第二十一章 限界

 新海君は、休み休み出勤していたが、その日の朝は連絡もこなかったらしい。

 翌日の朝礼の後で事情を聞いた。

「何か、朝、部屋で倒れてたらしいんだよね」

 笹井さんが言った。

 朝、部屋で倒れているとか、相当やばい状況なのではないだろうか。

 疲れているとかいうレベルではない。血糖値のコントロールが効かなくなっているのであろう。

 本人も生活があるのだろうが、この状況でこの仕事を続けることが最善とは思えない。いっそのこと辞めさせた方が本人のためではないだろうか。実家暮らしなら、いきなり死ぬこともないだろう。

 結局、翌週も一週間休んだ。社員が自宅へ出向いて面談をすることになった。

 流石に仕事はもう無理であろう。私としては病気の方に興味があった。何らかの情報が得られるだろうと期待した。

 朝礼にて、笹井さんが話した。

「昨日、僕と、加藤さんと、黒須で、ちょっと新海君の家に行ってきまして」

 社員が行くとは聞いていたが、わざわざ三人で行ったのか。普通そこまでやるか。

「それで、本人と、お母さんとも話をしたんですけど、まあやっぱり仕事なんで、休まずに出勤して欲しいということと、そのために、しっかり体調管理を心掛けて欲しいということを言いました。それで新海君の方も、仕事は是非続けたいので、もう少し頑張りたいと言ってくれたんでね。まあしばらくは一人いなくて大変かもしれないけど、復帰するまではこの人数で頑張っていきましょう」

 糖尿病や『アルコール依存症』に関する情報はなかった。状況を確認すらしていないのか。それとも、プライバシー保護の観点からここでは言わないだけなのか。しかし、そういったことを考えているとも思えない。

 社員様が三人揃って訪問して、話した内容が、休むな、出勤しろ、心掛けとは恐れ入る。未だに健常者と同じレベルで仕事をさせようとしているのか。普通は、本人の状況を踏まえた上で、適切な対応を考えるべきだと思うのだが、『やる気』をごり押ししただけのようだ。

 しかし、非正規相手にここまでやるのも珍しい。これは、それだけ親身になっているということなのか、それともブラック的な執着心なのか、よくわからなかった。

 朝礼を解散すると、成見が言った。

「明日から来ますかね」

「わかんない。どうだろう」

「これで来れないようだったら、流石にもうクビですよね」

 話を聞くと、どうもお母様も七十代くらいらしい。父親は既に他界している。

 実家のマンションは私も見たことがあるが、割といい所のようだ。遺産はないのであろうか。家計に問題があり、持病があって碌に仕事も出来ないとなったら、生活保護でも通るのではないか。もしダメなら、近所の某宗教団体か、某政党の知り合いに渡りをつければ、何とかなるかもしれない。ちょっと、ご相談があるんですが。

 しかし、本人にそんなことを言ったところで恐らく聞きやしないだろうし、実行するのも困難だろう。私とてそんなコネはないし、そもそも同僚というだけでそこまでやる義理もない。

 垣内さんの例もあるが、わざわざ家に社員が三人も訪問するということは、もし私が辞めると言ったら引き留められるのではないだろうか。流石に賠償金を請求されたり、実家まで押しかけられたりはしないだろうが、果たして円満に退社出来るのか不安になった。

 翌日になった。

 その日の朝も、新海君の姿はなかった。

 朝礼をしていると加藤さんがやって来た。

「今日来た」

「来てないです」

 笹井さんが言った。

 加藤さんは舌打ちをすると、黙って梱包ヤードを後にした。

 加藤さんも大概だな。意外と気が利かない。

 倉庫辺りに回して箱でも作らせるとか、或いは派遣会社なのだから、もっと楽なところに回すとか、辞めさせないつもりであれば、その程度の対応は出来ないものであろうか。

 あの訪問自体、『会社が配慮してますよ』というポーズだったのかもしれないと一瞬思ったが、今の加藤さんの態度からすると、どうも、そうでもないらしい。我々を相手にそこまでの演技をするとも思えない。やっぱり本気(マジ)だったのであろう。しかし、どう本気(マジ)だったのかは、よくわからない。

 朝礼が終わると、成見が言った。

「社員が三人も訪問して、社員の時間を使わせておいて、これじゃあしょうがないですよね」

 凄い。完全に社員目線になっている。純粋に感心した。

 普段から仕事してないとか何とかボロクソ言っている癖に、よくこういうフレーズが出てくるものだ。

 もしかしてこいつは分離不全なのではなくて、実は他人の立場でモノを考えられる人間なのではないだろうか。自分の見方に自信がなくなってきた。

 結局、新海君は辞めることになった。

 いずれにしても、透析にでもなれば、自動的に生活保護にでもなるはずだ。しかし、そこから何年生きられるのか。同情はしたが私に何か出来る訳でもなかった。


 その日は定時だった。

 実験Z棟で、小迫さんと養生を終えて帰ろうとしていると、笹井さんと成見が揃って現れた。ちょっと話があるんだけど。

「何か、物流の方から言われたんだけど、フォークの人が、ここ入ってくると睨み付けられたって言ってるらしいんだよね。何か、心当たりある」

 流石に、佐野さん本人も気付いたようだった。

 以前、小迫クンがガムテープをトントンやっているのをフォークリフトの上から不思議そうに見ていた。その時は特に何も言わなかったので、私の方もスルーしていた。ここで言ってきたか。

