第八章 困惑

 始業時間は八時二十分だ。

 以前なら地元FM局の八時のニュースを聞いてから、おもむろに車を降りていた。しかし今ではそれでは間に合わない。番組最後の曲をぶった切って、車から這い出て、駐車場を出て、横断歩道を渡って正門をくぐり、UC工場に辿り着くのに二分はかかる。更衣室で、ロッカーにカリマーのリュックとナイキのスニーカーを放り込み、安全靴を履き、ダイレクト工場まで辿り着くのに更に三分はかかる。巨大な工場なので、正門から中央通路の端が見えない。朝の貴重な時間を、しかも時給も出ないのに、何故仕事のために費やさなくてはならないのか。

 現在時給が千百円なので、三十分だと五百五十円。これを毎朝週六日で三千三百円。いや、土曜日は休日出勤なので、時給は正確には千四百八十五円なのだが、計算が面倒なので取り敢えずそこは無視するとして、月二十六日とすると、一万四千三百円ということになる。一日分の時給を軽く超える。時間にすると月十三時間、一年で百五十六時間だ。映画が何本見られるのか。

 一体どこのバカがこのクソくだらない無意味で無報酬のただ働きを喜んでやるというのか。非正規の時給労働者が時間外労働など労働倫理に反する行為だ。それを奴らはまるで誇らしいことでもあるかのように話していた。何が長田イズムだ。

 ダイレクトの組み立てラインはまだ稼働していない。出勤してきた連中の姿がちらほら見えるだけだ。

 台車置き場には、既にずらりと部品台車が並んでいる。各種のアウトリンク、ワイリンク、ガイド。人数にもよるがほぼ残業確定のような気がする。しかしいつものことなので、考えないことにする。

 実験Z棟に辿り着くと、もうラジオ体操の音楽が鳴り響いている。

 本来は体操前にここに辿り着いて、前田さんと成見に混じって、部品の現況、進捗状況および本日の計画について話し合うべきらしいのだが、どうせあいつらは、どちらかが私が見る前に既に向うのヤードの視察もしているし、話し合いも二人だけで済んでいる。

 サブリーダーになった当初は、一応私も体操前に実験Z棟に着いていたのだが、特に呼ばれなかったので、結局話に加わることなく今に至っている。

 大人のあるべき姿としては、爽やかに挨拶をして二人に加わり、本日の仕事の予定やら、ピンがいかに手間がかかるかとか、長田さんがいかにねちねちと香田さんを締め上げたかとか、そういったことを楽しそうに話さなくてはならないのであろうが、生憎私にはそこまでのコミュニケーション能力もモチベーションもお愛想も持ち合わせてはいない。挨拶して自分に注意が向くのすら嫌なのだ。

 では何故私がサブリーダーなるものにならなければならなかったのか。それは他に人材がいなかったからだ。

 しかし現状では偵察している意味がない。恐らくやらなくても誰も気付かないだろうが、いつどこで突っ込まれるかわからないし、どうせ毎日残業だとは思うが、一応状況も知っておきたいので、誰とも話すことも褒められることもなく一人で続ける羽目になっている。

 流石にここまでくると、受診レベルの問題行動だと思う。他人のことを自己愛性PDとか決めつける前に、私の方が心療内科に駆け込むべきではないかと思えてきた。

 そのうち、二人に何か言われるかもしれない。その時まで自分から改めることは恐らくないだろう。それとも自分から改宗して、信仰告白した方が楽になるのだろうか。

 音楽が止むと、皆がヤードの中央に集まって何となく輪になる。

 チャイムが鳴る。リバーブがまだ響いているうちに、おもむろに小迫さんが切り出す。

「それではあ、朝礼をー、始めます」

 元々訛りが強くて、アクセントがおかしい。諦念と苛立ちのこもったざらついた声で、号令のフレーズもどことなくたどたどしい。こいつの番の時はいつも朝からぞっとさせられる。

