第五章 自己愛性パーソナリティ障害(疑)

 成見の唐突な決意表明に、その時は驚愕した。しかし謙虚でお人好しでアダルトチルドレンな私は、いい方向に捉えるべく努力しようと試みた。ネガティブでやる気のないダメ人間の私の方が間違っていて、きっと彼の方が正しいのであろう。事実、彼は別に間違ったことは言っていないような気がした。そう考えると、彼に感心し、また尊敬の念すら抱いた。

 まだ三十くらいなのに凄いなあ、偉いなあ、いろいろ考えてるんだなあ、やっぱりああいう人が正社員とかになるんだろうなあ、俺にはやっぱり無理だよなあ。俺もせめてサブリーダーになって頑張ってみようかなあ。

 しかしあれ以来、彼の言葉が頭から離れなかった。そして思った。ちょっと待てよ、本当にそうなのか。俺が間違っているのか。それともやっぱりあっちがおかしいのか。おかしいとしたら何がおかしいのか。毎朝、工場の長い通路を急ぎ歩きながら、考え続けた。

 彼は何て言ったんだったっけ。まず正社員にはならないんですか、と言った。

 そりゃなれるものならなりたい。しかし、ならないんですかとか言われたって、なりたくてなれるものではない。今は二十一世紀で、かつての終身雇用正社員採用システムなどとっくの昔に崩壊している。それに私はもう四十歳だ。歳を聞かれたことはなかったっけ。私は若く、というか幼く見えるらしいが、それでも自分より年上だという認識はあるはずだ。ここからそう簡単に正社員なんかになれないことくらい常識として理解していてもよさそうなものだが、そういった一般常識は認識していないのだろうか。

 それとも他で正社員にならないのか、という意味だったのか。しかしそれでも答えは一緒。ほぼ不可能なことに変わりはない。彼は、私の立場というものを理解していないのか。

 それから何て言ったのか。

 分配機のバキュームの音がうるさくて集中出来ない。何で耳栓がないのか。同調圧力に屈せず、注文すればよかった。

 彼は確かこう言ったはずだ。UC部品はUC工場で梱包する。

 まあそれは悪くない話かもしれない。トイレもロッカーも近いし、通勤も楽だ。それに環境も良くなるかもしれない。暑さ寒さも彼岸までといったところか。

 事務所が移るのも、まあどうでもいい。社員どもと顔を合わせずに済むようになるのであれば大歓迎。いや、別にそこまで毛嫌いしている訳でもないが、まあ面倒くさいといったところだ。

 ダイレクト工場の梱包ヤードと離れてしまう。

 これは確かにその通りだ。移動は面倒になる。

 それからその後は。サブリーダーがもう一人必要。

 バキュームが終わり、部品を落とした。更に段ボール箱に落とした。おもむろに梱包を始めた。

 隣では小迫さんが、スプロケットの投入をしながら歌を歌っている。昔の歌謡曲らしいがタイトルは知らない。超ご機嫌のようだ。何度も何度も何度も何度も注意されて、逆切れして更に怒られているにもかかわらず、何故やめることが出来ないのか。

 こいつの方が私より二週間だけ先輩だが、このいかれ野郎にサブリーダーをやらせることはまずないだろう。そうなると結局、私がやるしかなくなる。

 しかし私がサブになると、こいつに指示を出さなくてはならなくなる。こんな狂犬病のマングースみたいな男をどうやってコントロールすればいいってんだ。しかもムチを振ったり、踏み潰したり出来る訳ではない。だんだん中学教師の気持ちがわかってきた。

 だいたい非正規のリーダーなんて、自分から喜んでやる奴がいるのか。

 一体成見は何を考えているんだ。前田さんに洗脳されたのか。

 さて、お次は何だったか。彼は確か『前田さんに頼んでる』と言った。

 ここも少々引っかかる。私のサブ就任は、以前から二人で話し合っていたことで、私もそれとなく聞いている。今彼が言い出したという訳ではない。しかし彼の言い方だと、いかにも自分が発案して提案しているというようなニュアンスを感じる。幾らサブだからといって、人をサブにする権限はないはずだが、俺がお前をサブにしてやるんだぜ、と言っているようにも聞こえる。これも考えすぎなのか。