「いや、水が、跳ねるんだよね。フォークがここ通ると。こうさ……。水が箱に入ると錆びちゃうからさ」

 小迫さんは、そわそわと落ち着かない素振りで、身振り手振りを交えて、何だかむにゃむにゃと呟いた。振り上げた手が宙に浮いて行き場を失った。輪になって話しているが、直立出来ず、横を向いてフラフラしている。これは逃避だ。実にわかりやすい態度である。どうも論理的な話は出来ない感じだ。普段は元気一杯だが、このように改まって話をすると緊張してしまうのであろう。二人も、言っていることがよくわかっていないようだった。

 小迫クンが解放されると、私がしらばっくれて聞いた。何を言われたんですか。

「何か、佐野さんがフォークで入ってくると、ガムテープをトントンと叩きつけて、睨まれたって言ってるんだよね」

 笹井さんが言った。私に詳細は聞いてこなかった。

「まあ奴も、仕事はよく出来るけど、誤解されやすいですからね」

 成見が言った。誤解か、これ。

 部下を庇う姿勢は御立派である。元々、彼は小迫さんのことを買っているところがある。

 しかし、この成見の場合、客観的な判断力や思いやりによるものではないだろう。組織防衛本能なのか、或いは自己対象転移または同一化が進行しているような気がした。

 本来、小迫さんがキレているのは佐野さんに対してなのだが、『フォークの人』だと三好さんと間違える可能性もある。本人にはよくわかっているはずだが、こいつの頭の中は常人の理解を超えているので、三好さんがクレームをつけてきたと本気で思うかもしれない。

 明日にでも、三好さんが来た時に『てめえ、何チクってんだ。このマザー〇ッカーが』と言って中指を立てると、三好さんが『何訳わかんねえこと言ってんだ、この低能のマザーファッ〇ーが』となって、フォークでタックルしてきて、火のない所で大炎上しかねない。

 ここで責任あるサブリーダーの立場としては、やはり、取り敢えず、静観することにした。

 後で三好さんが実験Z棟にやって来たが、普通に世間話をしただけだった。佐野さんの方も、最初は何も言わずに荷物を引き揚げていた。事態は収拾したものと思っていた。ところがある日、ヤードでフォークから降りると、投入中の小迫クンに歩み寄って話しかけた。ここで言ってきたか、と思った。小迫クンの方も、一瞬キレそうな素振りを見せたが、何やらむにゃむにゃと呟いただけだった。話し合いが終わると、佐野さんは私に笑顔で目礼して荷物を引き揚げていった。その後、挑発行為はしなくなった。


 土曜日には、朝から運搬をやった。

 その後に成見は、笹井さんと一緒に安全衛生委員会に出席したらしい。

 『安全衛生委員会』とは、労働安全衛生法に定められた制度で、一定規模の会社においては、月一回の開催が義務付けられている。そこで、安全と衛生に関する対策を話し合わなくてはならない。

 会合から帰ってくると成見が言った。

「あんまり残業しちゃいけないんですよ」

 確かに、労働安全衛生法の条文にはないが、厚生労働省が定めた『労働安全規則』第二十二条の衛生委員会の附議事項として、次のような条文がある。『長時間にわたる労働による労働者の健康障害の防止を図るための対策の樹立に関すること。』。

 どうも会合で、残業を減らすべし、という話でも出たのであろう。

 ところが、この日は昼過ぎになってダイレクト部品がどかどかと、冬の新潟の大雪の如くに降りてきた。

 その中に納期が迫った、といっても翌週の火曜日が納期のワイリンクが含まれていた。

 成見がそいつを片付けると言いだし、私と二人で四時まで作業をすることになった。

 おまけに時間が余ったにもかかわらず梱包の作業は終了となり、実験Z棟を閉めて、残りの時間はUCの事務所でどうでもいい入力作業をやる羽目になった。

 作業者をどうでもいい会合に取られた上、タスクは終わらず、おまけに余った時間の有効活用も出来ず、この状態で時間外労働が減る訳がなかった。本気でやる気あんのか。

 尤も、私は最初からやる気なんぞ、これっぽっちもなかった。

 浦田は、私よりはやる気があったようだった。その時は珍しく、浦田が実験Z棟にいた。

 UCで、ショートの段ボール箱が足りなくなったために、成見がバレットごとハンドフォークで引っ張って行った。

 おかげで午後遅くに、ピンの防錆で使う分が足りなくなった。

 UCからわざわざ余った分を持ってくるか、それもあまりにも面倒くさいしどうしようかと段ボール箱のパレットを前に迷っていると、浦田が尋ねてきた。箱足りないんですか。そう、どうしようかね。

 すると、何の指示も出していないのに、台車を押して、UC工場からショートの箱を持ってきた。素晴らしい行動力だった。別にそこまでしなくても他に仕事はあったのだが、何も言わずにやらせておいた。

