第二十五章 相模原発ワシントンDC行き
「意思疎通がとれない者を安楽死させる」
月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱―やまゆり園障害者殺傷事件』創出版(2018)
また、イヴァンカが父を正しく理解していたことも証明された。父は、ただ人に愛されるのが好きなのだ。さらに、バノンの最大の不安が正しかったことも証明された。トランプは、本当は臆病者だった。
マイケル・ウォルフ著 関根光宏・藤田美菜子他訳『炎と怒り』早川書房(2018)
これまで、四名のいかした自己愛性ブラック野郎どもを紹介してきた。
しかし、医師でもカウンセラーでもない人間が、パーソナリティ障害のことを書くことに、疑問を呈する方もいるであろう。
そもそも、そんな人物が実在するのか、と言われれば返す言葉もない。実際に職場などで自己愛性ブラックに遭遇した方であれば御理解頂けるものと信じているが、そうでない場合に、このような奇特な人間が実在していることなど、容易に信じることなど出来ないかもしれない。
そこで最後に、誰もが知っている人物にご登場願おうと思う。
いずれも、その道の専門家によって、自己愛性パーソナリティ障害と診断、或いは推測されている人物である。自己愛に加えて、私が名付けたところの分離不全の観点から、彼らのパーソナリティを分析してみよう。多少は、本書の内容にも真実味が加わることになるかと思う。
相模原障害者殺傷事件
その日の明け方。私は自宅のベッドで目を覚ますと、スマホの電源を入れて、ロックを解除した。スクリーンの光が眩しくて目を反らした。FXをやっているため、夜中に目が覚めた時に、スマホをチェックするのが習慣になっていた。尤も取引の方は、既に価格が変動し、碌に売買も出来ない状態に陥っている。目を細めながら画面を見ると、ニュースアプリのサムネイルが目に飛び込んできた。
十九人が心肺停止とは、一体どういう状況なのだろうか。救急の現場において、心肺停止(CPA)がほぼ死亡を意味することは何となく知っていた。
一時期、快楽殺人やらプロファイリングなどの本を読み漁っていたことがあるが、それでも十九人という数には流石に驚愕した。しかし、何せ眠かったので、それ以上深くは考えずに再びベッドに横になった。
数時間後、朝のニュースはその事件の報道一色だった。
二〇一六年七月二六日の未明、神奈川県相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」に男が侵入、職員を縛り上げたうえで、入所している障害者十九名を殺害、二十七人を負傷させた。
その足で、男は最寄りの神奈川県警津久井署に出頭し、逮捕された。
事件の衝撃は大きかった。
一度に複数の人間を殺害するのは、『大量殺人』にカテゴライズされる。
十九人という犠牲者数は、大量殺人としては戦後最悪であるという。
しかも被害者は皆、重度の障害者であり、逮捕された植松聖被告は、彼らが入所している施設の元職員であった。
被害者が重度の障害者ということで、警察は被害者の氏名の公表を控えた。この点に関しては、被害者本人や家族の要望であったとされる。その事実が、事件そのもののみならず、我が国で障害者やその家族が置かれた深刻な状況を物語っている。
事件から二年以上経った現在でも、被害者のみならず、全国の障害者とその家族の傷は癒えていない。
逮捕後に容疑者の精神鑑定が行われ、自己愛性パーソナリティ障害と診断された。
ここで疑問が生じる。
何故、彼はあのような凄惨な大量殺戮を実行したのか。
そして、何故それが可能だったのか。
何故、自分がかつて勤務していた施設の障害者を殺害したのか。
そして、自己愛性パーソナリティ障害が、事件とどのような関係があるのか。
事件の動機は、『優性思想』にあるとも言われている。しかし、今もってはっきりした動機は不明である。
通常の殺人では、動機が必ず存在する。金、人間関係、怨恨、憎悪、トラブルなどなど、現実的な目的を達成するために、その手段として他人を殺害するという行為に走る。
或いは、『カッとなって』『キレて』というパターンも存在する。
快楽殺人では、性的快楽という動機がある。
では植松聖被告の犯行動機は一体何だったのか。分離不全―自己愛性PDの観点から検討してみるとしよう。
まずは、朝日新聞取材班による『妄信 相模原障害者殺傷事件』朝日新聞出版(2017)、そして月刊『創』編集部編による『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』創出版(2018)、および各メディアの記事を参考に、彼のプロフィールを簡単にまとめてみた。
流石に、家庭内の状況や詳細な生育環境については、今後の精神鑑定やメディアによる取材を待たねばならないが、断片的な情報をちょっとなぞっただけでも、彼の自己愛的(ナル)な精神状態が充分過ぎる程によくわかる。
植松聖被告は、東京都日野市で生まれた。父は小学校教師、母は漫画家であった。
被告が一歳の頃に、津久井やまゆり園と同じ町内に引っ越してきた。
明るく活発で、挨拶もきちんと出来る子供だった。近所の評判は悪くなかったようだ。
小学校のクラスでもムードメーカーで、体を張ったギャグで、常に周囲を笑わせていたという。
中学校に入学すると、バスケットボール部に入る。そこでも快活で、成績も悪くなかった。しかし、キレると物に当たったり、手が付けられなくなるという一面もあった。
八王子市の私立高校に進学し、やはりバスケ部に入部。この頃から、父親と同じ小学校の教員になりたいと周囲に話していたという。明るい性格で、ここでもクラスの人気者だった。
友人たちとバーベキューをしたり、料理を振る舞ったりするのが好きだったという。友人の一人は『プロでもやれる』と自慢していたと語る。ここまではちょっとやんちゃで、リア充パリピな若者という印象だ。
現役で大学に合格すると、初等教育を専攻した。友人たちは、被告は根っからの子供好きだと証言する。学童保育で指導員補助のアルバイトも始めた。
小学校での教育実習では、周囲の評判も良かった。
被告に異変が見られたのは、この頃からであろう。
背中一面に刺青を入れた。両親だけ八王子に引っ越し、被告が一人で実家に取り残された。両親と喧嘩したようだが、詳細は不明である。
小学校で教育実習を行ったが、その時既に背中にもんもんが入っていた。水泳の授業では、スイムスーツを着て隠していたという。
刺青を入れてもらった彫師に、弟子入りを志願したが、あえなく断られている。しかし、その後SNSに『彫り師になった』と書き込んだ。本当に彫り師になったかは不明である。
結局、教員にはならずに、大学を卒業後は運送会社に就職した。しかし、そこを十カ月あまりで退職。その後、デリヘルの運転手などを転々とした。
通っていたクラブでは、薬物の使用を疑われていたという。この頃には、大麻を常習していたことが明らかとなっている。
二〇一一年一二月、『津久井やまゆり園』に入職。最初は真面目に勤務していたが、その内に刺青が発覚、言動もおかしくなった。
二〇一六年の初めから、施設の同僚らに『意思疎通の取れない障害者は殺すべき』などと話すようになった。
そして、二〇一六年二月に、衆院議長公邸に手紙を届けた。
当初は、総理大臣公邸に通っていたが、警備が厳重で近寄れなかった。文面も、最初は安倍総理大臣宛てだったものを、宛名を書き換えたという。
その後、神奈川県警の捜査員がやまゆり園を訪れる。
そのことを受けて、園長ら幹部職員が植松被告と面談した。そこで退職することになった。
その場で津久井署署員に保護され、緊急措置入院が決まった。
事件の計画を立てたのは、この措置入院中だったという。
入院当初は粗暴な振る舞いもあったが、やがてはそれも収まった。主治医の判断により二週間あまりで退院した。
その後、相模原市で一時生活保護を受給する。
六月には、相模原市内のムエタイジムでトレーニングをした。