 そもそも順番としては始めに、やりませんか、やりたくないかもしれませんが、お願いしますよ、とでも言ってくるのが筋ではないだろうか。どちらにせよ私がやるしかないとしても、一応そういう手順だけは踏もうと思わなかったのだろうか。そこをすっ飛ばしておいて、しかも彼自身は全く気にしていないどころか、その点に気付いてさえいないように思える。あたかも私がやりたいのが当然であると思っているように感じる。私の意向とか希望に対する配慮はないのか。

 それとも私の方が傲慢で怠惰な人間なのか、或いは細かい点を気にしすぎなのか。細かい点が気になってしまうのは、僕の悪い癖なんですよ。いやいや、相棒じゃないんだから。

 午後からはダイレクトである。

 一人での作業は気楽でいい。小迫さんもいない。作業はルーティンで、体力的にもまあ慣れたし、精神的には完全にリラックス状態となっている。α波が出まくって脳がビンビンしているくらいだ。一人だと楽しくさえなってくる。つくづく私は一人の方が好きなのだと思う。

 検証はまだ終わっていなかった。その次は確かこんなことを言っていた。

 自分、以前はかったりいとか、早く終わんねえかな、とか何とか。

 自分のことを自分と言う人間に現実で初めて会った。健さん以外に実在するとは思っていなかった。しかし取り敢えずそこはどうでもいい。

 かったりいとか、早く終わんねえかな、というのは、私は未だにそう思っている。朝仕事を始めた瞬間から終業チャイムが鳴り終わる瞬間までそう思っている。しかし成見はもうそうではないらしい。そうなると少々困ったことになる。私は元々仕事なんぞやる気はないし、仕事に対する労力を最小限にしたい。しかし仕事が楽しいとか言い出すと、余計なことに付き合わされたりしかねない。『一緒に』とか言っている時点で、向こうはその気満々である。これはかなりヤバイ状況だ。

 それから何だ。リーダーになって、ミーティングに参加させてもらっている、だな。

 リーダーになったのは事実。ミーティングにも確かに参加している。

 しかしわざわざ、参加させてもらって、という言い回しをしているところがまた何というか、一抹の気色悪さを感じる。ミーティングに参加出来るのは、そんなに感謝するべきことなのか。社員どもの悪口とか、愚痴の一つでも言ってもらった方が、こちらとしては楽である。社員相手のかしこまった挨拶ならともかく、私を相手にそういう言い回しをするということは、つまり本気だということだ。もしかして私もサブになったら参加させられるのであろうか。勘弁してほしい。

 取り敢えずワンチャージ片付けた。周囲を見回した。誰も見ていない。誰も私に関心を払っていない。このヤードはホワイトボードやら、段ボール箱のパレットやらに囲まれて、微妙に死角となっている。

 おもむろに携帯を取り出して、株価を見た。日経平均は一%の下落。手持ちの銘柄はどうせ売れる見込みもない。わかってはいても、見ずにはいられない。

 仕事のこととか、他の工程がわかってくると、仕事が楽しくなってきた云々。

 そうか。それは良かった。楽しいのはいいことだ。だが勝手にやってろ、としか言い様がない。

 しかし、楽しいなら楽しいに越したことはない。私も彼に付き合って、楽しくなった方がいいのか。そんなことが可能なのか。これはやってみなければわからない。現時点では、この仕事にそれほど興味は持てない。知ることでより興味が増す、というのは理解出来る。理解は出来るが、この仕事だしねえ。それも限界があるのではないだろうか。

 別にここの社員どもを見下すつもりはない。これは単純に立場と適性と趣味嗜好の違いによるものだ。

 社員目指して頑張ってみようと思うんで。

 一番の問題はこの部分だな。

 彼はまだ三十歳くらいだ。まだまだチャンスはあるのかもしれない。確か他の工場だのリサイクル工場だのでの経験もある。フォークの免許も持っているという。

 しかし現在我々がいるKD梱包セクションというのは、工場の中ではどちらかというと辺境にあたる。ここは自動車の部品工場なので、当然のことながら、成型やら組立のラインがメインストリームの部署ということになる。