 新海君が辞めた直後に、早速募集をかけたらしかった。

 月末には、新人の見学者が現れ、翌週から配属された。

 谷本さんという、三十代くらいの真面目そうな男だった。

 最初はUCにて研修をしていた。

 しばらくして、ダイレクトにやって来た。

 無口だったが、仕事はよく出来た。

 しかし例によって、こちらにはあまり来なかった。話をする機会もほとんどなかった。


 梅雨に入り、雨の日が続いた。

 ある土曜日の朝のことだった。その日も雨が降っていた。

 私は、昨日梱包したパレットにラベルをベタベタと貼っていた。

「お、何だこりゃあ」

 小迫さんがヤードの奥で何やら叫んだ。

 おもむろに立ち上がって、そちらに行ってみた。

「朝木さん、雨漏りしてるよ」

 06Fピンのパレットの下に、水が溜まっていた。濡れているというレベルではなく、まさに水溜りだった。

 二人して、思わず天井を見上げた。しかし、どこから雨が漏れてくるのかわからなかった。

 06Fピンは、その日は使う予定がなかったので、ビニールカバーをかけたままだった。その上は濡れていないようだった。

 よくよく見ると、パレットの奥の壁が濡れていた。壁から水が伝って、流れ落ちてくるようだった。

 壁と言っても、ブロック塀を白いペンキで塗っただけの代物だったので、濡れても腐蝕する心配はないようだった。

 取り敢えず、ピンのパレットを斜め脇に移動させた。

 土曜日にしては珍しく、笹井さんが出勤していた。

 たまたまヤードに顔を出したので、教えてあげた。

 ウェスで水を吸い取って、床の隅で堰き止めておいた。

 週が明けた。その日は晴れていたが、前日は雨だった。床には大きな水溜りが出来ていた。

 朝礼が終わると、笹井さんに給水シートを一抱え貰った。A4サイズくらいで、窪みが開いた、スポンジ状のシートだった。

 早速、実験Z棟で試してみると一瞬にして水を吸い取った。

 普通は使い捨てらしかったが、二日で全て使い切った。雨が降り続いていたので、数が足りなかった。梅雨はまだ明けそうになかった。

 仕方なく、使用済みのものを絞って、晴れた日にシャッターの横で並べて干した。

 笹井さんに、シートをもっとくれと頼んだが、華麗にスルーされた。ウェスも全て使い切っていた。

 ここで思い付いた。

 作業には軍手を使っていた。すぐに油などで汚れてしまうので、燃えるゴミとして捨てていた。そいつを集めておけば、スポンジ代わりに使える。元々ゴミなので、そのまま捨ててしまえばいい。エコで一石二鳥のいいアイデアだと思った。

 朝礼で珍しく発言した。何かありますか。はい。

「ちょっと、雨漏り対策のためにですね、使用済みの軍手を取っておいて欲しいんですけど、後で箱か何か置いておくんで、そこに入れといてもらえますかね」

 どことなく白けた空気が流れた。何だ、このリアクションの薄さは。

 我ながらいいアイデアだと思ったが、どうも、状況が全く理解されていないようだった。或いは、私のプレゼン能力に問題があったのかもしれなかった。

 結局、プランは有耶無耶になった。

 後で松井さんが言ってきた。

「この間、軍手取っておいて下さいとか言ってましたけど、あれって、もういいんですか」

「ああ、いいすよ、もう」

 にこやかに答えておいた。

 他の連中も何か言っていたかもしれないが、最早知ったことではなかった。

 仕方なく、実験Z棟のゴミ箱から使用済みの軍手を引っ張り出した。給水効果の薄いウェスをひっかき集めて、せっせと絞るしかなかった。梅雨もその内終わるだろうとタカをくくっていた。

 ところが、ある日の朝に実験Z棟に入ると、その壁の付近でまた水溜りが出来ていた。今度は、上から落ちてきたようだった。

 やっと、施設管理担当の社員が見に来た。小さなライトで天井を照らして見ていたが、首を傾げていた。雨漏りのポイントがわからなかったらしい。

 天井には何も見えず、水を伝ってくるような梁やケーブルなどもなかった。

 雨が降る夜に、バケツを置いて帰ったが、翌朝見てみると空だった。バケツの下にはしっかり水溜りが出来ていた。

 数日後に、ミステリーが解けた。

 雨水は、天井からではなく、壁伝いだったようだ。壁から流れ落ちた雨水が、壁際を経て、移動したパレットの下に流れ、そこから床に流れ出していたようだった。何もない床に水溜りが出来ていたので、上からだと思っていた。

 担当社員が来た時に、そのことを伝えた。そもそも、壁の雨漏りに関しては話が伝わっておらず、更に、毎回雨漏りのポイントが移動するという事実も把握していなかった。そのことを話すと、どこをどう修理すればいいのかと途方に暮れていた。


 UC工場では、前年からJITが導入されていた。

 ダイレクトの方でも導入されるとの噂が絶えなかったが、未だに実現していない。慣れればどうってことはないのだろうが、導入時のやり取りを傍から聞いていると面倒くさそうだったので、あまりやりたいとは思わなかった。

 そもそも、必要な分だけ作業すれば後は帰れる、土曜日も休めるかもしれないと聞いていたが、むしろ残業時間は増えていた。これがJITのせいなのか、成見のせいなのか、いまいちよくわからなかった。

 これまでも、部品の製造でトラブルが発生したことはよくあったが、それほど問題とはなっていなかったようだ。しかし、その年の夏には成形でトラブルが発生し、スプロケットの供給が途絶えたらしい。

 私が気付いた時には、UC梱包ヤードがセットのパレットで埋まっていた。

 スプロケットはセットの一部のため、他のプレートやカラーだけ予定通り梱包して、ヤードに積んでおくことになったらしい。新しいパレットが出来る度に、ハンドフォークで寄せていた。仮組表を見ると、丸々一枚が、スプロケットの項目だけ空白になっていた。

 自動車の組み立て工場であれば、部品数も多いし、在庫のコストも嵩むのでJITも意味があるのだろうが、この程度の規模で導入する意味があるのか疑問だった。

 我関せずを決め込んでいたが、部品の供給が再開されると、私まで入庫の作業に駆り出された。ラベルを貼り、ダブルチェックをして入庫した。一気にパレットが放出された。物流は大変そうだった。