「左からあ、番号を、お願いします」

 一、二、三、四。

「お早うございます」

「お早うございます」

「服装のお、チェックをー、お願いします」

 皆適当に確認するような仕草をする。ヘルメット、ゴーグルと安全靴といったところか。

「体調の悪い方あ、いらっしゃいますかあ」

 誰も手を挙げない。手を挙げられるものなら挙げたい。もう帰りたい。

「えーでは、連絡事項お願いします」

「はい、お早うございます」

 前田さんが言った。

 このような朝礼をやっているのは、どうもここだけのようだ。

 元々は長田さんが考え出したらしい。昨年くらいに、ワークネードの何とか部長が、『朝礼が素晴らしいらしい』とか何とか言って、わざわざ朝に実験Z棟まで見学に来ていた。我々はまだ派遣で、朝礼も社員どもと一緒にやっていた頃だ。

 しかしその後、他のセクションで導入されたという話は聞かない。

「連絡事項は特にないですね。それでは作業指示を」

「はい。ではUCは、自分と小迫さんでやります。ダイレクトは、とりあえず朝木さん一人でお願いします。で、小迫さんは、タイ向けのリンクプレートをお願いします」

 成見が言った。

 取り敢えず一人で作業出来るのは悪くない。サブを押し付けられたのだから、少しくらいはいいこともないと。

「他に何かありますか」

「はい」

 成見が手を挙げた。

「昨日、カラーやる時に、台車が二台あったんですけど、一台飛ばして梱包して、後で気付いたんで、やる前に、進行表で番号を確認してからやるようにして下さい」

 小迫さんが勝ち誇ったようにこちらを見た。

 実はそれをやったのは私である。進行表を見ていなかったのは弁解のしようがない。いつもはきちんとチェックしているのだが、こういう時に限って魔が差す。しかし台車が二台あるとは聞いていなかった。小迫さんの方には、スプロケットが二台あると説明されていたが、私の方にはなかった。そういう訳で一台だと思い込んだ。しかもその一台には、通常四チャージ載っているところが、二チャージ分しか載っていなかった。それで続きなのだろうと思い込んだ。責任転嫁するつもりは毛頭ない。状況を確認しているだけである。まあ不幸な事故だ。入庫した訳でもなく、時間内に終わったのでよしとしよう。

「まあミスは誰にでもありますけど、作業手順をきちんと守ることが、まずミスを防止する第一歩ですのでね、最初にしっかりと番号を確認するようにして下さい。はい、他には」

 前田さんが、ちらりとこちらを見たような気がした。しかし、これ以上何を言えばいいのかわからなかった。謝罪するべきなのか。サブリーダーとして対策の一つでも提案するべきなのか。あれこれ考えているうちに、すっ飛ばされた。

「はい、ではないようなので、品質目標」

 皆で円の真ん中を指差す。

「ゼロ災でいこう、ヨシ」

「ゼロ災でいこう、ヨシ」

 指差し呼称で終了、解散。誰も私に話しかけない。私も特に用はない。とっとと向うへ行くとしよう。

 ちなみに、この指差し呼称は以前からやっているもので、講習後に始めた訳ではない。『品質目標』と言っていたので、『指差し呼称』という名称は知らなかった。

 ヤードを出て、工場の裏手をのんびりと歩いていると、丸々としたハクセキレイが、長い尻尾をフリフリしながら私の前を横切っていく。私が近づくと、キキッと鳴き声を上げて、隣の建屋の屋根へと飛び去った。

 以前勤めていた工場で、白黒のツートンカラーの可愛い鳥が歩き回っているのをよく見かけた。検索して調べてみるとそれがハクセキレイという鳥だとわかった。それまで鳥を撮影することなど考えたこともなかったが、最近になって、物は試しとエントリーモデルの一眼レフと、安物の望遠ズームを揃えてみた。今日くらい天気がよければ安物の一眼でもいい写真が撮れるのだが、休みは日曜日しかないし、その日曜日に晴れることは何故か少ないし、洗濯が終わった時にはもう午後になっている。写真を撮りに行く暇などありゃしない。