 そういった部署で、専門に何年もやってる連中が何人もいるのに、そいつらを飛び越えていきなり成見が社員に抜擢されるというのは考えにくい。

 幾ら自動車工場の海外移転が進んで、輸出量が増加しているといっても、他を差し置いてまで、この部署の重要度が増すとも思えない。

 しかし実際に正社員になるとしたら、部署には関係なく優秀な者を、ということにはなるのであろう。その場合、ここではなく他の部署で、ということも充分あり得る。どうせ実作業をするのは非正規社員どもで、正社員は管理だけしていればいいのであって、作業にそこまで精通する必要はないし、本当に覚えようと思えば二週間もあれば充分だ。少々研修でもやれば済む。

 もしかして本当に前田さんと密約でもあるのだろうか。いつか言っていたように、社員であれば推薦するくらいは出来るのであろう。

 しかし、幾ら前田さんが推薦したところで、結局は上の連中が最終判断を下すことになる。加藤さんやら何とか部長やらがそこまでやってくれるのか。彼らにそこまで成見を優遇する理由があるのか。

 或いは私が何も知らないだけなのか。

 いやいや、内々に打診があるなら、はっきりとそう言うはずではないだろうか。

 時期はまだ決まってないけど、社員にしてくれるって言われてるんですよ。

 そういったことに一切言及しないということは、具体的な話は何一つ聞いていないのではないだろうか。前田さんの与太話を、一人で本気にしているのではあるまいか。

 それに、もし具体的に社員になる話があるとしても、違う言い方、というかニュアンスというものがあるのではないだろうか。

 ワンセット片付けたので、次に移ることにする。

 台車置き場には、まだ四セットも残っている。

 ピンが必要なアウトリンクは、まだやる必要がない。ワイリンクの台車を引っ張り出して、ヤードへと転がしていく。

 彼は、一緒に頑張りましょう、と言った。

 しかし、一緒にという時点で、既にお互いの立場の違いを弁えていない。

 自分は社員を目指すけど、なるべく迷惑はかけないし、大変だろうけど出来る限り協力してほしい、とでも頼まれれば、ああそうですか、じゃあ協力しましょうね、とでも答えられないことはない。

 ところがそういう謙虚な態度ではなかった。

 言い方は穏やかで丁寧だが、どことなく上から目線なのを感じる。

 仕事って本当は楽しいんですよね。朝木さんはそれに気付いていないだけなんですよ。朝木さんもきっと楽しくなりますよ。自分の言う通りにしてればいいんですよ。

 どちらかと言うとカルトの勧誘に近い不気味さを感じる。無知蒙昧な異教徒を教化する使命に駆られているのかのようだ。彼はここで神でも見たのか。そんなもん、どこにいるんだ。

 いずれにしても成見が、私の立場など全く考えていない、ということだけは確かだ。

 この状況で本当に私が彼に付き合って、この非正規労働に人生を捧げるとでも思っているのだろうか。社員になりたきゃ勝手になればいい。しかし何故私が協力しなくてならないのか。回収出来る見込みのないコストを払うつもりはない。

 それに工場ならともかく、契約からワークネードの正社員になるということを、手放しで喜ぶべきことなのか疑問が残る。

 常識的には、非正規から社員に昇格することは喜ばしいことなのであろう。しかしこの会社のような派遣或いは請負業の場合、どうしてもピンハネという十字架を背負わなくてはならない。

 奴隷から自由市民に。搾取される側から搾取する側へ。或いはピンハネされる立場からピンハネ屋への転向。

 前田さんの場合は、罪悪感とまではいかなくとも、多少の引け目というか、我々の立場も理解していることは感じられる。他の社員連中がどう考えているのかは知らないが、面接の時の様子からすると、加藤さんもそういう認識を多少は持っているのであろう。