七月には、両親と食事をした。
この頃には、障害者の話題を持ち出すこともなくなっていた。
ところが植松被告は、考え方を改めた訳ではなかった。
予定されていた通院もすっぽかした。
トレーニングに励んだのは襲撃を決意したからである。
そして、二〇一六年七月二六日を迎える。
犯行後には、自身のツイッターに投稿している。正装して自撮りした画像だった。
逮捕後に、検察庁に送検される車内では、満面の笑顔を見せてはしゃいでいた。
その映像がニュースなどで流れると、日本中に衝撃を与えた。
あれだけの事件を起こしておきながら、何故あのようにはしゃいで笑っていられるのか、心ある人であれば、誰もが怒りと恐怖を覚えたことであろう。
植松被告は、マスコミなどへの手紙の中で、犯行の『動機らしきもの』について述べている。
彼は『意思疎通のとれない人間』を『心失者』と呼んでいる。そして、彼らは生きていても仕方のない人間だとしている。この思想らしきものが動機であると見做されている。
逮捕後に、半年をかけて精神鑑定が行われた。
そして、自己愛性パーソナリティ障害の診断が下された。
しかし、専門家でもなく、或いは余程興味のある人でもなければ、パーソナリティ障害と言われても全くピンとこないのではないだろうか。
では、自己愛性パーソナリティ障害について、今一度おさらいしてみるとしよう。
今までみてきたように、自己愛性PDの原因としてまず考察するべきなのは、乳幼児期の養育環境である。
乳幼児期には、人間は養育者と一体化しており、幼児的な誇大感を抱いている。
適切な環境においては、成長するにつれて、幼児的な自己愛は身の丈にあったものに発達し、また自分と他者が違う人間であるということを認識出来るようになる。
これが、マーラーが提唱した『分離―固体化過程』と呼ばれるものである。
しかし、この時期において分離―固体化に失敗すると、肥大化した自己愛が保持されたままで大人になってしまう。更に他人との分離も成し遂げることが出来ない。私はこの状態を分離不全と名付けた。
分離不全では、他者は自分の一部、或いは延長として認識されている。そのため、他人が自分と同じように考え、自分の手足の如くに思い通りに動くのが当然だと思っている。それを裏切られると、自己愛憤怒と呼ばれる状態に陥る。早い話が、他人が自分の思い通りにいかなくてキレるという訳である。
同時に乳児は、同じ母親のおっぱいであっても、自分の欲求を満たしてくれる『よいオッパイ』と、お乳の出ない『悪いオッパイ』に分裂して認識している。こうした部分部分で、その瞬間の満足不満足で結びつく関係をクラインは『部分対象関係』と呼んだ。その『部分対象関係』において特徴的な状態が『妄想分裂ポジション』である。これは、自分の思い通りにならない状況で、相手に対して怒りや攻撃を爆発させるというもので、同時に過度な理想化と悪とに、他者を分ける傾向にある。
成長に伴い、『部分対象関係』は『全体対象関係』へと発達し、『妄想分裂ポジション』も『抑うつポジション』へと変化する。良くても悪くても同じおっぱい、同じ母親であることをトータルに認識出来るようになり、罪悪感や自己反省といった感情も芽生えるようになる。そして、辛い『抑うつポジション』を避けようとする心の動きを『躁的防衛』と呼んだ。これは、落ち込みを避けるための躁状態といえる。
自己愛性パーソナリティ障害では、誇大化した自己愛と分離不全、そして部分対象関係と妄想分裂ポジションに留まったままで、自分の思い通りにいかない時には、自己愛憤怒を引き起こすことを主な特徴とする。三歳児の時に、心の成長が止まったままで大人になってしまった状態とも言えるであろう。
植松被告の幼少期については、今のところ明らかになっていない。果たして、今後もそういった情報が世に出てくるのか、定かではない。
いずれにしても、自己愛性PDの場合は、傍から見て幸せそうな家庭であっても、実は過度に甘やかされていたり、本当に必要な愛情や応答が得られていなかったりということもある。本人や両親も、何かが間違っていたという認識がない場合が多いので、分離―固体化の失敗の原因を探るのは、精神科医やカウンセラーが時間をかけてカウンセリングでもしない限り困難な作業ではある。
小学校時代の植松被告は、周囲のみんなを笑わせるお調子者だったようである。クラスに必ず一人はいるタイプと言える。
通常、こうした傾向は好意的に解釈される。
多少手がかかったとしても、やんちゃな方が、子供としては好ましいものとされている。
私などは、逆に碌に話もしないし教師にも懐かないしで、随分と気を揉まれたようだ。
しかし見方を変えると、これも自己愛性PDのアザー・サイドではないだろうか。
学校で、たくさんのおトモダチに囲まれて、神経伝達物質の過剰分泌でハイになっていたようにも思える。『体を張ったギャグ』というのも、周囲の関心を買うのに必死だったのではないだろうか。
そう言えば、太宰治の名作『人間失格』においても、主人公の葉造が、必死になって『道化』を演じる様が描かれている。太宰も自己愛性パーソナリティ障害として、よく例に挙げられている。
太宰の場合は、いきなりキレるということはなかったようだが、植松被告は違った。
キレて手が付けられなくなるのも、自己愛憤怒と言えるかもしれない。
通常は成長すると共に落ち着いてくるものであるが、こうした傾向が続くようだと、自己愛性PDを疑うべきであろう。
植松被告の場合も、そうした傾向は大人になっても続いた。犯行そのものが、世間の気を引くためという側面もあったかもしれない。
刺青を入れたのは、単純に強さへの憧れであろう。
しかし、幾ら自己愛性PDだからといっても、教員志望の若者が何故全身に刺青を入れることになるのか理解に苦しむ。ここまで来ると、流石にパーソナリティ障害だけでは説明しきれない。この頃から、正常な判断が出来なくなっていたのかもしれない。大麻の影響もあるのだろうか。
そして自身に刺青を入れたのみならず、植松被告は彫り師に弟子入りを志願したという。
これは、かなりわかりやすい理想化転移と言える。
当然の如く、彫り師は植松被告の申し出を断ったが、その半年後には、SNSに『彫り師始めました』と投稿している。余程、その彫り師に傾倒していたのであろう。本当に彫り師になったのかどうかは定かではないが、こうした行動も、自己愛性PDには有り勝ちである。野球をやればプロになれると吹かし、料理をすればプロになれると吹かす。何をやるにもプロになれる、一番になったと吹かしまくるのである。
この頃に両親が実家を離れ、植松被告は一人になる。
家庭内で何があったのかは不明だが、甘い葉っぱの匂いを振り撒き、背中に刺青が入った息子の姿を見て、ショックを受けたであろうことは想像に難くない。当然の如く激怒したかもしれない。
自己対象の一部として慕っていた父親に、般若やおかめが描かれた、いかした刺青を咎められれば、息子が自己愛憤怒に陥って逆切れするのも無理はない。
近所では、口論や女性の叫び声が聞こえたという証言もある。
母親への暴力も、別居の原因かもしれない。
元々は、父親と同じく小学校の教員志望だった。近所の人には『父も教員だから自分も教員になりたい』と話している。
しかし、教育課程を経て教育実習まで修了しておきながら、教員になることはなかった。もんもんが入っていては、教員になることは不可能であろうが、そもそもが父親との諍いが原因なのかもしれない。
青年期までは、表向きの親子関係は良好だったようだ。
父親を尊敬し、父親のような教師になりたいとまで公言するのは微笑ましくもある。
まさに、理想的な自己対象と言えなくもない。
その一方で、このような証言もある。
『植松はお母さんっ子で、誕生日プレゼントを買ったりしていた。お父さんにはよく叱られるようで、悪口しか聞いたことがない』
両親に関する情報は限られているが、父親は厳格なタイプだったのかもしれない。
精神科医のブロスは思春期を、『第二の分離―固体化期』と呼んだ。
