第93話 手には刃を、邪心を抱いて、恐れろ我らが……

 ~~~~~

 

 「むぅ、もっと急いだ方が……」

 

 深淵邪神教団警備部の増援部隊約二百人を率いるタラスは、何度目かになる同じ不満を口にする。

 

 「タラスさんの速さについて行軍すれば、ガルスにつく頃には皆がへばっちまいます」

 

 セシルから部隊の実質的な指揮を任された壮年の男は、こちらも既に何度目かになる同じ返答をする。

 

 ただの若い傭兵の血気盛んさからくる発言であればもう少し強く嗜めるが、タラスはこの増援部隊を邪神から直接託された指揮官で、名目の上では壮年の男は副官だった。加えて無邪気にすら見えるこの赤髪の魔法使いは、邪神の言葉を代弁する執行部の人間だ。

 

 「そうですねぇ、アタシだけでも先行して……。いやだめですね、きっとそれはヤミ様にもセシルさんにも怒られる」

 

 言葉の途中で険を強めた副官の表情を見て、タラスは言葉を翻す。本当に怖いのは事務部統括者の方だ、とまでは口には出さなかったが、それは口調に込められた抑揚だけで副官にも伝わっていた。

 

 「ホキィィ!」

 「あ、フックさん!」

 

 そこで高らかに鳴きながらヤミの使い魔であるオオフクロウが、部隊の先頭を歩いていたタラスのさらに一歩前へと降り立った。

 

 「どうしました?」

 

 地面へ降りるとすねくらいまでの高さしかないフックの目線へと近づくために、膝を抱えるようにしゃがんでタラスは問いかける。

 

 「ホッキ、ホゥ、ホォォウ」

 「ふむふむ、なるほど」

 「タラスさん、わかるんですかい?」

 

 ヤミとやりとりをする時より大きな身振りと忙しい鳴き方で何事か伝えようとするフックに、タラスは大きく頷く。それを一歩離れてみていた副官は、始めからフックとの意思疎通は諦めているらしく、タラスの方へと問いかけた。

 

 「わからないですって、ヤミ様じゃあるまいし」

 「は? えぇ、そりゃそうでしょうが――」

 

 何が嬉しいのか笑顔で否定するタラスに気が抜けた副官は、しかしすぐに気を引き締めなおして進軍を再開すべく提案しようと口を開く、がその前にタラスの言葉が差し挟まれる。

 

 「あっちだそうです」

 「何がですかい?」

 「だからわかりませんよ。けどあっちって言ってます」

 

 初めから鳥類との疎通を諦めていた副官がタラスに示されてフックを見ると、そのオオフクロウは確かにある方向を翼で指していたのだった。

 

 

 

 「あれを……、伝えていたんですか」

 「そうみたいですね」

 「おそらく“血の盃”のほぼ全団員。有名な団長らしき姿はないので、ナラシチさんやヤミ様がそっちと戦っているということでしょうかね」

 

 少し方向を変えながらも進軍を続けた増援部隊は、少し移動したところで自分達とほぼ同数の相手と会敵していた。

 

 見るからに戦意に溢れた敵の先頭に、傭兵の間では知られた髭面の斧使いが見当たらないことから副官は予想を口にする。そして既にその戦いは終わっているということ以外は当たっていた。

 

 「ほぼ同数、いや向こうが少し多いですかね。しかしここを抜かれるとそのままホルンまで到達される。戦力は残してきたとはいえ、あの村を戦場にはできませんね」

 

 数の上での戦力を分析しながら呟かれた副官の言葉に、タラスは先ほどまでと変わらない明るい表情を向ける。

 

 「まったく、問題はありませんね。ちょうどいい事にまだ時間は夜中、太陽も沈んだままです。ヤミ様の加護を見せつけてやりましょう!」

 「「「おお!」」」

 

 途中から声を張り上げて周囲にも聞こえるように発されたタラスの激励に、すでに戦闘態勢を整えていた警備部の隊員達も大声で応じる。

 

 そしてそれを開戦の合図と受け取ったのか、睨み合っていた“血の盃”も動き始めていた。

 

 「まずは“万雷”の名を刻み込んでやりますよぉ!」

 