 月末になると、来月の予定が出た。

 来月は、タスクが少ないらしい。

 そこで、成見が丈選のヘルプに回り、浦田がUCのリーダー代行になるとか言い出した。

 タスクが少なくても休めないようだった。流石にもう慣れた。勝手にやってろと思った。

 その日、最初は実験Z棟で一人で作業をしていたが、午後になり、何故か成見が現れた。更に長田さんが現れ、75RXピンをとっととやれと言ってきた。丈選が終わったところで、私が防錆して入庫した、はずだった。

 ところが翌日の最終日になって、管理ソフトで確認すると、昨日入庫したはずの75RXピンが、タスクとして残っていた。入庫されていないとしか考えられなかった。しかし、全く覚えていなかった。

 選りに選って、月末に入庫漏れして納期をすっ飛ばしたとなるとかなりマズイ事態になる。

 ブツは、既に三好さんが持ち去って立体倉庫に収まっているはずだった。

 正直に申告して荷物を立体倉庫から出してもらうべきか。しかし、そんなことは言いたくない。成見と話すらしたくない。ここで思い付いた。

 入庫カンバンをプリントして、ここで入庫してしまえばいいのだ。

 まずはブツの在り処を確認しなくてはならない。

 管理ソフトをあれこれいじっていると、立体倉庫のメニューを発見した。

 確かに昨日、立体倉庫にぶち込まれた記録がある。

 どうも、立体倉庫と入庫のデータは連動していないらしい。

 立体倉庫でピッピとやる時に、未入庫のパレットはエラーが出るということにでもしておけば未入庫を防げるはずだった。

 しかし今は、システム上の不備を論じている場合ではない。

 長田さんは、入庫状況を毎日確認しているはずである。バレる前に対処しなくてはならない。

 問題は入庫カンバンの方である。

 入庫ラベルは、原則一度しか出力出来ないらしかった。再プリントするには、社員どもに申請しなくてはならない。おまけに、プリントアウトする度に番号が変わるらしい。

 しかし、入庫カンバンの方はそうはなっていないらしい。ただ画面をプリントアウトするだけのようだった。早速プリントアウトしてみた。カンバンのQRコードとデータを穴の開くほど見つめたが、特に異状はないように見えた。

 こいつで入力してしまえば、入庫は完了する。

 しかし、もう一つ問題があった。

 日付である。

 昨日の午後に作業を指示されたので、今朝入庫していても不自然ではない。

 しかし、立体倉庫の日時より後にこちらで入庫しているのは明らかにおかしい。バレると更にマズい事態になる。ここまでならただのミスだが、ここから先は、明らかな隠蔽と不正である。

 しかし、余程のことが無ければ、流石に立体倉庫の日付を確認する奴はいないであろう。それに時間も無かった。バレたらバレたで、謝罪するなり辞めるなりすればいい。もうどうなろうと知ったことではなかった。頭の中を空にして入力を実行した。エラーもフリーズも起きなかった。突風も吹かず、黒服の男たちもやって来なかった。何事もなく入庫出来た。カンバンをゴミ箱の奥深くに突っ込んで、後は忘れることにした。

 こうして無事に、月が変わった。

 初日は土曜日だった。

 笹井さんがいないということもあり、成見は梱包にいた。

 朝一で運搬をした。ブルちゃんが、台車が無いと言っていた。

 ダイレクト工場に、丈選済みのピンを降ろすと、製造のピンレーンに、コンテナをぶち込んだ。ここで、成見が言い出した。

「それ、やらない方がいいですよ」

「え、そうなの」

「何かあったら、責任問題になりますよ。規定以外の作業はやらなくてもいいですよ」

 凄い。完全に管理者目線になっている。純粋に感心した。

 以前、私がUCでコンテナを引っ繰り返したことがトラウマとなっているのかもしれない。

 結局台車は、空のコンテナを他の台車に寄せて、何とか捻出した。

 いずれにしても、丈選は午前中で終了した。そこまで気を遣うこともなかった。

 更に三好さんまで、午前中で切り上げるという。他の工場でも部品がそれほど出ていないらしかった。

 昼休みにUC工場に戻ると、成見が言った。丈選が帰るため、実験Z棟は一人になる。どうしますか。一人での作業は原則禁止されていた。

 しかし、どうするも何も帰れるというオプションはないらしかった。UCで作業するしかなかった。全体的に暇そうで、他の部署は帰宅していたが、我々は普通に三時まで作業をした。


 谷本さんとは、ほとんど話す機会がなかった。

 真面目そうで、作業もそつなくこなしていたらしい。しかし、この夏休み前に辞めることになった。

 最終日は、実験Z棟のペンキ塗りをした。シンナーで喉をやられた。

 最後の最後に、谷本さんに話を聞いた。

「次は、決まってるんですか」

「東京の工場で、生産管理みたいな仕事をすることになってます」

「生産管理って、非正規ですか」

「いや、正社員です」

「凄いすね。今時正社員とか」

「以前、岡山の方でやってて。知り合いの紹介で」

「ああ、そうすか。いいですねぇ。俺も速く辞めたいすよ」

 何故、岡山なのか。岡山に何があるのか。カブトガニくらいしか思い付かなかった。そして何故、今関東にいるのか。聞きたいことはいろいろあったが、その暇はなかった。


 夏休みが光の速さで過ぎ去り、例によって、最終日は休出で潰れた。

 小迫さんのホイスト不使用は続いていた。

 暇だったのか何なのか、成見が実験Z棟にやってくると早速見つかった。

「小迫さん、ホイスト使ってないの」

「うん。そうだよ」

 こちらも油断していて止める暇がなかった。しかも、堂々と宣言しやがった。例によって、何故突っ込まれているのかわからないようだった。成見は一通り説教をかますと、こちらに振ってきやがった。