思春期には両親から自立し、一人の人間として精神的に独立しなくてはならない。
本来であれば、正常な反抗期を経て、エディプス・コンプレックスを乗り越えるべきなのであろう。
しかし、どうも植松被告の場合は、それを自然な形で達成することが出来なかったようである。
大学卒業後は職を転々とし、紆余曲折を経てやまゆり園に入職する。
やまゆり園で仕事を始めた当初は
「健常者でない人を守ってやらなきゃいけない」
と周囲に話していたという。
自己愛性パーソナリティ障害の者は、傲慢で自信過剰な見せかけとは裏腹に、その内面は、不安と恐怖に満ちている。彼も、強力な自己不全感やコンプレックスを抱えているのであろう。刺青を入れるのも、その自身の弱さから逃れるための行動である。
恐らく最初は、本当に障害者たちにシンパシーを感じていたのかもしれない。
『僕が助けてあげるんだ』
『弱者』である障害者と同じ地平に立ちつつ、上の立場から彼らを助けることで、自己愛も満たせると無意識に計算していたのであろう。
ところが、現実はそう上手くはいかない。恐らく言うことを聞かない、思い通りにいかないということもたくさんあったことであろう。その度に、彼の心の中では疑念の渦が巻き起こる。
『何で、どうして。何で言うこと聞かないんだよ。何で思い通りにいかないんだよ。一体何なんだよこいつら』。
自分から話しかけて『やった』のに、『無視』され『シカト』される。助けて『やって』いるのに、お礼の言葉もない。自身は勝手に仲間だと思い込んでいた人々に、日々裏切られ続ける。
分離不全―自己愛性PDの者にとって、これ程に耐え難いことはない。
疑念はやがて、怒りと憎悪に変るだろう。
事件後、『創』編集長の篠田博之氏に宛てた手紙ではこのように述べている。
「私は意思疎通がどれない人間を安楽死させるべきだと考えております。」
彼は、意思疎通が出来ない人間を『心失者』と定義して、彼らを排除するべきだとしている。
措置入院中には、医師の診断に対してこう述べている。
「しゃべれる障害者は好きだし、面白いこと言うな、とか思うんですけど。しゃべれない人は存在しちゃいけない」
どうも障害の有無は、あまり関係ないらしい。
意思疎通が出来ないという点にここまで拘るのは、分離不全―自己愛性PDが最悪と呼べるレベルにまで深刻になっているとしか思えない。
一般人が総理大臣に直訴して、自身の意見を取り上げてもらえると思っているのも誇大妄想的である。
手紙にも、世界平和、全人類などなど、何やらスケールの大きなワードが並ぶ。
自身の歪んだ考えが唯一絶対の真理であり、政府や世間に受け入れられると信じている。
篠田博之編集長との面談では、このように述べている。
「いやきちんと説明すれば半分くらいの人はわかってくれると思っています」
当初、植松被告は、友人たちに手紙の代筆を頼んでいた。
しかし、あまりの内容に皆協力を拒んだ。
友人の一人が植松被告の考えを否定すると、彼はムキになって怒ったという。
こうした自己中心性、誇大妄想的イメージは、今まで見てきたように、ブラック企業の理念や経営者の言動にも共通するものだ。
植松被告は、措置入院中に犯行を決意したと述べている。
この点に関しては、措置入院の在り方や行政の対応が問題となっている。
手紙を届けた時点で、何らかの形でもっと注目を浴びたりしていれば、それで満足した可能性もある。
このケースを考えると、自己愛性PDの治療においては、やはりコフート式の共感の方が有効なのかもしれない。
個人的には、衆議院議長公邸に手紙を持参した時点で、公安部案件にすることは出来なかったのかという疑問は残る。
退院後には、襲撃に備えてトレーニングで体を鍛えた。筋トレ自体にナルシシズムを見出せることは、今まで散々見てきた通りである。
そして犯行後には、ツイッターに自身の画像を投稿する。メッセージは『世界が平和になりますように。』というものだった。
この点も、従業員を死なせても、それが大義のためであるかのような言動を繰り返す、ブラック経営者と大して変わらない。
検察庁に送検される車内では、明らかに常軌を逸したハイテンションで、躁状態となっていたように見える。大勢の記者やカメラマンに注目されて、余程嬉しかったのであろう。恐らく神経伝達物質の大花火大会が、そこでも開催されていたのであろう。体を張ってでも周囲の注目を浴びたがった小学生時代と、何ら変わっていないと言える。
植松被告は後に『ヒトラーの思想が降ってきた』と述べている。
アドルフ・ヒトラーと言えば、若い頃は画家を目指していた。
植松被告も、漫画家だった母親の影響か絵を描くことが好きらしい。獄中でも、大量のイラストや漫画を描いており、その一部は『開けられたパンドラの箱』で見ることが出来る。
内容は稚拙かつナルシシスティックで、はっきり言って不気味なものであるが、書き込みの執拗な細かさだけは異様に目立つように思える。
これはヒトラーの画風にも通じるものである。
建築物や風景においては、細部まで極めて正確に描写しているが、人物のデッサンはからきしダメだったらしい。これも性格の偏りに原因があるのかもしれない。
絵画の共通点はともかくとして、思想での共通点はあまり見出せない。
植松被告本人も、ヒトラーの名前を出したのは思い付きだったと述べている。
この事件に関しては『優性思想』といったものが盛んに取り沙汰されているが、そもそも植松被告が思想などという大層なものを持ち合わせている訳でもないだろう。
この事件は、自己愛性パーソナリティ障害による自己愛憤怒が原因である。
そして動機を一行で述べると、こうなる。
『呼びかけて、返事がなかった』
これだけだ。
自己愛性PDの者は、分離不全のため、元々他者との境界線が希薄で、一体感を抱いている。
自身が世話をする相手に対しても、自身の延長のように感じていたことであろう。
ところが自身の思い通りにはいかず、呼びかけても返事がないし、何かをしてあげてもお礼の言葉もない。
自己愛性PDに対しては、シカトが最も堪えることは先に述べた通りである。
そして、自身の存在を認めてもらえない、注目してもらえない、褒めてもくれない、成果を誇示出来る訳でもない、そうした状況で日々、疑念と怒りと憎悪を募らせていったのであろう。
ここで注意しなければならないのは、自己愛性パーソナリティ障害だからといって、必ずしも障害者差別に至るという訳ではない、ということである。
容疑者の場合は、当初は障害者に対してシンパシーを抱いていた。
人助けというのは、時に自己愛を満たすためのツールともなり得る。
何らかの形で、肥大化した自己愛と分離不全の不安感や寂しさが満たされていれば、あのような凶行には至らなかったのかもしれない。
植松被告は、未だに自身の行為の正当性を主張している。
この歪んだ考えは、恐らく今後も変わらないであろう。
自己愛性PDであれば、神の如くに、自身の考えを正しいものだと思っている。彼の考えを改めることは、一朝一夕には困難だと思われる。どれだけ周囲から非難を浴びても、或いは非難されればされる程反発し、自身の考えに固執しようとするであろう。自身の非を認めることは、自己愛性PDの者にとっては死んだも同然である。彼らの、ガラスのように脆く繊細なハートは、そんな事態に耐えられるものではない。
もし、彼を改心させるつもりであれば、長期に渡る地道な治療しかないであろう。
刑務所において、パーソナリティ障害の治療が可能かどうか定かではない。
しかし、ただ死刑にするまで放置するのは、法治国家としては怠慢の誹りを免れないであろう。
全国の障害者や家族は、未だに答えを求めて闇の中を彷徨っている状態だ。
植松被告と対話を続け、彼の思考と精神状態を解明することでしか、彼らの元に一筋の光が差し込む日は訪れないのかもしれない。
トランプ大統領の悪性自己愛性PD
現在、世界で最も有名な自己愛性PD野郎と言えば、やはりこの人であろう。
アメリカ合衆国の第四十五代大統領、ドナルド・トランプ氏である。
