#8 : Yes and No / ep.2

「……シャンディさんに恋人はいますか?」


 美琴の質問に、シャンディは琥珀色の瞳を丸く見開いた。

 ほんのわずかに動揺を見せた彼女だったが、先ほどまでのテンポを崩すことなく事もなげに答える。


「ノー、独身シングルです。それを聞いて安心しました?」

「イ――」


 逆に踏み込んだ質問を返され、美琴の口は止まった。

 先ほどまでの薄っぺらい質問とは違う。踏み込んだ質問は、こちらの腹を探られる機会が増える。

 プライベートに踏み込む質問は諸刃の剣だ。対戦相手があのシャンディであればなおさらである。


「答えてくださいな。あたしにサムワンがいないと知って、黒須様は安心なさいましたか?」


 カウンターに肘をついてシャンディは口元を歪める。

 ニタァとほくそ笑む、悪い顔だ。もしかすると彼女は初めからこれを――掘り下げようと踏み込んだがために墓穴を掘ってしまうことを――狙っていたのかもしれない。すでにシャンディの術中にハマり、手のひらの上で踊りかけている。

 美琴は後悔しかけたが、ピンチはチャンスでもある。シャンディのまとった謎を脱がせて丸裸にするためには、こちらも恥を捨てるしかない。


「――イエス。シャンディさんって、実は性格悪いですよね?」

「ええ、イエスですよ。背伸びしたカワイイ子をいたぶるのが好きなドSです。嬉しいですか?」


 答えたくない質問だ。美琴の意識が《イエス・アンド・ノー》に向かう。

 だが。思いとどまる。

 こんなところで切り札を切ってしまうワケにはいかない。まだまだシャンディの謎を聞き出さなければならないのだから。


「――い、イエス。私をいたぶって愉しいですか?」

「ノーですね。黒須様には責められたいので。あたしを責めていただけます?」

「イエス。余裕でいられるのも今のうちです。シャンディさんは、私のことが大好きなようですからね?」

「イエスです。お慕いしていますよ、美琴さん」


 シャンディの答えは吐息が多くて艶っぽい。恋の熱に浮かされたような蠱惑的な声色に、美琴の意識はぐらついた。


「え、ええ。そうだと思っていましたとも」


 揺さぶりをかけたつもりがまるで効かず、返す刃ですさまじく素直なカウンターを返される。美琴はどうにか冷静を保とうとするが、動揺は隠し切れない。

 シャンディはその様子を満足そうに眺めて「ふふ」と小さく笑った。


「さて、あたしのターンですね。黒須様って、実は恋愛下手ですよね?」

「ノー、駆け引きは得意な方です。シャンディさんも実は、もうオトされているのでは?」

「ええ、イエスです。黒須様は恋愛のプロですものね、そういうことにしておきます」


 美琴が声の震えを必死に抑えている一方、シャンディは動揺ひとつ見せず余裕をたたえて微笑んでみせる。

 この数ターンの間、ほとんどノーガードにも近い彼女に、逆に本音をくすぐられている。

 どうにか挽回しなければ。美琴は神経を昂ぶらせて、シャンディの質問を待つ。


「実際、黒須様はモテるのではありませんか? お美しいですし」

「まあ、イエスです。長続きはしませんが。シャンディさんはどうです?」

「イエスですが、興味のない方から愛を囁かれても煩わしいだけですね。あたしがモテると困りますか?」

「イエス。誰かの物になったシャンディさんなんて見たくありません。もしそんなことになれば、さらって逃げてもよいですか?」

「ふふ、ロマンティックですね。答えはイエス、今すぐさらって逃げていただいても構いませんよ。黒須様にさらう度胸があるのなら、ですが」


 滞ることなく、ラリーは続く。ようやく美琴にも余裕が出てきて、スカした冗句や常套句クリシェが言えるようになってきた。

 そんな美琴の一方で、シャンディはなおも余裕の表情だ。美琴の質問にほぼ即答していく様はさすがとしか言いようがない。他人から無闇に好意を寄せられてきた経験が生きているのだろう。