 トイレに寄り、水を飲み、やっとのことでヤードに辿り着く。おもむろに仕事を始めた。

 まず昨日分を入庫する。入庫ラベルと部品構成表は既に貼ってあるので、後は事務所のPCで入力するだけである。ダイレクト工場の事務所にもこちらの社員がいるが、誰も私に話しかけないし、関心を払わない。なるべく時間をかけて作業するようにした。

 入庫が済むと、本日分の梱包に取り掛かる。

 ホワイトボードには、原島君が作成してくれた進行表が貼られている。

 彼はダイレクト工場の部品管理課の社員で、三十代の人の良さそうな男である。

 部品ごとに、仮入庫ナンバーと仕向け地と納期が順番に並んでいる。

 終わった部品は、赤線で消し込んでいる。

 納期の近いものから、作業を進めていけばいいだけだ。

 アウトリンクだけは、ピンとの組み合わせがあるので、前田さんが番号札を入れてくれている。部品置き場には、三セット分のアウトリンクが梱包されるのを待っている。

 取り敢えず、中国向けのEtアウトリンクから始めることにした。

 うるさいのがいないと作業も楽しくなる。黙々と、かつ粛々と作業を進めるだけである。ミスをして厄介なことにならないように、注意だけは怠らない。昨日のはUCだったので、正直油断していた。

 そのまま午後になった。

 アウトリンクのラベルを貼りながら、携帯で日経平均をチェックしていると、小迫さんが現れた。

 作業指示を出していないにもかかわらず、台車置き場から、勝手に台車を押してきている。

「朝木さん、Eでいいでしょ」

「ああ、どうぞ」

 面倒くさいので、そのままやらせることにした。納期にはまだ余裕があるので、取り敢えず、どれでもいいだろう。どうせあるものを二人で片づけるだけである。

 小迫さんが叫んだ。

「朝木さん、梱包材ないよ」

 ないよ、もへったくれも、まだ巨大な袋に半分以上残っている。しかも、ワイリンクは梱包材を使用しない。しかし、気分転換ついでに取ってくることにした。

 ヤード分裂以来、緩衝材、防錆袋などの梱包資材は、わざわざ実験Z棟から台車に載せて持ち込んでいた。段ボール箱のパレットは、工場裏手から引っ張ってきていた。

 しかし、資材部門も既にワークネードが業務を請け負っていた。実際に作業に当たっているのは、ワークネードの契約社員どもと、パートの女性たちだった。

 資材倉庫は、ダイレクト工場のすぐ裏手にあったため、ワークネード同士で話をつけて、直接持ってくればいいではないか、という話になった。その重要なミッションを担うのは、主に私ということになった。小迫さんを介入させると、混乱を招くことになるのは目に見えていた。彼は普通にセクハラをしかねない。

 そこのリーダー格は、年配のパート女性だった。名前は常見さんという。

 倉庫の一角に据えられた、巨大なテーブル上で、段ボール箱を作っている。若い女の子が一緒だった。段ボール箱は、下だけガムテープで封をして、重ねてパレットに積まれて、我々の元に届くことになっていた。

「すいません、ちょっと緩衝材を」

「ああ、どうぞ」

 緩衝材と防錆袋は奥にあった。

「ねえ、ショートは、明日二パレでいいのかしら」

「ああ、いいんじゃないですかね。まだ一枚あるし」

 私には優しかった。恐縮した。ところが、他の人にはそうでもなかった。

「ちょっと、江藤さん、ポリ缶の発注どうすんの」

 江藤さんは、ワークネードのサブリーダーらしい。ヘルメットに黄色いラインが入っていた。よくこの周辺でフォークリフトを乗り回している。どうも物流ではなく、資材倉庫の所属なのであろう。

 年配のパート女性が、実際の業務を取り仕切っているのは、どこの職場でもよくある光景だった。

 ヤードの奥には、ワークネードのGLがデスクのPCで、作業をしていた。聞くところによると、テーブルで箱を作っている若い女の子は彼の娘らしい。家も私と同じ方向だった。下手に手を出したら、フォークで吊るされるかもしれない。

