第十八章 百時間

 私が入社した頃、実験Z棟にもピンの画像選別機があった。

 しょっちゅうトラブって止まるらしく、坂上君が、志田君にうだうだと言われながらも、何とかタスクをこなしていたようだ。

 その画像選別機が、再び実験Z棟に設置されることになった。

 位置は、ヤードの一番奥だった。

 フォークリフトで機械を搬入する間は、仕事にならなかなかった。どこかの社員がセッティングをして帰っていった。

 部品台車を置くスペースが半分になった。益々ヤードが狭くなった。

 画像選別機とは、ピンのサイズを自動的に計測する機械である。

 投入口にピンをジャラジャラと投入して、スイッチを入れると、リフトが上昇し、上部からピンがレーンを斜めにウォータースライダーの如くに滑り落ち、センサー部でピン径と長さが自動的に計測され、規格外のピンは途中で弾かれ、合格したピンは、ジャラジャラとコンテナに排出されるという仕組みだ。コンテナが既定の量に達すると、自動的に次のコンテナがセットされる。恐らく、小迫さんよりはお利巧さんだろう。

 数日後、ブリーフィングが行われた。

 黒須さんと笹井さんが、実験Z棟にやってきた。

 メインは丈選のブルちゃんで、自分には関係ないと思っていたが、私まで参加させられた。

 例によって、日付だの番号だのを表に記入する。そして、サンプルのピンを用いて、センサーの校正を行う。空のコンテナをセットする。

 投入口にピンをジャラジャラとぶち込む。

 スクリーンをタッチして稼働させる。ゴゴゴゴゴ、ジャラジャラジャラと騒音を立てて、機械が動き出す。その後は、機械が最後まで勝手にやってくれる。

 終わったら、レーンのコンテナを台車に載せる。表に記入して終了。そのピンをダイレクトに運搬するのは、我々である。

 また仕事が増えた。

 ピンの丈選なので、メインの担当者はブルちゃんのはずだが、彼はいつも丈選の小部屋で仕事をしている。常に機械の目の前にいるのは私である。スロットのような機械音が止まり、ブザーが鳴れば、私が先に気付く。結局、私が対応しなくてはならない。

 タスクの負荷がどの程度なのかわからなかったので、最初は神経質になった。朝一で作業をしていると、小迫さんがまたデスクの方からくだらないことで私を呼び、運搬の前に焦ってワークをセットし、帰り際にも忘れずに稼働させようとしていると、帰りが七分遅れた。

 時間的には、一日に四チャージが限界だった。しかし、搬入されてくるピンはそこまで多くはなかった。一日に二、三チャージもやれば充分だった。私が忘れていても、ブルちゃんが何も言わずにやってくれた。

 ピンが超高速で、カラカラとレーンを通過する様を眺めていると、何となく瞑想的でトリッピーな気分になった。

 小迫さんや松井さんの相手に疲れると、ヤードの一角に引きこもり、ショーウィンドウのトランペットを眺める子供の如くにガラスケースの中を眺めた。

 しかし、順調だったのは最初だけだった。

 ある日の朝、完成品にラベルを貼っていると、機械がギギギギと轟音を立て、そしてストップしブザーが鳴った。

 たまに、何らかの理由でエラーを起こし、ストップすることもあった。投入口から、リフトにピンを流入させる際に詰まってしまうようだった。またいつものエラーかと思い、リセットして再稼働させた。

