quiet talk #1 : Balalaika or XYZ

 六本木の路地裏、雑居ビルの3階に存在するオーセンティックなガールズバー《antiqua アンティッカ》。オーナーであり唯一のバーテンダーは、満月のような琥珀色の瞳で客を魅了する謎多き女性・シャンディ。

 日曜祝日以外はオールナイト営業のアンティッカには、様々な酔客が迷い込む。

 たとえば、こんな風に。


「ギャハハハ! なんだよ、全然ガールズバーじゃねえじゃん!」

「でも何かよくない? 暗すぎて全然映えないけど雰囲気あるくない?」

「それなー!!!」


 有線放送のクラシックが流れる静謐なアンティッカに、けたたましい声が響き渡った。声の主は男女ふたり組、若いカップルだろう。声量は大きく、呂律も回っていない。アンティッカ店内の暗闇では詳しく窺えないが、彼らが酔っていることは確かなようだ。

 シャンディは顔色ひとつ変えず、ふたり組に挨拶をする。


「いらっしゃいませ、ようこそアンティッカへ」

「うわ! 女のバーテンさんじゃん! カッコイー!」

「マジヤバいんですけど! ねーおねーさん写真撮ってインスタ上げていい?」

「んじゃ3人で撮ろうぜ! いいよねバーテンさん!?」


 スマホを取り出した2名は、シャンディを挟むように画角を調整しようとする。だがアンティッカの仄明かりの中では、フラッシュでも焚かなければ写真など撮れない。


「バーテンさん、電気つけてよ。ここ暗すぎでしょ! スリとかあったらどうすんの?」

「ていうかオジサン臭くね? こんな店通うヤツおっさんくらいしか居ないっしょ」

「バッカ、こう言うのをオトナの隠れ家って言うんだよ? でしょ、バーテンさん」


 シャンディは琥珀色の瞳を満月にしたまま、声色申し訳なさそうに告げた。


「すみません。これが当店のウリでございます。あと、あたしの写真はご遠慮いただけますか? ストーカーに狙われている身ですので」

「いやいや、別にいいじゃん。ストーカーもインスタなんて見ないでしょ!」

「いえ、あたしのことが好きすぎるあまり、一緒に映った人間全員に嫉妬するタイプのストーカーなんです。夜道には気をつけてください」

「え……ヤバ……ドン引きなんですけど」


 写真と照明の暗さについては諦めた2名は、シャンディが案内していないにも関わらずカウンターに腰を落ち着けた。5席のカウンターとテーブル席からなる手狭な店内には、やかましい2名の他は壁際の女性客とシャンディだけ。


「ていうか全然流行ってないじゃんこの店。やっぱ食べログ載ってない店とかゴミでしょ」

「いやいや、そういう知る人ぞ知る店を発掘してこそグルメだろ?」


 シャンディは瞳を見開いたまま、月光にも似た視線を店内に落とした。闇夜にあっても月は、その眩さですべてを照らすもの。闇夜に生きて夜目の利く、夜の眷属たるシャンディに見通せないものはない。

