犬神家の少女ハイジ

新巻へもん

大槻探偵事務所

「ということで吉報をお待ちしています」

 そう言って奴は慇懃に頭を下げると俺の事務所から出て行った。やれやれ、俺も落ちぶれたもんだ。弁護士の下請けをするようになっちまうとはな。辛気臭い息を吐きだした俺に相棒の冷たい声が響く。


「ねえ。コーシロー。折角お仕事が入ったんだから」

「だから?」

「椅子にふんぞり帰ってないで、さっさと出かけなよ! このままだと毎日3食卵かけご飯だけだからねっ!」


「せめて味噌汁と焼き魚ぐらいは……」

「付くわけないでしょおぉぉ」

 語尾が上がりまくっている。奈緒は貯金通帳を開いて俺に突き付けた。ひいふうみい。最下段には1539の印字。


「これであと7日も生きていかなきゃいけないの。どーしてだか分かる? アンタがこの間振り込まれたお金を全額飲んじゃったからでしょ!」

 これは極めて形勢が悪い。俺はケツに火が付いた猫よろしく飛び上がるとポールハンガーからトレンチを手に取った。


 ***


 車の助手席で奈緒はブツクサとまだ文句を言っている。

「まったく、一晩で30万も飲むなんて……。そのお金があったら……」

 俺は咳ばらいをすると雰囲気を変えることを試みる。

「あー。最初の行先の住所はどこだったっけ?」


 奈緒はきちんとした筆跡で書かれた住所に視線を落として読み上げる。車で15分ほどの距離だ。微妙な時間。カーラジオをつけるほどでも無く、かといって無言でいるには長い。仕方なく今回の仕事について奈緒に尋ねてみた。


「で、どう思う?」

 自分の世界に戻ろうとしていた奈緒は髪の毛をいじりだした。

「どうって。死ぬ前に自分の贖罪をしようってだけでしょ」

「いや、それはそうなんだが……」


 今回の依頼は近藤財閥の啓二会長からの依頼だ。個人資産が数百億という大金持ち。若い頃から女性関係が派手で愛人だけで1個中隊を編成できるとか言われている。一応、家庭を乱さないように子供は正妻の子供3人だ。まあ、父親に似ず凡庸で啓二会長が亡くなったら相当痛手だろうというのが世間の評判だ。


 それで、啓二会長は死病の床に就いていて、遠からず死ぬ……らしい。少なくとも顧問弁護士の大槻はそう言っていた。それで最期の願いとして、隠し子に一目会いたいそうだ。そのための費えは惜しまないということで、金を湯水のように使って、久太郎という男を探しているんだそうだ。


「自分の子供のくせに居場所も分からないなんて……」

「まあ、色々と事情があるんだろうさ。子供たちは無能だが、欲の皮だけはつっぱていて、自分たちの取り分の減らす相手を排除するには手段を選ばないらしい」

「おー、こわ」


「それで秘密裏に探す人間として、俺に白羽の矢が立ったというわけだ」

「おかげでまともなご飯が食べれる」

「成功すればの話だろ」

「大丈夫よ。飯が絡むとコーシローも少しはまともに働くから」


 俺達は屋敷の女中だとか、出入りの商人、医者などを片っ端から当たって久太郎の行方を捜す。そして、3年前に久太郎が死亡していることを知る。そして、久太郎には忘れ形見が一人いることも。大槻に連絡を取ると、その子供、依頼人の啓二にとっては孫になる子供を探せということになった。経費をちょろまかして食費にあてている俺としては追加のオーダーにも応えざるをえない。


 久太郎は困窮した生活を送っていたようで、妻も早く亡くし、子供は養子にいったということだった。なんとか候補は3人までに絞られたがその中の誰が久太郎の子供か分からない。そこで手掛かりがぷつりと途切れ、俺の捜索の頼みの綱は、近藤家の執事を務めていたという赤田老人を訪ねることにした。


 ***


「しっかし、95かあ。しかも病気で声がでないなんてねえ」

「若い頃に啓二に拾われるまで苦労したそうだからな。学校も満足に出ていない自分をここまで引き立ててくれた旦那さまには足を向けて寝れないそうだよ」

「でも、そんな人がなんで近藤会長の側に居ないの?」


「久太郎の扱いで苦言をていしたことで大げんかしたそうだ。まあ、あの3人とそりが合わないというのもあるだろうがな」

「ふーん。まあ、後は本人に聞けばいいね。でも、どうやるの?」

 俺はB4サイズのホワイトボードを示す。

「なあるほど」


 赤田老人は鶴のようにやせ細っていた。しかし、目には力が宿っており、俺の来意を告げるとしばらくためらった後に恥ずかしそうな様子を見せる。

「近藤会長のたっての頼みということなんです。お願いします」

 可愛らしい女の子の頼みだからか、老人は首を振り振り了承した。主に似てアンタもまだ枯れてねーな。


「赤田さんはどうして久太郎のことに詳しいんだ?」

『ズットレンラクヲトッテイマシタ』

 ホワイトボードにたどたどしいカタカナが並ぶ。そうか、それ以上習うこともできなかったんだな。それで躊躇ったのか。


「久太郎の子供がどこにいるか知っているか?」

 老人は頷く。

「この三人の中にいるか?」

 俺はホワイトボードにその名前を書いて、赤田老人に渡す。


 老人はその盤面に目を落とすと3人のうちの一人の名前の下にペンをとって書き足す。

『犬神やよい ハイジ』

 なるほど。犬神家の少女が久太郎の遺児か。そこへ家のドアを蹴破って、黒づくめの人相の良くない男たちがなだれ込んできた。


「なんなのアンタたち?」

 奈緒が上ずった声をあげる。そりゃ、あのボンクラどもの手先だろうぜ。中には拳銃らしきものを持ったのもいるが……、俺の相手じゃねえな。へへっ。こいつは追加料金もんだぜ。


「そうこなくちゃな」

 俺は奈緒と赤田老人をソファの影に引きずり込む。怪我をされたら大変だ。そして、ショルダーホルスターから愛用の特殊警棒を引き抜くと先頭の男を力いっぱいぶん殴る。

「イッツ・ショー・タイム!」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

犬神家の少女ハイジ 新巻へもん @shakesama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