 しかし成見がそういったことを意識しているような様子は全く感じない。自分だけ正社員になり、非正規の我々から搾取するのを当然のことだと思っているような言い方であった。

 そして単なる自己の欲望を、ポジティブな正論と仲間意識のオブラートに包み込んで、私に押し付けようとしているとしか思えない。利己的で他人の立場、というか少なくとも私の立場などお構いなしに見える。

 言い方は普段と変わらず、あまり大きくない声で、淡々と話していた。

 しかしどう考えてみても普通じゃない。

 これは自己愛性パーソナリティ障害ではないのか。

 しかし当時はまだ、自己愛性とかパーソナリティ障害に関する知識はうろ覚えのものでしかなかった。

 そもそも何故このことで、自己愛性PDを思い付いたのか。

 家のパソコンで蔵書リストを探してみると、過去にパーソナリティ障害に関する本を読んでいることが判明した。蔵書リストというのは、表計算ソフトで作成しているものである。日曜日に本の山をひっくり返して探してみると、すぐに見つかった。やや古い文庫本で、素人向けの平易なテキストだった。取り敢えず読み始めた。

 更に今は、インターネットという便利な代物がある。

 検索すると簡単に解説が見つかった。

 こちらも素人向けの簡単な解説と、やや雑な編集でわかりにくいウィキペディアを一通り読んだ。

 パソコンの画面で長々と文章を読むのは面倒で辛かったが、ともかく概要は何となくわかった。

 自分の見立てが正しいのか、検討してみることにした。


 自己愛性パーソナリティ障害とは、ごく簡単にいえば、自分が特別な存在だと思っており、他人の気持ちを思いやれず、自己愛が強すぎるゆえに、対人関係や社会生活に支障をきたす障害である。

 パーソナリティ障害には、診断の基準がある。

 DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)による主な自己愛性パーソナリティ障害の診断基準は以下の通りである。


『自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)』

誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる.以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される.

(1) 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)

(2) 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている.

(3) 自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている.

(4) 過剰な賛美を求める.

(5) 特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)

(6) 対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する).

(7) 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない.

(8) しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む.

(9) 尊大で傲慢な行動、または態度


米国精神医学会(APA)高橋三郎 大野裕監訳『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』医学書院(2014)


 DSMとは、米国精神医学会(America Psychiatric Association)によって作成、出版されている『精神疾患の診断・統計マニュアル』のことである。この当時はDSM-Ⅳ-TR(text revisionテキスト改訂版)が使用されていたが、その後DSM-5が公開、出版された。ちなみに[Ⅳ]から[5]に変ったのは私のミスでも誤植でもない。オリジナルがこうなっているのだ。ああ、ややこしい。

 この自己愛性PDの基準にかんしては、[Ⅳ]と[5]で大きな変化はない。


 一つ一つ検討していく必要があると思う。

 五つ以上で確定とあるが、取り敢えずここは「〇」「△」「×」で行うこととした。不明確な部分もあるからだ。自己流だが、私は精神科医でも何でもないので、まあ構わないだろう。


(1)自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)


 前田さんからマジで『社員にしてあげるよ』というような申し出があったとしたら、これには当てはまらない。しかしそういった話もなく、自分が社員になれると信じているのであれば「〇」になる。前田さんが契約のモチベーションを上げるべく見え透いた与太話をして、自分だけで勝手に思い込んでいるという可能性もある。取り敢えず「△」にしておく。


(2)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている.


 ここでワークネードの社員になるということが、『限りない成功』と『権力』に該当するかどうか、判断しかねる。ワークネードの社長にまで昇り詰めるということなら、完全にマッチするのかもしれない。しかし今の時代に、三十代にして非正規から社員になるのも、充分成功と言えるのではないだろうか。前田さんに乗せられているとしても、自身でそのつもりがまんまんなので、ここは「〇」とするべきであろう。

 更に、ジム通いで外見も随分と変わってきた。「美しさ」についても「〇」である。

 愛については知らん。女の話は聞いたことがない。

 総合的に判断すると、やはり「〇」である。


(3)自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている.


