第三章 幻惑

 年明け早々、坂上君が正社員になった。

 しかも、ワークネードの社員ではなく、工場の社員である。

 長田さんの計らいによるものらしい。

 ヘルメットが緑から、真新しいブルーに変わり、加藤さんが挨拶しに来て、長田さんに調子のいいことを言って帰っていった。

 この非正規使い捨て時代に、派遣社員を自社の正社員に採用してやるとは、大した度量だと思う。

 工場では、工程の請負化が進行しており、会社の方針としても、中途の正社員を積極採用しようとは思っていないはずだ。

 そのような状況下で、自分のお気に入りの派遣社員を自社の社員にねじ込むとは、どれだけの権限と権力があるのか。

 しかし、あれだけカリカリと毎日責め立てているにもかかわらず、何故坂上君だったのか。

 元々社員にするべく厳しくしていたのか。

 それも、多少は関係があるのであろう。

 派遣リーダーのままであれば、もっと気を遣って、恐らくあそこまでは言わなかったはずである。

 しかしそれだけではなく、何らかの性向というか、性癖のようなものもあるような気もする。支配欲、執着心、その他もろもろ。

 或いは、他に何か思うところがあったのか。彼の中に特別な何かを見出していたのか。多少仕事が遅くて、フォークが下手で、話し出すと止まらなくても、それらを凌駕する才能があったとか。実はニュータイプだったとか、製番を一目見ただけで全部覚えられるとか、伝説のライン工の隠し子だったとか。

 元々坂上君は、コミュニケーション能力が高く、天真爛漫で、誰とでも仲良く話すことが出来る。人を恐れないのは育ちが良く、家族仲もいいのであろう。そういったところを買ったのか。

 それともたまたま自分のところに迷い込んで来た、というだけの理由だったのか。

 現在の、雇用の非正規化に対しても、何か思うところでもあるのか。せめて自分で出来る限りは、非正規を正社員にしてやろうという崇高な使命感でもあるのか。

 正直言って、個人的にはやや面倒くさい人だと思うが、こうしたことがあると、人物評価にポイントを加えざるを得なくなる。

 いずれにしても、成見がこういったことを見て発奮したことは間違いないであろう。

 坂上君が工場の正社員になっても、メンバー構成に変化はなかった。彼はそのまま、我々派遣への指示を続けた。


 部品の供給が、常に順調とは限らなかった。様々なトラブル―成形不良、異物混入、磨き不良、炉が吹っ飛んだ、中組で作業員の指を組み立てた(これは広義の異物混入といえる)、雨漏りで部品が錆びた(これは割とよくある)、ゴジラが暴れて工場が崩壊したなどなど―によって、部品の供給が完全にストップすることもあった。

 我々の仕事がなくなった時には、長田さんと志田君は容赦なく定時にした。しかしそれにも限界があった。

 その時はたまたまピンの丈選が溜まっていたということで、我々が応援に駆り出された。

 長田さんたちとしては、多少は残業もさせておかないと、哀れな時給労働者である我々の収入に影響が出る、という余計な親心もあったのであろう。

 ピンというのは文字通りピンのことで、金属製で長さは数センチである。丈選というのは、そのピンの長さ、丈の選別を行う作業である。洗濯板のような専用のボードにピンをズラッと並べて、長さの違うもの、主に短いものを見つけ出し、排除する作業だ。

 丈選も部品管理課の所属で、丈選ヤードはUC工場にあった。

 しかしブースに空きがなかったため、我々は会議室の一角に陣取った。

 丈選セクションのメンバーは、ほとんどが南米出身の日系人で、やはりワークネードの派遣社員であった。

「じゃあ、お願いしますね。ラファエルさん」

 坂上君が言った。

 派遣リーダーは上原ラファエル何とかさんという初老の男で、ペルー出身の日系三世だという。もうウン十年前に来日し、静岡の自動車工場などで働いた後、この工場に来たという。妻と、年の離れた弟も同じヤードで働いていた。陽気な男で、カタコトの日本語で常におどけていた。