 しばらくブンブンと唸って、ガラガラとピンを送り出し始めたが、しばらくすると、またギギギギと轟音を立て、そしてストップしブザーが鳴った。

 リフト下部のアクリル板を外し、中を見た。

 ピンは、投入口の下で、受け皿のようなものが前後に作動して、少しずつリフト部に送り出されているようだった。

 その周囲に、ピンが散乱していた。ドライバーでその辺りを突っつくと、ピンがチャラチャラと落下してきた。再稼働、ストップ。今度は最後まで完了する。

 次のワーク、ストップ、再稼働、ストップ、再稼働、ストップ、再稼働、完了。

 途中で停まっても、何とか最後まで続けることは出来る。

 上に言うのも面倒くさいので、取り敢えず、この状態で続けることにした。

 ある日の朝、またストップした。私が再稼働させようとしていると、ブルちゃんがやってきた。

「ダメだね。これ」

「どうしよう、もう一回やる」

「ちょっと、笹井さんに電話するね」

 ブルちゃんはスマホを取り出すと、笹井さんに電話してしばらく話した。

「後で、メンテの人が来るって」

 そもそも、こうした際の対応は聞いていなかった。タッチパネルをピッピとやって、コンテナをセットして、ピンを回収する。それだけだった。

「じゃあ、どうしよう。放っておく」

「取り敢えず、もう一回やってみたら」

 そう言うと、リセットして再稼働させた。

 しばらくすると、また止まった。私が再稼働させると、今度は最後まで作業が完了した。

 午後になって、笹井さんが見に来た。その時は稼働させていなかった。ブルちゃんが話した。この辺でピンが詰まるみたい。取り敢えず、やってて。後でメンテの人に来てもらうから。

 しかし、その『後で』というのがいつのことを指すのかわからなかった。

 何度か再稼働させていると、何とか作業を完了させることは出来た。しかし、梱包だの、入庫だの、小迫クンの相手をしながら、画選機の相手をしているのが段々と負担になってきた。パレットのピンは一向に減らなかった。ちょっとでも作業を停滞させると、どんどん溜まってきそうだった。何だか苛々してきた。

 金曜日の最後になって機械が止まったので、仕方なくリセットして稼働させようとした。松井さんに伝言を頼んだ。成見よ、俺は少々遅れるから、貴様はとっとと帰るがいい。扉も閉められた実験Z棟で、一人でガチャガチャやっていると、ドアが開き、成見が姿を現した。だから帰れっつうの。面倒くせえなあ、もう。

「あれ、どうしたんですか」

 成見が楽しそうに言った。

「ああ、いやちょっと、また止まっちゃって」

 再稼働させると、二人で仲良く実験Z棟を後にした。

 立場上というのもあるのかもしれないが、ここまでする程のことでもない。やっぱり一人で帰りたくないのであろう。仕事だと聞くと、サラミを前にしたポメラニアンよろしく飛び付いてくるのだ。


 その他の作業は順調だった。

 アウトリンクが、ピンの不具合で十一パレット返却されてきた。実験Z棟がパレットで埋まった。小迫さんが縄張りを荒らされて、ギャアギャアと騒いだ。ぶっ殺してやりたくなったがいつものことだった。

 新海君に、勝手に指示を出して、またぶっ殺してやりたくなったが、これもいつものことだった。

 月末の土曜日には、その月のタスクが完了したにもかかわらず、UCで翌月分を仕掛け始めた。ヤードがパレットで埋まり、足の踏み場もないくらいだった。成見が言った。

「来月も、どうなるかわからないから、出来る時にやっておかないと」

 確かに正論だった。反論のしようもなかった。

 結局、最終日の土曜日で、タスクが完了しているにもかかわらず、作業が終了したのは四時だった。

 その成見は、花見をやるとか言い出した。丈選のラファエルさんとかに声を掛けているらしかった。来てくださいね、とか言われたが、そもそも三月の初めで、まだ桜は咲いていなかった。結局、月末になってうやむやになったらしく胸を撫で下ろした。

 朝のミーティングでは、どうも成見と笹井さんの間に、微妙な空気が流れているような気がした。

 笹井さんは運搬をやらなくなっていた。毎日私がやる羽目になった。

 笹井さん本人が断っているのか、成見がこっちに振ってくるのか、よくわからなかった。

 松井さんに75RXピンの計量をやらせると、二時間かかった。普通は三十分もかからない。それがなければ、その日は定時だったろう。

 残業時間に運搬をやっていると、成見が言い出した。

「最近、釣りに興味があって」

「釣りですか」

 近所の川には、釣り人がわんさといる。

「その辺でよくやってますよね」

「いや、川じゃなくて、海なんですよ」

「ええ、海」

 てっきりその辺で川釣りでもやるのかと思ったら、そうでもなかった。

 話を聞くと、昨年末頃からUC工場にいる、私が名前を知らない社員が釣りをやっており、その彼に感化されたらしい。確かに、事務所で仲良く談笑している姿を何度も見ている。

「何か、新潟の方で、海釣りをやってるらしいんですよ。今度俺も一緒に行きたいなと思って」

 仲良しとはいえ、いきなり新潟まで一緒に行って、海釣りをやると言い出すのも、行き過ぎのような気もする。これが普通なのか。まあ、プライベートで何をやろうと知ったことではないが。これも理想化転移なのだろうか。