「知ってました、ホイスト使ってないの」

「ああ、いや」

「見たら注意して下さい。サブリーダーなんだから」

 一度注意はしたがスルーされた。最早、私には制御不能だった。しつこく何か言ってくるかと思ったが、その件はそれで終わった。

 その後、小迫クンは普通にホイストを使い始めた。

 土曜日には、いつも成見が聞いてきた。

「そっちは何時までかかりそうですか」

 いや、だからね、人数次第なんだよね。誰か回してくれれば昼でも終わるし、小迫さんと私だけだと二時までになる。それも、今ヤードにあるものだけで、持ってくるとしたら四時でも五時でも終わらないかもしれない。『二時間でも三時間でも好きにして下さい』。

 取り敢えず、適当に二時と答えておいた。

 UCは既にJITが導入されており、今日の分は最低限ここまでといったラインがあるのであろう。しかしダイレクト部品は、以前同様に納期が設定されているだけなので、今やろうと来週やろうと、納期さえすっ飛ばさなければいつでもいいのだ。

 情報収集しようとダイレクト工場の中二階に行くと、午後一で二台くらいは降ろせると言われた。

 仕方なく、昼礼後に正直に申告すると、午後一で運搬をすることになった。

 ところが、ダイレクト工場の台車置き場には何もない。

 二人して中二階に行くと、自分達で台車二台を降ろして、トラックに積んで、実験Z棟で降ろした。私が梱包をして、作業は二時に終了した。疲れた。何故、ここまで気を遣わなくてはならないのか。

 予定通りその月は、タスクが少なかったようだ。夏休みを挟んでいるにもかかわらず、残業は週二三回だけで、土曜日も二時までだった。それでも何故か、時間外は五十時間オーバーとなった。どうも土曜日が五回あり、夏休みの休出があったためのようだ。

 成見は我々が帰った後も、一人で残業をしていた。二時間残業の後に、浦田を従えて運搬をすることもあった。余程一人で帰りたくなかったのであろう。

 そもそも、未だにその月のタスクがわからなかった。上の二人はどうやってそれを把握しているのかもわからなかった。志田君から伝えられるのか、ペーパーが降りてくるのか、それすらわからなかった。それをこちらに伝えようという発想もないようだった。

 その月の処理量が把握出来ないと、残業時間の見通しも立てられない。しかし、あいつらにそんなことを聞くにはもう遅すぎた。今更何言ってるんだ。

 管理ソフトにも、そういったメニューはなかった。タスクの一覧を、毎月プリントアウトしているが、その月の総計は出ていない。枚数で、何となくタスクの量を把握するだけだ。電卓で計算するか。

 あれこれいじっていると、その一覧をPDFから表計算ソフトに変換出来ることがわかった。変換してみた。余計な列を削除した。表には、部品の総数だけしか出ていない。箱数は、自分で計算しなくてはならないようだった。列を足して、数式を入力してみた。合計すると、総箱数が弾き出された。これで、今月の総数がわかった。

 とは言いうものの、今は月の途中である。月末に、来月の予定が出た時点で、出力しなくてはならないようだ。

 更に、新規のブックを立ち上げて、表を作成した。毎日の処理数を入力して、処理総数と進捗率を弾き出せるようになった。

 問題は保存である。どうも、このPCのハードディスクには保存が出来ないようだった。ドキュメントのフォルダは、サーバーの領域にあるらしい。職務に必要なファイルだが、ワークネードが勝手にファイルを作成していいものか不明だった。見つかって上に突っ込まれたら、説明しなくてはならなくなる。成見がうだうだと言ってくるだろう。何故、自分に報告しないのか。しかしこの程度のことで余計な話をしたくはなかった。表計算ソフトをちょっといじくっただけでアピールするのもどうかと思う。私は自己愛性PDではない。取り敢えず、見つかって何か言われたら、適当に誤魔化して削除すればいい。とにかくこれで、処理数と進捗率が把握出来るようになった。残業の見通しも立てられるだろう。


 入庫漏れがあり、今度は普通にバレた。私の方が全く認識しておらず、覚えてもいなかった。笹井さんと成見がやって来て、長々と検証が行われた。

「多分、確認はしてると思うんだよね」

 また成見が、擁護するような発言をした。

 しかし、恐らく確認はしていない。していれば見逃すはずはない。

「何故やったと思いますか」

 成見が聞いてきた。

「ああ、そうすね……」

 言い淀んだ。

 具体的な原因はわからない。そんなもの覚えている訳がない。しかし、根本的な原因はわかっていた。私にやる気がないからだ。

「これからは、ここから出さないようにしましょう。入庫は、お金が絡んでくるんで、ノーミスでいきましょう」

 別にこっちの給料は変わらないのでどうでもいい。

 よくここまで真剣になれるものだな。感心する。いちいち言い方がうざい。

 それに、こっちでの入庫ミスは恐らく初めてだ。ヒヤリハットは何度もあったが、その時は入庫まではしていない。UCでは何度もやっているようだが。

 しかし、自分でも不遜だなとは思う。若い頃なら罪悪感で死にそうになったかもしれない。今は何も感じない。

 確かに成見の言う通り、入庫だけはゴマカシが利かない。そのため多少は気を付けているはずだった。流石に四年近く同じことをやっていて飽き飽きしていた。しかも、残業続きで疲れている。仕事に対するモチベーションと集中力にも限界があった。