「はーい、じゃあまずこれお願いしますね」

 テーブル上にピンが盛られたコンテナが置かれた。

「まだまだたくさんあるから。終わったら呼んでね」

 丈選自体は極めてシンプルな作業である。まさに洗濯するような要領で、ボード上でピンをじゃらじゃらと転がすと、ボードに刻まれた溝にピンがずらりと並ぶ。

 ボードの端から端まで一通り見て、長さが違うものをピンセットでつまみ出し、廃棄する。これだけだ。

 しかし銀色に光り輝くピンを見つめていると、目がチラチラした。

 ポケモンショックに陥るのではないかと不安になってきた。

「これ、一日やってるのキツイですよね。ずっと座ってて楽だとか言う人がいるらしいんですけど、とんでもないですよね」

 成見が言った。

 確かに一日中座り作業だと、腰にきそうだった。私は既に、自分のところの作業で腰にきていた。どっちにしても腰を悪くするのだった。

 この二十一世紀のハイテク時代に、これを人力でやっているとは驚きだった。丈選には恐らく十名以上の人間が在籍していただろう。人件費も相当かかっている。実は梱包ヤードやUC工場にも、ピンの自動選別機という代物があった。しかしトラブルも多く、それほどスムーズに選別出来る訳ではなかったらしい。まだまだ機械では出来ない領域が存在するのだ。

 しかし残業でわざわざ他の部署の応援をするというのも、気が滅入った。

 成見と小迫さんはポツポツと何かどうでもいいことを話していたが、私の方は話す気にもなれなかった。最早コミュ障以前の問題として、この時から既に疲れていたのだ。

 この時は、通常の丈選だった。しかし年に数回は、ピンのトラブルが発生した。その度に選別が必要となると、ヘルプに駆り出されることになった。


 新年度に入り、朝礼で長田さんが何とかかんとか挨拶をした。内容は忘れた。

 既に普段の朝礼には、長田さんは参加していなかった。仕切っていたのは志田君だった。この日は特別ということだったのであろう。

 私の方は、新年度を迎えた区切りだか何だかで、とうとう防錆をやる羽目になった。

 確かにいつまでも成見一人にやらせておく訳にはいかなかった。本来なら小迫クンが先にやるべきだったと思うが、何故か私が先に教わることになった。まあ状況としては理解出来なくはない。やや釈然としないだけだった。

 防錆とは、ピンに防錆剤をコーティングする作業のことである。

 これがまた慣れるまでは、大変に面倒な作業だった。

 防錆するのは、主にダイレクト部品の、その部品であるところのピンだけだった。UCにもピンがあったが、そちらは防錆をせずに、そのまま普通に梱包していた。

 ピンは、プレートとの組み合わせが決まっている。あらかじめ社員どもが、仮組表にチャージナンバーとピン径を記入しているので、その指定通りにブツを選ぶ。

 まず例によって、防錆の前に計量という作業があった。

 ピンにも数種類あったが、それぞれ基準の重量が決まっていた。78RXは二十七キロだという。

「78はだいたい多いんで、補充はしなくて大丈夫ですよ」

 今度のインストラクターは成見だった。

 コンテナを一個ずつ、計量器で計っては台車に積んでいく。ほとんどが三十キロ近くあって、クソ重い。ワンチャージやっただけで腰が痛くなった。腹筋に集中した方がいい。腹筋腹筋腹筋腹筋。

「一台だったらまだいいですけど、三台連続とかだと軽く死ねますよ」

 いや、一台でも充分だ。

 段取りはだいたい他のブツと一緒である。ただしサンプルは十本採取する。

 ずっと座って段取りをしていたかったが、あっけなく終わってしまった。

 続いて段ボール箱を作る。ピンの場合は、トールより小型のショートで梱包する。作った箱は、防錆機の脇に慎重に積み上げる。

「途中で崩れると面倒なんで、綺麗に積んだ方がいいですよ」

 防錆機とは、文字通り防錆をする機械である。チューリップ型の鍋にピンを投入し、防錆油を入れる。鍋が回転して、油がピンにコーティングされる。ピンを段ボール箱に落とす。そいつを梱包する。