「じゃあ、お疲れ様です」

「はい、またね」

 女性二人に愛想笑いを残して、資材倉庫を去った。

 梱包台車が導入されても、小迫クンは自分の道を貫いていた。パレットの脇に梱包台車を寄せて作業し、そのまま箱をパレットに移している。移動させないのなら台車を使う意味がないと思うのだが、床が少々高くなっただけでも、多少は楽になっているのかもしれない。しかし小迫さんにとっては体力的にどちらでも同じなのであろう。

 香田さんが、フォークリフトでヤードに突入してくると、険悪な空気の小迫クンにバッティングさせないように、通路にパレットを降ろしてもらった。ピンは午前中に、小迫さんが防錆してくれたものだった。

 私が梱包したアウトリンクと組み合わせて、ラベルを貼った。小迫さんが梱包したリンクやガイドにもラベルを貼り、部品構成表を書いた。まとめて入庫した。

 正式にサブになり増えた仕事は、ダイレクトでの作業指示と入庫、そして毎朝の偵察くらいだった。朝時間が潰れるのはダメージが大きかったが、事務作業が増えたため、梱包の作業自体は減少した。体力的には多少楽になったのかもしれない。この時点で、小迫クンが防錆をやり始めていたので、ダイレクトで、一人で作業をすることも多くなった。成見もあまり顔を見せなかった。この平穏さが続くなら、サブも悪くないのではないかと思い始めた。

 その矢先に夏休みになった。

「朝木さん、夏休みどうすんの」

 前田さんが聞いてきた。

「はあ」

 何故わざわざそんなことを言わなくてはならないのか疑問に思ったが、隠しても仕方ないので、白状することにした。

「ちょっと、伊勢神宮に行こうかと」

 その年は、伊勢神宮の式年遷宮の最中だった。

 普段、ほとんど旅行などしたことはなかったのだが、この工場にきて、折角長期休暇があるので、旅行の一つでもしてみようかという気になった。

「伊勢神宮って、何があるんですか」

 成見が言った。

 何があるって、伊勢神宮に決まってるだろ、と思った。しかし伊勢神宮と言って伊勢神宮のことがわからない人間に、伊勢神宮のことをどう説明すればいいのか、私にはわからなかった。私の代わりに、前田さんが説明してくれた。何をどう説明したのかはよくわからない。

 折角の旅行だったが、夏休み前は残業続きで、碌にリサーチする時間もなかった。

 新幹線の中で本を読んで勉強しようとしたが、疲れていたのか寝てしまった。

 一日目は名古屋城に行ったが、やっぱり碌に下調べもしていなかったので、地下鉄があったにもかかわらず、炎天下の中を歩く羽目になった。夜は巨大な地下街で迷って、延々と彷徨い続けた。

 二日目に、伊勢の外宮と内宮を参拝した。双方で、古い本殿の隣に新しい本殿が建築中だった。境内の壮大さと、清々しい空気に感動した。流石に参拝客も多かった。おかげ横丁で遅いランチを食べた。赤福は、お茶が飲めないためスルーした。慣れない一眼レフで写真を撮った。帰りたくなかったが、そういう訳にもいかなかった。

 名古屋駅で職場向けのお土産を買おうと思ったが、新幹線の時間がギリギリで買う暇がなかった。流石に職場にお土産の一つも持っていかないのはマズいのではないかと思ったが、シカトを決め込んだ。前田さんも、もう関心がなかったのか、特に夏休みの話題はしなかった。