 ここも微妙だ。現状から自分だけが社員になれると信じているのであれば、前半には該当する。しかしここは、前項同様に、前田さんに乗せられているとしたら判断しかねる。自己愛性というより、ただ騙されやすいだけなのかもしれない。

 問題は後半だ。

 思えば前田さんが来てから、彼にずっと引っ付いていた。たまたま彼と気が合ったことと、私とは違う高度なコミュニケーション能力によるものだと思っていた。しかし、もしかしたら、元々地位が高い人間に対して、より親密な感情を抱くのかもしれない。私などは相手の地位が高いと、逆に委縮するわ面倒くさいわで、あまり可愛い後輩ちゃんとか、彼(彼女)を尊敬する部下とか、そういった役割を演じることが出来ない。三男にもかかわらず、このような捻じ曲がった性格に育ったのは、明らかに家庭環境のせいだ。成見の場合は、どうなのか。

 ともかく、後半は該当すると言ってもいいのではないだろうか。ここは「〇」だろう。


(4)過剰な賛美を求める.


 これはよくわからない。仕事には燃えているようなので、評価はしてほしいのであろう。しかし『過剰な賛美』という表現に当てはまるかどうか。ここは『×』にしておこう。


(5)特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)


 『自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する』というのは当たっているような気がする。事実、私に対してそういったことを期待するようなことを言った。今のところ、特に具体的なアクションはないが、その内何か言ってくるのかもしれない。「〇」としておこう。


(6)対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する).


 これも(5)の内容に重なる部分がある。自分だけが社員になるために、私を利用する気まんまんである、と解釈せざるを得ない。「〇」だ。


(7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない.


 私の立場や気持ちには全く無頓着で配慮なし。私のみならず、非正規一般の共通認識にも全く関心がないようだ。「〇」。


(8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む.


 今のところ、私や他人に嫉妬しているような言動は見られない。しかし、もしかしたら坂上君あたりにジェラシーの炎を燃やしているのかもしれない。取り敢えず不明なので「×」とする。


(9)尊大で傲慢な行動、または態度


 行動や態度は、どちらかと言えば謙虚で温厚に見える。しかしあの発言内容だけはかなり尊大で傲慢だ。「△」とする。


 集計してみよう。「〇」が五個。この時点で、既に確定ではないかと思う。残りは「△」が二個。「×」が二個。判断に迷う部分もあるが、やはり自己愛性パーソナリティ障害で、間違いないのではないだろうか。


 しかし成見は、少なくとも表面的には温厚で、無口で、一応他人に対する気遣いも出来る。自己愛性パーソナリティ障害の一般的なイメージとはやや異なる。

 恐らく、自己愛性として普通にイメージされるのは、傲慢かつ尊大なパワハラ上司タイプとか、自分大好きでナルシスティックなタイプとか、そういった攻撃的或いは外交的で、周囲を振り回したり、害を与えたりといったものであろう。

 ところが、ネット上で少々テキストを漁ってみると、どうも内向的な引きこもりタイプといったものも存在するらしい。いずれに共通しているのは、自己愛の強さである。根本は同じでも、表現型が正反対になったりすることがあるらしい。

 そうなると、やっぱり成見のケースも、自己愛性PDの可能性を否定出来ない。

 しかし今のところ、細かい点ではいろいろと思い当たる節もあるが、明確に判断を下せる材料としては、あの私に対するスカウト発言とジム通いくらいである。

 本当に彼は自己愛性PDなのであろうか。何しろ私は精神科医でも心理カウンセラーでもないので、正式な診断が下せる訳でもない。その権利もスキルもない。あくまで疑いというだけだ。素人が勝手に診断を下してもいいのか。他人を勝手にパーソナリティ障害呼ばわりするのは、倫理的に問題があるのではないか。これでは自称プロファイラーで、快楽殺人犯をサイコパスとか言っちゃう連中と大して変わらない。