 谷本さんが辞め、早速新人が一名入ったが、五十代で、足が動かず障害者認定を受けており、しかも糖尿持ちだった。垣内さんと新海君のダークサイドを二人合わせたようなものだった。流石に数日で消えた。本人に罪はないが、何故そのような無理目な人物を入社させようとするのか謎だった。


 月が変わった。処理量は先月よりは多かった。しかし、相変わらず、月初の部品の上りは遅かった。

 部品がそれほどなく、定時が続いた。

 成見は一人で残業したりしていたが、我慢出来なくなったのか、とうとう言い出した。

「残業しとかないと、何か言われるから」

 誰に何を言われるのかは定かではなかった。

 では取り敢えず一時間、と言っておいた。

 ところが、松井さんが実験Z棟にやって来ると、二時間の残業だと聞いたと言った。

 結局、みんなで仲良く、無理矢理に二時間残業をした。

 翌日には、UCヤードで、また小迫さんと松井さんが軽く口論になったらしかった。午後から松井さんがこちらに送られてきたが、ブツがなかった。

 彼にブツを振って、私は適当に何とか時間を潰した。

 翌日は土曜日で、ブツが無かったため、小迫さんと松井さんが、選別の応援に回された。

 今週に喧嘩をしたばかりだったが、何故わざわざその二人を選んだのか、定かではなかった。そもそも誰か休んでも良かったはずだが、そういった発想は無かった。

 午前中に運搬をしていると、成見が聞いてきた。

「今日、納期のやつとかありますか」

 ない、と答えた。

 ところが運搬を終えた後で、島村君がヤードに現れた。

「タイ向けの、Eアウトリンクが昼過ぎに降りてくるんで、今日中にお願いします」

「ああ、そうすか。わかりました」

 彼が帰った後で表をよく見ると、確かに今日が納期だった。

 これはマズい事態だ。今更運搬など頼めない。納期を見ていないのか、と言われる。まあ見ちゃいないのだが。

 結局部品が降りてきたのが三時半で、またまた自力で運んで入庫して梱包した。誰にも見つからなかった。疲れたが、妙にいい気分だった。


 夏も終わったというのに、まだまだ残暑が厳しかった。

 真夏並みの暑さだった。

 実験Z棟で作業をしていると、小迫クンがシャッターを上昇させた。どうも、その方が涼しいと思っているようだった。

 余りにも暑かったため、さりげなくシャッターを下ろした。あれ、何でシャッターが上がってるんだろう、おかしいなあ。

 すると、わざわざ防錆の作業を中断して、シャッターのスイッチを切り替えた。

 UC工場から帰ってくると、またさりげなくシャッターを下げた。

 小迫クンがまた上げた。

 何度か繰り返したが、一向に諦める気配がなかったので、こちらが諦めた。

 執拗さで、常人が勝てるとは思えなかった。

 いつになくウンザリした。

 その同じ日に、新人が加入していた。

 月の最終日が棚卸とかで、翌日が入庫の最終日となった。

 選りに選って、新人をいきなりダイレクトに回してきやがった。

 梨本さんは三十代後半くらいで、体格は浦田に近い。広い額が、どことなくムーミンを連想させた。

 礼儀正しい男で、仕事も真面目にやってはいる。リア充という感じではない。

 コミュ障ではなさそうで、どちらかと言えばよく喋る方だった。甲高い声で一見気さくに話すが、どうも、見た目以上に無理をしているような印象を受ける。取り敢えず、定着はしそうだった。

 その日は、松井さんと浦田が選別に回され、三時間の残業をしたらしい。

 翌日は、全員で選別に回され、三時間残業とか言っていたが、結局定時になった。

 成見と浦田は、残業で運搬をしたらしい。

 どうやら、浦田を生贄にすることに成功しつつあった。翌月から正式にサブリーダーになることもあり、彼をわざわざ残業に付き合わせていたのかもしれない。成見にはパートナーが必要だった。最初は前田さんだったが、謙虚な私が辞退して、さりげなく回避行動を取ったため、その穴を埋めるのは浦田しかいなかった。相変わらず何を考えているのかわからなかったが、そこまで嫌がっているようには見えなかったので、まあヨシとした。私の知ったことではなかった。

 ブツがないないと言っていた割には、その月の時間外労働時間は五十時間オーバーになった。休日が二日あったせいかもしれない。


 翌日は月初から、午前中に丈選に回され、午後から実験Z棟で作業をした。梨本さんもこちらにやってきた。

 四時から成見と運搬をしていると、梨本さんが、梱包用の台車がないと言い出した。

 確かに、二セット四台ある台車の内、二台には、廃棄する予定のピンが載っていた。

 運転席で、成見が言った。

「早く言えっての、全く」

 いつになく、ぞんざいな口調だった。

 新人に対して随分と厳しい言い方だ。そもそも、そこまでキレるような事態ではなかった。どうも、自己対象転移が上手くいっていないようだった。やたらとダイレクトに送ってくるのも、そのためかもしれなかった。