 最後にそれだけ言うと、タラスの立っていた場所には電撃に焦がされた草だけが残り、当の本人は遥か先へと駆け出していた。距離をとって見合っていたはずの“血の盃”の先鋒にはすでにいくつもの雷撃が走っているのを見て、副官の男も慌てて声を張り上げる。

 

 「お、お前ら遅れてるぞっ! 深淵邪神教団に牙を向けたこと、あの狂犬どもに思い知らせてやれぇっ!」

 「うぉぉっ!」

 「暴れっぞぉ!」

 「最近情報部にいいとこ取られてっからなぁ、警備部の力を見せてやらぁ!」

 

 鼓舞の言葉に応じて走り出した仲間たちと並走しながら、戦いにくいはずの夜の闇に躍る心を自覚して、副官も不思議な高揚感に包まれるのだった。

 

 

 

 “血の盃”は戦闘狂として知られる傭兵団であり、単純な戦闘技術の高さや、戦術的な連携行動などでは評価されていない。それでも強い傭兵団と認識される理由は、ひとえにその旺盛な戦意が理由であった。

 

 「がぁっ! またあの雷魔法だ! 術者はどこだ、何人いる!?」

 「なっんだ、こいつら!? “銀鐘”つってもただの傭兵だろうが、何で笑いながらこんなつっこんできやがる!?」

 「おいグラハム、予備の武器貸せ! おいっ、……はあ!? 何で焦げた肉塊にグラハムの剣がくっついて、――ぐえっ」

 

 “血の盃”は確かに強く、意気軒高な傭兵団だった。しかしその強さ故に、殆どの仕事で優位な、あるいは互角の戦闘ばかりを経験してきた。そしてここで初めて経験する絶望的で圧倒的な戦場に、その戦意は崩れ去ろうとしていた。

 

 「なんだか武器が軽く感じるなぁ、調子いいぜ!」

 「ああ、それに負ける気がしないねぇ!」

 

 紛れもなく神であるヤミに対する信仰を明示的に表明したことで、戦いにおける力と精神にその加護を、ヤミ本人ですら自覚していないうちに、受けた教団警備部の兵達は、圧倒的な勢いでもはや逃げ腰の“血の盃”団員達を仕留めていく。

 

 「あっと、タラスさん、順調にいきましたね!」

 

 戦いの最中で、狂乱の中にあっても冷静さを保っていた副官の男は、不意に近くにいたタラスへと戦況の報告を兼ねて声を掛ける。

 

 「そうですね、アタシの魔法も絶好調で……、ってあぁ!」

 

 答える途中で声を上げたタラスの視線の先では、直接的な交戦状態に入っていなかった“血の盃”の後方、数としては数十人が逃げ出していた。

 

 「ちっ、あの数に撤退されるのは避けたいですが……、無理して追うのも危ないですよ」

 「ですね、悔しいですが……。今はこの辺りにいる連中に集中しましょう」

 

 戦意の高い相手だけに、数の上でほぼ壊滅まで持っていける手応えを感じていたタラスと副官は、悔しさを表情に滲ませる。

 

 

 

 それから大した時間はかからずに、戦闘は終わりつつあった。

 

 「こちらの調子が良すぎましたね、あの数が交戦せずにほぼ無傷のまま逃げるとは」

 

 手にした槍を振るって、付いたものを払い落としながら副官が口にする。

 

 「方向は向こうだしホルンの厄介ごとにはならないと思いますけど……」

 

 タラスはそう言ったものの、表情からはやはり思い通りにはいかなかったという思いが見て取れた。

 

 「ホキッ」

 

 そこでタラスの周囲を飛んでいたフックが、不意に大きく鳴いて注意を引いた。

 

 「何です……?」

 

 フックが目を向けているのは先ほどから話題にしている逃げた一団だった。逃げ始めてからある程度は時間が経ったために、かなり小さく見えるようになってしまっていて、当然もはや追いかけるのは難しい距離だった。

 

 「逃げた連中……、あっ」

 

 タラスと副官が揃って目を凝らしていると、遠方を逃げていた数十人の内半数が、落とし穴に落ちるように姿を消す。

 

 「あぁ、なんか色々と決着したみたいですね」

 「そ……うですね」

 

 さらに残り半数も黒いうねうねとした何かに叩き潰されていくのを見ながら、急に感じられた疲労感を意識した二人は呟いたのだった。

 

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