 分配機同様、機械を扱う際にはその前に、必ず点検作業をする必要がある。

 こいつの場合、まず鍋の中をウェスで拭き、動作確認をする。更に排出側の内壁をカンカンとぶっ叩いて、残留部品のチェックを行う。

 作業表にチャージナンバーを記入すると、早速作業に取り掛かる。

 成見がホイストの実演をしてくれた。ホイストとは小型のクレーンのようなものである。「爪が両側に、ちゃんと引っかかったことを確認してから上げてください」

 自分でやってみると思ったより難しい。まずフックの上下が難しい。思った高さで止められない。更にフックが両側から挟むタイプで、ガチャガチャしてコントロール出来ない。

「指挟むんで、気を付けて下さい」

 やっとの思いでフックを引っ掛けると、おもむろにコンテナを上昇させる。

「そこで一回止めて、確認するんですよ。もし引っ掛かってなくて落ちても、最悪ひっくり返さなくて済むんで」

 なるほど。それは素晴らしい。

 しかしホイストを止めると、三十キロのコンテナがゆらゆらと振り子のように揺れた。コンテナが吹っ飛んでひっくり返りそうで怖い。

 やっとの思いでコンテナを吊り上げ、コロコン台に着地させようとする。コロコン台は私の胸くらいの高さである。着地させるのも一苦労だ。ここまでで既に、使い古された消しゴムのように消耗していた。

 次は投入である。

 丸いチューリップに四角いコンテナをあてがって、ピンを投入しなくてはいけない。コンテナの縁を引っ掛けるとチューリップがグラグラと回転した。

「ここを引っ掛けて一気に上げると、一気に入りますよ」

 成見が替わると、一気にピンをジャラジャラと投入した。慣れたものである。

 計量ポットから、防錆油を計量レードルでチューリップに投入する。トントンと叩いて、一滴残らず。

 ボタンを押すと、チューリップが反対側に傾く。シュッシュッと回転を始めた。ピンがシャラシャラと鳴り始めた。

 すかさず排出側に回る。

 チューリップの回転が止まるまでしばし待つ。

 回転が止まると、足で段ボール箱を押さえる。チューリップを傾け、一旦停止。これは、一気に傾けると、勢いでピンが飛散するためだ。更に傾けて完全に下向きにさせると、ピンがザザザザザァっと段ボール箱の中に落ちてくる。

 コロコンを転がして段ボール箱を引っ張り出す。ストッパーを外す。ピンの入った段ボール箱を脇へと移動させる。

 段ボール箱をセットする。ピンと油をチューリップにブチ込む。回転させる。

 床に這いつくばって、今度は梱包作業を普通に行う。

 床に這いつくばった状態から、おもむろに立ち上がり、重さ十五キロ余りの段ボール箱を台車に載せる。

 そこから向き直ると、チューリップの回転が止まっているので、またワークを外して、段ボール箱をセットし、投入用のコロコン台はコンテナが二個しか載らないので、ホイストを操りコンテナを二個載せ、ピンと油をチューリップにブチ込み、回転ボタンを押し、チューリップが回転している間に梱包して台車に載せ、既にチューリップが止まっているので、チューリップを傾けて部品を段ボール箱に投入し、ワークを外して、段ボール箱をセットし、今度はホイストをスルーして、ピンと油をブチ込み、ブードゥーの呪いのダンスを踊り、ヒンズースクワットをして、グルグルバットをして、エアギターで『プライド・アンド・ジョイ』を弾いて、それを延々と繰り返す。まるで回し車内を回転するハムスターにでもなった気分だった。

 しかし梱包して終わりではない。パレットにケースを積むという作業が残っている。

 こいつはアウトリンクとの組み合わせが決まっている。仮組表を見ながら、梱包済みのプレートの後ろに箱を積む。既に社員どもが入庫ラベルを貼っている。やはりプレートより重い。箱が小さいので更に重く感じる。