彼が大統領に就任後の二〇一七年二月、ニューヨーク・タイムズ紙に、三十五名の精神科医が連名で送った投書が掲載された。
内容は、トランプ大統領の精神的不安定さを指摘し、大統領としての職務遂行能力に疑義を呈するものであった。
『米国精神医学会(APA: American Psychiatric Association)』では、一九七三年にゴールドウォーター・ルールと呼ばれる倫理規定を定めている。『精神科医が自ら診察していない公的人物について、職業的意見を述べたり、精神状態を議論したりすることは非倫理的』であるとして、そうした行為を禁止したものである。
しかし投書では、状況が差し迫っており、これ以上の沈黙は出来ないと述べている。つまり、倫理規定を破らなくていけない程に、トランプ大統領の精神は危険な状況であると判断している訳である。
アメリカでは、多くの精神科医や心理学者たちが、トランプ大統領が悪性の自己愛性パーソナリティ障害ではないかと懸念している。
精神医学の専門家たちによって結成された『警告義務の会(DTW)』では、プロの立場から、トランプ大統領の危険性を訴えたり、彼の解任を求める署名運動を行っている。
そして二〇一七年十月(日本版は二〇一八年十月)には、バンディ・リー編 村松太郎訳『ドナルド・トランプの危険な兆候 精神科医たちは敢えて告発する』岩波書店(2018)が出版された。
そこでは、二十七名(日本版は二十五名)の精神科医やジャーナリストたちが、トランプ大統領の精神状態に関して分析を行い、またゴールドウォーター・ルールに関する考察、アメリカ国民に対して、トランプ大統領の発言が及ぼした悪影響、通称『トランプ・エフェクト』などに関して論考している。
トランプ大統領の精神状態に関しては、反社会性パーソナリティ障害、パラノイア、妄想性障害などなど、様々な診断が下されているが、やはりメインディッシュは、自己愛性パーソナリティ障害のようだ。
しかし、専門家でなくとも、彼の言動をメディアなどで見聞きしていれば、ミスター・プレジデントが自己愛性パーソナリティ障害ではないかという疑念は、誰もが抱くことであろう。DSM-5を開いてみれば、トランプ大統領が、九項目全てに当てはまることは、容易に判定出来る。世界広しと雖も、ここまでのハイスコアを叩き出せるのは、彼だけであろう。もし彼が自己愛性パーソナリティ障害ではないと言うのであれば、この地球上に、自己愛性パーソナリティ障害の人間は一人も存在しないことになる。そういった意味では、確かに彼はスペシャルで稀有な存在と言えよう。
ミスター・プレジデントが、自己愛性PDであるという根拠に関しては、枚挙にいとまがない。
ツイッターやインタヴューでは、自身の偉大さをアピールするのに余念がない。自分は偉大だ、女にモテる、天才だ、などなど、ここまで自画自賛出来る人間はそうはいない。謙虚さの欠片もない。
自身とは異なる意見を述べたり、批判したりする人間に対しては、逆上し、口汚く罵る。メディアに対してはフェイクニュースとして、敵対心をむき出しにして、ボロカスにこき下ろす。これも自己愛憤怒と言えるだろう。それに対して、自身の間違いは決して認めようとしない。謝罪もしない。
彼の大統領就任以来、政権を去った閣僚や側近は、十数名に上る。この原稿を書いている最中には、何とマティス国防長官まで辞任した。
トランプ大統領のホワイトハウスの内幕を描いた、マイケル・ウォルフ著 関根光宏・藤田美菜子他訳『炎と怒り』早川書房(2018)では、トランプ大統領の側近たちが、大統領本人の奇矯な言動に困惑し、対応に苦慮する様子が描かれている。
『たとえば、トランプを相手に本物の会話は成立しない。つまり情報を共有するという意味での会話はできないし、バランスよく言葉のキャッチボールをすることもできない。相手の言うことを熱心に聞くことはないし、相手に返した言葉の意味を深く考えてみることもない(だから彼は同じ話を何度も繰り返す)。』
マイケル・ウォルフ著 関根光宏・藤田美菜子他訳『炎と怒り』早川書房(2018)
それも当然といえば当然で、普通はパーソナリティ障害に関する知識など持ち合わせていない。これは私も通った道である。成見も第三の男も、周囲の人々を煙に巻いて困惑させていた。第二の男は、元ヤンだからしょうがないで済ませていたような気がする。
彼らとは、どうも話が通じないと思わされることがしょっちゅうだった。しまいには諦めた。
彼らの基本的認識は、一般人とはかけ離れている。彼らは相手の立場というものに関心を持たないし、我々がそれぞれ、異なる考え方や価値観を持ち合わせているということを理解していない。他人は自身の延長であり一部なので、自身と同じことを考え、自身の思い通りに行動すると思っている。大統領という立場からすると、世界中の人々に同一化していてもおかしくない。これで話が通じる人間がいたとしたら、神の如きコミュニケーション能力の持ち主か、エスパーだけであろう。側近や閣僚たち、そしてメディアの人間と摩擦や衝突が絶えないのも、私が名付けたところの、この分離不全が一因であろう。
彼は自身を、政治家ではなくビジネスマンであると強調し、しかも優秀でリッチだと、常々ブーストしている。
しかし、彼は過去に四度も破産している。
リゾートホテルホテルとカジノは赤字続き。航空事業からは撤退。『フォーブズ』誌の全米長者番付から漏れると、編集部にクレームをつける。自身の資産を自慢する時に、その数字は水増しされているのが常だ。
彼のビジネスは、第二十四章において、『自己愛過剰社会』から引用したパターンそのものである。
表面的な虚栄心と自信過剰、そして内面的な不安感から、リスクを度外視して巨額の投資を行う。自身の名を全面に押し出すのも忘れない。
そして不況になったり、何かのトラブルによって一度躓くと、一気に債務超過に陥り、破産する羽目になる。
失敗は不況のせいであって、自身の経営能力に問題がある訳ではない。ちょっと運が悪かっただけだ。悪いのは無能な取り巻どもだ。次はきっと成功してやる。
しかし、ただ動かす金額がでかく、派手好きなだけで、経営者として特に優れている訳でもない。景気の波にもまれながらも、自身の事業を存続させている経営者はたくさんいる。
自身の名をブランド化しているおかげで、ピンチでも助け船が得られやすいという点は、優れた点と言えなくもない。この点においても、完璧に自己愛性PD的と言える。
そうした傾向は、彼の政策にも表れている。
移民入国制限に始まり、メキシコ国境における壁の建設を表明、エルサレムをイスラエルの首都として承認、イランに対する敵意、NATOを批判、ロシアによるクリミア併合を容認、TPPからの離脱、中国との貿易戦争、パリ協定からの離脱、更に核拡散防止条約を破棄、シリアに対するミサイル攻撃の末に、駐留軍の撤退、イスラエルによるゴラン高原での主権承認などなど、過激な政策を次々と実行している。
そうした政策の立案、実行にあたっては、自身のイデオロギーのようなものが背景にあるかもしれないとしても、通常であれば、全体の状況を踏まえた上で、メリットとデメリット、広範に渡る影響を考えて、総合的に判断を下すだろう。実行するにしても、反対派に対する配慮や気遣いも重要だ。政治は妥協の産物とも言われる。時には妥協することも必要であろう。
しかしトランプ大統領は、自身の支持団体や支持母体に対して、餌を与えるかの如くに、大した分析もせずに、次々と過激な政策を実行しているように見える。
本人は、ビジネスにおける『ディール』のつもりなのかもしれない。
しかしこれも、自己愛性PD的な人間関係の延長として捉えることも出来る。
すなわち、彼にとって他者は『よいオッパイ』と『悪いオッパイ』に分裂したままなのである。
自分をいい気分にさせてくれる『よいオッパイ』に対しては、とことんいい顔をして、批判されるたり邪魔されたと判断すると、敵意をむき出しにする。クラインの部分対象関係論を連想させるものである。