「さて、お話していると喉が渇いてきました。そろそろ《イエス・アンド・ノー》をなってきましたね?」


 シャンディは挑発するような口調だ。美琴の質問などまるで効いていないと暗に告げている。


「イエス。奇遇ですね、私も同じです。どうです、今宵の私は手強いでしょう?」

「ええ、イエスです。いつもは一方的なのに。さてはあたしに慣れてきました?」

「イエス。シャンディさんのことだけを考えていますから。そちらは?」

「ええ、黒須様しか見えていませんよ。恋は盲目というものです」


 苦笑をひとつ。

 「ならば」と呟いてシャンディは続けた。


「そろそろ本気でオトしにかかりますね」


 シャンディのまぶたがこじ開けられた。


「質問……というか確認です。黒須様は独占欲が強いですね?」

「……イエス。たぶん、人よりは強い方だと思います」


 シャンディがぶつけてくる質問の切り口が変わった。

 美琴自身の人間性に踏み込んでくる。


「それを言うなら、シャンディさんもよくばりですよね?」

「ええ、イエスです。欲しいと思ったものはすべて手に入れます。おカネもお酒も愛情も。欲深くて嫌いになりました?」

「ノー。シャンディさんの本音を知れて嬉しいです。安心しましたか?」

「ノーですね。言葉では何とでも言えますから。特に、冗句と常套句クリシェがお得意な黒須様は。あたしを安心させたいなら、証を立てていただかないとですね?」

「いや、証の内容が分からなくては、イエスかノーでは答えられませんよ」

「そういう時は、《イエス・アンド・ノー》をお飲みになってくださいな」

「ぐ……」


 これはシャンディの策だ。先に美琴の切り札を切らせようとしてくる。

 手がショットグラスに伸びるが、ここはまだ局面じゃない。《イエス・アンド・ノー》を飲むのは少なくとも、シャンディに飲ませてからだ。


「イエス。ただし、証を立てろと言っても、不可能なことは注文しないでください。証とは何か、教えていただけますか?」

「ええ、イエス。簡単なことです。あたしと誓いのキスをしていただきます。『アンティッカではあたしだけを愛する』ということ、それがあたしを安心させる証。先ほどあたし一筋だと仰った黒須様ならできますよね?」