 まだ二チャージ分が残っていた。何とかこなした。

「どうですか、防錆やってみて」

 成見が楽しそうに訊いてきた。

 どうですかも何も、ピンはクソ重いし、ホイストはクソ気を遣うし、油はクソ臭うし、チューリップはガシガシジャラジャラとクソうるさいし、立ったり這いつくばったり、梱包より瞬発力も必要とされるし、何カ月もクソ重たい梱包作業をやっていたにもかかわらず、また違った意味でクソ疲れたが、さすがの私もそんな返答をするほど無神経でも豪胆でもなかった。

「ホイストがやっぱり怖いですね」

 適当に話をつなぐことにした。

「これって結構扱いづらいじゃないですか。んで、たまに片方しか引っ掛かってなかったりするんですよね」

 ホイストのフックは両側から挟み込むタイプである。更にその爪は、二股の吊りフックタイプである。

「自分も、上に上げようとして、引っ掛かってなくて、アッ、ヤベって思ったことが何度もありますよ」

 結論としては、よく見るしかない、ということだった。


 しかし、よく見るのも限界がある。そもそも、見ていないということもある。人間の注意力と集中力には限界がある。仕事にミスはつきものなのだ。

 よくあるのは、製品ラベルおよび副票の取り違えだった。

 RワイとEワイ、EアウトリンクとEtアウトリンク、PDとBDなどなど、紛らわしい品番が幾つか存在した。

 ある土曜日のことだった。

 私が一仕事終えて、次の作業に取り掛かっていると、声が聞こえた。

「朝木さーん」

 志田君だった。

 さきほど作業したパレットの製品ラベルが違っていた。

 BDにPDのラベルを使用していた。

 こうした場合は、どうするのか。

 箱ごと全てバラシて、防錆袋ごと中身だけ新しい箱に入れ替える。勿論、副票と製品ラベルは書き直す。

 三チャージ分の部品をバラすと、空き箱が山となった。

 チャージナンバーの書き間違えも同様だった。

 そうしたことを受けて、ラベルにそれぞれのカラーの枠線がプリントされることになった。

 しかし、それでも同様のミスは発生した。社員どもは、ミスが起きる度にヤキモキしたことだろう。申し訳ないが、仕方のないことだったと思う。


 この頃、とある土曜日に、実験Z棟の方にもシャッターが設置された。

 業者が、ヤードのフォークリフトを借りて取り付け工事を行った。その後、ワークネードの全員が集まって、長田さんから講習を受けた。

 普段は自動のまま。上昇、下降、最後はメインスイッチを落とす、など。

 それまでは扉を開けっ放しで、夏はクソ暑く、冬はクソ寒かったが、多少はマシになるものと期待された。

 しかし、センサーの反応とシャッターの開閉にやや時間がかかるため、フォークリフトのドライバーは注意が必要だった。あまり焦ると、シャッターに突っ込みかねない状況だった。尤も、工場の他の場所には、既に同様のシャッターが設置されていたので、ドライバーどもも、慣れてはいたのであろう。


 その年のゴールデンウィークは九日だった。映画を観て、買い物をして、掃除をして、寝ていたら光の速さで時間が過ぎ去った。

 何故か六月という中途半端な時期に、ヤードが分離した。

 元々我々は、UCとダイレクトという二系統の部品を梱包していた。その二系統の中に、何種類もの部品があった。言うまでもなく、正確には、梱包していたのは部品の部品ということになる。

 当時は正社員の皆さんが、二つの工場からフォークリフトで一台車ずつ、部品を運び込んでいた。主に志田君が、彼がいない時は香田さんか長田さんが、一日中フォークを爆走させていた。雨にでも降られると相当に大変そうであった。