更に自己愛性PDは、常に短期的で目先の成果に囚われる傾向がある。長期的な視点に立って、物事を俯瞰するという芸当は苦手である。
よって政策においても、短期的な成果を求めるであろう。
国境の壁は、そうした発想に基づくものではないかと思える。
個人的には、国境に壁があっても仕方ないとは思う。しかし問題は、何故今まで誰も実行しなかったかということである。それは、コストに比べて効果が薄いからである。
確かに、一時的には不法移民は減るかもしれない。そして、その成果を満塁ホームランの如くに過大にアピールすることであろう。しかし、三千キロあまりの国境線を完璧にガードすることなど不可能である。壁を破るか、トンネルを掘るかすれば、突破するのは容易であろう。
不法移民に対しては、取り締まりと同時に、相手国の政情不安を解消し、地域の安定化に務める姿勢も必要であろう。アメリカ合衆国の大統領には、それだけのパワーがある。しかし、そうした長期的な発想は皆無のようだ。
元々境界線がなく、他人の心に土足で踏み込んで好き放題する自己愛性PD人間が、国境の壁にこだわるのも皮肉な話ではある。或いは、マスターソン的に考えれば、自身の弱い部分を防衛するための防壁を、国境の壁に見ているのかもしれない。
彼の言動で最も不可解なものは、オバマ前大統領に対する、異常な執着心と敵愾心、そしてそれとは対照的な、ロシアのプーチン大統領に対する、異常な『愛・アムール』であろう。
これは、移民や異教徒に対する憎悪とも通ずるものである。
オバマ前大統領に対する敵意と、移民やムスリムに対する敵意は、基本的には同根のものである。すなわち、私が名付けたところの分離不全が原因であろう。
DSM-5のパーソナリティ障害の項目には、こうある。
『その人の文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的様式。』
日本でも、最近は外国人が増えてきたとは言え、まだまだ土着で田舎者の日本人どもが大多数を占めている。
よって、自己愛性PDであっても、少なくとも外見的には、転移や同一化を妨げる要素が少ない。
しかし諸外国、特にアメリカにおいては、日本以上に人種、民族、そして宗教と、それらに基づいた考え方や生活習慣といった、自身との同一化を妨げる要素がとてつもなく多い。
自己愛性PDの人間は、私が名付けたところの分離不全の病理により、あらかじめ他者と一体化した感覚を抱いている。そして、目の前に実際に他者が現れた時、その人物に転移、或いは同一化しようとするだろう。コフートは自己対象転移を、その様態によって幾つかの種類に分けている。
その人物が自分より強くパワフルであれば、彼を理想化して一体化する理想化転移を起こすかもしれない。或いは、自分自身を反映させる鏡像転移かもしれない。
では、目の前にいるのが、最初から同一化出来ない人間だとしたらどうなるのか。
肌の色が黒い、或いは黄色い、ターバンを巻いている、ムスリムである、ドラッグクイーンである、或いは女性である。
恐らく、彼の幼く不安に満ちた心は恐慌に駆られ、自己愛憤怒に陥るかもしれない。
自分とは関係のない人間だとしてもスルー出来ない。自己愛性PDの者にとって中間は存在しない。仲間か敵か、握手するか倒すかである。
トランプ大統領にとって、自分とは人種の違うオバマ大統領は、最初から転移出来ない存在なのだ。同一化出来なければ、その人たちは全て自分の敵にすぎない。そして移民や異教徒も、彼にとっては、最初から決してわかりあえないエイリアンであり、敵なのだ。
大統領就任から二年も経って、未だにオバマ前大統領やヒラリー元国務長官に執着しているのは、自己愛憤怒をこじらせた結果であろう。
政策に関しても、オバマケアの撤廃、TPP脱退など、オバマ前大統領の業績を打ち消すことに躍起になっている印象を受ける。スタンスの違いはわかるが、下準備や代替案もなく、何でもかんでもいきなりぶった切るのは性急にも思える。普通はもう少し上手に立ち回ってもいいところだ。この原動力は、オバマ前大統領個人に対するライバル心だと思われる。すなわち、『見ろよ、ボクの方が強いんだぞ』。
ここで注意が必要なのは、相模原障害者殺傷事件同様に、自己愛性PDだからと言って、必ずしも差別主義者になるとは限らないということである。言うまでもなく、本人の資質、生育環境や親の影響も重要な要素となる。
ミスター・プレジデントの場合は、父親のフレッドが、人種差別的な人間だったと言われている。KKKのメンバーだったという噂もある。
一九二九年五月に、ニューヨークにおいて、KKKと警察の大規模な衝突が起きた。その時に、数名のKKKメンバーが逮捕された。その中にフレッドがいたのである。
しかし、彼は起訴されることなく釈放されたようだ。
ドナルドは、パパ・トランプがKKKのメンバーだったことは否定している。
しかし、一九七〇年代には司法省公民権局から何度も起訴されている。容疑は『人種と肌の色を理由にして部屋を貸すことを拒んだ』というものだった。この時既に、ドナルドは大学を卒業し、パパ・トランプの会社で働いていた。
かつてパパ・トランプのアパートに住んでいた、フォークシンガーのウディ・ガスリーは、彼の人種差別的傾向を非難する歌詞を残している。その名も『Old man Trump』。元々は、『Ain`t got no home』という曲に、新たな歌詞を付けようとしていたようである。元曲は、ガスリーの代表的な一曲なので、インターネットやCDで聴くことが出来る。新たな歌詞の方は、カバーバージョンで最近リリースされている。興味のある方は検索されたい。
オバマ前大統領とは対照的なのが、ロシアのプーチン大統領である。
ロシアが、二〇一六年の大統領選へ不正に介入したとされる『ロシアゲート』疑惑は、現在も特別検察官による捜査が続けられている。今回の中間選挙で、下院において共和党が過半数を割り込んだことにより、弾劾の可能性も高まったと言われている。
トランプ大統領の発言は極めて不安定ではあるが、ロシアのプーチン大統領に対するビッグラブだけは選挙中から一貫している。
プーチン大統領本人に対しては、『強いリーダーだ』『尊敬されている』『素敵、抱かれてもいい』などと、賞賛の言葉をゴールデンシャワーの如く浴びせている。
クリミア併合に対しても、西欧諸国を中心に世界中がロシアを非難している中で、ミスター・プレジデントだけは容認するような発言をしている。逆にオバマ元大統領が悪いと非難する始末。
更に二〇一八年末には、シリアから駐留軍を撤収させることを決定した。これで中東地域に対するロシアの影響力は益々強まることであろう。
プーチン大統領に対しては、どこか腰が引けている印象を受ける。
一説によるとロシアの情報機関が、トランプ大統領による『ゴールデンシャワー』の盗撮映像を握っており、それをネタに脅しをかけられているという。
しかし、今更ミスター・プレジデントにとって『ゴールデンシャワー』くらいどうってことはない。
「ゴールデンシャワーくらい誰でもやっているさ。シルバーよりゴールドの方がゴージャスでいいじゃないか」
とでも言われれば、それまでである。恐らく誰一人として気にしないであろう。
彼のおそロシアとプーチン大統領へのディープラブは、何も今に始まったことではない。
トランプ氏とロシアとの関係は、一九八〇年代にまで遡る。
この点に関しては、小川聡 東秀敏共著『トランプ ロシアゲートの虚実』文春新書(2018)に詳しいので、そちらを参考にしたいと思う。
ニューヨーク五番街のトランプタワーでは、ロシアマフィアと目される人物が、複数のコンドミニアムを所有していた。
ソ連の国連大使が彼に接触して、ソ連でのビジネスを勧める。その後、ソ連政府が、直々に彼をモスクワに招待した。以来、親ソ連派に鞍替えし、ソ連でのビジネス展開に野望を抱くようになる。
どうもソ連とKGBは、彼の自己愛的(ナル)な性格を正確に把握した上で、取り込みを図ったものと思われる。