「イエス。キスが好きですね、シャンディさんは?」

「イエスです。好きな人とのキスなら大歓迎ですよ。では、黒須様からでよろしいですか? 答えはイエスでお願いします」

「……イエス」


 告げてから、ふたりしてカウンターに身を乗り出して唇を合わせる。

 言葉では殊勝に振る舞っていた美琴だが、やはりシャンディとのキスは何度しても慣れない。それどころか回数が増すにつけ、全身を襲う緊張と弛緩の波が強くなっている。


「ありがとうございます。これで少しだけ、安心できました。黒須様はあたしを受け止めてくれそうですね」


 キスの後はいつも、ふわふわした浮遊感が訪れる。上気してしまっている顔を見られないよう、美琴はシャンディから視線を逸らす。

 「次は黒須様ですよ」の声に顔を上げた美琴は、ふと気づいた。これまでのシャンディの言葉を考えると――


「あの、シャンディさん。もしかしてなんですが」

「どうかなさいました?」

「……、なんて思っていませんか?」


 琥珀色の瞳が見開かれた。それまでどんな質問にもテンポよく答えていたシャンディが、初めて動揺を見せたのだ。


「ああ、いえ、すみません。深入りし過ぎたかもしれません」


 シャンディにしては珍しい反応だ。

 美琴は急いで取り繕うも、彼女に「いいえ」と短く返される。

 そして――


「《イエス・アンド・ノー》です。黒須様に一杯食わされました」

「え……?」

「まさか本当に、あたしがことになるとは。黒須様が慌てふためく様子を肴に、美味しく戴こうと思っていたのに。もったいないです」


 シャンディはショットグラスを一口で干した。次はないことをアピールするためだろう、真白いコースターの上にグラスを伏せる。

 初めて見た、シャンディの顔だ。ほとほと弱ったような、参ったような。普段の美を塗り込めた表情とは異なる、気の抜けた顔。これがシャンディの本当の姿なのだろうか。


「……ふふ。でもお優しいですね、黒須様」

「な、にがですか?」

「咄嗟に気づいてフォローしてくださったじゃないですか。あたしの痛いところを突いちゃって不安になりました? あ、これ質問です」

「イエス、です。それはまあ、親しき仲にも礼儀ありと言いますし……」

「大丈夫ですよ、こんな遊戯を提案した時点で覚悟はできています。けど、なんだか恥ずかしいですね! 好きな人に痛いところを知られちゃうって」

「本当に恥ずかしがってます?」

「イエス、ですよ。あたし、あまり顔に出ないタイプなんです。黒須様はすぐ顔に出ちゃいますよね?」

「い、いやいやノーです! そもそもこの暗さじゃ顔色なんて見えないじゃないですか」

「ノーですよ。黒須様、あたしを誰だと思ってます? 薄暗ーいアンティッカのバーテンダーなんです、暗闇に目が慣れてて当然ですよ」

「えっ!?」


 シャンディはイタズラな少女のように歯を見せて笑った。

 そしてカウンターに身を乗り出し、美琴の耳に向けて囁く。


「……電気点けてもいいですか? 顔に出ないなら、明るくても平気ですよね?」


 イエスと答えれば、耳まで真っ赤になった顔を見られてしまう。

 ノーと答えたところで、なぜノーと答えたか追及されてしまう。

 運よくシャンディの虚を突いた美琴とは違う。

 子どもみたいに恥じらっている姿を見られたくない美琴のを理解した、シャンディの的確な一撃、絡め手だ。

 この質問は危険すぎる。


「いっ!? 《イエス・アンド・ノー》です!」


 美琴は褐色のショットグラスを一気に呷った。

 辛いブランデーを、甘いメレンゲが包み込み、口の中で蕩け合う。あまりに焦って呑み込んでしまい、飲み干した直後盛大に噎せた。


「あーあー、焦って飲んじゃうからですよ?」


 口ぶりだけは心配しているが、シャンディは鈴の音を転がすように笑っていた。

 ひりひりと痛む喉を饗されたチェイサーで流し込んで、美琴は大きく深呼吸した。


「……すみません、取り乱しました」

「ふふ、乱しちゃいました。これで引き分け、お互い後がなくなりましたね」

「ええ……」


 ふたつのグラスは干された。

 それはすなわち、次に答えられない質問を受けた方の負けを意味する。


「そう言えば、この勝負のご褒美を決めていませんでしたね。黒須様、何かご提案はありますか?」

「いえ、急にご褒美と言われても……。シャンディさんはまた、唇をご褒美にする気では?」

「先ほど愛情がたっぷり詰まったキスを戴きましたので、今日は違うものにしようかな、と」


 思案して、シャンディはにんまり笑う。


「では、こうしませんか? 負けた人は、

「……それだけですか? 言いなりではなく」

「ふふ。ええ、それだけでいいですよ」

「それくらいでしたら、ええ。受けます」


 シャンディが浮かべた妖しげな笑みの真相が分からず、美琴は勝負に意識を引き戻した。

 勝負は《イエス・アンド・ノー》で中断している。今は美琴からシャンディへ質問するターンだ。

 もう後がない。これ以上恥ずかしい目に遭いたくはない。

 どうにか一撃でシャンディを降参させる質問を――仕事中よりも頭を使って――美琴はなんとかひねり出した。


「シャンディさん、ウソついてますよね?」

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