 その年は、休出はなかった。夏休みがあっという間に過ぎ去ると、何も変わることのない日常に戻った。


 ダイレクトで、一人で段取りをしながら携帯を見ていると、後ろから声がした。さりげなく携帯を閉じた。

「すいません。ちょっとアウトリンクの仮組表ありますか」

 若い社員が三名。恐らくダイレクトではなく、UCの方であろう。何となく雰囲気でわかる。どこかで見たことがあるのかもしれない。

 ホワイトボードにぶら下がっているクリップボードを教えてあげた。何種類もある。

「これとこれとこれとこれとこれですね」

「えっと、これは75か」

 一体何事だ。

「ちょっと78のピンで剥離が出たんで、差し替えになるかもしれないんですよ」

「え、マジすか」

 差し替えはともかく、『はくり』って何だ。やっぱり剥離か。

「ちょっと今確認してるんで、もし78のアウトリンクあったら止めといてもらえます」

「ああ、わかりました。今一つありますけど」

「ああ、じゃあそれもちょっと保留でお願いします」

「ああ、わかりました」

 前田さんからの連絡はない。取り敢えず、他の作業を続けた。

 午後の昼礼で、その話が出た。前田さんが言った。

「ピンに剥離が出たんで、今、部品管理の人たちが調べてます。で、もう梱包したやつも、差し替えになるみたいなんだよね。なので、戻ってきたら、ちょっと対応しますんで」

 珍しく私が手を挙げた。

「戻ってくるって、ダイレクトに戻ってくるんですか」

「それも、これから話し合うんで、取り敢えず他のやってて」

「はあ」

 結局、ダイレクトに戻ってきた。物流が運び込んできたパレットは四枚だった。

 アウトリンクは、ピンとセットになっている。一人で、クソ重いピンをパレットに移し替えた。アウトリンクのラベルをビリビリと剥がした。午前中に来た部品管理の社員の一人が、フォークリフトでピンのパレットを持って行った。78のアウトリンクがストップとなったため、やることがなくなり、この日は定時になった。

 次の日の朝、朝礼が終わり、UCで段ボール箱を運ぼうとしていると、前田さんがやってきた。

「朝木さん、ちょっといい」

 改めて何だろう、と思った。降格にでもなるのかと思ったが違った。

「日曜日、出勤出来る」

「はあ」

 ピンは、通常銀色に光り輝いているが、成形不良で剥離が起きると、黒いシミができる。それらは強度に問題があるため、取り除く必要がある。一体どうやるのか。丈選と同様に、専用のボードで選別するしかない。人力で。ボードにピンを並べ、不良品をピンセットで一本一本取り除いていく。剥離選別出来る限りは、チャージごと廃棄はしないらしい。

 結局、剥離で戻ってきたパレットは、合計六枚だった。現在もパレットはダイレクトのヤードを占拠している。

 工場には、二十四時間稼働している部署もあるが、日曜日には、多くの部署が休みとなる。通勤時に中央通路を歩いていると、土曜日以上に閑散としている印象を受ける。いや、閑散どころか物音一つしない。

 私は土曜日に代休を頂いた。ところが成見の方は休みなしだった。

「いいの、ほんとに。大丈夫」

 前田さんが言った。

 彼はにこやかに休みを拒否した。

 全くよくやるよ、と思った。以前なら、多少は尊敬の念とか、同情の念を抱いたかもしれない。そしてもっと後なら、恐怖の念を抱いただろう。

 休憩所は、工場の社員で溢れていた。社員どもも休出に駆り出されているらしかった。不測の事態とはいえ、ピンの成形に責任が帰されるはずだが、こういう時の社員どもの団結力には感心した。しかし丈選の連中以外に、ワークネードで出勤しているのは、成見と私だけのようだった。前田さんも休みだった。

「残業代の上限越えちゃうんだよね」

 この頃、我々の時間外は月四十時間前後だった。社員はもう少し長かったのかもしれない。以前の部署では、ここより時間外が短かったのだろうか。だとするとお気の毒としか言い様がない。しかし、残業手当に上限があるということは、非正規に残業をさせて、正社員はとっとと帰れ、という方針なのだろうか。

 ダイレクト工場でタイムカードを見ると、組み立て辺りも似たり寄ったりのようだった。繁忙期には毎日三時間残業で週休二日、多少暇になると、定時で帰れるといった具合だ。トータルだと、KD梱包よりは多いのかもしれない。

 成見は、作業をしながらポツポツと話しかけてきた。こういう時に休出しておけば、上にアピール出来る。丈選の連中は、交代で休出しているらしい。恩を売っておけば、後で何かあった時に、こちらも助けてもらえるかもしれない。社員の人たちも休出しているし、顔を覚えてもらえると何かと得である。小迫さんは休出を拒否したが、ああいう人だから仕方ない。