ソ連崩壊後は、巨額のロシアマネーが彼の事業に流れ込んでいたことが判明している。
この時期、トランプ氏は、巨額の負債を抱えて破産の憂き目にあっていたが、どこからか資金を調達して華麗に復活した。その資金の一部は、怪しげなロシアマネーと言われている。
それ以降も彼の周辺には、常に怪しげなロシア人たちと、ロシアマネーの影がちらつくようになる。
プーチン大統領が就任すると、彼に対する深愛が、トランプ氏の中で燎原の火の如く燃え上がったようである。
二〇一三年十月にはラリー・キング・ライブに出演し、プーチン大統領を褒めちぎっている
トランプ氏が、ミスユニバースのロシア大会のためモスクワ入りするのは、その翌月のことだ。
そこでは、プーチン大統領がイベントに出演することを、ほとんど誇大妄想的に熱望していたが、結局はすっぽかされてしまう。
『ゴールデンシャワー』は、この時に売春婦たちと楽しんだものと言われているが、真偽の程は不明である。
そして望み通りなのか、或いは意図せずしてか、ロシアとプーチン大統領に対するバーニングラブに身を焦がしながら、アメリカ合衆国の大統領に就任することになる。
では何故、彼はここまでプーチン様に入れ込んでいるのであろうか。
その原因を探るには、トランプ大統領本人の生い立ちと、父親のフレッドに目を向ける必要がある。
ここでは、マイケル・ダントニオ著 渡辺靖解説 高取芳彦/吉川南訳『熱狂の王 ドナルド・トランプ』クロスメディア・パブリッシング(2016)と、ドナルド・トランプ&トニー・シュウォーツ著 相原真理子訳『トランプ自伝 不動産王ビジネスに学ぶ』ちくま文庫(2008)が参考になるだろう。
父親のフレッドは、不動産業者として、地元ニューヨークで宅地開発などを手広く手掛けていた。
幼い頃は、ドナルド自身も述べているように『近所のガキ大将』だったらしい。
教師にも父親にも反抗的な態度を取っていたが、本人によると、そんな自身の態度に、父親も一目置いていたようだ。幼いドナルドに対しては厳格だったが、同時に彼を、工事現場に連れ回して帝王学を教え込んだ。父は『お前は王なのだ』と、息子に何度も言い聞かせた。
ところが厳格な父親でさえ、少年王トランプに手を焼いたため、彼が十三歳になると、ニューヨーク・ミリタリー・アカデミー(NYMA)に放り込んだ。
そこではイタリア戦線帰りの教員テオドール・ダビアスが、軍隊式で生徒たちに規律を叩き込んだ。鉄拳が飛ぶことも日常茶飯事だった。
ドナルド少年はすぐに、「人生はサバイバルだ。いつでも生き残るために戦わなければならないのだ」と悟った。それなりに優秀な成績を取り、野球でも『ニューヨーク最高の選手』となった。
ダビアスは「とにかく何でも一番になりたがった。そして、自分が一番なのだと他人にわからせたがっていた」と語っている。
NYMAを卒業すると、ブロンクスのフォーダム大学に進学し、週末には父の元で、事業の手伝いをしていた。酒にも麻薬にも手を出さずに学業とビジネスに励んだ。
長男のフレッド・ジュニア(フレディー)が家業を離れ、パイロットになると、家業はドナルドの手に委ねられることになった。フレディーは後に、アルコール依存症となり自殺することになる。
長男は、父親の性格と教育に適応出来なかったようだが、弟の方は、生き残る術を身に付け過剰に適応したようだ。
フォーダム大学から、アイビー・リーグの一つであるペンシルベニア大学に編入し、そこで不動産業について学んだ。
そして大学を卒業すると同時に、父の会社で働き始めることとなる。
その後は、郊外からマンハッタンに進出し、トランプタワーを始めとする大規模な開発事業を次々と手掛けていった。
トランプ大統領の自己対象の一部は、間違いなく父親のフレッドであろう。
それも、経歴をざっと眺めただけでも、普通の父子以上に、父親とべったりという印象を受ける。
先に紹介した『ドナルド・トランプの危険な兆候』の『Ⅲ―5 トランプへの父親の影』には、こうある。
『また、ドナルド・トランプは自分が大統領選に立候補することについて、フレッドが存命だったら何と言ったと思うかと聞かれ、「父は立候補を一〇〇%許してくれただろう」と言ったのである。「許してくれた」?? ドナルド・トランプは七〇歳になってもなお、青年と父親との間のエディプス・コンプレックス的な争いを卒業していないかのような答え方をしたのだ。』
バンディ・リー編 村松太郎訳『ドナルド・トランプの危険な兆候 精神科医たちは敢えて告発する』岩波書店(2018)
そのフレッドは、一九九九年に亡くなる。プーチン氏がロシア共和国の大統領に就任したのは、その翌年である。
自己愛性PDの人間は、より強い人間、パワーのある人間、或いは優秀な人間を好む。
彼らに理想化転移、或いは同一化することによって、自身の心の脆弱さや不安から逃れることが出来るからである。
しかし何と言ってもドナルド・トランプ君はアメリカ合衆国の大統領なのである。
世界の頂点に君臨する男なのである。
もしかしたら、彼の背後に、ロックフェラーとか、ロスチャイルドとか、フリーメーソンとか、イルミナティとか、爬虫類型宇宙人のレプティリアンとか、ちなみに太田龍先生は統合失調症だったらしいが、そういった人々がいるのかもしれないが、XファイルやらMRIに感化されたムー民どもはともかくとして、立場だけをみたら、彼の上に人類はいないことになる。
もし、彼がこの地球上で理想化転移出来るとしたら、ロシアのプーチン大統領くらいしかいないのかもしれない。
プーチン様の強さと肉体美は、ロシア国民のみならず、既に世界中の人々を虜にしている。
彼が、自身の渇望する強さとパワーを、プーチン様に見出しているのは、何ら不思議なことではない。
トランプ大統領の、ロシアとプーチン大統領に対する愛情は、ビジネスのためでも、計算してやっている訳でもない。これは、プーチン様に対する理想化転移なのである。
選りに選ってアメリカ合衆国の大統領が、ロシア共和国の大統領に対して理想化転移しているとしたら、これはかなり危険な状況であると言わざるを得ない。
理想化転移したままなら、まだマシな方で、もし裏切られたと感じて自己愛憤怒に陥ったら、どんな行動に出るのか想像も付かない。『ムキーッ、ボクを裏切るなんて許さないんだから。思い知らせてやるぞ』。そうして激情に駆られて、核のボタンに手を出すことも充分考えられる。いや、冗談抜きで考えられる。
更に、トランプ大統領が理想化転移しているのは、プーチン様だけではない。
『ミサイルマン』金正恩と会談して、おだてられれば、一転して彼を賞賛する。
フィリピンのドゥテルテ大統領、トルコのエルドアン大統領まで、強権的で強そうな指導者に対しては、誰彼構わず転移している印象を受ける。他国の指導者に対して自己愛性PD的な感情に左右されているようでは、外交政策に支障をきたすのはまず間違いない。
政策に関しては、それぞれの立場の違いもあり、賛否両論あるだろう。勿論人道的に問題のある政策も多いが、決然とした強い態度が功を奏することも有り得なくはない。
ヒットを飛ばせばホームランと吹かし、オウンゴールすれば、オバマ前大統領にでも責任を擦り付けるであろう。
しかし、ツイッターや記者会見における発言自体で、差別を煽るような発言を繰り返しているのは容認し難い。アメリカでは『トランプ・エフェクト』なる言葉も誕生している。
これは、彼の大統領当選と差別的な言動によって、当事者たちがPTSDなどの症状に陥っているというものである。確かに、ミスター・プレジデントの言動によって、社会に差別を容認し、助長するような空気が醸成されている。当事者たちにとっては、恐怖以外の何物でもないであろう。
大統領は、絶大な権力とパワーを、その手に握っている。時には辛い決断をして、そのパワーを行使しなくてはならない。この点で、オバマ前大統領は大いに問題があったかもしれない。