 そのため、という訳でもないらしいが、ダイレクト部品の方は、そのままダイレクト工場で梱包の作業をすることになった。

 とある六月の晴れた日、志田君に連れられてヤードを出た。

「暑いですね」

 志田君が言った。

 蒸し蒸しと暑い日だった。

 四月頃まではいい気候だったが、五月に入ると、もう真夏のようにクソ暑くなっていた。

「いやあ、これからまだ暑くなるんじゃないですか」

 クソ面白くもない、当たり障りのない返答をした。

 フフ、と気のない笑いが返ってきた。

 その後は二人揃って沈黙した。

 不毛な会話だ。

 彼は普段、フォークで工場内を走り回っているか、事務所内で事務作業をしているか、坂上君をいたぶっているかで、坂上君の代わりに指示を出す時以外は、小迫さんや私とはあまり接点がなかった。個人的な話をしたこともほぼない。坂上君のようにペラペラと自分の話をするタイプでもなかったようだ。それは私も同様だった。

 工場の裏手を歩いていくと、やがてダイレクト工場に辿り着いた。

 建屋の裏のドアから中に入ると、もうもうと蒸気が立ち込めていた。部品の洗浄で、熱水を使っているらしかった。夏にこの作業は、さぞかし暑いだろうなと思った。後で知ったことだが、この工程はバレルと呼ばれる。洗浄機が巨大な樽に似ていることからそう呼ばれているらしい。

 ダイレクト部品の梱包ヤードは、組み立てラインの一角にあった。

 広さはバレーボールのコート半分くらいだろうか。事務スペースに古いテーブルとラベル用の引き出しが並び、ホワイトボードで囲まれていた。段ボール箱のパレットが数枚置かれていた。作業をするには充分な広さに見えた。しかし完成品を置くのはどこだ。

「梱包したやつは、取り敢えずこの辺に置いといて下さい。後でテープ貼るんで」

 完成品のパレットを並べるとなると、大分狭くなる。二人くらいならギリギリ何とか作業出来るかもしれない。

 部品置き場は、少し離れた場所にあった。さっきの洗浄エリアの横の壁際に、台車がずらっと並んでいた。

「今やるのは、このワイを二セットですね。多分昼休み挟むと思いますけど、終わったら戻って下さい」

 台車をヤードに持ち込むと、更に狭くなった。しかし一人だけなら困ることはなかった。

 一人だけなら。

 ホワイトボードと段ボール箱の壁に囲まれて、周囲からはヤードがあまり見えなかった。

 組み立てラインは、建屋の反対側だった。梱包ヤードは建屋の端にあり、横は何やら古い機械類が雑然と置かれていて、この時は物置と化していた。奥側にはピンのパレットが並んでおり、その更に奥が丈選ヤードになっていた。ブースが四人分あり、丈選の別働隊が作業をしていた。

 今自分がいる場所の十メートル半径内には、誰もいなかった。誰も私に関心を払わず、私がここにいることすら気付いていないようだった。取り敢えずミスなくきっちりやっておけば、誰の視線も気にすることなくリラックスして作業出来た。

 おまけに建屋の向こうとはいえ、機械の音が建物中に反響してうるさかった。一人で歌っていても気付かれないくらいだった。うるさいのは嫌いだが、自分の存在を消してくれるのは悪くなかった。

 しかし、幸せな日々はそう長くは続かなかった。多分三日くらい。

「あれ、狭いな。こんなんで梱包出来んのかよ」

 とうとう小迫さんが現れた。

 そりゃそうだろう。幾ら何でも私一人だけで、ダイレクト部品を全て梱包出来る訳でもない。

 二人で作業を始めると、途端にヤードは狭くなった。

 おまけに、以前は台車で運ばれていたガイドが、パレットごと搬入されるようになった。ガイドは各製品に共通している部品なので量が多かった。そのため、近いのだから、一々台車に載せ替えずにまとめてパレットに載せておけばいいだろう、ということになったらしい。月曜日の朝には、二枚のパレットがヤードに鎮座ましましているということもあった。