 瞬時に2名の酔客を値踏みしたシャンディは静かに告げた。その声色がわずかなひりつきを孕んでいることに気づけたのは、壁際の女性客だけだった。


「ご注文をいただけますか」

「あ、注文って言っちゃう系? こういうお店じゃオーダーって言うんじゃないの?」

「えー何それ知らなーい!」

「で、会計のときはチェックって言うんだぜ? いやー、オレが普段行ってるバーだと常識なんだけどなー」

「ていうかガールズバーなんだからモグリっしょ? ウチもガールズバーのヘルプ入ったことあるし」

「なんだよ、じゃあバーテンさんはバイトか。いや、こんな綺麗な子がバーテンとかおかしいと思ったんだよなー」

「は? カノジョの前で他の女褒めるとか何考えてんの?」

「一番はお前に決まってんだろ?」

「それな。つか分かってるし!」


 シャンディは静かに「ふふ」と笑った。どちらかと言うと笑いだが、幸いふたりの世界に入り込んだ酔客にはシャンディの冷笑など届かない。


「失礼しました。では、オーダーをお伺いしてもよろしいですか?」

「えーマジ何にしよう。メニューないんですか?」

「申し訳ありません、当店にはドリンクメニューはありません。ただし、ご注文いただければ大抵のカクテルはお出しできます」

「は? メニューないとかボッたくりじゃん? そういうのいいワケ?」

「ただいまの時間はオールナイト営業中です。五千円でワンドリンク付きとなっております」

「たっか! ねーこんな店帰ろ? その辺のカラオケでいいじゃん」

「カラオケの酒なんてマズくて飲めるかよ。それにな、こういうシャレてるところの方が……今夜ムード出るぜ?」

「うっわ、下心丸出しなんですけど」

「いい酒入ったら絶対違うって! な? 第一お前、綺麗なカクテル飲みたいって言ってたじゃん」

「それな! じゃあウチあれ頼も! おねーさんいいですかー?」


 短く「ええ」と答えたシャンディに、やかましい2名のうちの女性客がスマホを近づけた。おそらくグルメ情報サイトの画像だろう、美麗なカクテル写真が並んでいる中のひとつを指差して見せてくる。


「この赤とか緑とかが層になってるヤツ作ってくださいよ。大抵のカクテルは作れるんでしょ?」


 シャンディは写真を一瞥して「ええ」と、先ほどと変わらぬ温度で告げた。

 ちなみに女性が見せたカクテルは《プース・カフェ》。グレナデンリキュールの赤、ミントリキュールの緑など、4から5種の比重が異なる酒を順番に、カクテルとしては異質な層状に注いで作るカクテルだ。


「お客様はどうなさいますか?」

「なあバーテンさん。バーテンダーの実力を測る方法って何か知ってる?」

「はあ、なんでしょう」


 すっとぼけて――いや、さも知らない風を装ってシャンディが問う。

 ドヤ顔を続ける男を傍目に、シャンディは密やかに何を言い出すか予想を立てていた。


 男が言うとおり、バーテンダーの実力を測る方法はいくつかある。

 カクテルの実力を測りたいなら、やはり《ジン・トニック》だろう。

 ジンとトニックウォーターのみのシンプルな構成だからこそ、作り手の創意工夫が求められるためだ。たとえばシャンディであれば、基本レシピにライムジュースと少量のラムを加え、さらにはグラスの縁の半分に塩をくっつけてスノースタイル、もう半分にカットライムを指して提供している。

 技術力を見たいなら《アイスキューブ》だ。

 ロングドリンクやオン・ザ・ロックなど、グラスの中に氷を浮かべるタイプの酒を提供する際、氷の形に気を配る者は多い。氷を削って立方体にしたり、あるいはダイヤモンドのごとく細やかなカットを施す者もいる。ちなみにシャンディは氷はを良しとする。

 美的感覚を測るならば《グラスそのもの》。

 バーに必要不可欠な道具はグラスだ。価格はピンキリだが、大抵の――特にアンティッカのようなオーセンティックな――バーでは、様式美と機能美を兼ね備えたグラスが使われる。そして得てして、そういう物は値が張るのだ。シャンディもグラスには並々ならぬ金額を注ぎ込んでいる。酒瓶1本落とした日より、グラス1脚割れた日の方が憂鬱だ。