そして、だからこそ、野党やメディア、そして自身を批判する者たちを口汚く罵ったり、弱者に対する共感性が欠如した姿勢は改めるべきであろう。大統領以前に、人間として問題がある。意見やスタンスが違うというだけで、同じ国民を敵扱いするのは、民主主義国家の元首として相応しい振る舞いとは言えない。少なくとも、そういった点だけは何とかならないものだろうか。
しかし今になって、トランプ大統領を改心させることは難しいだろう。
マスターソンが言うところの、『防衛的融合部分ユニット』は、トランプ大統領においてはマジノラインの如くに強固である。ちょっとやそっとでは、彼の内面に侵攻するのは至難の技であろう。
よって、正面から対決しようとするのはお薦め出来ない。
メディアやリベラル派は、トランプ大統領の失言や誤りを追求し、彼に自身の非を認めさせたり、謝罪させたりしようと躍起になっている印象を受ける。
しかし、彼を打ち負かしたり、自身の非を認めさせたりしようとするのは時間の無駄である。
彼は絶対に負けを認めない。
いや、彼は決して負けないのだ。
自身が勝ったと感じられないと、彼は死んだも同然である。
そのため、自身の生存を賭けて、ありとあらゆる手段を使う。それこそ、核のボタンを押すことだって躊躇しない。負けそうになったら、ルールそのものを変えてしまう。ボクシングをやっていても、平気でキックを繰り出したり、寝技に持ち込む。それでも、もし本当に負けた時には責任転嫁すればいい。その捻じ曲がった論理展開は、最早芸術的な域にまで達しているであろう。
そして、事実と異なることや明らかな嘘を言ったとしても、絶対にそれを認めない。
これは既に、オバマ前大統領の出生疑惑や盗聴疑惑などにおいて証明済みである。
何か間違った言動があった場合には、成熟した普通の人間に対してであれば、良心に訴えかけることも出来る。
間違いや嘘を追求されれば、プレッシャーやストレスを感じる。損得勘定をするために、冷静に算盤を弾くことも出来る。自身に不利であると判断すれば言動を改めるかもしれない。
しかしトランプ大統領にとって、自身の過ちを認めることは死ぬことと同義である。自身の都合のいい部分だけ誇張し、都合の悪い事実は歪曲化して、絶対に自身の非や間違いは認めない。その点においても天才的と言えるだろう。
そもそも基本的認識が違い過ぎて、まともな話が通じないし、話が噛み合わないかもしれない。
そして最後にはこう言う。
「もういい。聞きたくない。君と話しても時間の無駄だ」
ここは正面突破ではなく、森を迂回することを考えよう。
彼の発言を引き出したければ、謝罪や訂正ではなく、失言を狙うべきだろう。それも、彼を支持する人々に対する侮辱や中傷を誘導尋問で狙えばいい。尤も、それも陰謀論で片付けられる可能性は高い。
二〇一八年十一月には、メキシコ国境の移民キャラバンに対して、武器使用許可を出したとされる。
彼らの背後には、支援団体の存在があるようだが、そうした、自己愛性PDの大統領を煽るようなやり方はお薦め出来ない。
トランプ大統領なら、本当に武器を使用することも充分に有り得る。そして、非難されたら言うだろう。『オバマ前大統領の責任だ』。
そもそも、彼らは根っからの悪人という訳ではない。
自己愛性パーソナリティ障害の本質は悪ではなく、弱さと恐怖である。
この点は、神の愛を求め、人間に嫉妬して天界から堕とされたという悪魔に似ている。しかし、彼自身はあくまで自分のことを、三歳児並みに、全能の神の如くに感じているだろう。
彼に必要なのは母親の庇護であり、父親から褒められることであり、また愉快で心強い仲間たちなのだ。
父親のフレッドは厳格な人間だった。NYMAで教員をしていたダビアスをして、「とても厳しかった」と言わしめている。その一方で「日曜にはたびたび訪ねてきて、息子を夕食に連れ出していた。そういう父親はあまりいなかった」とも述べている。
『危険な兆候』では、トランプ大統領が『攻撃者との同一化』によって自分を守ろうとしていると分析している。自分が無力だった時に見た、同じ力を強く渇望していると思われる。
『ドナルド・トランプのように父親からの強い攻撃にさらされ続けた子ども時代を体験した人は、精神が不安定で、様々な代償行動によって自分の精神を安定させようとするものである』
『トランプが自分の弱みは決して人に見せまいとし、自分の力を誇張したり、真実を歪めたりするのは、彼の精神の深層が不安定であること示している。彼のつく嘘は、彼の脆弱な自我の防衛である。』
バンディ・リー編 村松太郎訳『ドナルド・トランプの危険な兆候 精神科医たちは敢えて告発する』岩波書店(2018)
善良な人々は、彼らを排除するのではなく、受け入れることも学ばなくてはならない。
高度な倫理観を備えた我々が、移民排斥、人種差別、性差別、宗教差別などの前近代的、非人道的言動に追随してはいけない。
そうでなければ我々は、彼らと同じレベルのけものフレンズ、略してけもフレと化してしまうであろう。いや、ここは逆にフレンズとなるべきなのか。『私はサーバルキャットのサーバルだよ、ララララ~、ララララ~』。
ここは、母親になったつもりで、上手く操縦することを考えるべきであろう。
そういう意味では、安倍ちゃんの対応は完璧と言える。
下手に出て、おトモダチ感をプッシュし、褒めて褒めて褒めちぎる。
ハンバーガーを御馳走してあげれば、セロトニンがドバドバ出てハッピーにさせられる。もしかしてミスター・プレジデントがハンバーガーを好むのは、セロトニンが不足しているせいかもしれない。ゴルフではミスショットを連発してさりげなく勝たせてあげる。『凄いねー、ドンちゃん、よく出来たねー。えらいえらい。いい子いい子』。
冗談抜きで、これはトランプ大統領の性格を正確に分析した上での、緻密な計算に基づいた演出であったようだ。
民主党やメディアも、我らの総理大臣殿を見習うべきであろう。
トランプ大統領にとって重要なのは、イデオロギーでも政策の中身でもなく、安心安全な庇護とおトモダチ感なのだ。上手く口車に乗せてやれば、どんなにリベラルな政策だって実現可能であろう。
「ミスター・プレジデント。基本的なスタンスに違いはありますが、この件に関しては、我々は歩み寄ることが出来ます。あなたは既に偉大な男です。しかし、メディアもリベラル派の連中も、わかっとらんのです。もしここで慈悲の心を示すことが出来れば、あなたは将来、奴隷解放宣言を出したリンカーン大統領にも匹敵する偉大な大統領として、歴史に名を残すでしょう。あんさんこそ、歴史に生まれた歴史の男、男トランプや、世界のトランプなんやで」
もちろん、チョコレートバー代わりの御馳走も忘れずに。
もしミスター・プレジデントが改心しない、或いは今後更に暴走するようなことがあれば、その時にはやはり潰すことも考えざるを得ないであろう。コフートからカーンバーグへの方針転換である。
トランプ大統領の弱点は、まず孤立である。
しかし、ホワイトハウス内において彼を孤立させるのは難しいかもしれない。
メディアもその立場から言って、シカトすることは職業倫理に反するのであろう。大統領本人にとっても、シカトよりはまだ、敵対的な態度であったとしても誰かが相手をしてくれる方がマシだと思われる。そもそも、外部の人間に彼を孤立させることは不可能であろう。
現在でもホワイトハウス内では、スタッフたちがトランプ大統領とコミュニケーションを取るのに苦労している状態だという。
先に紹介した『危険な兆候』では、従来の性格に加えて、高齢による認知機能の低下を危ぶむ説が登場する。また『炎と怒り』においても、そうしたことを窺わせる記述がある。
『スタッフたちは、トランプの話のとりとめのなさと、不安をかきたてるほどに繰り返しが増えていること(数分もしないうちに同じ言い回しで同じ内容を口にする)、もともとたいしたことのなかった彼の集中力が目に見えて衰えていることを心配していた。』
マイケル・ウォルフ著 関根光宏・藤田美菜子他訳『炎と怒り』早川書房(2018)