 翌日には、ピンのトラブルが発覚したため、06Fのセットが実験Z棟に戻された。

 ラベルを剥がして、ピンを差し替えた。

 笹井さんが、新しいラベルを持って実験Z棟にやってきた。入庫しようとした。

 しかし、ラベルを再発行した状態で、入庫カンバンで入庫していいものかどうか疑問だった。ラベルの番号が違っているかもしれなかった。

 私が懸念を表明するも、ちょっとやってみようと言ってそのまま入庫した。エラーにもならず、そのまま入庫出来た。

 その後で不安になったらしく、その場で長田さんに電話して尋ねた。

 長田さんがやってきた。

 笹井さんは、コミュニケーション能力だけは高かった。悪びれもせず正直に申告すると、ミスをしたにもかかわらず、長田さんはにこやかに対応していた。どうも好かれているようだった。長田さんの方が、相手の態度に影響されるようだった。私のような陰気な態度で接すると機嫌を損ねるのであろう。

 土曜日は休みになり、日曜日に出勤となった。今月はタスクが多かった。先月の三割増しくらいだった。

 成見は前日に続いて、休みなしで出勤していた。風邪気味とか言って、少々辛そうだった。全くよくやるとしか言い様がなかった。

 UC工場へアウトリンクを運び込んで作業をした。昼で終了した。

 翌週には、笹井さんが休んだ。中学生の息子の運動会で、腰を痛めて動けないと聞いた。

 成見も風邪が悪化して、午前中で帰宅した。

 残業時間に、前田さんと運搬をすることになった。

 私が助手席に乗り込むなり、前田さんが言った。

「全く、社員になんかなれる訳ねえじゃん」

 珍しくカリカリしていた。仕事を押し付けられたからかもしれない。私が運転すれば良かったのだが、誰も振ってこなかった。

「何かあったんですか」

 私が聞いた。

「いやさあ、成見がさあ、『ワークネードも、社員になれる制度がないとダメだ』とか言うんだよね」

「はあ。ないんですか、そういうの」

「ないよ。ある訳ないじゃん」

 元々、怪物を目覚めさせたのはあなたですよ、フランケンシュタイン博士。

「サブリーダー、たくさんいますからね」

「俺もさあ、最初派遣だったけどさあ、たまたま加藤さんに気に入られただけだからね。今時、正社員なんて無理だよね」

 それはまたご謙遜を。まあ時代が良かったということか。

 しかし、この人が言うからには、恐らく本当に無理なのであろう。成見を社員にするという話は周辺から全く出ていないに違いない。あれだけ加藤さんに媚びを売って、演歌のコンサートにまで付き合っているというのに、本人が以前言っていた通り、好かれている訳でもないのであろう。加藤さんも、扱いに困っているのかもしれない。私の想像以上に、彼の異常性が認識されているのかもしれない。

 尤も、成見の行動は社員になるためというより、自己愛性PDとしては自然なものだ。上の立場の人間に自然に同化出来るのだ。本人にとっては大したダメージでもないのかもしれない。

 数日後、笹井さんは出勤してきた。しかし、まだ腰痛が治っていないようだった。

「運搬行けますか」

 成見が聞いた。

「いや、ちょっとまだ無理だね」

 そういう訳で、私がやることになった。

 どうも、いつもこのようなやり取りをしているのであろう。

 運搬中は、笹井さんの話題は出なかった。成見も慣れたのであろう。

 実験Z棟で台車を降ろしていると、そこへリーチフォークがやってきた。ガイドを持ってきたらしかった。運転していたのは、今年定年を迎えて、現在はシニアとして工場に残っている社員だった。平野さんがいないのであろう。彼はリーチフォークを脇に停車させると、横のクローザー工場の入り口で煙草を吸い始めた。そこには灰皿があり、喫煙所となっていた。半袖で寒くないのだろうか。

 我々が作業を終えトラックを出すと、成見が咎めるように言った。

「いいんですか、仕事中に煙草吸ってて」

「いいんじゃないです。シニアだし」

「シニアだといいんですか」

 勿論、いいとか悪いとか、そういう意味ではない。シニアの立場で、周囲から何をどう言われようと、今更知ったこっちゃないだろうという意味だ。しかし、理解されそうになかったので何も言わなかった。

 土曜日は、朝から小迫さんがダイレクトに回されてきた。

 ダラダラと梱包でも始めようと思っていると、小迫さんが声を上げた。

「朝木さん、これ違ってるよ」

 仮組表のクリップボードを渡された。中国向けのアウトリンクだった。

 何がどう違うのか、さっぱりわからなかった。

 小迫さんに指摘された。

 どうも、チャージナンバーが違っているらしい。『10』と書くべき所を『01』と書いているようだ。

 昨日に、松井さんが記入したものらしい。

 よくこんなの見つけるな。自分でやった訳ではないのに。

 まあ、『10』とはつまり十月のことなので、見ればわかるのか。

 どうしようかと思案に暮れていると、選りに選って、このタイミングで成見がやってきやがった。

「どうしたんですか」

 小迫クンのおかげで、説明する羽目になった。これで揉み消しは不可能になった。

 こいつはマジで長田さん並になってきたようだ。転移を通り越して、何か霊的な力で一体化しているのかもしれない。

 取り敢えず作業表を見た。こちらでは、きちんと『10』と書いている。問題は製品ラベルの方だ。

 松井さんはいつもミスする。ゴミ箱を漁ると、案の定、書き損じのラベルを発見した。こちらもきちんと『10』と書いている。製品ラベルも間違っていないことはほぼ確実だった。仮組表を書き直そうとすると、成見が言い出した。