 更に事態を悪化させたのは、小迫さん自身だった。

 台車を段ボール箱側に寄せりゃあいいのに、わざわざヤードの真ん中に据えて梱包した。

 作った箱も寄せりゃあいいのに、わざわざヤードの真ん中に積み上げた。

 誰も見ていないのをいいことに、不気味な声で不気味な歌を歌った。

 そのうちパレットの横で梱包し、直接箱を二箱ずつ積み始めた。これは両方とも、以前長田さんに禁止をくらっている。放置していたら私の方が何か言われそうだった。『何で言わないんですか』。そんなこと知るかっての。そもそも、そんな『ロッキー4』のようなことを好き好んでやる奴は、この世で小迫クンくらいだったろう。

 論理的に説明したところでわかりそうにないし、下手すりゃ逆切れするので、こちらが譲歩するしかなかった。一台ずつ台車を持ち込み、ギリギリまで台車を寄せ、ギリギリのスペースで梱包作業を行った。まるで千利休にでもなった気分だった。取り敢えず社員どもに見られないことを祈るしかなかった。

 彼と一緒になると、毎日空っぽのコンテナで空っぽの頭をぶん殴ってやりたくなった。


 私がダイレクト工場と実験Z棟を行ったり来たりしている間に、社員どもはトラックによる部品の運搬を始めていた。そのために、新しいトラックを購入したらしかった。当然のことながら、部品を納入しているメーカー製だった。ナンバープレートが付いておらず、工場内でしか運転出来なかったのであろう。下請け割引とかがあったのかどうかは定かではない。

 トラック一台に、六台の部品台車を収容出来た。フォークで一台ずつ運ぶよりは、時間の短縮になったのであろう。しかし梱包ヤードで、台車を降ろす様子を傍から見ていると、えらく大変そうだった。部品台車を、荷台からリフトへ移す際に、ちょっとでも気を緩めると、作業者ごと後ろに落下しそうだった。もし落下したら、間違いなく骨の二三本はパキッといくだろう。下手すりゃ死ぬかもしれない。リフトを降ろして、リフトから地面に部品台車を降ろす際にも、リフトが傾いているらしく、もしそこでつかえたりしたら、四段積みのコンテナがパッタンと倒れてきそうだった。台車を一気に引くことで、そうならないようにしていたが、重さ数百キロの台車を、倒さないように気を遣いながら一気に引き下ろすには、大変な労力が必要であっただろう。

 おまけに雨など降った日には、労力が更に増えることになった。

 部品が錆びるので、水は厳禁だった。

 かと言って、運搬をしない訳にもいかない。

 そういう訳で、台車を使い捨てのビニールのカバーで覆って運んでいた。

 工場で一台ずつカバーをシャカシャカと巻き付け、実験Z棟で、今度は水滴に気を遣いながら、またシャカシャカとカバーを外さなくてはならなかった。

 ヤードの入り口には庇がなく、トラックの荷台をヤード内に突っ込む訳にもいかないので、搬入の際には、どうしても濡れながら作業をすることになった。

 雨の日に、部品を搬入している姿を見る度に、あれは絶対にやりたくないなと思った。

 忙しかったせいか、運搬をする時は皆殺気立っていたように見えた。雨に濡れると、皆蒸気を発していた。

 更に、ヤード分離で余計な仕事が増えたようだった。

 ダイレクト部品をそっちの工場で梱包するのはいいとして、問題はピンだった。

 ピンは単体ではなく、必ずアウトリンクと組み合わせて、或いはセットの一部として入庫しなくてはならなかった。

 防錆機は梱包ヤードにしかなかった。いや、実は新ヤードにも一台置いてあったのだが、古いうえに、ホイストがなかったので使い物にならなかった。埃を被って使えない代物が何故そこに置いてあったのかは謎である。小迫さんが時々、邪魔だとギャアギャア騒ぎ立てていたが、結局そこを去る日までそこに置かれたままであった。

 つまり、ピン工場から、ダイレクト工場へピンを運搬し、そこで丈選したピンを実験Z棟に運搬し、そこで防錆したピンを、またダイレクト工場に搬入して、そちらでアウトリンクなどと組み合わせて入庫するという、ややこしい状況に陥ってしまった。