もしミスター・プレジデントが執務不能に陥って、周囲の人間が辞めさせたいとなった時には、チャイナルームにでも一人閉じ込めて、電話やスマホもシャットアウトすれば、半日と持たないであろう。
彼の第二の弱点は、強力な自己対象である。
コフートは自己対象を、自己を支え、人間が生きていくのに必要なものだとした。
その強力な自己対象を打ち砕いてやれば、彼の三歳児並みの幼い精神は崩壊するに違いない。
トランプ大統領の自己対象は、まず父親、そしてプーチン様と家族が大部分を占めていることであろう。その他は虚飾の蜃気楼のようなビジネスと、金ぴかのトランプタワーといったところか。
しかし、父親をレイシストだと非難したくらいでは、彼の自己対象はビクともしないであろう。或いは、何かもっと致命的なスキャンダルでもあれば、利用出来るかもしれない。
プーチン様に振られれば、かなりのダメージになるであろう。もしロシアにとって利用価値が無くなれば、そうした行動に出ることも考えられる。これはこれで、かなり危険な状況だ。
事実如何にかかわらず、父親に対する誹謗中傷を執拗に繰り返せば、案外簡単にコントロールを失う可能性もある。フェイクニュースであれば、父親に『カラード』の愛人がいたとか、逆にそういった内容の方がより効果的であろう。
フレッドの画像を使ったインスタレーションなども面白い。
重要な公務の前にでも、そういった中傷でツイート攻撃してやれば、何かやらかすかもしれない。或いは寝る前でもいいだろう。怒りに駆られて朝まで反撃してくるかもしれない。寝かせないのが効果的なのは言うまでもない。
この時に注力すべきは、正義感から人種差別やら暴言を批判するのではなく、いかに彼の自己愛を傷つけ、嘲笑してやるかという点である。
すなわち、父親に対する中傷、ビジネスマンとしての無能さなどを、上から目線であざ笑ってやる態度の方が、よりダメージが大きいであろう。
しかし、ここまで自分で書いてきて、何とテリブルでバッドな内容かと思う。
幾ら相手がトランプ大統領と雖も、家族を中傷するような行為は、倫理的に問題があるのではないだろうか。
尤も、政治とは元々ダーティなゲームである。既に情報機関との間にも、溝が生じつつあるとも言われている。自分たちの大統領を暗殺さえするような人々にとっては、この程度は子供の遊びのようなものだろう。
それに、別に本書が英訳されてUSAでリリースされる予定もない。あくまで自己愛性ブラックを理解するための一例として挙げていると思って頂きたい。
神の如くに、或いは幼児並みに自身の正義を信じ切っている人間に、正義を振りかざしても無意味だ。
オオカミの皮を剥いだ時に羊が現れれば、誰でも手を出すことを躊躇するであろう。そこで羊をいたぶれるとしたら、それは本物のワルだけだ。
閣僚たちも恐らく、大統領を引きずり降ろさなくてはならないような事態を、既に想定しているはずである。その時には、政権の移行はスムーズに実行されるであろう。
現在の民主党には、スターがいないと言われる。
何故、トランプ大統領が支持されるのか、彼らはもう一度真剣に考えた方がいいであろう。
トランプ支持層の取り込みを図るには、彼らが理想化転移しやすいような候補者を選ぶべきだ。
すなわち強さ、美しさ、そしてパワーを全面に押し出す必要がある。
ポリコレは程々にして、国民の現実の生活にもっと目を向けた方がいい。
或いは、フレッドに似た候補者を仕立てて、ミスター・プレジデントに揺さぶりをかけるのも一興かもしれない。
これは、共和党の対立候補にもそのまま当て嵌まるものである。
そしてやはり、直接対決は避けた方がいいだろう。
彼の異様なハイテンションは、自己愛性PDに特有の軽躁状態によるものと思われる。多数の聴衆がいて、注目されていれば、特にテンションが上がる。口喧嘩でまともな人間が太刀打ち出来ると思わない方がいいだろう。
トランプ大統領は、自身をビジネスマンと呼び、従来のエスタブリッシュメントな政治家とは一線を画する存在だと豪語している。
サウジアラビアの反体制的ジャーナリストであったジャマル・カショギ氏の暗殺事件では、サウジアラビア皇太子の関与が濃厚となっている。
ところがミスター・プレジデントは、皇太子の責任を追及しないと明言した。ホワイトハウスが出した不可解な声明によると、その理由は、イラン及び『ビジネス』のためであるようだ。いつもは強硬なトランプ大統領らしからぬ、弱気な姿勢と言える。
ちなみに『トランプ自伝』には、一九八五年にトランプ氏が、アドナン・カショギ氏という人物と、ニューヨークで面会したという記述がある。彼は世界的な武器商人で、イラン・コントラ事件やロッキード事件の裏でも暗躍していたことでも知られる。アメリカの武器売買にも深く関与していたとされている。
一九八八年には、アドナン氏がかつて所有していたナビラ号というヨットを、トランプ氏が購入している。その後、破産したトランプ氏は、再びヨットを売却した。
殺害されたジャマル氏、そしてダイアナ妃と共に事故死したドディ・アルファイド氏は彼の甥にあたる。
この件は、彼の『ビジネスマン』としての限界を露呈したもののように思える。
裏にどのような事情があるにせよ、政治家ではない、真っ当なビジネスマンが、戦争や政治的暗殺という事態に対処するのは難しいのかもしれない。
更にトランプ大統領は、シリアやアフガニスタンからも、軍を撤退させるという決定を下した。マティス国防長官の辞任は、こうした国防政策に関する意見の相違が原因とされている。
自己愛性PDの人間は、表面的な強さ、尊大さ、傲慢さの裏に、決して拭うことの出来ない不安感、弱くて常に庇護を求める三歳児のような自身の存在を抱えている。
そうした状態で、果たして、世界の命運を左右するような重大な決断を下すことが出来るのか、懸念を抱かざるを得ない。
そう考えると、自己愛憤怒に陥って核のボタンに手を出すようなことはないのかもしれない。いざとなると怖気づく可能性の方が高いのか。どちらに転ぶか判断出来ない。
いずれにせよ、本来権力が手を差し伸べるべき弱者に対しては強く出て、強い者に対しては理想化転移を起こして下手に出るという自己愛性PD的振る舞いで、今後どのように政権を運営していくのか、果たして残り二年の任期を無事に全う出来るのか、注目したいところである。
片や大量殺人犯、片やアメリカ合衆国大統領、立場は違えど、こうして比べてみると共通点が多いことに気付かされるであろう。というか、元々それほど違いはないのかもしれないが、それはともかくとして、特に父親との関係については『危険な兆候』でも一章を割いて考察されている。しかしこの点は、精神科医でなくても容易に気付く類のもののようだ。『炎と怒り』では、このように記述されている。
『じつはジャレッドの父親であるチャーリー・クシュナーとドナルドの父親、フレッド・トランプは気味が悪いほど似ている。二人とも金と権力を使い、子どもたちを上から抑えつけて支配した。そのやり方は徹底しており、子どもたちはその要求の厳しさにもかかわらず、父親に心服するようになった。双方の親子において、こうした事態は行き着くところまで行った。好戦的で非妥協的、無慈悲で道徳観念の欠如した男が辛抱強い子どもをつくり上げ、子どもたちは追い立てられるように父親の承認を得ようとする』
マイケル・ウォルフ著 関根光宏・藤田美菜子他訳『炎と怒り』早川書房(2018)
植松被告の父親については、あまりよくわかっていない。しかし、断片的に、フレッド同様の厳格な父親像を匂わせる情報も存在している。青年期の植松被告の父親に対する心酔ぶりは、ミスター・プレジデントにも通じるものがある。この点は、今後に明らかとなるであろう。
本編においては、自己愛性パーソナリティ障害と父親との関係についてはあまり触れていない。しかし父親との関係が、子供の誇大感に多大な影響を及ぼすことは、想像に難くない。今後の更なる研究を期待したいところである。
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