刺青の女(その7)
事件から三日経った。
お静の行方も、番頭を殺した下手人の手がかりも見つからない。
正午すぎ、浮多郎は三ノ輪の名代の蕎麦処・吉田屋に呼びつけられた。
「お役者目明し浮多郎、お成り~」
お気に入りのおたふく顔の女将を侍らせ、昼の酒に酔った岡埜同心は、さまにならない声色を張り上げて上機嫌だった。
「番頭の死体の切り口を見たが、見事なものだ」
「下手人は剣の達人、ということで?」
岡埜も神道無念流の相当な使い手なので、そのへんのことはよく分かるのだろう。
番頭は、寝ているところを富岡八幡宮まで引きずり出され、惨殺された。
そのせいで、主も手代も女郎たちも、お静については貝のように口を閉ざしてしまった。
この三月から、通いの自前で、好きな時だけ女郎をするという話を番頭がまとめたということだけが、かろうじて判明した。
番頭は、主がお滝に大甘だと非難がましく言っていたが、番頭も相当な甘ちゃんだった。
あるいは、身元なんかどうでもよくて、太い客が付けばそれでよいという番頭が商売上手だったのか・・・?
事実、お静の評判は上々だった。・・・お店に精勤ということはなかったが。
「お静、といっても源氏名だろうが、・・・このお静には、上方なまりがあった」
これは、浅太郎親分が主から聞き出した、と岡埜は言った。
ということは、この三月あたりに、上方から江戸へやってきた女なのか?
しかし、・・・お静はどこへ消えた。
「あっしのところへ、押しかけて来た女が、お静でまちがいないでしょう。お静は、お滝といさかいになって絞殺し、お滝をよそおって大川橋から飛び込んだ。虚無僧がお静を助け、かわりに百本杭に死んだお滝を流した。お滝が身投げしたと偽装するためです。殺した翌日に、お静はわざわざ彫辰で『写楽命』の刺青を彫った。しかし、岡埜さまが首を絞めた紫斑を見逃さなかったので、この目論見は失敗しました」
岡埜は、浮多郎の見立てが正しいとも正しくないとも、いつものように『犬になって嗅ぎ回れ』とも言わなかった
「とすれば、・・・半日か一日、お滝の死体をどこかに隠しておく必要があった」
岡埜にしてはめずらしく、浮多郎の見立てにつきあった。
「両国橋の下に隠すか?いや百本杭に重しをつけて沈めておくのはどうでしょう?それにしても、お滝はあの日の夕方どこへ出かけたのでしょう?」
「お静は、あの日は店を休んだ」
「それで、両国橋あたりでお滝と会って、絞め殺したんで?」
「馬鹿野郎!それはこっちの言うセリフだ。お滝の首の周りの紫斑をよく見ると、男の大きな手のあとのようだった」
「あの虚無僧ですか?」
「背はどうだった?」
「高くて、がっちりして強そうでした。じゃあ・・・」
と言いかけて、浮多郎は口をつぐんだ。また、『それはこっちの言うセリフ』と言われそうなので・・・。
「お叱りをうけるのは百も承知ですが。・・・これはあっしの当てずっぽうです」
と、さぐりを入れると、岡埜は険しい顔をしたが、何も言わなかった。
「お滝を殺し、身投げを装って大川に飛び込んだお静を助け、あっしと番頭との話を立ち聞きし、その番頭を惨殺したのは、すべて虚無僧の仕業ではないでしょうか。この虚無僧の振り付けで、お静が踊ったというか・・・」
そこまで言い、
「今から、大川端を当たって、あの日身投げした女を救った虚無僧を見た奴がいなかったか調べてまいります」
と腰を浮かしかけると、
「船宿の船頭にも当たれ。浅太郎には、深川あたりに出没する怪しげな虚無僧を調べさせている。儂は今から両国橋の両岸を当たる」
すっかり酔いの覚めた岡埜はそう言うと、ようやくお神輿を上げた。
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