 更に、普段は何を食べているのか、朝は食べているのか、などということを聞いてきた。筋トレやって、毎日チキンとキャベツを食べているのだから、今更何故私にそんなことを聞いてくるのか、よくわからなかった。私の場合は、普通に仕事をしているだけで、十キロ体重が落ち、その状態をキープしていた。もしかしたら、そのせいかもしれない。

 私の方はと言えば、気が滅入ってペラペラと話す気にもなれなかった。土曜日が休みだと、日曜日から土曜日まで、連続七日出勤となる。小迫さんは拒否したというが、元々そこまで期待されていなかったのであろう。梱包セクションから二人出れば、充分アピールになる。残業や休出で誰か休める時は、小迫さんが優先されることになるのであろう。小迫さんが羨ましかった。サブになると、こういう機会が増えるのかもしれないと思うと、更に気が滅入った。


 サブになり仕事は増えたが、相変わらず昼のミーティングには参加させてもらえなかった。

「朝木さんは、ミーティングに参加しないんですか」

 坂上君が言った。

「ああ、でも席がないですもんね」

 前田さんと成見は特に何も言わなかった。何か微妙な空気が流れたような気がしたが、私がセンシティブになっていたせいかもしれない。

 何となく、私はダイレクト担当ということになっていた。ダイレクトの方はセットもあまりなかったので、そこまで進行状況などを気にせずとも、ある部品から片付けていけばいい、という認識だった。どうせあるブツはいずれ片付けなくてはならないのだし、月末ならともかく、普段からそこまでセンシティブな舵取りは必要なかった。私としては、UCで人が余った段階でこっちを片付ける程度にしか考えていなかった。

 これは私だけではなく、少なくとも請負化後は、社員どもも似たような認識だったように思える。UC部品は自分たちで管理していたが、ダイレクトの方は、ダイレクトの部品管理から部品が供給されるという立場だったため、ある程度はそちらに任せるしかなかったのであろう。

 そういう訳で少なくとも私は、参加したくない以前に、参加する必要性をあまり感じなかった。しかし他の連中がどう思っていたのかはよくわからない。もしかしたら私が、『進行状況を確認したいので、ミーティングに参加させて下さい』とでも言い出すのを待っていたのかもしれない。フリーメーソンの如くに、私の方から言い出さないと仲間に入れてくれないのかもしれない。この私が自分からそんなことを言い出すと、本気で思っていたのであれば、甘いとしか言い様がない。

 しかし、参加しなければしないで疑心暗鬼に陥った。

 UCヤードにいた時のことだ。

 アウトリンクは、ピッチが適合するピンを探して組み合わせなくてはならない。その作業はまだ社員どもがやっていた。

 坂上君が、仮組表のクリップボードを持ってきて言った。

「はい。たまには朝木さんに」

 いつもは前田さんか成見経由で、指示が下りてくることになっていた。非正規は社員どもと話してはいけない、というルールがあったが、当然のことながらサブリーダーは別だった。社員どもと話さないと仕事にならない。しかし私の方は、ダイレクトがメインだったこともあって、志田君やら坂上君とは、直接話す機会はほとんどなくなっていた。後の二人に全て投げている状態だった。

 これが坂上君流の嫌味なのか、或いは特に意味などないのか、全く意図が読めなかった。

 その前の週末に成見と坂上君が、一緒にジムに行くという話をしていた。そこで私の話が何か出たのではないかという疑いを抱いた。

 サブとしての私に対して、どういった評価が共有されているのか、あの二人がうだうだと言っているだけならまだしも、社員どもも何か言っているとなると、そのうち面倒なことになるのではないかと気を揉んだ。

 かといって、あの二人に完全に同調して、仕事に邁進する気にもなれなかった。

 作業自体は、ミスも遅滞もなく粛々とこなしていた。勤怠も特に問題なかったはずだ。しかしそれ以上の自己犠牲とコミュニケーション能力を求められても、どうにもならなかった。