 ダイレクト用のピン置き場と、丈選ヤードは、梱包ヤードの奥にあった。元々だったのか、梱包ヤードの分離に合わせて、そっちも分離したのか、その辺は定かではない。

 私が午前中にピンの防錆を行い、午後からダイレクト工場に移動して、そのコンビとなるアウトリンクを梱包する、ということもよくあった。

 志田君か香田さんが午後遅くになって、パレットに載ったピンを運んでくると、その場で入庫ラベルを貼って、そこに私がクソ重たいピンをパレットからパレットへと移し替えて、更にそこに志田君か香田さんが入庫ラベルを貼って、ダイレクト工場の事務所で入庫して、というような慌ただしいことをよくやっていた。果たしてトラック導入前に比べて、社員どもの負荷が増えたのか減ったのか、よくわからない。まあ多少はマシになっていたのであろう。

 いずれにしても私にとっては、小迫さんに邪魔されることも多々あったが、一人で作業出来る時間が多少は増えた。ブロック塀の如き実験Z棟に比べると、多少は涼しくて快適だった。実験Z棟の床はコンクリートにペンキ塗りだったが、こちらはリノリウム張りで、床に這いつくばっての作業もやりやすかった。そしてトイレにも近かった。トイレは古くて汚い離れが建屋のすぐ裏にあった。作業中に退屈すると、そこで一息ついた。そして何より、携帯を好きな時に見られるのは大きかった。段取りをしながら、携帯を横で開いていても、ホワイトボードで遮られて周囲からは見えなかった。株価をチェックして、ニュースを読んで、多少は退屈も紛れた。実験Z棟よりも、気分的にはこちらの方が断然気楽だった。


 私が防錆を始めると、小迫さんが分配機をやる機会が増えた。

 プレートは専用台車ではなく、普通の汎用台車に載せられていた。後ろに二列、前方に縦向きに一チャージである。今考えると、そもそも積載重量を超過していたような気もする。バランスが悪く、押す時にも何だかフラフラと動いた。

 そして後ろの二チャージを先に空にすると、バランスを崩して引っ繰り返ると、坂上君に注意された。

 その時も、そのパターンだったらしい。

 残業時で、私はテーブルで中国向けセットのカラーの段取りをしていた。

 分配機の轟音で、音はほとんど聞こえなかった。

 段取りを終えて、おもむろに立ち上がり、自分の台車の元へ向かおうとすると、その時既に、分配機の前で坂上君が対応に当たっていた。コンテナが無造作に転がり、プレートが散乱している光景は、まさに大惨事だった。他の社員どもも集まってきた。

 坂上君は、普段はカリカリ言っているが、この時ばかりは小迫さんに対して、怒ったり怒鳴ったりということはなかった。本当はぶん殴ってやりたかったのかもしれないが、そんなことをしても無意味だということはわかっていたのであろう。他の社員どもも同様だった。社員どもは、基本的にはブラックでもパワハラ上司でもなく、まともな人々なのだった。

 取り敢えず、皆で片付けを始めた。

 また部品を調達しなくてはならなかった。

 対応を協議するべく、フロアの真ん中で、社員どもが集まった。

「気持ち切り替えていこう」

 長田さんが檄を飛ばした。

 しかしその時、小迫さんは床に這いつくばって部品をかき集めていた。長田さんには、小迫さんのことなど既に眼中になかったように見えた。

 次の日の朝礼で、事故の報告と注意喚起がなされた。


 この年の夏休みは、三一一後の電力供給を考慮したト〇タカレンダーにより、少し前倒しにされた。

 しかし楽しい楽しい夏休みが、映画を観て、買い物をして、掃除をして、クソ暑いので昼寝も碌にできずにうだうだとしていたら風とともに過ぎ去って、選りに選って最終日に出勤となり、一日潰れた。そして九月に入ると更なる変化が訪れた。

 まだ残暑が厳しいある日の朝、いつものように朝礼をするべくチャイムが鳴るのを待っていた。

 そこに加藤さんが現れた。

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