第42話 邪気の奔流の中で

 何が……、起こった…………?

 

 何かが爆発して、どこかに吹き飛ばされたような感じだったけど……?

 

 「これ……は……、そうか、ここまではうまくいってたのか」

 「ホキィ」

 

 いつの間にか抱きかかえていた茶色い塊、元の魔獣の時の外見に戻ったオオフクロウに目をやると、微かな鳴き声が返ってくる。

 

 しかし元通りなのは外見だけで、神力の代わりに俺の邪気を纏って邪神獣になっている。どうやらそこまでは狙い通りにできた後で、力が制御しきれずに暴走させてしまったらしい。

 

 「うわ、なんだこれ」

 

 このオオフクロウだけでも逃がそうかと思って見回して、ようやく状況がのみ込めてきた。

 

 実際吹き飛ばされたりはしておらず、さっきオオフクロウと殴り合っていた辺りからそれほど動いていない。焼失した林のただ中で、砂塵を巻き込んで噴き上がる邪気に囚われてしまっていた。

 

 自分で暴走させている邪気が邪魔というかうるさくて、この外がどういう状況になっているのかも全く分からない。

 

 「どうしたもんか……」

 

 呑気に呟いてはみたものの、かなりまずい状況だということは自覚していた。というのも時間が経つにつれて、何とかぎりぎりの所で抑えている自分の邪気が最後の制御を失いつつあるようだった。

 

 完全に制御を喪失すれば、俺の体内の邪気が全て放出されて、俺ももちろんだけどこの世界そのものがおそらくは大変まずいことになるだろう。そしてそうなった場合、近くにいるであろうシンも巻き込んでしまう訳だから、何とかしてそうならない様に抑えないといけない。

 

 いや、そうとも限らないか? シンは確か別で大きなエネルギーが調達できれば、世界を越えるような転移ができるはずだ。だから最悪の場合でも、俺の暴走放出した邪気を利用して影響が及ばないくらい遠くまで逃げられるだろう。

 

 まぁ、この世界で知り合った人達には申し訳ないけど、そうしたくてする訳ではないし、実際俺にはどうしようもなさそうだ。

 

 「く、くぅっ!」

 

 頭の中で意図的に呑気な事を考えて耐えようとはしているものの、そろそろ本当に限界が近い。なんとか制御できるだろうと思ってやったことだったけど、俺は自分自身の内にある邪気をかなり甘く見ていたらしい。

 

 「かっこつけて、これかぁ……。ははっ、だっさいな、俺……」

 

 最後の最後、ぎりぎりのところで指の爪先を微かに引っかける程度に残していた制御が、じりじりと外れていく。

 

 自分から放たれた邪気が、自身を飲み込んで一層勢いよく噴き上がっていく。

 

 これで、最後か……、幽閉されていた千年に比べると短い自由時間だったな…………。

 

 「――ぃ!」

 

 邪気の流れが乱れてる? いや、これは外から誰かがかき分けてるのか?

 

 というか“誰か”ってそんなことができるのは……。

 

 「ヤミっ! しっかり、せん、かぁっ!」

 

 邪気と砂塵の壁をかき分けて顔を出したのは、やはり相棒――シンだった。

 

 邪気に汚染強化された砂粒や石礫が絶え間なく激突していることで、シンは顔や腕、脚など至る所から出血している。俺と同じく人を精巧に模しただけのシンの身体を流れるのは正確には血液ではなく凝結した邪気なのだけど、出血しているということは体内邪気が流失している状態だから、ダメージを受けていることには変わりはなかった。

 

 「――し、ん。血が……」

 

 辛うじてそれだけ言葉にできた。オオフクロウを抱えていない方の手でシンの額から流れる血を拭おうとして、自分の腕もひどい状態になっていることに気付いた。

 

 「わたしのことを気にしとる場合ではない。制御を!」

 

 俺の両肩を掴んでシンが怒鳴ってくる。これだけの邪気の奔流の中で、まともに喋れるあたりはさすがの能力だ。

 

 「い、や、無理そう、だ。シンは俺の邪気、を、利用して、にげ、ろ」

 「どこにじゃ!?」

 