 先月分の、Eアウトリンクが一枚残されていた。そいつがその日の午後に、放出されることになっていた。『急ぎ』という奴である。

 ところが、成見にも笹井さんにも、そのことを伝えていなかった。

 その日に成見と運搬をした後で、画選から下に降りてきた。

 またトラックを出させるのは憚られた。

 仕方なく、自力でダイレクト工場から実験Z棟に台車を運んだ。途中で台車のタイヤが折れて、部品をブチ撒けたら、大変なことになる。二台の台車を押して、自分で梱包し、入庫した。その間、成見も長田さんも来なかった。笹井さんは、元々それほど顔を見せていなかった。

 成見は、仕事を二日休んだ。

 どうも以前の知り合いと、廃品回収の仕事をするとのことだった。

 休む前日にソフトに凄んだ。

「残業やって下さいね」

 自分は副業で休むくせに、残業やれもへったくれもないもんだと思った。

 今は非正規なのでともかくとして、正社員になったら、流石に副業で休むのはマズいだろう。正社員になれないという事態を想定して、保険を掛けているのだろうか。意外と冷静に状況を見ているのかもしれない。或いは、そうしたことは考えてもいないのか、よくわからなかった。

 部品の流れは、あまりよくなかった。午後から、或いは残業で、選別の応援に駆り出された。

 月末にあれだけ煽って処理して、結局は部品の供給が途絶え、空いた時間に選別をするとは無意味だった。

 土曜日も、選別で四時までになった。

 新海君は、我々が定時で帰った日も、成見と二人で選別をさせられたりしていた。

 やはり成見は、残業に付き合ってくれれば誰でもいいようだった。ダイレクトが終わったら、私だけ消えても問題はなさそうだった。

 成見は、今月から引っ越したらしかった。

 以前は隣の駅の近くに住んでいたらしい。それが、工場の近くに引っ越してきた。とは言え、車でも十分程かかる距離だ。新海君の自宅マンションの近くらしかった。そもそも、工場から駅まで徒歩で四十分ほどかかる。小迫さんは、毎日その道のりを歩いているという。

 土曜日にランチを食べながら、新海君に言ってみた。

「どうする。コンビニとかで会ったら」

 相変わらず、彼は何も言わなかった。

 引っ越しは自分でやったらしい。商売柄、そういったことには慣れているらしかった。

「冷蔵庫一人で抱えて運んだら死にそうになりましたよ」

 トラックを運転しながら言った。

 ガイドにラベルを貼り、入庫しようとしたところで一つ飛ばしているのに気付いた。

 長田さんは、入庫を全てチェックしているらしかった。今入庫すると、後で何か言われることは確実である。

 仕方なく、パレットを一番後ろに押し込み、養生用のビニールカバーをかけて隠蔽した。

 ところが、そういう時に限ってガイドが来ない。

 結局、長田さんに見つかった。

「朝木君、このガイドはどうしたの」

 またクレームになるとマズイので、今度は神妙な態度で対応した。

 後で、笹井さんと成見が揃って姿を現した。

「もし、こういうのあったら言って下さい。後で知らされると、ウチらも対応出来ないんで」

 成見が言った。

 そもそも言わなくてもいいように隠しておいたのだ。大体入庫したら問題だが、ラベル貼った段階で気付いたんだからいいだろ。褒めてもらいたいくらいだ。病院じゃあるまいし、ヒヤリハット報告の制度はなかった。

 運搬で、Rワイを実験Z棟に運び込んだ。

 ヤードで台車を押していると、松井さんが言った。

「何か、箱潰れてますよ」

 どいつもこいつも、うるせえなあ。ちょっと換えてやりゃあいいだろうが。面倒くさい。

 実は私も気付いていた。後で自分で適当に処理しようと思っていたのだが、甘かったようだ。

「これじゃあ、ダメですね」

 成見が台車を覗き込んで言った。

「部品には直接タッチしないけど、うちらにとっては、これが品質だから」

 『これが品質』。素晴らしい。『仕事じゃない』に加えて、また名言が飛び出したと思った。

 しかし、この得も言われぬ気色悪さは何なのか。

 運搬を終えて実験Z棟に戻ると、松井さんが言った。

「成見さん、何か社員みたいですね」

 社員みたい、ではなくて、もう社員なのだよ、松井クン。彼の脳内では、完全に自分は社員となっているのだ。

 松井さんは面白がっているような言い方だったが、実際のところ、何をどう感じているのかはよくわからない。本来はどう感じるのが正しいのか、それもわからない。賞賛するべきなのか、私の心掛けに問題があるのか、それとも私の印象が正しいのか、聞ける相手は誰もいなかった。