 さて、はたしてどうくるだろう。


「えー、知らないの? バーテンなのに、常識でしょー?」

「ふふ、教えていただけませんか?」


 《バーデンダーの力調べ》予想をシャンディが脳内で巡らせていると、男はさも意味ありげに指をパチリと鳴らして告げた。


「ハイボールのストレート、オン・ザ・ロックで」


 シャンディは一瞬、壁際の女性客と顔を見合わせる。


「何それ? スタバの注文?」

「まあ知らないわな。行きつけのバーのマスターに教わったんだよ、ってな」


 シャンディは、彼が懇意にしているらしい悪いバーテンダーが暗に示した意図を汲み取って、見開かれていた瞳を上弦に歪めた。


「ええ、畏まりました」

「ウチのカクテルもよろしく!」


 喧しい客の注文を受けて、シャンディは――注文など一切無視して――シェイカーを持ち出した。

 初めて見たであろう銀色のシェイカーの登場に、2名は大いにはしゃぎたてる。


「うわ、シャカシャカやるヤツじゃん!」

「バッカ、シェイカーって言うんだよ。ま、オレちょい詳しいんだけどね」

「えーマジ初耳! バーテンのバイトしてたとか?」

「あー、まあ。軽く振ってたっつーか――」


 という男の言葉に、酒瓶を準備していたシャンディが反応する。


「多いですよね、宅飲みでバーテンダーする人」

「なんだ、ごっこかよ」

「いや、ごっこじゃねーから! スクリュードライバーとか、シャンディ・ガフとか作ったし!」


 今度は、シャンディ・ガフ――シャンディが一番好きなカクテルの名前を出されて、動きがぴくりと止まる。


「へえ、シャンディ・ガフをシェイクで作ったんですか」

「バーテンさん、レシピ知ってる?」

「ええ。ビールとジンジャーエールでしょう?」

「そうそう! それをシェイカーの中に入れて振るんだよなー。この振り加減ってのが重要でさ、オレ結構上手いぜ?」

「いやドヤられても分かんないんだけど。どうなのおねーさん、こいつスゴいの?」

「そうですねえ……」


 シャンディは嫌みったらしく口角を上げて告げた。


「……すごいと思いますよ。シャンディ・ガフをシェイクで作るなんて、あたしには怖くて想像もつきません」

「な? スゲーだろ?」

「へー。プロ唸らせるとかやるじゃん! 店やっちゃえば?」

「それな! バーテンさん、オレいつでも代われるから困った時は言ってよ」

「ええ、そうさせていただきますね」


 告げると、シャンディはバーテンダーの顔にスイッチを入れた。

 実を言えば、この2名に提供するカクテルは彼らが店に入った瞬間から決まっていた。

 居心地のよい静寂を土足で踏み荒らし、ムリヤリ写真を撮ろうとし、案内も待たずカウンター席へ勝手に座り、アンティッカをボッタクリ呼ばわりし、下世話な話題を大声でわめき、バーテンダーを試すような真似をしながら注文はハイボールのストレートのオン・ザ・ロック。

 つまり、酒もバーの作法も微塵も分からないダメな客。彼が懇意にしているらしいバーテンダーはおそらく、彼の行く先々のバーテンダー達にこう伝えたくて滅茶苦茶な嘘を吹き込んだのだ。


 ――こいつは《ハイボールのストレートのオン・ザ・ロック》なんてものが存在すると思ってるバカだから、無礼なことをしても許してやってくれ、と。


 とはいえ、シャンディにも看過できないことがある。今宵もひとり壁際の特等席で飲んでいる大切な客と、シャンディ・ガフを侮辱されたことだ。


「では、お作りいたします」

「動画撮りたいんだけど暗すぎんだよねー」

「大丈夫だって、オレが詳しく解説してやっから」


 シャンディは心底うんざりした。勝手にやらせておくことにして、材料の計量を始める。

 取り出したるはホワイト・ラムだ。それを2名分、一回り大きめのシェイカーに計り入れる。客の男がメジャーカップについての間違った知識をひけらかしていることなどすっぱり無視して、ホワイト・キュラソー、レモンジュースと次々計り入れる。


「シェイクしますね」

「シャカシャカいってるスゴーい! おねーさんマジカッコいいー!」

「な? この音を出すのが難しいんだよ。ま、オレもできるけどね」


 酒が飲めない幼稚園児が振ったって、シェイカーは音が鳴るものだ。容器の中に氷が入っているのだから、むしろ音を出さずにシェイクする方が難しい。

 シャンディは適当な回数シェイクして、シェイカーのトップを外す。数えていた男によれば「25回か、まあまあだな」らしいが気にも留めず、冷えたグラスにドリンクを注いだ。


「こちら、注文の品になります」


 2名分のグラスは、ほんのりと白く濁っているだけだ。女が頼んでいた《プース・カフェ》でも、男が頼んでいた《ハイボールのストレートのオン・ザ・ロック》なる奇妙な代物でもない。


「いや、ウチこんなの頼んでないんですけど? 写真よく見てよ、もっとカラフルじゃん。こんなクソ地味なの全然映えないんだけど」

「おいおいバーテン、客を試すなよ? これ絶対ハイボールのストレートのオン・ザ・ロックじゃねえだろ!?」

「ええ、違いますね。こちらは《エックス・ワイ・ジー》です」


 注文とまったく違うカクテルを出して、シャンディは事もなげに微笑んだ。


「ところでお客様。お酒にようなのでお伺いしますが、《エックス・ワイ・ジー》の名前の由来をご存じですか?」

「あ!?」

「あら、すみません。シャンディ・ガフをシェイクで作れるのでしたら、知っていて当然だと思ったのですが」


 一般的に、シャンディ・ガフをシェイクで作ることはまずない。そもそもビールもジンジャーエールも炭酸だ。そんなものを密閉容器に入れて振ったらどうなるかなんて小学生でも想像がつく。