 半分以上裏返った声で、まだ短い付き合いだけど見たことが無いほどに取り乱した様子でシンは叫んだ。

 

 流れる血に混じって頬に伝ったのは、……もしかして涙だったのだろうか。

 

 「お前は! わたしが気まぐれか何かで共におると考えとるようじゃが、それは違う!」

 

 正直にいってそう思っていたし、それを見透かされていたことに驚いた。

 

 「ヤミだって知っているじゃろう、あの何もない空間に囚われることの苦しみが! わたしはもっと長かった!」

 

 言われてみればそうだ。そんな風に考えてもこなかったけど、シンはあの虚無の中に俺より前からずっと……。

 

 「その中で……、幾人もの囚人達が狂って消滅していく中で、ずぅっと消えないお前を見つけたわたしの気持ちが分かるかっ!?」

 

 …………。

 

 「わたしを、地獄というのも生ぬるい深淵の底の底から引き上げてくれたのは、お前じゃったろうがっ!」

 

 血と砂礫に塗れてなお美しい銀の髪を振り乱しながら、シンは慟哭していた。古き狂神であったというシンの事を、俺はもっと超然とした存在だと考えていた。

 

 けど、そうか、元狂神だって辛いし、苦しいし、……俺の事を大事に思ってくれていたんだな。

 

 「――っ!」

 

 今度こそしっかりと腕を伸ばして、シンの銀の瞳をした目から零れた涙を拭う。俺自身の手から流れていた血で余計に汚してしまったけど、気持ちは伝わったはずだ。

 

 「じぶ、ん、の、力くらい、なんとかしな、いと、な……!」

 「ヤミ! そうじゃ、その調子であと少し踏ん張れ!」

 

 シンの応援に応えて、力を振り絞る。体の隅々までの活力を総動員して体外に出て暴れまわる邪気を押さえつけようと試みる。

 

 さっきは爪の先から外れそうになっていた制御を、何とか片手で掴むくらいまでは取り戻す。

 

 ……けど、そこから進まない。辛うじて制御の取っ掛かりだけ取り戻したものの、暴走中の邪気を完全に抑えるには至らない。これだと結局少しの時間稼ぎが精々だ。

 

 「よし、よしっ、それでええ! そこまで抑えてくれれば、わたしも手伝える!」

 「て、つだい?」

 

 俺の肩を掴む手の力を強めて、さっきまで悲しみにしかめられていたシンの顔は嬉しそうにほころぶ。

 

 「ヤミの頭に直接干渉して、わたしも邪気の制御に手を貸す。ここまで状況が良くなっておれば、それでなんとかできるじゃろぅ」

 

 頭に直接干渉……? 頭蓋を開いて脳に指を突っ込まれる自分の姿を一瞬思い浮かべて、状況も忘れて身震いする。いや、そんな訳ないな、いくら何でも。

 

 「ど、うやって?」

 

 何も理解できない俺が質問で返すと、対照的にもはや成功を疑っていないかのように笑顔のシンが、顔を近づけながら俺を掴む指にぎりと力をこめた。

 

 「わたしの事を、受け入れろ」

 

 それだけ言うと、シンの顔が頭突きに近い勢いで俺の顔へとぶつかってきた。

 

 「――っ!?」

 

 ただただ驚く俺をよそに、触れた唇からシンの意思を託された邪気が流れ込んでくる。

 

 この邪気はシンそのものだ。俺の脳内へと浸透して、邪神の生命活動そのものである邪気の制御に干渉してくるけど、拒む訳がなかった。

 

 俺を強く掴んで離さない古き狂神に身を任せたことで、俺一人では全く見えていなかった複雑さで自分の邪気が認識できていく。一本の大樹の様にそびえ立つ自身の邪気の奔流をはっきりと捉えたことで、体内とか体外とか、制御とか暴走とか、無意識に分けて考えていたものが一つの自分という存在であったことに気付く。

 

 圧倒的に熱く感じる顔の一部分と、驚き慌てる思考とは別に、常に冷静な邪神としての認識は邪気の奔流が収まり始めたのを感じ取っていた。

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