 部品の供給は、相変わらず不安定だった。

 UCが品薄だったのか、小迫さんと浦田が、ダイレクトで仲良く作業していたが、彼らに帰還命令が下った。どうも、部品が回されてきたらしかった。代わりに松井さんが、実験Z棟に派遣されてきた。新海君は、選別に回されているらしかった。

 私は運搬をすることになり、タイ向けのアウトリンクを梱包するように指示を出して、ダイレクト工場に向かった。

 トラックで実験Z棟に戻り、空台車を引っ張り出していると、松井さんが言った。

「小迫さんは、こっちでやれって言うし、浦田君は、こっちでやれって言うんですよ。もうどうしていいのかわからない」

 うるせえなあ、もう。全く、どいつもこいつも。

 あいつらは、もしかしてわざとやっているのか。

「ああ、じゃあ、この辺でやって」

 適当に、ヤードの奥を指定してやった。

 笹井さんの方は、熱を出して休んだり、他のセクションの応援に駆り出されたりしていた。あまり、こちらの仕事をしているようには見えなかった。

 これは、私だけの印象ではなかったようだ。

 笹井さんに替わって、中組のGLになった太田さんは、朝から晩までカリカリしていた。

 中組は、組み立ての前工程にあたる。中組において、一部だけ組み立てられた部品が、組み立てに送られ、そこで最終的に組み立てが完成する。場所はUC梱包セクションの向かいである。

「もお、また休みかよ」

 誰かが休むと、体操の放送にも負けない声でキレる。

 夕方にUCの事務所に入ると、彼がPCで表計算ソフトの入力をしながら、成見や伴野さんを相手に愚痴っている。

「笹井さん、何にもやってないよね」

 そのうち、中組セクション脇のホワイトボードには、進捗状況だかのグラフが貼り出されるようになった。リーダーにとっては、本来こうしたことが仕事のようだった。


 年度が変わると、伴野さんのヘルメットに、ブルーのラインが入っていた。GLになったらしかった。

 彼の歳でGLになれるなら、成見の方も社員になれる可能性が高いということか。或いは私も。もしかして、私は道を間違えたのではないだろうか。成見と一緒に職務に邁進して、加藤さんや社員どもに尻尾を振っているべきだったのか。

 数日後に、UCのトイレで前田さんと一緒になったので聞いてみた。

「伴野さんって、社員になったんですか」

「いや、リーダーにはなったけど、社員にはなってないよ」

「ええ、リーダーになって、社員にならないんですか」

「そうみたいね」

 それ以上は、突っ込んで聞けなかった。

 GLになっても社員になれなきゃ無意味ではないのか。責任と待遇のバランスが釣り合っているとは言い難い。本人は納得しているのか。何が何だかよくわからなかった。

 四月から浦田がサブになるという話の方は、結局うやむやになったようだった。ここでは、よくあることだった。サブになっても、ダイレクトを替わってくれる訳ではなさそうなので、私としてはどうでも良かった。本人がそのことについて何を考えているのかは、こちらも定かではなかった。


 部品管理課の方では、坂上君がピンの製造に異動になった。地震で倒壊したピン工場の跡地には、既に新しい建屋が建ち、昨年から稼働していた。代わりに異動してきたのは、河村さんという五十代の男性だった。眼鏡をかけて、如何にも真面目そうな、どこにでもいそうな人物だった。ある日、製品ラベルのコピーをするために二階の事務所に入ると、デスクで志田君から何やら説明を受けていた。どうも微妙な空気が流れているような気がした。二十代の若者から指示されるのは、あまりいい気分ではないに違いない。他のセクションからここはどう思われているのか聞いてみたかったが、そんなことが出来る相手はいなかった。

 それ以降、たまに志田君の代わりに、フォークで実験Z棟にやって来ることになった。

 志田君は、フォークで直接パレットを置き場に突っ込んでくるが、河村さんは、通路にパレットを降ろしてから、ハンドフォークで置き場に移動させた。その度に、小迫さんが何やらブツブツと呟いた。社員相手でもお構いなしだった。向こうは特に気付いた素振りは見せなかった。