 負荷は最小限にしつつ、自身の立場も守るには、取り敢えず何食わぬ顔で、面倒なことを言われない程度に、最低限の作業をミスなくこなしておくしかなかった。たまに前田さんが、私に対して何か言いたげな視線を投げてきたとしても、気付かない振りをして放置した。

 幸いなことに、その時の日曜出勤は一回だけだった。その時は。ピンの剥離選別が終わり、アウトリンクの梱包も正常に戻ると、今度はヤード移転の話が持ち上がった。翌十月より、UC部品はUC工場で梱包することになった。

 前田さんと成見に加わり、梱包ヤード候補地の視察に駆り出された。その時は、丈選ヤードとして使用されていた。丈選の連中は、ほとんどが日系人らしかった。半分以上は女性だった。

 UC工場の一角ということで、流石に実験Z棟よりかなり狭かった。おまけに天井も低かった。レイアウトを二人で考え始めた。長田さんと志田君も意見していた。その二人の『意見』とは、つまるところ『命令』である。私は例の如くノータッチだった。しかし誰も気にしている様子はなかった。

 九月の末から、引っ越しの作業が始まった。

 その月の梱包は取り敢えず終わっていた。

 掃除をして、ペンキを塗った。シンナーのせいか、喉がガラガラになった。

 部品管理の社員どもが、フォークリフトでデスクやら何やらを運び込んだ。

 完成品用のパレットを並べたが、通路が狭く、フォークリフトがターン出来なかった。更に天井が梱包ヤードの部分だけ低かったために、侵入出来なかった。上は更衣室である。

 仕方なく、一度ハンドフォークでパレットを通路に出してから、フォークリフトでぶっ刺すしかなかった。

「参ったなあ。フォーク入れないとは思わなかったよ。やんなっちゃうよね、もう」

 この頃、物流のKD梱包セクション担当は三好さんだった。年配のよく喋る男だった。以前は電柱関連の仕事をしていたと聞いた。電柱関連の何をしていたのかは不明だった。そちらをやめたことと、三一一に何か関係があるのか、それも不明だった。定年退職してこちらにきたのか、それとも中途で辞めてこちらに来たのか、それも不明だった。フォークリフトは、この工場に来てから乗り始めたらしい。二度ほど、実験Z棟のシャッターに突っ込んで、ポールを外したことがあった。一回目は、ポールを捻じ込んで事なきを得た。二回目は、修理するまで一週間ほどかかった。

「距離が近くなったのはいいけどさあ、これじゃあ時間的に大して変わんないだよね」

 確かに、実験Z棟よりは、新工場の自動倉庫に近かった。しかし、煩雑な作業が一手間増えたため、時間短縮にはならなかったのであろう。物流にとっては、お気の毒としか言い様がなかった。

 月が明けると、早速新ヤードで仕事を始めた。

 朝、ダイレクトでの無意味な視察を終えてUC工場に入ると、既に体操の音楽が鳴り響き、社員どもと非正規どもが通路にずらりと並んで体操を始めていた。二階の更衣室の前にも、社員どもが並んでいた。事務所の一つが二階にあったのだ。急いで更衣室を出て、ヤードに向かった。少々ゆっくりしすぎたようだった。

 その日は、分配機と防錆機が運び込まれた。ホイストも設置された。その時にいなかったので、フォークが入れない状態で、どのように搬入したのか謎だった。

 梱包するスペースは、結局狭くなった。パレットと機械の間で、窮屈な思いをしながら作業をする羽目になった。

 防錆も、当初ダイレクトのヤードでやるという話が出ていたが、結局UCのヤードでやることになった。やはり、ホイストが設置出来なかったらしい。こちらで防錆したピンを、ダイレクトのヤードにパレットで運び込むことに変わりはなかった。

 UC部品は、成形だかバレルからそのまま台車が押されてくるようになった。

 更に、梱包ヤードの隣の、かつて休憩所だったスペースに丈選が移ったため、UC向けのピンも直接そちらから運び込めるようになった。トラックでの運搬は必要なくなった。

 そのためか、昼のミーティングも程なくして廃止されたようだった。直接部品を見ながら振り分けられるため、必要がなくなったのであろう。

 タイムカードもUCに移された。トイレと旧式のウォーターサーバーも近くにあった。私の場合、UCでの作業は少なかったとはいえ、作業中に逃亡出来るようになったのは、ありがたかった。