 それに今のところ、彼自身の人生に何らかの支障が出ている訳ではない。いや、非正規の時点で充分支障は出ているのかもしれない。しかし自己愛性だから非正規なんだよ、と言ってしまうのもかなり問題ではある。そもそも自己愛性でも正社員やら、或いは社会的に成功している人間もたくさんいると思われる。むしろ自己愛性の方が、その性格から成功する可能性も高いのかもしれない。それに私はどうなんだ、とも言われてしまうことだろう。

 その私自身のことだが、調べてみて驚くべきことがわかった。私もパーソナリティ障害の疑いが出てきた。どうもシゾイドパーソナリティ障害か回避性パーソナリティ障害に、かなり当てはまるような気がする。恐らくシゾイドの方がやや優勢であろう。

 ついでに解説しておくと、シゾイドパーソナリティ障害は、感情表現に乏しく、他人との接触を求めないことを特徴とする。

 回避性パーソナリティ障害の場合は、失敗や傷つくことを極度に恐れ、社会的な交流を避けようとする。

 シゾイドの場合は、最初から他人や何事にも興味関心が薄い。回避性の場合は、興味関心があっても、恐怖感のために回避的な行動をとる、という違いがある。本来は全くの別物らしいが、私の場合は、どちらとも判別出来なかった。

 どうも他人のことを気にしている場合ではないのではないか、とも思うが、私自身に関しては、また機会を改めて検討したいと思う。

 そもそも、一体何のきっかけでパーソナリティ障害なんぞの本を読んだのか。

 元々読書は好きである。若い頃は精神的引きこもりだったため、本ばかり読んでいた。

 若い頃は文学からハードボイルドからポリティカル・サスペンスから詩まで読んだ。ハヤカワ文庫の戦史ノンフィクションや、大人になると快楽殺人の本もたくさん読んだ。最近は、時間外労働時間が月四十時間ほどあるため、それほど読んでいる訳でもない。書店とかブコフとかで目についた本を適当に買い漁っても、部屋に積んでいる状態である。『内面は意外と豊かだったりする』と、シゾイドパーソナリティ障害の特徴にもある。恐らく、ちょっと興味を引かれただけで、特別な動機などはなかったのではあるまいか。

 しかしちょっと興味を引かれて本を読んだから、というだけで、成見を見てすぐに自己愛性のことに思い至るのか。それだけで、ここまで印象に残っているものだろうか。事実、自身のシゾイドだか回避性のことは、都合よく忘れていた。

 では何故、成見が自己愛性パーソナリティ障害(疑)だと気付いたのか。

 それは、自己愛性PDに遭遇するのは、これが初めてではないからだ。

 過去に遡る必要がある。

 最初にカオスがあり、そこでビッグバンが起こり、太陽系が誕生して、地球が誕生して、月が分裂して、恐竜が地上を闊歩して、いやいや、そこまで遡る必要はない。これではまるでテレンス・マリックだ。

 ほんの数年前、今の工場に来る前の話だ。

 そこも工場だった。モノは違うが、工場などある意味どこも似たようなものだ。

 そこに自己愛性パーソナリティ障害(疑)で、しかも誰もが認めるブラック野郎がいたのだった。ただし、当時はまだ『ブラック』なる言葉は存在していなかった。もし今もまだ生きていて、同じ工場に勤めていれば、きっと皆に言われていることだろう。あいつはブラック野郎だと。

 しかし、流石に自己愛性パーソナリティ障害だとは言われていないだろう。そのような知識は、普通は持ち合わせてはいない。

 確か私も、当時はそんなことは思いもつかなかった。ちょっとというか、かなりいかれた人物だということはすぐわかったが、具体的に何が原因なのか説明出来なかった。彼が自己愛性PDではないかとの疑いを持ったのは、恐らくその工場をやめてからではないだろうか。

 そして今考えてみると、彼が初めてという訳でもない。よくよく思い出してみると、その前にも、自己愛性パーソナリティ障害(疑)の人物がいた。しかも二人も。その工場の男は、三人目に当たる。

 第三の男である。

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