 画選の方も相変わらずだった。

 ブルちゃんが仕事の合間に、スマホのライトで照らして中を探っていた。

 どうも部品の受け皿が、重さで変形して、そこから部品が溢れて詰まってしまうようだった。その状態でも、取り敢えずタスクはこなさなければならなかった。中断する度に再稼働させた。機械の中には漏れたピンが散乱していた。ドライバーと磁石を突っ込んで取り除いた。工場では、機械を作動させたまま手を突っ込んで指を失うという事故がたまにあるが、そうなる理由も理解出来た。

 ある日、やっとメンテが入ることになり、分解して部品を交換するとスムーズに動くようになった。

 昔から同じマシンを使っているはずだが、こうした事態は過去になかったのか、

 そう言えば志田君たちも、以前にビデオカメラをセットして、エラーの原因を探ろうとしていたようだ。

 丈選が全て機械に取って替わる日は、まだまだ先になりそうだった。


 KD梱包の方は、毎月四十~五十時間の時間外労働をしていた。しかし、丈選の方も、負けず劣らずだったようだ。おまけにピンはトラブルが多く、供給を止めないために、日曜日の休出も多かった。日本人は女性が一人だけで、他は日系人だった。しかし特に不満とかストライキとか、或いは工場を爆破しそうな雰囲気はなかった。いつも和気藹々と楽しそうだった。自分たちの長時間労働をどう思っているのか、よくわからなかった。彼らはほとんど結婚して、家庭を持っているので、残業代のために状況を受け入れているのかもしれなかった。或いは、有給はきっちり取っていたようなので、本当に不満はそれほどなかったのかもしれない。

 最早、誰が何を考えているのか、私にはさっぱりわからなくなってきた。

 成見も同様だった。一緒に運搬をしていると聞いてきた。

「この辺で、いい居酒屋ないですか」

 そんなもん、私に聞くのは間違っていた。それともこの歳になれば、行きつけの居酒屋だのスナックの一軒くらいはあるのが普通なのだろうか。

 この辺は駅前も過疎化が進んでいる。そもそもこいつが好きな居酒屋とは、どんな店なのか。壁一面にクソくだらない箴言じみたポエムが書かれているような自己啓発ブラック系の店だろうか。彼が続けた。

「不愛想はダメですよ」

 私に喧嘩を売っているのだろうか。しかし今では、彼の求めるところは何となくわかる。普通の人々の気持ちがわからないのに、自己愛性PD(疑)の気持ちは理解出来るとは一体どういうことなのか。心当たりなど一軒もなかったが、適当に話を合わせていると更に言い出した。

「今、ジム辞めて、部屋で筋トレしてるんですよ」

「え、そうなの。部屋で」

「ベンチプレス買ったんですよ」

「ほほう」

 それも遺産か。

「それで、すっげえ汗かくから、床にシート敷いて、その上でやってるんですよ」

 ジムも辞めたとなると、そちらで自己愛性PD的人間関係が上手くいっていなかったのかもしれない。

「部屋で、一人で、すっげえ声出してますよ」

 そして、ジムでの自己対象を、職場に求めるようになるかもしれない。仕事への依存が益々深まるのではないだろうか。あまりいい兆候とは言えなかった。


 部品の不具合が発見されると、社員総出で人力による選別を行った。

 その土曜日も、朝礼が終わったところで、UCの梱包ヤードの一角で、急遽プレートの選別をやるとの通達が出た。

 部品のレーンの前に社員たちが陣取るということで、先に部品を出してパレットに積んでおくと、成見が言い出した。

 梱包用台車にレーンから部品を載せ替えて、パレットに積もうとしたところで、コンテナを落下させた。部品が流出した。

 コンテナは四段積みである。最後までストッパーをかけておくべきところを、三段目のコンテナを引っ張り出すところで、ストッパーを上げてしまった。そのため、最下段のコンテナまでローラーを転がって落下してしまったという訳である。