「いやいや、それは確かめないと」

 わざわざ、パレットを立体倉庫から引っ張り出すと言い出した。物流の三好さんに電話をかけた。ミスったのが松井さんだからなのか。全くよくやる。

 製品ラベルの方も間違っている可能性は少ない。わざわざ、忙しい物流の手を煩わすのは忍びなかった。手間とコストを考えたら無意味だ。しかし、そんなことは考えていないのであろう。

 昼休みが終わると、笹井さん、成見そして私の三人で新工場へ行った。パレットが既に降ろされていた。

 製品ラベルのナンバーは、間違っていなかった。

 こういった時にいつも思うのだが、社員とサブ二名と、物流を動員するコストを考えたら、メール一本で謝罪した方が余程安上がりではないだろうか。しかし、ミスはやはりマズイのであろう。今回は仕方ない。

「これからは、ダイレクトでも、ダブルチェックをやって下さい」

 ここで断るガッツはなかった。結局、ダブルチェックをやる羽目になった。ああ、面倒くさい。

 実験Z棟に戻ると、部品台車を見て言い出した。

「空全部返さないといけないんで」

 Eワイリンクはセットにも使用される。本来は島村君が指定してくれないと手を出せない。

 しかし、部品の流れが停滞していたので、他にやるブツがなかった。UCでも同様だったらしい。空コンテナを返さないと、更に停滞する。取り敢えず、仕向け地未定のまま梱包だけやって、隅に積んでおくことになった。場所も取るし、後で積み替えるのは私だった。二度手間になるので、あまりやりたくはなかったが、選択の余地はなさそうだった。

 結局、午後からは一人で作業をして、三時で終了した。他の連中は選別に回され、四時までになった。誰もいない工場を、一人でさっさと後にした。

 翌週には三時間の残業があり、珍しく小迫さんがキレていた。

 タスクが多い割には部品が流れてこないため、月の前半は選別で時間を潰していた。

 後半になって、ようやく部品が供給されるようになってきた。

 土曜日になると、またまた成見が実験Z棟にやってきた。

 小迫さんに、メキシコ向けセットのピンを防錆させていた。成見が手伝うと言い出した。納期が迫っていたためのようだった。

 チューリップの回転が止まり、ピンを落とした。

 ところが、アホの小迫クンが、箱を取り換えていなかった。

 前のピンが入った箱に、更にピンが落とされた。

 これには私も気付かなかった。以前からやっていたのか、たまたまなのかも不明だった。

 やるにしても、何故、成見がいるところでやるのか。恐るべき愚かさだった。

 幸いなことに、ピンが溢れるようなことはなかった。

 製番も同じものだったので、取り敢えず、空の箱に移し替えた。

 後で、私に言ってきた。

「何で、ああいうことをしたと思います」

 そんなの知るかよ、もう。本人に聞いてくれよ。

「ああ、そうですね。まあちょっと斜め上すぎてよくわからなですね。特に煽ってた訳でもないし」

 私は煽っていない。しかし、こいつに関しては知らん。

「いや、そうじゃなくて、『何で』ああいうことをするような『状況』になっていると思いますか」

「状況、ですか」

 状況。言っていることがさっぱりわからん。

 小迫クンは状況など気にしない。長田さんがいても恐らくやるだろう。恐らく、何か適切な答えがあるのであろう。こいつの頭の中では。しかし、私にはわからない。

「そうですね。ルールを守らない状況が、ああ、あるのかもしれないですね」

 まあ、私のリーダーシップに問題があるということは間違いない。

 しかし、防錆一つ取っても、ホイスト不使用、段取り前に回す、おまけに昼休みに作業をするなど、よくいろいろと考えるつくものだと思う。素晴らしい発想力だ。

「ここは朝木さんの担当なんですから。ちゃんとやって下さい」

 だったらいちいち口出すなよ、アホんだらが。

 結局、具体的な解決策は何も出なかった。私にはお手上げだった。

 成見が帰った後に、今度は33Rのピンを防錆させた。

 さっきうだうだと言われた直後だというのに、今度は台車を横向きにして、作業をやり始めた。

 単品の場合は、梱包した後で直接パレットに載せていたが、セットの場合は、一度台車に載せなくてはならなかった。

 通常は、防錆機と平行して台車を並べ、段ボール箱を積む。この点はルールにすらなっていない。こんな発想をするという人間が存在するという発想すらないだろう。

 流石に放っておいた。その内飽きるに違いなかった。週が明けたら覚えてすらいないだろう。

 この日は四時まで作業をして、日曜日も出勤の話が出たが、立ち消えになった。

 もうその月も終わろうかというある朝、朝礼をしていると加藤さんが現れた。

「では、加藤さん」

「はい、ありがとうざいます。えーっと今月もお、ちょっと処理量が多かったんだけどお、お陰様でえ、二月くらいまで、ちょっと多い状態が続くみたいなんですね。それでえ、皆さんにはあ、普段から頑張ってもらっていると思いますがあ、もう少しこの状態でえ、やってもらうことになりますので、まあ、体調悪かったら休んでもらって構わないのでね、無理はせずにね、お願いしますね」

 この月の時間外労働時間は、六十六.五時間だった。この職場での二番目の記録である。

 世間ではブラック企業の話題で盛り上がっていたが、この工場では、ブラックのブの字も聞いたことがない。

 時短に努めようという発想は、どこからも出てきそうになかった。

 流石に、心が折れつつあった。

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