 ヤードの一角にはワークネードの事務所があり、他の部署のGLどもも出入りしていた。事務所といってもデスクが三台やっと入る程度の広さだった。

 昼休みが終わり、社食からヤードに戻ると、電気を消した事務所内で、社員三名に混じって、成見が回転椅子で寝ていた。狭い所内においては、彼らの姿はまるで、波打ち際でごろごろと転がっているセイウチの群れのように見えた。移転一週目にして、既に社員どもと同化していた。感心すると同時に、胃の一部が重くなったような、不気味な感覚を味わった。

 社員どもと仲良くすることは、決して悪いことではない。しかし幾らサブリーダーとはいえ、彼らとの間には越えがたい溝があるはずである。立場、待遇、給料、人生そのもの、その他もろもろ。少なくとも私はそういったことをひしひしと感じていた。成見はそういったことを全く感じていないのだろうか。

 長田さんに対するディープラブ、前田さんとの同一化、更にワークネードの社員どもとの一体化、これらの行動を総合して考えてみると、やはり自己愛性パーソナリティ障害なのではないかとの疑いが、より一層強くなった。自分より上の立場の人間、強い人間に対して、より強いシンパシーを抱くのではないだろうか。

 やっと新ヤードに慣れてきたと思った頃、問題が発生した。

 ダイレクトでの仕事を終えて、UCのヤードに戻ると、前田さんと成見が話していた。

 前田さんが言った。

「段ボールのパレットを、見えるところに置くなって言うんだよね」

 見えるところに置くな、というのはつまり、通路際に置くな、ということらしかった。

 段ボール箱のパレットは、実験Z棟と同じく、物流がフォークリフトで毎朝運び込んでいた。通路脇に置き場を設定していたのは、極めて合理的だったろう。

 ところが『みっともない』という理由で、なるべく奥に置くべし、という指令が下った。どうもUC工場の上の方から言われたようだった。

 工場にはたまに、自動車会社の人間が視察に訪れることがあったらしい。流石に、実験Z棟では見たことはなかった。UC工場では主力の部品を製造していたので、視察も多かったのであろう。

 しかしヤードに余計なスペースはなかった。取り敢えず、通路まで持ってきてもらって、窓際に押し込むしかなかった。外から段ボール箱が見えるのは、特に気にしなかったらしい。

 正直言って、ここまでは半ば他人事だった。

 ところが、UCヤード移転によって、ダイレクトでの作業にも直接影響が及んだ。

 ピンを選ぶ作業は、これまではUCの部品管理がやっていた。そして、志田君か香田さんが、実験Z棟に運び込んで、防錆を行っていた。

 ところがその作業を、今後はダイレクトの部品管理でやることになった。原島君と前田さんに私が加わって、段取りを話し合った。

 原島君が、リンクプレートのピッチと適合するピンを選んで、構成表(またか)と呼ばれる紙を突っ込んでおく。それを丈選して台車に載せる。その台車が、そのままダイレクトの梱包ヤードに転がり込んでくる。古い計量器も用意された。つまり、私がクソ重たいピンの計量を、一手に引き受ける羽目になったという訳である。そしてその台車を、ダイレクトの部品管理の担当者がフォークリフトでUCヤードに運び、それを小迫さんか誰かが防錆してパレットに積み、再びダイレクトの梱包ヤードに搬送して、私がアウトリンクやセットと合わせて、入庫ラベルをベタベタと貼りピッピッと入庫するという、とてつもなくクソ面倒くさい状況に陥った。

 一箱三十キロ近くのピンの計量を、毎朝やる羽目になったおかげで、慢性的に腰が痛くなってきた。計量する時は呼吸を止め、腹筋に意識を集中することにした。腹筋腹筋腹筋腹筋腹筋。

 その後、更に仕事量が増えることが見込まれていたらしい。新人が一人加入した。

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