 コンテナは、綺麗に横向きに立っていたので、部品の大部分が流出した。おまけに、目の前で、選別応援の緑ヘルメットが見ていたので隠蔽しようがなかった。

 成見がやってくると、何故か楽しそうに言った。

「ちょっと、志田さんに言ってきますね」

 何か言われるかと覚悟していたが、特に何も言われなくて助かった。おまけに社員どもの対応もしてくれた。

 後で彼は言った。

「いや、これは自分の責任です。標準作業以外の作業を煽ったのが悪かった」

 標準作業という言葉がここでよく出てくるものだ。いろんな意味で恐縮した。

「だいたい松井さんなんか、はしゃいでる割に、全然作業が進まないんですよ」

 何故か、松井さんをディスり始めた。余程嫌いなのであろう。

 普段から従順な振りをしておくと、こういう時に助かる。しかし、そこまで好かれているのも考え物だった。転移、或いは一体化が進行しているのかもしれなかった。

 翌週には、スマホのアラームが鳴らず寝坊した。

 仕方なく笹井さんに電話した。ちょっと風邪気味なので休みます。ゴホゴホ。

 笹井さんが言った。

「それって来れないの」

 『そ・れ・って・こ・れ・な・い・の』だと。

 行けないから電話してるんだろうが、このボケが。

 休む連絡をして普通そういうことを言うか。自分は熱出したとか言って、二回も休んでる癖に。

 その場で辞めてやりたい誘惑に駆られたが、気を取り直して、それらしい言い訳をした。

 確かに今回は寝坊だが、そもそも四十時間オーバーの残業が続いて、疲れ切っている。一日や二日休んだところで、うだうだ言われる筋合いはない。

 それとも、空気で病気ではないとわかるのだろうか。

 元々滅多に休んでいなかったが、面倒くさいので休むのも避けた方が良さそうだった。

 次の土曜日には成見がまた、加藤さんと一緒に演歌のコンサートに行った。一人だけ二時で上がり、我々は三時まで仕事だった。

 三時にUC工場に戻ると、こちらで何かあったのか松井さんが言った。

「何か、新海君に気を遣ってますか。その分僕たちに負担がかかる訳ですよね」

 君にもみんな、相当気を遣っているのだよ、とは言わなかった。

 新海君はUCにて、分配機での作業を何とかこなしているようだった。

 ところが週が明けると、その新海君が休んだ。

 更に、水曜日にも休んだ。

 朝礼が終わると、成見が笹井さんに言った。

「朝、起きられないとか、努力が足りないですよね」

 いや、そういう問題じゃないだろう。

 更に次の日には午前中で上がり、翌日休んだ。

「気合が足りないですよね」

 成見が言った。

 いや、だから糖尿なんだって。

 確かに休まれると困るのだろうが、病人に対して随分厳しい態度だ。こいつらの身内には糖尿病の人間はいないのか。常識レベルの知識が欠けているのではないだろうか。

 タスクが溜まっていたため、交替で日曜日も出勤することになった。私は土曜日で、小迫さんと松井さんが一緒だった。笹井さんも珍しく出勤した。

 一緒に運搬をしていると、彼が言った。

「新海君どうしよう。やっぱダメですかね」

 私が言った。

「今の仕事だと、我々がやっても、最初は普通に、五キロくらい体重が落ちますからね。糖尿だと、血糖値と体重をコントロールしなくちゃいけないから、キツイんじゃないですかね」

 答えはなかった。

 その日は午前中で終了した。翌日のことは知ったことではなかった。

 週が明けると、彼が入院したことを聞いた。

 ここに来て休みがちになるとは、何か理由があるのであろうか。

 前田さんはそれなりに気を遣っていたようだったが、成見が仕切るようになってプレッシャーが増したのかもしれない。

 そもそもあの状況で努力もへったくれもあるのか。努力したところで病気が完治する訳ではない。この非正規仕事のためにそこまで努力して、何とか健康を維持して、定年まで生き残ったとしても何も残りはしない。

 だらだらと生き長らえるくらいなら、毎日酒に溺れてハイになって早死にした方がマシではないだろうか。

 しかし、以前からこの点が少々気になっていた。

 糖尿病患者で甘い臭いを発することは私も経験があったが、アルコール臭というのは聞いたことがなかった。

 段取り中に、ちょっとスマホで検索してみると、糖尿病の患者、特にⅠ型の患者でそのような症状があるらしかった。しかしケトン臭、アセトン臭は『甘酸っぱい臭い』などという表現がなされている。アルコール臭とはまた違うようだ。新海君がそれに該当するのか確信が持てなかった。

 更に、画選機に隠れてしつこく検索してみると、アルコール臭という表現を使っているページも存在した。

 そもそもケトンとは有機化合物の一種で、第二級アルコールから生成される。アセトンはそのケトンの一種で、有機溶媒として用いられる。アルコールと似たようなものだ。詳細については、高校化学の教科書を引っ張り出して読んでみましょう。