「どーなんよ、何か知ってんの?」

「い、いやいや知る訳ないだろ? オレはプロじゃねえ、素人なんだから。居るんだよなー、こんな風に雑学ひけらかしてマウント取ってくるヤツ」


 シャンディは「ふふ」とひとつ笑うと、せめてもの手向けとして説明してあげることにした。


「《エックス・ワイ・ジー》は、アルファベットにおける最後の3文字。つまり、これ以上のものはない最高にしてカクテルという意味です」

「そんなんどうでもいいんだけど。ねー、ウチのキラキラしたカクテルまだ?」

「蘊蓄はいいから早く酒出してくれよ!」

「あら、すみません。ラストオーダーのお時間が過ぎてしまいました」

「あ!? お前さっきオールナイト営業だって言ったじゃねーか! なのにラストオーダーとかおかしいだろ!?」

「やっぱりボッたくりじゃん! ねえもう帰ろ? やっぱ食べログ載ってないんだし大した店じゃないんだって」

「しかもロクに客の注文も聞かねえ! おら、バーテン。チェックだ。注文も聞かねえんだからタダでいいよな!?」

「ええ、無料にしてあげます」


 グラスに手すらつけず、2名はカウンターを立ち上がった。早々に退店する女の後を追う前に、男はシャンディを睨み付ける。


「分かってんだろうな、テメエ! こんな店二度と来ねえからな!?」

「お帰りはあちらですよ」

「チッ! 何がアンティッカだ、潰れちまえ!」


 三下じみた捨て台詞を残し、厄介な酔客2名は去っていった。

 アンティッカに再び、暗闇と静けさが戻ってくる。途端、シャンディは作ったばかりの一口も飲まれていない《エックス・ワイ・ジー》を一気に呷った。

 そしてその直後。


「ふふ、ふふふ……!」


 それまでこらえていたものがすべて解き放たれたのだろう、シャンディはカウンターを小さく数度叩きながら、鈴の音のような声で笑った。


「あー……ホント面白い……。愉快なお客様でしたね、

「ええ、まったく。笑いをこらえるのに必死でしたよ」


 カウンター端、壁際の席で静かにグラスを傾けていた美琴は、シャンディに釣られて苦笑を浮かべた。

 美琴は少なくとも、先の酔客よりはカクテルや酒についての知識がある。炭酸にまみれたシャンディ・ガフをシェイクしたらどうなるかも想像がつくし、ハイボールのストレートのオン・ザ・ロックなんて物が存在しないことも知っている。


「そう言えば、最初のストーカーの話は?」

「単なるウソですよ。あら、黒須様もあたしの写真が撮りたくなりました?」

「ええ、ですが。写真より実物のほうが美しいので」

「まあ、お上手。ところで美琴さんがお飲みになっているカクテルですが、気づきました?」

「ああ、《バラライカ》ですね」


 2名が来る直前、美琴に供された《バラライカ》はウォッカをメインに、ホワイトキュラソー、レモンジュースを副材料としてシェイクして作られる。

 つまり、《バラライカ》と《エックス・ワイ・ジー》の違いは、メインとなる酒がウォッカかホワイト・ラムかの一点だけだ。

 美琴はシャンディの問いかけに先んじて、答えた。


「《バラライカ》のウォッカが、ホワイト・ラムに代わらないようにしますよ」

「ええ、アンティッカで出す《エックス・ワイ・ジー》は、別れの合図。まあ、黒須様が望まない限り、あたしは絶対作りませんよ」

「それは愛の告白ですか、シャンディさん?」

「お好きなように受け取ってくださいな」


 シャンディは美琴の眼前、定位置に移動する。先の《エックス・ワイ・ジー》を片手に、美琴のグラスと小さく乾杯した。

 一方で、美琴はようやくにして気づいたのだった。


 ――シャンディさんって、本当に客を選んでいるんだ……。

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