで鍛えられたシャンディの瞳が、そんな機微を見落とすはずがない。
だからシャンディは、交際を匂わせた上で「付き合ってくれますか?」と尋ねることにした。こうすれば絶対に、美琴は黙ると確信したのだ。
――なぜなら黒須美琴の本性は、背伸びがちな意気地なしだから。
「ふふっ、ざーんねん。あたしの勝ちー」
美琴の性格・思考を見抜かれた上での敗北。
すべてはシャンディの読み通りだった。
「あー、愉しかった。ですよね、美琴さん?」
「愉しくないです……」
「でも、あたしのことをたくさん知れたじゃないですか。美琴さんを特別な人だと想ってることとか、交際してもいいとさえ考えてることとか」
「失ったものが多すぎるんです! シャンディさんの前ではオトナっぽい人でいたかったのに……!」
「あたしはどちらの美琴さんも好きですよ?」
以前美琴がシャンディに向けて言った言葉をそのまま返されて、美琴は恥ずかしさで死にたくなった。
初めてアンティッカを訪れたあの日から、既にシャンディには見破られてしまっていたのだ。美琴が覆い隠したかった、本当の自身の姿について。
シャンディの謎を暴くつもりが、逆にこちらが暴かれてしまった。
ミイラ取りがミイラになるとはこのことだ。
「じゃあお約束のご褒美タイムです。あたしが何を言っても、目を見てイエスと……いえ、『はい』と答えてください。できますか?」
「…………はい」
観念した。美琴は顔を上げて琥珀色の双眸を力なく見つめる。
途端、満月は上弦に変わる。悪いことを企むイタズラな少女の顔を見せるが、美琴にはもうどうすることもできない。
「可愛らしい顔をよく見たいので、電気をつけてもいいですね?」
「いやそれは……!」
「あら、美琴さんは『はい』としか言えないはずですよね?」
「……はい」
「お顔を見せてくださいな?」
「はーいーっ!」
アンティッカの暗闇は、暖色系の間接照明で打ち払われた。
美琴の顔がどうなっているかなど、鏡を見ずとも分かる。敗戦のショックのことより、告白の返事のことばかりが美琴の脳裏を過ぎっている。
頭がぼうっとしていた。心臓の早鐘は治まったが、虚脱感で身体が重かった。そして顔が、耳が、手が。全身が熱い。
すべてはお酒が回っているせい、お酒が回っているから赤ら顔なのだ。
シャンディに弄ばれて、見つめられて、責められて、恥ずかしいワケじゃないと、必死に自分に言い聞かせる。
「綺麗ですよ、美琴さん。その顔は、あたしにだけ見せる顔ですよね?」
「……はい」
「つまり美琴さんは、あたしのことが好きですね?」
「…………」
「美琴さん?」
「……はい」
「あたしの目を見て、答えてくださいな?」
「はい」
「あたしが好きですよね?」
「…………は、い」
隠していた本心を暴かれると、言葉すら満足に口にできなくなる。
しかもこの『はい』は言わされているだけのものなのに、美琴の羞恥心が強烈に膨れ上がる。
「駆け引きが得意だなんて、ホントはウソですよね?」
「……はい」
「ホーント、意気地なしですよね?」
「はい……」
「あたしに好かれたくて、虚勢を張っちゃったんですか?」
「…………はい……」
「心を丸裸にされちゃって、恥ずかしいですね?」
「は、い……」
「いま、みじめな気持ちですか?」
「…………はい」
「でも、やめてほしくないんですよね?」
「……………………はい」
オレンジの光に満ちた店内でシャンディを見つめていると、自身の本心すらも『はい』で書き換えられていくようだった。
だんだん琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。まるで催眠術だ。
彼女の問いかけに『はい』と答えた途端、優柔不断な美琴の心が決まっていく。
彼女のモノになれたら――どれだけ幸せだろう。
「あたしに責められるのが好きなんですか?」
「……はい」
「美琴さんは変態さんですね?」
「……………………」
「違うんですか? 違いませんよね?」
「……………………はい……」
「ふふ、よくできました」
告げて、美琴は額に口づけをされる。キスをされた部分が熱ばって、意識が遠のく。このまま気絶してしまえればラクなのに、美琴の視界はシャンディを捉えたまま逸れることはない。
いや、逸らすことができなかったのだ。
美しくてイタズラでSっ気の強い彼女に惹きつけられていた。
「ごめんなさい、つい美琴さんが可愛くていじめたくなっちゃいました。嫌いにならないでくださいね?」
「……はい」
シャンディは苦笑した。
どこか陰りのある彼女の笑顔が、美琴の瞼に焼き付く。
「また明日も来てくれますか?」
「はい」
「あさってもしあさっても、あたしがアンティッカを続ける限り、通ってくれますか?」
「はい」
「ホントのあたしを知っても好きでいてくれますか?」
「…………はい」
「ホントですか? あたしを安心させてくれますか?」
「……はい」
「大好きですよ、美琴さん」
「…………はい」
「じゃあ、あたしと――」
シャンディは言い淀む。そして、「いいえ」と小さく首を左右に振った。
「今のはなかったことにしてください。言わせるんじゃなくて、言ってほしい言葉ですから」
「……はい」
「はい、これくらいにしておきましょう!」
パンと手を叩いたシャンディに頭を撫でられる。
子どもをあやすような「よくできました」のご褒美が――オトナびて見られたいはずなのに――美琴にはなぜか心地よく感じられた。
が、途端に全身の力という力が抜けて、美琴はカウンターにうつ伏せた。視界に入った腕時計の針は、午前1時を指していた。
当然、終電なんてない。今宵もアンティッカで朝までコースだ。
「……シャンディさんには敵いません」
「今はダメでも、いつか敵うようになってください。美琴さんが答えられなかった質問の答えを、イエスかノーでハッキリ口にできるようになるまで」
「はい……」
「もう『はい』の時間は終わりですよ、ふふ……」
やさしい声でシャンディは笑った。
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