 もしかして新海君は、アルコール依存症ではないのではないだろうか。

 しかし以前、前田さんに聞かれているはずだった。その時にも何も言っていないのであろう。本人が何も言わないとなると、こちらから下手なことは言えない。そもそも、聞く機会がなかった。土曜日も休みで、翌週には入院してしまった。そのまま連休に突入した。


 連休前に、成見が飲み会をやるとか息巻いていたが、結局うやむやになった。映画を観て本を読んでいたら光の速さで過ぎ去り、最終日は休出となった。

 連休が明けると、新海君は普通に出勤してきた。

 土曜日のランチタイムに、それとなく聞いてみた。

「普段、酒とか飲んでるの」

 しかし、やはり明確な答えはなかった。

 それ以上に追求するのも面倒だったのでやめた。

 どうも、糖分が頭に回っていないような感じである。考える気力もないのであろう。本人にとっては、周囲に何を言われようと、最早気にならない状態なのかもしれなかった。それに依存症だろうとそうでなかろうと、仕事が出来ない状態に変わりはなかった。職場において、それ以上に不名誉なことは存在しなかった。


 最近は、部品の引き揚げのために、三好さんに代わって佐野さんが来ることが多かった。

 彼は、やや恰幅のいい、四十代くらいの陽気な男で、休みの日にはフットサルをしているということだった。ゲジ眉で彫りの深い顔立ちはどことなく、俳優のピーター・ギャラガーを髣髴とさせる。

 以前彼が雨の日に、フォークリフトで実験Z棟に入ってきた。

 小迫さんが防錆をしている前を通った時に、タイヤから水が跳ねて、梱包中の段ボール箱の中に入ったと思ったらしい。

 それ以来、佐野さんに対して敵愾心を募らせていた。

 彼が現れると、奇声を上げたり、防錆機をレードルでカンカンと叩くようになった。

 そうでなくても、元からフォークリフターに対しては評価が厳しかった。下手なリフターに対しては格下扱いで、高飛車な態度で接した。まるで偏屈な犬の飼い主のようだった。

 恐らく、縄張りを荒らされた動物的本能によるものだったのであろう。彼は真正だった。

 しかし、まだ本人には気付かれていなかった。気付かれて問題になるのも時間の問題だった。

 おまけに真正なのは彼だけではなかった。

 残業終了間際に、帰る準備を終えて、PCの前に座って一人で寛いでいると、成見が現れた。彼が言った。

「終わったら、すぐ戻ってきて下さい。サボっていると思われますよ」

 飽くまで社員目線だった。

 夜の七時に、この離れにやってくるモノ好きな社員などいない。そこまで言う程のことか。

 数日後の残業時間に、イギリス向けワイリンクを梱包した。

 翌日の朝に、そいつを十時までに入庫しろと言われた、と笹井さんに言われた。納期が迫っていた。

 言われなくても朝一で入庫した。

 既に、佐野さんが引き揚げに来る段取りになっていた。

 ところが、わざわざ実験Z棟に現れた成見が、私には何も聞かずに三好さんに電話した。早く取りに来い。

 引き揚げた後にどうするのか知らないが、すれ違ったらマズいのではないだろうか。

 結局、三好さんが、相変わらずブチブチ言いながら持って行った。後で佐野さんに説明しておいた。特に問題はなかったらしい。

 またまた一つ飛ばしてラベルを貼ったワイリンクを、ヤードの奥に押し込んでおいた。

 今度は、次の日には入庫出来そうだった。

 そこへ今度は、浦田がヘルプにやってきた。小迫さんと仲良くおしゃべりしていると、あれは何ですか、と言い出したので、二人に説明する羽目になった。クソ、うるせえなあ、もう。

 後で、成見がわざわざ現れた。

 気分が良かったのか、大丈夫ですよ、問題ないですよ、と妙に優しく言われた。

 申し訳ないが、優しくしてればしてるで、どことなく気色悪さを感じた。今では、理由はだいたいわかっている。

 そもそも、そんなに大騒ぎする程のことか。ただ明日に伸ばすというだけの話だった。いや、やはり私の姿勢に問題があるのであろう。

 月が明けると笹井さんは、またもや熱で休み、成見は二日続けて残業を三時間やったらしい。カンバンが出し切れないとか何とか騒いでいた。どうも、珍しく部品の製造が好調だったようだ。どことなくハイになっているように見えた。おまけに翌日は、前月分のガイドを処理するべく、私も三時間の残業となった。

 最早、成見のみならず他の人々も含めて、基本的認識のギャップを埋めることが困難となっていた。自分が狂っているのか、他の連中がおかしいのか、段々とわからなくなってきた。

 土曜日のことだった。

 三時に他の連中が帰り、私は成見とドライブだった。工場内には、既に誰もいなかった。

「さっき松井さんが、三好さんに聞いたらしいんですけど」

 成見が話し始めた。

「何か、物流の方で、毎月七十時間くらい残業やってるらしいんですよね」

「七十時間」

 そんなにやっているのか。

 確かに土曜日も、下手をすると四時五時までやっている。恐らく、我々にも責任の一端があるのであろう。

 しかし我々と違って、土曜日は交代で出ているはずだ。

 平日三時間×五日×四週で六十時間。土曜日に二回も休出すれば、目出度く月七十時間達成となる。

 物流は、工程の最下流に位置する。各工程から放出された製品を、捌いて倉庫にぶち込まなくてはならない。時間が押したり、急ぎのブツがあったりすると、その都度最後まで対応する必要がある。製造の皺寄せを全て物流が受ける構造となっている。

 成見が続けた。

「それで、誰がチクったんだか知らないですけど、物流の事務所に、労基署か何かの監査が入ったらしいんですよね」

 ほほう。それは実に興味深い話だ。そりゃチクるだろうよ。

 しかし物流だけなのであろうか。ワークネードの本丸か工場には、ガサは入らないのであろうか。

「何か、松井さんが妙にはしゃいで、ペラペラ喋ってましたよ」

 はしゃぐのも無理はない。私だってこの工場に来て以来、これほど愉快な話は初めて聞いた。

 ところが、成見はそうでもなかったようだ。

「自分、前いた会社で、月八十時間くらいやったことありますよ。世間では、百時間くらいやってるとこもありますよね。月七十時間ったって、一年中やってる訳じゃないじゃないですか。別に一月ぐらいだったら、全然問題ないですよね。その程度で監査とか、有り得ないですよ。監査なんかして何かあるんですか。別にどうにもならないですよね。松井さんみたいな奴が、面白がって言うんですよ。自分では自制する癖に。くだらない。本当にくだらない」

 口元がこわばって、止められなかった。手で覆い隠した。運転中で幸いであった。面と向かって普通に話していたら、気付かれていただろう。まるで二十一世の精神異常者だった(放送コードなどクソくらえだ)。

 以前からブラックだとは思っていたが、百時間の残業を容認する程とは思っていなかった。

 しかも、こいつはマジだ。

 正社員になれるかもしれない自身の立場のために、長時間労働を正当化して、我々を誘導しようという邪悪な意図で言っているのではなかった。物流部門に対する仲間意識といったものでもない。こいつは本当に信じているのだ。

『残業百時間くらい、どうってことないんじゃないんですか』

 しかも、自分で信じているだけでなく、私が自分に同調すると思っている。極めて常識人で良識を弁えた私が、そんなもん容認する訳ないだろ。浦田の言う通りだ。こいつは狂ってる。

 しかし、流石にこの工場やワークネードで、そうした行為を容認する訳ではないだろう、そう思っていた。甘かった。

 その数週間後。また一緒にドライブしていると、話し出した。

 新工場の組み立てのGLの何とかさんが、先月、残業を百四十時間くらいやったらしい。

「流石に百四十時間は凄いですよね。よく出来ますよね」

 どことなく楽しそうだった。純粋に感心しているように聞こえた。

 しかし、こちらは最早冗談にする気にもならない。何だか頭が痛くなってきた。数字を聞いただけで、過労死しそうなレベルだった。

 一日三時間×五日×四週で六十時間となる。土日に八時間ずつ仕事をして、一カ月六十四時間。合計で百二十四時間にしかならない。後十六時間だとすると、休日に二時間上乗せといったところか。一体どうやってそんなに出来るんだ、

 非正規には強制してこなくとも、GLがそういう人物であるというだけでプレッシャーとなる。他の面でどんなにいい人物であっても、絶対に下にはいたくない。やっぱりワークネードはブラック企業なのか。加藤さんや他の社員連中は、一体どう思っているのか。周囲の連中もアホかと思いつつ止められないだけなのか、或いは、そうした人物を賞賛する空気があるのか、よくわからなかった。

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